聖女の加護を授かったのは、男でした。
祈りとは、本来、救いを求めるものなのだろう。
少なくとも、そう教えられてきた。
だが、あの夜の僕の祈りは、救いなどではなかった。
怒りだった。
絶望だった。
そして――生き残ってしまった者の、吐き捨てるような告発だった。
*
僕は赤ん坊の頃から、この世界にいた。
正確に言えば、生まれた瞬間から「違和感」を抱えていた。
泣いているはずなのに、心は冷静だった。
母の顔を見ているのに、懐かしさと罪悪感が混じっていた。
――ああ、また、生まれてしまった。
理由は分からない。
ただ、前の人生の“感情の残骸”だけが、胸の奥に沈殿していた。
それでも、最初は幸せだったと思う。
父がいて、母がいて、兄弟がいて、笑っていた。
戦争が来るまでは。
最初に死んだのは父だった。
剣で斬られたわけでも、魔法に焼かれたわけでもない。
瓦礫の下敷きになり、助けられないまま、息が止まった。
次は母だった。
逃げる途中で矢を受け、振り返ったときには、もう立ち上がれなかった。
兄弟は、名前を呼ぶ間もなく消えた。
友達は、目を開けたまま動かなくなった。
僕は――何もできなかった。
泣くことも、叫ぶことも、祈ることすらできなかった。
ただ、生き残ってしまった。
それが、何よりも辛かった。
*
修道院にたどり着いたのは、奇跡だったと思う。
足は血まみれで、視界は霞み、もう歩けないと思っていた。
それでも、倒れる前に、礼拝堂の扉が見えた。
最後に、祈ろうと思った。
……違う。
正確には、「祈らずにはいられなかった」。
膝をつき、床に額を打ちつける。
言葉は、勝手に溢れ出た。
「……なんで」
声が震える。
「なんで、俺だけ生きてるんだ」
拳が、石の床を叩く。
「なんで、誰も助けられなかった」
喉が焼ける。
「神がいるなら……見てたんだろ」
涙が落ちる。
「だったら、なんで――」
助けなかった。
その言葉は、祈りにはならなかった。
ただの、怒りだった。
その瞬間。
礼拝堂の空気が、変わった。
光が差したわけではない。
鐘が鳴ったわけでもない。
ただ――“何か”が、確かに見ている感覚があった。
*
癒しを司る神は、一柱ではない。
肉体を癒す者。
心を癒す者。
魂を癒す者。
死を越えて再生を司る者。
彼らは、同時にルカを見つけてしまった。
「壊れかけている」
「いや、もう半分壊れている」
「それでも、まだ怒りを吐ける」
「生きようとしている証だ」
救うべきだ。
今すぐ。
通常なら、ありえない判断だった。
加護は一柱、一器、一意。
だが、その夜だけは違った。
重なり合う善意。
焦り。
哀れみ。
そして――
加護は、重なった。
*
ルカの体が、淡く光る。
肉体が癒え、傷が塞がり、呼吸が整う。
同時に、心の奥で軋んでいた何かが、強制的に縫い止められる。
完全な修復ではない。
ただ、壊れきる前で、止められた。
その結果――世界の法則が、誤作動を起こした。
判定不能。
前例なし。
仕様外。
システムは、最も近い定義を選ぶ。
《聖女の加護》
*
翌朝、修道院は騒然となった。
癒えないはずの傷が消え、
衰弱していた孤児が、静かに息をしている。
修道女は震える手で、少年の額に触れた。
「……聖女、様?」
ルカは目を覚ました。
天井を見て、思った。
――ああ。生きてしまった。
体は軽い。
痛みはない。
それが、なぜか、怖かった。
自分は救われてはいけない。
そう思っていたから。
その日、世界に聖女が生まれた。
ただし――
誰よりも生きることを諦めかけていた、男の聖女だった。




