6話 お父様
マーシアが言うにはこういうことだった。
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当時、就職活動中だったマーシアは魔法使い専門の職業斡旋所を訪れ、ハイネ・カンパニーの求人を発見した。
『ここの会社は魔法道具を中心とした魔法製品の製作をしている会社で、幾度かヒット商品を世に送り出していますよ。【無限収納トランク】など、その最たるものではないですかね』
魔法使いに特化した斡旋所ということもあり、職員はマーシアに会社の概要をかなり子細に説明してくれた。
職員に渡された求人票を見ていると、マーシアの目に三つの部署が書かれた欄が飛び込んだ。
『魔材、調達部……?』
幼い頃、マーシアは父の店の作業場で、何度か魔法家具の製作に使用する魔材に触れたことがある。
当然その当時は詳しいことも分からず、ただゴツゴツした宝石のような石が綺麗だからとか、ヌメヌメした謎の緑色をしたジェルの触り心地がいいからとか、そんな子供の好奇心で魔材をいじくっていた。
『ああ、そちらは魔法製品の製作に使用する魔材を各地で調達し、製作の手助けをする役割を担う部署になりますね。たくさんの魔材に触れる機会も多く、中々楽しいお仕事ですよ』
『まあ、そんなお仕事が……』
マーシアの子供の頃の好奇心が、時を経て動き出す。
(興味深いお仕事だわ……。私にも、出来るかしら……)
直感的にこの仕事がしたいと思った。
魔材に詳しくないからこそ、興味が、好奇心が湧き上がる。
『あのぅ、こちらの会社に応募するには──』
こうして、ハイネ・カンパニーへの就職が決定したのだ。
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「ほーん、そういうことだったのか」
マーシアの話を聞いたジニは、納得するように首を縦に振った。
「はい。ほとんど好奇心で動いてしまったのですけれどね……」
「まあまあ、結果的にいい方向に転がったってことでさ」
「ふふっ、そうですね。そうしておきます」
ジニの言葉に、マーシアは安堵の表情を見せた。
「明日、早速魔材調達に行ってくるんです。何だか、すでにワクワクしてきてしまいました」
「おー、そっか! 頑張れよ! どんなもんあったか、後で教えてな」
「はい、勿論!」
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何だかんだですっかり昨日と同じ時間くらいまで語り合い、マーシアは今日も停留所までジニに送ってもらった。
「二度あることは三度あるって言うから、また次も話し込んじゃったりしてな!」と、ジニは大口を開けて笑う。マーシアも彼の笑顔につられ、穏やかに微笑んだ。
「では、ジニ様。今日もありがとうございました」
「うんっ。じゃ、気を付けてな」
二人が挨拶を交わした時、ジニのズボンのポケットから何かがポロリと落ちる。
「あら? ジニ様、何か落とされましたよ」
「え、何だろ?」
マーシアは落ちたものを拾い上げる。
それは、ジニの社員証だった。
『魔法道具開発部:ジニ・エラ』
そこにはハッキリとそう書かれていた。
「…………あ」
ジニの顔に、「ヤバい」と文字が描写される。
「ジニ・エラ……? あ、あら? あなたのお名前は、エラ・ジニ様と言うのでは…………」
「………………」
ジニは困惑するマーシアから、思い切り目を逸らす。
「……ジニ様? これは一体、どういう……」
「わ゛ーーんっ!! ごめん、ごめんっ!!」
眉を顰めるマーシアに、ジニはひたすら平謝りをする。
「──もうっ! またからかうだなんて!」
「だから、ごめんってえぇ!!」
ジニから事実を聞いたマーシアは頬を膨らませ、彼をプリプリと睨む。
だが、嘘発覚は昨日の今日。
幸か不幸か、マーシアの怒りはすぐに鎮まった。
「では、あなたの正しいお名前はジニ・エラ様なんですね」
「そうです……」
「分かりました。そういうわけでしたら、あなたのことは改めて、エラ様と呼ばせていただきます」
マーシアはジニを見つめ、そう宣言した。
「ちぇー。ジニ様呼び気に入ってたのになー」
ジニは不貞腐れるように、ブーッと口を尖らす。
「そう言いましても、私も男性をお名前で呼ぶのには少し抵抗があります……。どうかご理解ください」
「抵抗?! 何で抵抗なんかあるんだよ?!」
ジニは同性だろうと異性だろうと、仲良くなれば相手を名前で呼ぶのなぞ厭わない。
それゆえマーシアの発言に驚愕し、声を荒げる。
「な、何故って……。だって、男性の名前をお呼びするだなんて、何だか恥ずかしくなってしまいますもの……」
マーシアはモジモジと口元に手を当て、目を伏せた。
「そんな理由かい! なら、呼んでくうちに慣れるって! 大丈夫大丈夫!! ほれ、呼んでみよう!! リピート・アフター・ミー!! ジ・ニ・さ・まッ!!」
ジニは強引に促すが、マーシアは「うーん」と渋り続け、結局名字で呼ぶことに落ち着いた。
「すみません、エラ様……」
「なあに、お気になさらず…………」
とは言うものの、せっかく名前で呼んでもらっていたのに名字で呼ばれるとなると、仕方ないが寂しさは感じる。
「でももし、また俺のこと名前で呼びたくなったら、いつでも呼んで! そん時は俺もウォルジーのこと、名前で呼んじゃうかも! あっはっは!」
「……?! ま、まあ……っ!!」
ふざけてウィンクをするジニに、マーシアは動揺し、頬を染める。
そんなやりとりをしていると、路面電車の光が近付いてきた。
「おっ、今度こそじゃあな、ウォルジー。気を付けて帰れよ!」
「はい。エラ様も、お気を付けて」
昨日は変な感じで別れてしまったが、今日はお互いきちんと挨拶を交わすことが出来た。
手を振り停留所から遠ざかるジニを、マーシアは電車の窓越しに見送った。
空いている車内で、マーシアは座席に座る。
揺れに身を任せているとだんだんと瞼が重くなり、ついついまどろんでしまう。
(話し疲れてしまったのかしら……。いつもより、眠気が……)
欠伸をし、そのまま眠りに落ちたマーシアは夢を見た。
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『──マーシア、お前の気持ちはよく分かった。自分のやりたい仕事をやるといい。その代わり、責任を持ってやり遂げるんだよ』
『お父様……はいっ、ありがとうございます!』
マーシアの父イライアスはふっと笑い、嬉しそうに笑う娘をどこか寂しげに見つめた。
『……となると、家を出るということなんだな?』
『はい、ウィノア市にお引越しをしようかと考えています』
『そうか。ではな、マーシア──』
イライアスは、マーシアにウィノア市にある防犯対策の優れた高級住宅地に家を手配すると伝えた。
マーシアは断ったのだが、「ウォルジー家の娘となると、いつ何時危ない連中に狙われるか分からない」と力説する父の圧力に負け、結局タジタジになりながら手配をお願いした。
『お父様、本当にありがとうございます……』
『娘の安全を願うのは父として当然のことだ。何も気にすることはないよ』
イライアスは娘にそう言うと、しばし押し黙る。
『……お父様?』
『…………ああ、すまない。そ、それよりもうこんな時間だな。今日はもう部屋へ戻ってゆっくり休みなさい』
『はい。では、おやすみなさい……お父様』
『ああ、おやすみ』
マーシアは深くお辞儀をし、父の部屋を出て行った。
『………………』
イライアスは眉を顰めて立ち尽くす。
その時、扉の向こうからノックをする音がした。
『あなた、失礼しますね』
マーシアの母エルザが、断りを入れてイライアスの部屋に入室する。
彼女の目の前には、突っ立って肩をプルプル振るわす夫の姿があった。
『? 一体どうなさいまし──』
『…………びええぇぇん!!!!』
『あなた?!』
イライアスは床に倒れ込むと手足をバタつかせ壁を揺らし、悍馬の如く暴れる。
『うええぇぇん!! いくら何でも寂しいだろう!! マーシアのおバカ!! どうして家を出てしまうんだ!! 送迎でも何でもやるから、ずっとずっと家にいればいいのにぃ!!』
イライアスの口からは、閉じ込めていた本音がボロボロと溢れ出る。
『あなた! お、落ち着くのです!』
エルザは暴れ狂う夫をどうどうと宥め、彼の体をやっとのことで起こした。
『……私もマーシアが家を出るのは寂しいです。でも、二人で話し合ったではありませんか。あの子の人生は、あの子のもの。幸せな人生を送れるように、私達はあの子の背中を押してあげよう、と』
『う゛びいいぃ……。ぞ、ぞうだげど、ぞうなんだげど…………!!』
イライアスはチーンと鼻をかみ続ける。
『……あの子のことが、心配ですか?』
『心配だとも。大学へ通う道もあったにも関わらず、社会へ出て自分の力で頑張りたいなどと……。就職は認めるが、果たして上手くやっていけるのだろうか……』
可愛い一人娘のことを思い、イライアスは天井を仰ぎ、憂いの表情を浮かべた。
『マーシアなら大丈夫ですよ。あれでいて結構芯が強いんですから。それに、あの子の心を支えてくれる方だって、必ず現れますわ』
『ああ、だといいのだが……』
イライアスは、書斎机に置いていたすっかり冷めたコーヒーを一口啜った。
『それこそ、あの子に恋人でも出来てくれたら、一番嬉しいんですけれどね』
『?!』
軽い溜め息とともに放たれたエルザの発言に、イライアスは口に含んだコーヒーを凄まじい勢いで吐き出す。
『きゅ、急に何を言いだすんだ! ま、ままままだ、マーシアには早いだろう!』
『あら、でもあの子ももう年頃ですよ。それに、心の支えになってくれる愛のお相手は、いてくれるに越したことないじゃないですか』
『いやっ、まあ、それは……。うーん、そ、そうだなぁ……そうかなぁ……?』
イライアスはもわもわと想像してみた。
愛する娘が、愛する人を家に連れてきた時の想像を。
『…………わ゛ーーーーんっ!!!! ヤダヤダ、イヤだーーーーっ!!!!』
『あなた!!』
またも家の壁が揺れるほど泣き叫び暴れ、イライアスは駆けつけた守衛に羽交い締めにされたのであった。
ぐっすり眠りについたのが幸いか、マーシアが父の大暴走に気が付かなかったのは、ある意味奇跡だったのかもしれない。
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「──ベルナ・ストリート、ベルナ・ストリートー」
「はっ……」
車内アナウンスの声で、マーシアは目を覚ます。ちょうど最寄りに着いたようだ。
マーシアはポーッと呆けながら、電車を降りた。
(何だかおかしな夢だったわ……)
それは、現実にあった出来事なのか、あるいは夢の世界での出来事なのか──。
前半はマーシアの記憶にあるが、後半のことはまるで分からない。だが、真面目で寛容な父が、あんな奇行に及ぶはずがない。ないったらない。ないのだ。
『それこそ、あの子に恋人が出来てくれたら嬉しいんですけれどね』
夢の中の母の言葉が、マーシアの頭に蘇る。
(……私にもいつか、そんな人が現れるのかしら)
マーシアの中で今、少しだけ浮かび上がりそうだった人物がいた。
だが、それはすぐにモヤモヤとした朧げなイメージへと変わり、やがて霧散する。彼女には、それが誰なのかは分からなかった。
(うふふ、いつか出逢えるといいのだけれど)
まだ見ぬ恋人を思い、マーシアははにかみながら夜の家路を辿る。