セキレイの呪詛..1
黒と白のローブを身にまとった少女たちは、少し離れた場所で足を止めると、ハンドサインを出して例の怪物の動きを制したようだった。
臨戦態勢を取る私たちや、不気味にも動きを止めた怪物たちからいち早く離れようという民たちを睥睨した黒いローブの少女は、どうでもよさそうなトーンで言った。
「あいつら見てると、昔、蟻の巣穴に小石を詰めたことを思い出すよ」
「蟻?セキレイ、そんなことしてたの?」
黒いほうが答える。勝手に始まった会話に私たちは怪訝な面持ちを浮かべる。
「ああ。わらわら行列成して人様が落とした食べ物を運んでる。そんな卑しい姿がさぁ、癪に障ったんだよ」
「…悪趣味」
「でも、どうよ?」と顎で黒いほうが民衆を差す。「誰かに戦ってもらって、自分たちじゃ何もできない。あれはさぁ、蟻以下じゃん」
「ふふっ、確かに」
少女たちが幼い面持ちに浮かべた微笑みは、酷く陰湿で傲岸不遜だった。
他者を根拠なく見下し、小馬鹿にする様に、とうとうそれを最も嫌う人間が口を開く。
「何をごちゃごちゃ言っている」
高い金属音の後、マルグリットが剣を携え、その切っ先を少女らへと真っすぐ向ける。
「貴様ら、何者だ。返答次第では子どもだろうと容赦はしない」
ぴりつくオーラを放つマルグリットだったが、その怒りの矛先を向けられている二人は恐れるどころか、ふてぶてしく笑ってのける。
「あはは、『容赦はしない』だって。馬鹿じゃねぇの」
「本当だね、セキレイ。あんな顔して、怖がらせてるつもりなのかな」
マルグリットはそんなふうに煽られても、顔色一つ変えなかった。激情家のくせに、こういうのには強いのだ。もちろん、腹の奥はごうごうと煮えたぎっているだろうが。
くすくすと陰湿に嗤い合う少女たちに対し、最初に激昂したのはルピナスであった。
「いい加減にしなさい!貴方たち、これは遊びではないのですよ!?」
彼女の怒りに呼応して、そのたおやかな指の間を青白いスパークが行ったり来たりしている。バチバチと爆ぜる音はレイブンのそれに似ていたが、ルピナスのほうが繊細で、星の光みたいに儚かった。
「『遊び』じゃない?」
ふっ、と鼻を鳴らして黒いほうが眉をひそめる。
「だから馬鹿って言ったんだろうが。このウジ虫ども。『容赦しない』のも、『遊び』じゃないのも、言われなくたって分かってんだよ!…奥様が!今日!この日から!お前ら能無し連中に代わってより良い国を作るために!私たちがゴミ掃除してんだろぉが!あぁ!?」
何の前触れもなく怒髪天に至った黒いローブの少女。その豹変ぶりに私たちが面食らっていると、白いほうの少女も汚物を見るような目で私たちを睨んできた。
「…貴方たちが支配していたこの国は…陰惨たる犠牲ばかりを求めていた。奴隷も、貧乏人も…生贄も。何もおかしいとは思わなかった?…残酷で気ままな幸福の女神に選ばれなかった人たちがいること、『知らなかった』とは言わせない…!」
白い少女は怨嗟のこもった瞳を見開くと、さっとハンドサインを出した。すると、それに従い、魔物たちがまた進軍を始めた。
「まずいわ…!マルグリット!」
「分かっている!」
マルグリットが素早く反転し、エルトランドの兵士に迎撃指示を送る。彼らはあたふたとしながらも、きちんと指示に従って武器を抜いた。
私たちもまた、臨戦態勢を整える。
正面に立っていた少女たちのローブの裾から、ずるり、と長い蠍の尾のようなものが這い出てきていて、明確な殺意と共に鎌首をもたげたからである。
「話し合う気はなさそうね――二人とも、来るわよ!」
私が太刀を霞に構えて迎え撃つ姿勢を取った数秒後、少女たちの体は重力の鎖から解き放たれたかのような勢いで跳躍した。
「大嫌いなの。貴族なんて」白いほうが呟く。
描かれるのは美しいアーチ。
ひらひらと揺れるローブ。
薄気味悪い端正な微笑。
「なっ…」
唖然としつつも、それらに魅せられるわけにもいかなかった。すぐに頭上から、鋼鉄の鞭でも振り下ろしたような尾の一撃が見舞われたからだ。
本能的に防御できないことを悟った私は素早く横に転がり、黒いほうの一撃を回避する。
「お上手!」
揶揄する声に歯ぎしりしながら立ち上がれば、向こう側で同じように回避したマルグリットがこちらに転がってきていた。
「ちっ」
自然と肩を並べた私たちは、白と黒の双璧に向かって剣先を重ねた。
「見たことのない魔導ね。身体強化も著しいわ」
「ああ、まともに受ければ立ち上がれないだろうな。当たるなよ」
「あら、心配してくれるのかしら?」
私はつい皮肉っぽく返してしまってから、先ほどの会話を思い出して後悔した。私の悪癖が嫌な場面で出てしまったのだ。
しかし、マルグリットは不愉快そうな顔はせず、慣れた感じで口元を歪めてこう返した。
「馬鹿を言え。お前の心配など、誰がするか」
ちょっとばかりの皮肉と、素直になれない刺々しさ。
あぁ、懐かしい響きだ。こういうやり取りを、私たちは四人で数えきれないほど重ねてきたのだ。
それを奪ったのは…何だったのだろう?
ストレリチア?彼女ら?それとも、私?
センチメンタルの暗雲が場違いにも私の頭の上にかかったとき、こつん、とマルグリットが私の肩に自分の肩を当てた。
「集中しろ、リリー・ブラック」
自分が望んで被った仮面を見せつけられて思わずハッとした私は、並び立つマルグリットを見やった。
「お前が誰なのかを考えるのは後だ。今は、お前やあいつが望むことをすればいい。きっと…それは同じことのはずだ。そうだろう?」
「マルグリット…」
マルグリットの綺麗な瞳が言っている。私の知るアカーシャ・オルトリンデならそうする、と。
私は私を傷つけ、そして、私を守ろうとする人間に向けて、静かに頷くことを選んだ。
「ええ、そうね。まずはあいつらを無力化するわ。そして、レイブンの居場所を聞き出すのよ」
「ふっ、そうだ。それでいい」
マルグリットも頷いてそう返した直後、ルピナスの声が轟く。
「アカーシャ!マルグリット!」
顔を上げれば、飛ぶように加速して迫ってくる一対の白と黒。
心臓は一瞬だけ高鳴ったが、すぐに静まった。
(この感じ、存在感。絶対に口に出しては言わないけれど――落ち着くわね)
シンクロした動きで真っすぐ蠍の尾が伸びてくる。
鉤状になった先端が私たちの首筋を狙うが、私たちも同じくシンクロしたような動きで太刀と両刃剣の腹を当てこすり、軌道を逸らしながら前進する。
火花が散った。
オレンジ色の、思い出を呼び覚ます閃光。
こうして数々の死線を共に潜った。彼女となら、どんな魔物の懐にだって飛び込むことができた。
キィン、と耳元で音が鳴り続ける。
「これぐらいで…!」
構わず、前進。
「私たちは、止まらない!」
恐れるものは、何もなかった。
「この、潰れろ!」
左右から押し潰すように尻尾が迫る。
「マルグリット!」
「分かっている!」
私の掛け声より先にマルグリットが急停止した。
彼女が、そのまま渾身の力で回転斬りを放つ。
「きゃっ!」
凶悪な外見に似合わない悲鳴が上がる。彼女らの伸ばした尻尾が両方とも、一瞬だけ弾かれたからだ。
「行け、アカーシャ!」
「ええ!」
こんなものその場しのぎだ。だが、それで十分だった。
マルグリットに防御を任せたときから、すでに太刀は鞘に納めていた。
(集中…っ!)
たらり、と神経の糸が私の頭に垂れ、徐々に広がっていく感覚が訪れる。
肉薄する私を払うため、尻尾が二人の元へと戻っていく――が、遅い!
「大人を甘く見た代償、頂くわ…!」
「セキレイ!」
二人が声を揃えてそう叫んだ。意味は分からないが、焦燥だけは伝わってくる。
その隙間を狙って、私は剣閃を輝かせる。
「せいやぁっ!」
雷光一閃。尻尾の防御が間に合わなかった二人の胸元を、まとめて水平に斬る。
「ぐっ!」
二人が後ろに飛んでいた。
(わずかに回避が間に合っている…!だけど、体勢は崩れた!)
続けて、二の太刀を用意する。
両手刺突、狙うは白いほう。
「セキレイ、狙われてる!」
黒いほうが叫ぶ。
「あ、う、セキレイ、そっちも!」
そう、すでにもう片方へはマルグリットが迫っている。鬼気迫る形相、これは恐ろしいだろう。
それにしても、セキレイは名前か?だが、どっちもセキレイだ。それでは名前じゃない気がするが…。
どうでもいいことに気が取られかけるも、即時に再集中する。
「これで…!」
姿勢の崩れた二人に目がけ、私は両手突きを、マルグリットは袈裟斬りを振るう。
「どうだぁ!」
気合いと共に放たれた剣撃は、惜しくも少女たちが操る蠍の尾に阻まれる。
「あ、ぶなぁ…!?」
ふと浮かぶ、安堵の表情。防御しきれた、と黒いほうは思っているようだった。
だが、白いほうは青ざめた顔で私やマルグリットの後方を見つめていて、その瞳――アメジストの瞳の奥で雷光が瞬くと同時に叫ぶ。
「まだだよ、セキレイ!防御して!」
「あ…?」
次の瞬間、私は“いつものように”横へ思い切り飛んだ。
マルグリットも同じようにしていた。彼女は、昔に私がしていたように、魔力のうねりを感じてそうしたのだろうが、私は違う。
それでも、上手くいっていた。その意味を、私の心は噛みしめていた。
「――うちののんびり屋。舐めてかかると黒焦げになるわよ?」
二人の間を走り抜けたのは、青く瞬く雷光だった。
原っぱの牧草を焦がして突き進む雷は、やがて少女たちに直撃し、その華奢な体を容易く吹き飛ばしてしまった。
その思わぬ威力に目をつむり、顔を覆う。舞い上がる粉塵や草の断片と共に飛ばされないよう踏ん張る必要もあった。
私と一緒に戦っていたときよりも強力になっている。ウォルカローン砦では、白兵戦になったから魔力を練り上げられなかったのだろうが…もしも、あれが私の体を打ち付けていたと考えたら、今でもぞっとした。
「完璧な連携ですわ。二人とも」
呑気な声と共にルピナスがやってくる。彼女が歩いた道の上は焦げた牧草でいっぱいだった。
「ふん、これくらい当然だ」
嬉しそうなルピナスとは対照的に、マルグリットはにこりともしない。それを見ていると、まるで時間が飛んだような気がして、私も口元が綻ぶ。
「そうね…あの子たちとは年季が違うのよ」
そのとき、砂煙が舞う中、二人が起き上がる気配がした。
「あぁ、くそっ!くそ、くそ、くそッ!あのメスども、調子に乗りやがって!」
続く罵詈雑言に私は肩を竦め、「まだ元気そうね」と皮肉る。
「防御が間に合ったのだろうな」
実際、視界が良好になった頃には、自分の脚ですっくと立つ二人の姿があったのだが…。
「あれは…」
ルピナスの雷魔導を受けてローブが弾け飛んだその姿に、私は顔をしかめる。
フードで隠れていた髪は瞳と同じで透けるようなアメジスト。加えて、端正な顔立ちだった。しかめ面さえしていなければ、可憐であったかもしれない。しかし…蠍の尻尾と錯覚していたものの正体が判明した瞬間、それらの印象はことごとく消し飛んだ。
肩の付け根から、まるで二本目の腕のようにして生えているもの。それが、蠍の尻尾に酷似した部位の正体だった。
どうやって伸縮しているのかは分からないが、あれが魔導や呪いの類ではないことは明白だった。レイブンの翼と比べて、残酷なまでのリアリティがあったのだ。
まさに異形。
二人の少女が片腕ずつ背負った業は、生理的嫌悪を感じさせる異形であった。
次回の更新は木曜日となっております。
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