始まりの夜-ハジマリノヨル-
昨晩の夕食は、兎の香草焼きだった。
久しぶりに自分一人で捕らえた獲物を、サラが調理してくれた。
これはカティアにとって大変喜ばしいものだった。
己の力で得た成果。
大好きな母の料理。
一番の好きな料理。
美味い美味いと食べていたら、あっという間に皿は空になった。
食べ足りなかったので、父が捕らえた鹿肉も食べた。
翌朝、カティアが起きると、まだ父と母は眠っていた。
今日も兎の香草焼きが食べたいなぁと思い、カティアは両親を起こさないよう足音をたてないよう外へ出て、兎を探しに行く。
だが、見つかるのは茸や山菜くらいだった。
朝ごはんにしようと収穫をしつつ、小一時間ほど探索したところで帰ることにした。
帰宅すると、サラが火を起こそうと薪をくべていた。
「あっ!おかーさーん!」
少し離れたところから声を掛けると、サラはカティアに振り返る。
駆け寄って来るカティアにしゃがんだまま手を振っている。
「おはよう、カティア」
「おはよう、お母さん!」
「何も言わずに出かけちゃだめでしょ?」
「ごめんなさいっ!これ朝ごはんっ!」
昨日お説教をくらったカティアは、まずいと思い勢いよく謝り、話を逸らす。
思っていたのと違う形で返ってきた反応に面食らったサラは苦笑する。
「その思い切りの良さは私に似ちゃったのかしらねー?」
サラはカティアの頭を撫でると、カティアから茸と山菜を受け取る。
「カティア、水を汲んできてくれる?」
「うん!」
窮地を脱したカティアは、その後サラを手伝う。
少し経って、朝食を狩りに行っていた巨狼が帰ってきた。
短時間で昨日よりも立派な鹿を捕らえてきた父に、敗北感を味わいカティアは拗ねる。
しかし暫くすると父の背中に乗ってはしゃいでいた。
いつも通りの日常。
陽が昇ってから起きて、山を駆けまわり、ご飯を食べ、父と母と過ごし、暗くなったら眠る。
カティアにとって当たり前の幸せな毎日。
夜。
住居から少し離れた所にある池の畔。
雲ひとつない夜空に満月が浮かぶ。
それを飾る様に、無数の星が瞬いている。
心地よい風が吹くと、鏡のような水面は映り込んだ月夜を揺らし、細かな月明かりが辺りに反射する。
草木が擦れる音に合わせ、虫の声が響く。
「綺麗ね」
草むらに座るサラは、背中を預けた夫の顔を見る。
巨狼は風からサラとカティアを守るように身体の丸め、自身の腹に背中を預けるサラの顔を見つめていた。
せっかくの景色なのにずっと私を見ていたのかしら、と嬉しくなったサラはクスクスと笑う。
サラの思っていることが伝わったのか、巨狼は照れ隠しか夜空を見上げた。
巨狼の行動の理由がわかるサラは、フフッと小さく笑い、自身の膝に視線を落とす。
先程まで、はしゃいでいたカティアはいつの間にか、サラの膝枕で寝息を立てていた。
カティアの頭を撫でながら、再び夜空を見上げる。
首元に当たる銀色の柔らかい毛が、呼吸に合わせて動いているのがわかる。
背中から伝わる体温が心地いい。
サラは思わずうとうとしてしまう。
だが、筋肉の強張りを背中に感じ、目が覚める。
「どうしたの?」
そう問いかけ巨狼の顔を見ると、巨狼は木々の間の暗闇を見据えていた。
「わっ!?」
巨狼は突然立ち上がり、支えを失ったサラの体は後ろに倒れてしまう。
「あたた……」
「うぅん……なぁに……?」
倒れた拍子にカティアも目を覚ます。
眠そうな顔で目をこすっている。
「あなた?どうし」
サラの言葉を遮り、巨狼は低く唸り声をあげる。
それを聞いたサラは咄嗟にカティアを抱き起し、巨狼の背後へ走る。
「お母さん……?」
何が起きているかわからず不安そうなカティアを抱き寄せる。
巨狼が睨みつける暗闇に目を凝らす。
音も立てず、こちらに歩み寄る何か。
薄っすらと人型のシルエットだけが見える。
人影は真っ直ぐ向かってくると、月明かりが当たる場所で立ち止まった。
外套を纏い、つばの広い帽子と不気味な仮面で顔を隠し、腰に剣を差している。
「探すのに随分と手間がかかったぞ。暫く見ない間に面白いことをしているじゃないか」
声からして男性だ。
男は冷淡な声で続ける。
「それがお前の新しい家族か」
男と目が合ったサラは背筋に寒気を覚える。
蛇に睨まれた蛙とはこういうことを言うのだろうか。
体が震え、カティアを抱く腕に力が入る。
「なるほど、似ているな」
男は巨狼に視線を戻す。
「あの時のお前は何もできなかったな」
男はゆっくりと左手を挙げる。
「今度は守れるかな?」
そしてその手を振り下ろした。