破滅の象徴-ハメツノショウチョウ-
仮面の男が左手を振り下ろすと、背後の暗闇から幾本もの矢が巨狼たちを目掛け放たれる。
巨狼は即座に回転し大きな尾を振り切り、自分たちに直撃するであろう矢だけを的確に弾き落とす。
尾を振り切った際に生じた暴風と見紛う風は周囲の木々を激しく揺らし、枝を折り、葉を散らす。
「「きゃあっ!」」
あまりの風圧に驚き、カティアは身を屈め、サラはカティアを守るように覆いかぶさる。
不気味な仮面の男はそれを意にも介さず、巨狼と向き合っている。
「衰えてはいないらしいな」
巨狼は身を低く構え、唸り声をあげる。
その直後、仮面の男の背後から複数の人間が飛び出し、巨狼に襲い掛かる。
いずれも外套についたフードを深く被り、その手には剣が握られている。
巨狼が右前足を薙ぐと、三人吹き飛ばされ、木に叩き付けられる。
巨狼の攻撃をかわした者は側面から追撃を掛ける。
更に巨狼がそれを躱し反撃、人間が追撃と繰り返される。
その応酬を見ていた仮面の男は、再び左手を挙げる。
仮面の男の動作を見逃さなかった巨狼は跳びあがり、サラとカティアを庇える位置に着地し、巨狼は目を見開く。
着地の一瞬の隙を狙った仮面の男が巨狼のすぐそばにいる。
首を狙い、巨狼の右側から剣を半分ほどまで引き抜いている。
更に仮面の男がさきほどまで立っていた後ろの暗がりからは、弓を引き絞った人間たちの姿。
かわせばサラとカティアが矢の的になる。
しかしかわさなければ仮面の男の剣は巨狼の首を捉える。
この世界の時間が一瞬止まったように感じる。
巨狼は両前足に力を込め、後ろに小さく跳ぶ。
止まった時間が動き出すと、仮面の男は抜剣し、勢いのまま振り下ろす。
狙いをそらされた剣は、巨狼の顔を右目ごと深く斬り裂く。
痛みに声をあげ、思わずのけ反る。
好機とばかりに、暗がりから放たれた矢が巨狼の体に幾本も突き刺ささる。
「あなたっ!」
「お父さんっ!」
一部始終を見ていたサラとカティアは悲鳴染みた声をあげる。
巨狼は右前足を掻くように反撃するが、仮面の男は後ろに大きく飛び退き、あざ笑う。
「はははっ!必死だなぁ!そんな傷まで負って守りたいか!?」
巨狼は振り返り、残った左目でサラとカティアの姿を確認する。
二人は目に涙を浮かべている。
怪我はないようだ。
安堵したのもつかの間、死角になった側から飛んできた鎖が巨狼の首に巻きついた。
振り払おうとするが、何本もの木に固定されていて簡単には振りほどけない。
「油断したな」
仮面の男はそう告げ、サラとカティアにゆっくりと歩み寄る。
「目の前で家族が殺される瞬間というものがどのようなものか教えてやる」
カティアは怯え、サラの服を強く掴む。
サラは恐怖心を抱くも、震える腕でカティアを抱きしめ、徐々に距離を詰める仮面の男を睨みつける。
突如、巨狼は夜空に向け咆哮する。
凄まじい轟音と衝撃波でその場の全員が耳を抑え、体を縮める。
巨狼が渾身の力で体を捻じると鎖に繋がれた木々が根元から引き抜かれる。
それを振り回し、仮面の男の目の前に叩き付ける。
「チッ!」
仮面の男は大きく飛び退き、木々を盾にするよう身を隠す。
巨狼は首を振り回し、鎖に繋がれた木をそこらじゅうに叩き付ける。
剣を持った者のほとんどが潰れ、絶命する。
巨狼の力に耐えきれなかった鎖は途中で千切れる。
その先に繋がれた木々は宙に放り出され、慣性に従い進み、無差別に、暗がりに潜む者たちを押し潰した。
負傷した部位の痛みをものともせず、解放された巨狼は身を激しく震わせ、体に刺さった矢を払い落とす。
「あなた……」
サラの言葉に反応するように巨狼は吠える。
サラはその声を聞き、意を決する。
「カティア!走って!」
「お母さん!?」
サラはカティアの手を取り、駆け出す。
カティアはサラに手を引かれながら、父の姿を確認しようと振り返る。
「振り返っちゃだめ!逃げるの!」
「でも!お父さんが!」
「お父さんは大丈夫!急いで!」
何度も転びそうになるカティアを支え、暗闇に向かって二人は走る。
それを逃すまいと暗がりから矢を番える人間に、巨狼は襲いかかり噛み殺す。
「あの二人を逃がすな!」
サラとカティアを狙う者を優先的に排除していく巨狼に仮面の男が斬りかかる。
仮面の男の猛烈な妨害により、ついに一本の矢が放たれる。
矢を放った者は直後、巨狼に叩き潰された。
巨狼は即座にサラに向かい吠える。
矢の進む先にはカティア。
「危ない!!」
サラはカティアを引き寄せ、矢から庇う。
「ぐぁっ!!」
右肩に走る衝撃と激痛にサラは倒れ、それにつられてカティアは転んでしまう。
「んっ……あっ!お母さんっ!」
右肩に矢が刺さったサラを見てカティアは動揺する。
「ぐっ、うっ……大、丈夫……」
サラは歯を食いしばり、痛みを堪えながら立ち上がる。
カティアの手を引き、ふらつきながら再び走り出す。
傷つけられた家族の姿に巨狼は怒り狂い、更に激しく暴れまわり、森には多くの絶叫が響き渡った。
巨狼はサラとカティアがその場を脱してからも、しばらく暴れ続けた。
二人が逃げる時間を稼ぐのもあるが、何より妻を傷つけた者たちを許せなかった。
美しかった景色は見る影もなく、地面が抉れ、木々は倒れ、透き通っていた池の水は血で紅く染まっていた。
周囲には多数の死体が転がり、気が付けば数えるほどしか戦える人間は残っていなかった。
「……それなりに手練れだったんだがな」
仮面の男は辺りを見渡し呟く。
「あの女と娘がそんなに大切か?」
仮面の男は巨狼を見据え問いかける。
巨狼はただ仮面の男の目を見つめる。
さきほどまで暴れていた時のような狂暴性は無くなっていた。
「わからんな……俺と母さんは何が違ったんだ?」
仮面の男は巨狼に再び問いかける。
数秒の間。
風が吹き、草が擦れあう音だけがその場に流れる。
「ふぅ……もういい……」
巨狼が前足から崩れ落ちる。
「ようやく効いてきたか」
何とか立ち上がるが体が痺れ、思うように動けない。
「矢に毒を仕込んでおいた。あれだけ受けて動けるのには驚いたが、あの女はどうかな?」
巨狼は目を見開く。
「お前用に特別に精製したものだ。人間では耐えられん。諦めろ」
仮面の男は剣を構える。
「娘も後を追わせてやる。終わりにしよう」
仮面の男は言葉を言い終えると巨狼に斬りかかる。
巨狼は近くに転がっていた死体を投げ飛ばす。
仮面の男は自分に向かって飛んできたそれを真っ二つに斬り裂き、巨狼との間合いを詰め、死角である右側に回り込み、剣を薙ぐ。
痺れた体のせいで攻撃を躱しきれず、右前足を斬りつけられるも、斬られた前足で仮面の男を蹴り飛ばす。
最小限の動きで繰り出された反撃をもらい、吹き飛ばされ池に落ちる。
巨狼は力を振り絞り、その場を離脱するため駆け出した。
生き残った数人の人間が、死体が握っている弓や地面に落ちた弓を拾い矢を射るが、闇夜に紛れた巨狼に当たることはなかった。
「バルガ様!ご無事ですか!えっ……」
仮面の男を心配し、池に駆け寄る生き残った者たち。
思ったより水深は浅いようで、立ち上がったバルガは腰から上を水面から出していた。
バルガの頭部を隠していた帽子は、池に落ちた拍子に脱げ、バルガの傍に浮かんでいた。
頭部に生えた狼の耳を見て、その場の全員が固まる。
「あぁ、しくじったな。まさか池に落とされるとは」
帽子を拾い上げて被り直し、バルガは池からあがる。
「あ、あの、バルガ様?お怪我は?」
「やれやれ、逃がしたか」
「た、直ちに追跡します!」
直後、バルガの身を案じた者と追跡に向かおうとした者の頭部が宙を舞う。
頭を切り離された首からは夥しい量の血が噴き出し、胴体は前のめりに倒れる。
「うわあああああ!!」
変わり果てた同僚の姿を見て、叫び声を挙げた者の心臓をバルガは躊躇なく貫く。
体から剣が引き抜かれると、よろよろと数歩後退し後ろのめりに倒れた。
「バルガ様っ!?なにを!?」
「さて……」
バルガは残りの目撃者を見据える。
「少々勿体ないが、見られてしまっては仕方がないな」
バルガは剣を振り上げた。