18話 お仕事しましょう
"マーシアに、自分を好きになってもらう"
ジニは三日前、そう決意した。
「ウォルジー、おはよう!!」
「おはようございます、エラ様」
朝、マーシアが本館に足を踏み入れるタイミングを見計らい、ジニは彼女の背後から声をかけ、さりげなく隣へ移動する。
「なー、ウォルジー! こないだ一緒に食事したの、すっごいめちゃくちゃ楽しかったなー?!」
ジニはマーシアにわざとらしく満面の笑みを向けてみた。
「ふふっ、はい。とても楽しかったです。私も無事にあなたに気持ちを伝えられましたし、それに、何より……」
「……何より?」
マーシアはクリンとした瞳で、ジニを見つめる。
続く言葉に過度な期待を寄せ、ジニもまた、彼女を煌めく瞳で穴が開くほどジイィッと見つめる。
「何より、エラ様が生姜がお好きということには、本当にビックリしてしまいました!」
「え……あ、ははっ!! そっかぁ!! そうだよな!!」
「うふふ、そうです!」
「なあ、そっかぁ……。あは、あはは……あは」
(くそうっ!!!!)
そりゃ当然といえば当然だが、そんなすぐにマーシアに恋心が芽生えることなどない。
ジニは引き攣った顔で笑い、必死で胸中を誤魔化した。
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「だーー!! もおおおぉう!!」
拳を作業机に叩きつけ、ジニは発狂する。
「エラ、いつもの如くうるさいぞ。今日はお前の仕事プランを見直すんだ、大人しくしてろ」
「は、はぁい……」
ジニはアレイシオに窘められシュンとするも、このやり場のない気持ちをどうしろと、と言わんばかりに、恨めしげに彼を見つめる。
「それでな。色々考えてみたんだが、お前は今、魔法道具を作ることよりも先に、操作の魔法を上手く扱えるようにしよう」
「操作の魔法を、ですか?」
先日のゴーレム騒動を受け、アレイシオは部長という立場としてジニの処遇を考えていた。
自立型の操作の魔法。
それに元来のジニの気質まで乗っかるのだとすれば、今後彼がどのようなものを製作しても大なり小なり道具に影響は出るだろう。
「まして他人を攻撃しちまう可能性があるんなら、尚の事お前が変わらないといけねぇ。エラ、お前は人を明るく楽しくさせる魔法道具を作るんだろ? ならまずは、攻撃性を出さずに操作の魔法が使えるよう、尽力するべきだ」
「……分かりました。やってみます!」
今の自分の操作の魔法は、明るく楽しくとは真逆の効果。確かに、効果の根本が変われば一気に目標へ近づくことも出来る。
なら、やるしかない。
ジニはアレイシオに向けて力強く返事をした。
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ところ変わって、こちらは魔材調達部の執務室。
「皆さん! 突然ですが、今から一ヶ月後に【タンゴイ】へりょこ……ゴホンッ! 失礼。タンゴイへ、魔材調達をしに行くことになりました!」
ジェローナは部員達に向かい、高らかにそう告げた。
「タンゴイ? そりゃまた、随分と遠いとこに行きますね」
イーノックは部長の宣言に対し、あからさまに渋い顔をする。
それもそのはず、タンゴイと呼ばれたその国は、ここロドエの遥か東に位置する小さな島国なのだ。
「一体なぜ、遥々タンゴイなんかへ行くんです? わざわざそんな遠いところへ出向かなくても、国内市場でどうにでも魔材を賄えませんかね?」
トリスタンもイーノックに続いてジェローナに苦言を呈する。
国外調達となると、いつにも増して日数を要し、非常に億劫だ。出来ることなら行きたくないという思いが、彼の言動の端々に現れている。
「ロドエの市場では滅多に出回らない代物なのよ。だから、現地へ出向いた方が早いの」
「んなあぁ……。どっちの部署なんですか、そんな遠い異国の魔材を欲しがってるのは」
「魔法服開発部よ。依頼者は、部長のマイヤーさん」
「うぅ……。あの人、結構無茶言うなぁ……」
トリスタンは頭を抱え、眉根を寄せる。
「ただね、その魔材の効果を聞いたら、確かに魔法服を作るのに適していそうなの。マイヤーさんが欲しているのも頷けるわ」
ジェローナは、マイヤーという人物の肩を持つように、トリスタンにそう伝える。
「適してそうって……それは、どんな魔材なんですか?」
「ええ。それはね、【妖狐の毛】よ」
「妖狐?」
何でもジェローナの話によると、タンゴイのある地域で、九本の尾を持ち神通力をその身に宿す、妖狐と呼ばれる魔獣が存在するらしい。
精霊に近しい妖狐を人々は崇め奉り、妖狐の棲む祠には毎日供物を捧げているのだそうだ。
そして妖狐は供物と引き換えに、その地域に安寧をもたらす。嬉しい相互利益である。
「それでね、妖狐は毎年夏の時期に換毛期があって、本人がブラッシング係を募集しているそうなのよ。妖狐の毛はその神秘さゆえに、ダニが寄り付かず、汚れも付かないんですって。正に魔法服作りにピッタリでしょう? だから、私達が妖狐をブラッシングして、その抜け毛を魔法服開発部の皆さんに届けてあげるの!」
ジェローナの声に熱が乗る。
それは、妖狐の毛の調達に情熱を迸らせているのか、単にタンゴイへ行くのが楽しみなのか。
「ん? 本人が募集してるって……それじゃあ、部長。妖狐さんは、人とおしゃべりが出来るってことなんですかぁ?」
シェミーがのんびりとした口調で問う。
「ええ。人の言葉を操り、ちゃんとした意思疎通が可能らしいわ。ただ、すこーし気分屋さんで、わがままなところがあるみたいだけれど」
「ほぇー、凄いなぁ」
シェミーは部長の回答に目をまん丸にしてあんぐりと口を開けた。
「……で、モンド部長。一体誰が、その妖狐の毛の調達に行くっていうんですか?」
イーノックがジェローナに恐る恐る尋ねる。
正直なところ、率先して国外調達へ行きたがっているのなど、彼女くらいしかいない。
「ええ、まず私でしょ。ラスさんでしょ。グレンダさんでしょ。それに、ウォルジーさん。以上の四名よ」
「え゛っ……?!」
「あら〜、私ですかぁ」
「うふふ、私もです」
ジェローナによって抜擢された各人は、多様の反応を見せる。
イーノックは愕然とするトリスタンを横目に、逃げ切ったと言わんばかりの勝利の笑みを浮かべていた。
「マーレイさん。今回は行けなくて残念だけれど、ナブルバーンさんと一緒にお留守番頼むわね」
「はいっ、精一杯お留守番してます!」
イーノックは非常に輝く笑顔で元気よく返事をした。アシュリーも部長の言葉に耳を傾け、静かに頷く。
(それにしても、こんなに突然国外調達が決定することもあるのね……)
魔材調達部の、というよりジェローナのフットワークの軽さにマーシアは驚き、そんなこともあるのだと心に刻む。
とはいえまだ知らぬ魔材を、しかも妖狐から直接入手するのかと思うと好奇心が疼き、何だかワクワクしてくる。
(……あらっ? そういえば、国外へ行くということは……)
妖狐の毛の調達に思いを馳せていると、マーシアはあることに気付き、ふとジェローナに尋ねた。
「モンド部長。国外となると、もしかして旅券が必要でしょうか?」
マーシアの問いに、ジェローナはハッと目を見開いた。
「あらやだ! そう、必要よ! ごめんなさい、言い忘れていたわね。ウォルジーさん、パスポートは持ってらっしゃるかしら?」
「はい。実家にいた頃に作っておいたものが、住まいにあります」
マーシアの返事に、ジェローナは胸を撫で下ろす。
「よかった、さすがウォルジー家のご息女ね! それにしても……ふふっ、"実家"と聞いて思わず想像してしまったわ! ウォルジーさんのご実家ねぇ。きっと、凄く大きくて素敵な邸宅なのでしょうね」
「ご令嬢の住むお家かぁ……」
一同は思い思いに、ウォルジー邸の外装を頭に浮かべる。
「うふふ。門や小さな噴水はありますが、家は一般的な白いお家ですよ。ただ、ヴォンファミーユ建築という造りの建物らしくて、ウィノア市では少々珍しい外観かもしれませんが」
マーシアはにこやかにサラリと言ってのける。
彼女に自覚はないだろうが、つまり普通に立派な屋敷らしい。今の説明で一同皆が理解した。
「──それで、タンゴイ滞在は移動を含めて二週間前後を予定しているわ。その間、魔材調達部の人数が手薄になる関係で、今月は国内の魔材調達へ通常時よりも多く行くことになりそうね。また改めてスケジュールを出すけれど、とにかく皆さん! 体調に気を付けて頑張りましょう!」
ジェローナはタンゴイ遠征のあれこれを一通り皆に伝え、激励を送った。
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その日の夜。
「……あら? どこへいったのかしら……」
ベルナ・ストリートにあるタウンハウスへと帰宅したマーシアは、大変狼狽していた。
パスポートをしまったと思われる引き出しを隅々まで探しても、違う段の引き出しを開けてみても、パスポートが見当たらないのである。
「ええと……。あの時は確か、家を出る際に荷物をまとめて、必要なものとそうでないものに分けて、それで……」
実家を出た三ヶ月前の記憶を必死で甦らせる。
「……あっ」
思い出した。
パスポートはまだ必要ないと思い、実家に置いたままだったのだ。
まずはなくしていなかったことに安堵し、マーシアはふうっと息を吐いた。
「となると、来月までに、一度家に帰らないと……」
まだまだ日数があるとはいえ、今月は魔材調達が多くなると聞いた。休日は出来るだけ体力を温存しておきたい。
早めに取りに行くに越したことはなさそうだ。
「お父様にお母様、それにベルちゃん。もう三ヶ月もお会いしてないのね……」
皆の顔がぽわぽわと頭に浮かぶ。
ベルのことを思い出すと、同時にジニの顔も現れた。マーシアは彼の思わぬ登場に、クスリと笑う。
「ふふっ。帰ったら、ベルちゃんにエラ様のことをお話ししてあげなくっちゃ」
早速マーシアは、今週末に帰ると実家に手紙を書いた。