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背に触れるもの

掲載日:2025/12/18

きた――

駅のホームが近づくのを、ドアの窓から見ながら、心の中で舌打ちをする。

この時間、この車両には、あの人が乗っている。


わたしは勝手に、彼をダッシュマンと呼んでいる。

リュックを腹の前に抱え、電車を降りるなり走り出す人。

普段ならこの車両は避けているのだけれど、今日は混んでいて、ほかに乗れなかった。


最後に乗り込むことが多いわたしは、つまりドアの前にいる。

そこへやってきた彼の荷物が、いつもわたしの背を軽く掠める。

急いで降りたいのに邪魔だ、と言われているようで。

何度も繰り返されたその「軽さ」が、少しずつ積もっていた。


この後、電車が止まると、最初に降りたわたしは一歩横にずれる。

それを合図にしたかのように、彼は横を走り抜け、改札を誰よりも早く通るのだろう。


わたしはスマホを開き、妄想を綴ったメモを眺める。

それらは、自衛のための小さな物語だ。


たとえば彼はスーパーマンで、毎日誰かを救っているのかもしれない。

仕事終わりに呼び出され、一秒でも遅れれば、何かが壊れてしまうのだ。


あるいは、幼子を迎えに行っているのかもしれない。

保育園で迎えを待つわが子のために、一秒を惜しんで走っているのだ。


そうした、やむを得ない事情があると思えば、少々の不愉快は、我慢できる。

そうやって、いつも自分を納得させていた。


けれど今日は、帰宅後の予定がない。

わたしは気まぐれに、ダッシュマンを追跡してみることにした。

彼がダッシュする理由に、興味が湧いたのだ。


改札を抜けても、彼はスピードを落とさない。

人の流れを縫い、迷いなく、まるで行き先を知っているかのように。


一定の間隔を保ちながら、彼の背中を追って走る。

流れる景色の中で、看板の文字がやたら目につく。

走るわたしの足取りは妙に軽く、まったく息も切れない。

響いているのは、わたしと彼の靴音だけだった。


気づくと、周囲から人も車も消えていた。

何も音がしない。

看板も信号も、ただの背景のように静止している。


少し先で、ダッシュマンが立ち止まった。

ゆっくりと、こちらを振り返る。

どこかで会ったような、知っているような、知らない顔。

年齢も、表情も、定まらない。

ただ、静かな目だけが、妙に印象深い。


「どうして、いつも急いでいるんですか」


わたしは、そう尋ねた。

彼は少し困ったように笑う。


「急いでいるわけじゃないんです。先を、知りたいだけで」


意味がわからず首をかしげると、彼はわたしの背後を指さした。


振り返る。


そこには、文章があった。

見覚えのある言葉の列。

わたしが今まで、頭の中で並べてきた――小さな物語たち。


「あなたが立ち止まると、ぼくも止まる。

あなたが先を書こうとすると、ぼくは走るんです」


彼は、片手で頭を掻きながら言った。


「いつも当たってすみません。

つい、次のページをめくろうとしてしまって」


その瞬間、すべてが腑に落ちた。


ダッシュマンは、わたしを追い越していたのではない。

いつも、少し先で待っていたのだ。

続きを、求めて。


「楽しみにしています」


軽く会釈をした彼は、もう一度走り出した。

今度は、振り返らずに。

街のざわめきが戻ってくる。


によによと締まらない口元を片手で覆う。

――わたしの背に、また、軽く触れる感触がした。

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