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38話 チキンスープ


 ****




「じゃあ、ジニちゃん。後のことは、私に任せておくれ」

 

 弁明も終わり、一段落したところで、マリリアンヌは彼にそう告げた。


「といっても、マーシアちゃん今日はこのまま起きなさそうだけどね。ま、後でアンタの用意してくれた水だけでも何とか飲ませてみるとするか」

「ああ。おばさん、ありがとう!」


 ジニはマリリアンヌに礼を言い、帰り支度を始める。


 玄関に向かうため一階へ下りたところで、マリリアンヌはふいに後ろからジニに言葉をかけた。


「それと、もう一つ。明日マーシアちゃんの目が覚めた頃に、今日の一件は話しておくからね。勿論、アンタのことも伝えておくよ」

「!?」


 それを聞いたジニはピキリと口角を引き攣らせ、錆びた機械のように首を動かし後ろを振り向く。


「えっ……? やっ……!? お、俺のことも?!」

「当たり前さ。アンタ、頑張ってマーシアちゃんを看病してあげたんだから、そのことをきちんと本人に知ってもらったほうがいいだろう? 彼女の、アンタへの好感度だって上がるんじゃないかい?」

「そ、それは、そうかもだけど……でも……」


 マリリアンヌの提案に、ジニは素直に頷くことができなかった。


 

 何故なら──



「でも、俺……! ウォルジーが寝てんのいいことに、手とか握っちゃったし……」



 さっき弁明したものの、無垢な少女の手を勝手に取ってしまった罪悪感が、今になってジニの心に押し寄せてきていた。


 

「だから、俺が看病したってことはウォルジーに言わなくていいです……。好感度なんか……上がんなくて、いい……」


 マリリアンヌから完全に視線を外し、ジニはやっちまった感全開のどよんとした表情で壁にもたれかかる。


「……じゃあ、アンタがマーシアちゃんの手握ったことは、彼女に言っていいの?」


 マリリアンヌはさらっと冗談のつもりでジニへ問う。すると、途端に彼の顔は蒼白し、わなわなと大口を開けた。


「あああ゛!! それはもっとダメええぇ!! お願い!! 言わないでええぇ!!」

「……あ、そう。分かった」


 泣きながら懇願するジニを見ると、マリリアンヌもさすがに彼が気の毒になってしまい、彼の涙の訴えを受け入れた。


(まあ……言ったとて、別にマーシアちゃんはアンタことを嫌ったりもしないと思うけどね)


 互いの気持ちが伝わっていないというのは、中々見ていてもどかしいものだ。

 マリリアンヌは彼らから久方ぶりの青春の風を感じると、その眩さに目を細めた。



 その後、ジニはマリリアンヌにマーシアを託し、帰路につく。


 

(……はあ)



 終わってみると、今までの時間は夢だったのではないかとすら思ってしまう。

 

 マーシアをおぶり、彼女の自宅まで連れて行き、部屋のベッドまで運び、食料を購入し、手を握り──。


(!!)


 最後のは、慌てて脳から掻き消す。


(……にしても、もう二度と起こんねぇだろうな。こんな凄いこと……)


 今回、長い時間をマーシアと共に過ごした経験は、ジニにとって良くも悪くも忘れ難い出来事となった。

 彼女の手の温もりも、しかとこの手に刻まれて──。

  

(……だああっ、もう!! は、早く帰ろ!! そんで、帰ったら速攻寝よ!!)


 また余計なことを考えそうになったジニは、停留所を目指し、なるべく無心で夜道を駆けたのであった。




 ****




 次の日。

 マーシアは、カーテンの隙間から漏れ出る陽光で目を覚ました。


「…………」


 身体が嘘のように軽く、寒気も吹き飛んでいる。どうやら、熱はすっかり引いたようだ。


 だが、それよりも気になることがある。

 マーシアはむくりと上体を起こすと、呆けた顔で部屋全体を見回す。


(……私、一体どうやって家に帰ったのかしら……?)


 どうも、昨日の夕方以降の記憶が曖昧だ。

 操作の魔法(エンピュート)の練習をするジニを後ろから見守っていたところまでは覚えているのだが、その後がハッキリしない。


(そういえば、夢の中にエラ様が出てきたような……。ちょうどそこで、お水をグラスに注いいでいて……)


 夢の記憶を思い出し、マーシアは何気なくナイトテーブルを一瞥した。



「……えっ?」



 マーシアの目は、一瞬にして見開いた。

 そこには、自分で買った覚えのない水の入ったボトル瓶が置いてあった。


「これ、は……」


 目を瞬かせ、呆然とボトルを見遣る。


 その時、一階の玄関から扉を叩く音が聞こえた。



「おーい、マーシアちゃーん!」

「!」



 部屋の中にいても響き渡るその声の主は、マリリアンヌだ。 

 マーシアは薄手のカーディガンをさっと羽織り、玄関へ向かう。


「マーシアちゃん! よかった、目が覚めたんだね」

「モラン様……お、おはようございます。一体どうなさいましたか?」

「いやあ。実は、昨日アンタの家にお邪魔させてもらってね。そのことを、きちんと話しておかなきゃと思って」


 マリリアンヌは、昨夜の出来事を簡潔に、かつ少しばかりの脚色を加えてマーシアに説明を始めた。


「──それで、ブルスバリーから戻ってきたアタシが、家の前で寝ているアンタを発見して、中まで運んだってわけさ。だから、ここにある薬も食料も、ぜーんぶアタシが買ってきたんだよ。そう、ア・タ・シ・が」


 ジニの存在を出さないよう、マリリアンヌは自分なりにマーシアに上手く伝えたつもりだ。

 

「そうだったのですか。何から何まで至れり尽くせりで……。モラン様、本当にありがとうございました」


 マーシアがマリリアンヌに向かって深々とお辞儀をすると、彼女は豪快に口を開け笑顔で応えた。



「じゃあね、今日はゆっくりお休みよ。お大事に」

「はい、ありがとうございます」



 そしてマリリアンヌはマーシアに手を振ると、自宅へ戻っていった。



(……ということは、あのお水はモラン様が用意してくださったものだったのね)



 彼女の話を聞いた限り、そう納得する他なかった。

 きっと、夢と現実が混同してしまったのだろう。


「あっ」


 はたと居間へ向かう足を止め、マーシアはあることに気が付く。


「結局、私は()()()()()家の前まで帰ってきたのかしら?」


 マリリアンヌは家の前で寝ている自分を発見したと言っていたが、肝心なその帰宅過程については、何も話していなかった。


「…………」


 ぽやんと不思議な心地に包まれながら、マーシアはマリリアンヌが置いてくれたという食料を片しに台所へ向かった。   


「まあ、こんなにたくさん……」


 紙袋の中には、数種類の果物やらキュウリのピクルスやらが、数日は食べるものに困らないほどにどっさりと詰め込まれていた。

 その上冷蔵庫にも、牛乳や水が入れられている。


「うふふ。モラン様ったら、私のことをこんなに心配してくださって」


 マリリアンヌの気遣いに嬉しくなり、マーシアは顔を綻ばせる。


 それにしても、凄い量の食料だ。

 戸棚にしまうため、マーシアは一つずつ丁寧にテーブルへ出していき、種類ごとに分別していく。

 

「あらっ、これは?」


 紙袋の底には、何やら大きめな缶まである。

 気になってふいに手に取ってみると、たぷんとした重みが手中いっぱいに広がった。



「……この缶は……」


 

 それは、赤いパッケージがよく目立つスープ缶だった。

"グレンハムズ・チキンスープ"と綴られたロゴマークの下には、大きく嘴を開いた鶏の絵が描かれていた。


「…………」

 

 このスープが大好きだと公言していた人物を、マーシアはよく知っている。

 

 あれは、夢ではなかったのか。

 水を注いでくれたのは、マリリアンヌではなかったのか。

 勿論、彼女がたまたまこのスープ缶を選んで購入してくれた可能性もあるだろう。


 だが、しかし──。


「…………!」


 マーシアは、気が付けば玄関を飛び出していた。



「おや、さっきぶり」


 

 マリリアンヌは、つい数十分前に別れた隣人の姿を見て両眉を上げた。


「……モラン様。先程のお話で、一つご確認したいことがありまして」


 病み上がりの身体で突発的に駆け出したおかげでマーシアは息せき切るが、構わずマリリアンヌに問いかける。


「私のことを看病してくださったのは、本当にモラン様だけだったのでしょうか?」

「……あれまぁ」


 マリリアンヌはおどけるように手を出し、肩をすくめた。


「勘付かれちまったなら、仕方ないね。なら白状しよう。実は、さっきの話は嘘。アタシだけじゃあないんだ。もう一人、アンタを看病してくれた人がいるんだよ」

「! そ、それは一体、どなたが……」


 自分を見つめるマーシアの表情が期待に揺れたのを、マリリアンヌは見逃さなかった。


「うーん。言ってやりたいところなんだけど、その人は、自分が看病に関わったことはアンタに伝えなくていいって言うんだ。だから生憎、名前までは教えられなくてね」

「えっ……! そ、そんな…………」


 一瞬にしてマーシアの表情が消沈したのも、マリリアンヌは見逃さなかった。


「でも、どんな感じの人物だったかは教えられるよ」

「!!」


 コロコロと忙しなく表情を変えるマーシアを眺め、マリリアンヌはふっと笑う。


「アンタを看病してくれた人はね、まあとにかく、元気で騒々しかったよ。でも、それ以上にアンタを背負って家まで送り届けたり、アンタの分の食料を買いに行ったり……ああ、ベッドにも運んでくれたんだっけね。とにかく、その人は何とも懸命にアンタのために行動してた」

「…………」


 自分の話に静かに耳を傾けるマーシアを、マリリアンヌは一瞥した。

 

「けど、一番印象的だったのは、その人が()()からもらった贈り物を嬉しそうに自慢してたことだね。まーあ、すっごい良い笑顔でアタシに見せつけてくるのさ。あの笑顔、形容するなら、何て言うのが適切かねぇ……」


 マリリアンヌはわざとらしく考えるフリをすると、これまたわざとらしく天を仰ぐ。


「そうだ、"太陽"だ」


 そう言って彼女は目を細め、晴れ渡る空に浮かぶ太陽を指差した。

 

「マーシアちゃん。アンタを看病した人は、まるで、太陽みたいに明るい笑顔の持ち主だったよ」

「太陽のような、笑顔の方……」


 マーシアは手庇を作り、太陽をじっと見つめる。


「心当たりはあるかい?」


 マリリアンヌは口角を上げ、マーシアを見据えた。



「……はい」



 そう言って振り返るマーシアの表情もまた太陽のように輝き、満ちた笑顔を見せるのであった。

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