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鬼と役人  作者: 雛鳥棚
1/1

混血の青年

 処罰所にて。

いたぶってよ。死なないから」

 役人は怪訝な顔をした。

 僕の言葉はそんなに可笑しかっただろうか?

「僕は罪人だ。君が僕を裁くんだろう?」

 役人の顔は僕を憐れむようにさえ見えた。

「お前は、人の性を思わせない話しをするね」

「僕は鬼だ」

「でも、角がないじゃないか」

「人の母が在った。混血だから、僕は人にされる」

 脆い角が捥げた跡の残る額に触れようとして、てかせを壊しそうになってしまった。

「お前は加減を知らないね」

「君は罪と罰を忘れたのか?」

「いいや。お前、初めになんと言った」

 僕は不思議だった。

 人の世界で、罪と罰は不可分だろ。

 人は痛みを嫌うから、それを罰にするんじゃないか。

 僕だって痛いのは嫌いさ。

 僕は普通のことを言った。人が僕の罪を咎めたから、罰を与えろと言った。繰り返させるほど、晦渋かいじゅうなことじゃない。

「……痛ぶってよ。死なないから」

「知るのが痛みだけで、贖罪できると思わないことだ」

 意味が分からなかった。

 それを罰と決めたのは、君達人だろう。

「お前、かせを壊しなさい」

「君は何を言ってるんだ」

「お前は少し腕を揺らしただけで木枷にひびを入れた」

「可不可の話ではない」

「お前が受ける罰は、梏の無い無為な生活の中に在る」

 役人は街外れまで僕を連れて行った。

「何故人を殺めてはならないか、分かるか?」

「……君達は、痛いのが嫌いだからだ」

「それは正しくて正しくない。これを解ることが、お前の贖罪だ」

 人を殺してはならない理由。人の世界に生きると決められてから、知っているつもりになっていた。正確には、忘れただけで知っていたはずだった。

 母の声の幻聴が在り、それを役人に言えば、役人は母の在処を尋ねた。木の板の上に放って置かれた骨を見せると、役人はそれを土に埋めて磨いた石で踏みつけるよう命令した。

 その後、野原を歩いた。

 花を毟れと言われた。花は綺麗だろうと言われた。母は綺麗だったかと訊かれた。母の髪の長さを訊かれた。母の瞳の色を訊かれた。人の顔など忘れるものなのに、奇妙な程覚えていた。それが、親愛という人の性らしい。

 磨いた石に花を添えた。

 母は人を愛しなさいと言っていた。

 心の中の漠然とした声が、言葉に成っていた。

 ――「人は愛し合う生き物です。あなたが人として生きるのなら、あなたは愛し愛されるのです。恐怖させる醜い手はこの手靴で隠し、その恵まれた力は人を守る為に使いなさい。愛される努力と、愛す思いやりが、鬼と人に必要だったのです」

 僕は、初めて涙の味を知った。

 磨いた石と花の前、厄介な役人の隣で、僕は膝を土だらけにして、降り始めた雨が止み朝日が昇るまで姿勢を変えなかった。

 僕らは野原を走った。

 花とただの草との差異を知った。

 役人は印象より多弁でよく笑う男だったが、よく怒る男でもあった。

 僕は役人に従って、奉仕の尊さを知った。

 人の笑顔が、形ではなく光に見えるようになった。

 人の泣きっ面が、動きではなく槍のように感じられた。

 表情はしわの流れではなくて、人の性の鏡なのだと知った。

 光を差されれば眩しくなり、槍を刺されれば胸が苦しくなる。

 僕は、こんな尊さを棄て生きた人間なのだ。

 この国は愛の国なのだろう。だから、国は人殺しを悪として、その罪人にさえ死の罰を与えない。痛みは引くけれど、死は拭えない。痛みは、命の尊さを教える機能だったのかもしれない。

 奉仕は自責を教え、役人の言ったことの意味が漸く解った。

 折れた角も、手靴の下の醜い手も、時々足袋を突き破る鋭い爪も、鬼の証は人でない証じゃなかった。

 僕は人の性を知って、悔いを手放すことはもうできない。

 赤い手足と、人間の顔と、鬼の角と、人間の胴。

 鬼にしては人で、人にしては鬼。僕は、今よりちゃんと、人らしくなれるだろうか。役人よ、母上よ。

 番外編


 手足の爪を隠さず、人ではそうない上背の男が在った。

 彼は鬼だった。

 しばしば人里を徘徊しているという。

 ある日、破落戸に詰め寄られ逃げ場を失っている女を見た。人の女だ。

 鬼は女に恋をした。

 なんと、可憐な女だと。

 鬼はその力を振るって破落戸を追い払った。

 不器用だが柔らかな笑みで、女を見下ろした。

 掠れていて男らしく、上背通りの鬼の声。

 女は恋に落ちる寸前であった。

 女の所用先と家路を共に辿って、二人は別れた。

 これが今生の別れとなれば、二人は互いの甘美な記憶になれたのかもしれない。

 鬼のイメージからかけ離れた笑みを、鬼は度々女に見せたのだから。


 鬼は鬼郷の大外れ者だった。柔らかな笑みをするからだ。鬼の女に関心がないからだ。

 鬼は人里でも嫌われ者だった。人ならざるからだ。鬼だからだ。人の性は無く、鬼の本質は有ったからだ。

 鬼は甘美な思い出と無味乾燥な現実を比べ続けた。

 あの日の翌々日のことだ。

 鬼は恋心を爆発させ、女の家に出向いた。

 家には女一人だった。

 鬼にとってのそれは、猫にとっての甘噛みに等しかった。

 強姦の末に成した子が、役人に導かれた混血の彼である。

 無我夢中の行為の後、血と涙と愛する人の女を見て、鬼は己は鬼だと解った。

 もう、人里にはやってこなかった。


 女は恐怖のあまり声を出せなかった。そして、死の瞬間まで後悔の念に苛まれていた。

 あの時声を出して、一歩ずつ進む人の恋を教えられていたら。

 あの後声を出して、鬼郷に迎えに行けたなら。

 この子にはいい父親が在ったかもしれない。

 去り際の、朦朧した意識下での言葉が、痛く耳に残っていたのだ。

 ――君は人だ。僕は鬼だった。

 最上級の愛と、最大限の侮蔑を孕んだ声の波だった。

 本能に逆らい人を愛でることと、恐怖に立ち向かい罪ある異物に寄り添うこと。

 人が聞けば、人の女ばかりが重く困難な試練を背負ったと聞こえる。

 一方の鬼は、半生己を縛り付けた価値観に背く行いを、この機会に一度で導き出せねばならなかった。

 試練の重さは、本当のところ誰にも分からない。

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