愛する者の末裔-アイスルモノノマツエイ-
山中の開けた岩場に、大きな洞穴。
入口には獣の皮が垂れ下げられ、風除けの役目を果たしている。
洞穴の中は大人が十数人横になれる程度の広さがあり、硬い地面を覆うように様々な動物の毛皮が敷き詰められている。
洞穴の端には木で組んだ簡素な棚がいくつか並んでおり、生活に必要な最低限の物が収納されている。
人が住むには不自由な場所だが、この洞穴を住居として使っている一人の女性、サラが身なりを整えていた。
サラは透き通るような輝きを放つ金色の髪をポニーテールにし、棚から使い古された鍋を取り出して外へと出る。
近くの沢へ向かい、鍋に水を汲み、住居へと戻る。
洞穴の外に組んだ木製の三脚に鍋を吊るし、火打石で木の皮をほぐした火口に火をつける。
小さな火に小枝を重ねて煙が舞い上がる中、火は次第に強くなっていく。
そして、更に太い木材へと燃え移り、暖かなオレンジ色の炎となった。
パチパチと薪を燃やす炎を眺めながら、湯が沸くのを待っていると、自身を呼ぶ声が聞こえた。
「おかーさーん!」
サラが顔を上げると、視線の先の生い茂った低木の中から少女が勢いよく飛び出してきた。
「お母さん!見て見て!」
頭や服に木の葉を付けたままの少女は喜びに満ちた顔でサラに駆け寄り、両手を差し出した。
その手の中には逃げ出そうと藻掻いている一匹の兎がいた。
サラは兎から少女へと目を向ける。
少女は頭頂部に生えた両耳を誇らしげにピンッと立て、尾骶骨から伸びた尻尾が彼女の感情を表すようにぶんぶんと振られている。
「あらあら、凄いじゃない」
サラは優しく微笑み、穏やかな声色で少女を褒めた。
「でもカティア?お母さんが頼んだのは兎じゃなくて山菜なんだけどなぁ……」
「あっ……」
カティアと呼ばれた少女はしまったという表情で兎を見つめた。
先程まで激しく振られていた尻尾は垂れ下がり、両耳もペタリと前に倒れてしまう。
それを見たサラはふふっと笑い、カティアの髪に付いた木の葉を取った。
「仕方ない。一緒に採りに行こっか」
「うん……」
「沢山採れたらご褒美に兎の香草焼きを作ってあげる」
「本当!?」
好物の料理の名前を聞くとカティアの表情が笑顔に変わり、耳はスッと立ち上がり、尻尾も元気を取り戻した様に振り始めた。
カティアの分かりやすい反応を見てサラは笑みを溢れさせた。
「えぇ、本当よ」
「えへへ、楽しみだなぁ」
「あら?沢山採れたらの話よ?」
「前にお父さんがいっぱい生えてる場所を教えてくれたんだ。さっきそこに行ったらいっぱい生えてたから、あっ……」
カティアは笑顔のまま怒りのオーラを発するサラを前に冷や汗を流す。
「あはは……」
「どーしてそこまで行ったのに山菜が兎になっちゃったのかなー?」
サラはカティアの両頬を引っ張る。
「ほめんなはい。ほほにうはひがいははらふい」
「なんて?」
サラはカティアの頬から手を放す。
「ごめんなさい。そこに兎がいたからつい……」
カティアは両頬をさすりながら答えた。
サラは腰に手を当て、やれやれと首を振る。
「お母さんが作る香草焼き、久しぶりに食べたかったから……」
しょんぼりしているカティアを見て、サラの雰囲気に優しさが戻る。
「その食欲旺盛なところは誰に似ちゃったのかしらねー?」
そう言いながらカティアを抱き寄せ、頭を撫でる。
「えへへへ」
頭を撫でられ気を良くしたカティアは、向日葵の様な笑顔を見せる。
「さて、今日は帰りが遅いわね。どこまで行ったのかしら」
サラが高く聳える山の向こうに目を向ける。
頭上に昇る太陽の光を遮り、一瞬、影が通り過ぎる。
二人の目の前に、輝く銀色の毛並みと見上げる程巨大な狼がその体躯からは想像できない程静かに降り立つ。
口には立派な角を生やした大きな鹿が咥えられている。
「おかえり、お父さん!」
カティアは両腕を広げながら巨狼に駆け寄った。
巨狼は口に咥えていた鹿を地面に落とし、駆け寄ってきたカティアに顔を近づける。
カティアが鼻先に抱き着くと、巨狼は頭を振り上げた。
上空に放り投げられたカティアは、空中で器用に一回転し巨狼の背中にストンと座る様に着地した。
「おかえりなさい、あなた」
巨狼は歩み寄るサラに、先程カティアにした様に顔を近づける。
サラが巨狼の顔を抱擁しながら撫でると、巨狼もサラの身体に頬擦りする様に顔を小さく上下させる。
「帰りが遅かったけど、何かあった?」
サラが問うと、巨狼は鹿に視線を移す。
「そう……亜獣の生息域が変わったのかしら。遠くまでお疲れ様」
「お父さん!お父さんも一緒に山菜採りに行こうよ!」
カティアが巨狼の背中の上から声をかける。
「ふふっ、私にも穴場を教えてほしいわ」
巨狼の表情は優しく微笑んでいるように見えた。