幕間 リネット・ハルトの視界
医務室の白い天井。
リネットは、ゆっくりと瞬きをした。
――見える。
それが、最初の感想だった。
いつもなら、輪郭が曖昧で、
色がにじんで、
距離感が掴めない世界。
でも今は。
天井の細かなひび。
カーテンの縫い目。
窓の外を通る雲の形。
(……こんなに、はっきり)
思わず、息を呑む。
医務室の椅子に座り直し、
そっと、手を見る。
指の形。
爪の先。
全部、ちゃんとそこにあった。
(……夢じゃ、ない)
でも――
なぜ?
額を打ったはずだ。
視力が良くなる理由なんて、ない。
――浮かぶのは、あの瞬間。
床に倒れた自分。
集まる視線。
逃げ場のない恐怖。
そして。
「大丈夫ですの!?」
あの声。
慌てていて、
場違いで、
それでも――真っ直ぐだった。
(……ルカ、さん)
名前を、心の中で呼ぶ。
手を取られたときの温度。
顔に触れられたときの、静かな熱。
光はなかった。
奇跡の演出も、なかった。
ただ――
治ってしまった。
リネットは、胸に手を当てる。
(……怖い)
正直な気持ちだった。
これは、
知られてはいけないことなのかもしれない。
あの人も、
必死に隠そうとしていた。
(……でも)
思い出す。
中庭での説教。
俯いた背中。
逃げたそうなのに、逃げなかった姿。
(……優しい人)
優しい、だけじゃない。
自分を後回しにする人。
だからこそ――
放っておけない。
リネットは、メガネを外した。
ぼやけない。
世界は、変わらず、そこにある。
(……これは、私だけの秘密)
少なくとも、今は。
彼女は、そっと微笑んだ。
(……今度は)
(私が、見ていよう)
声だけの人だった彼を、
ちゃんと“見る”ために。
静かな決意は、
誰にも知られないまま、
胸の奥に沈んだ。




