揺らぐ心.3
今回は4000字程度と、若干長くなっております。
ゆったりお付き合い頂けると幸いです!
「ありえないわ」
レイブンが裏切ったと聞かされ、すぐにでも部屋を飛び出して行きそうだった私は、ルピナスやスズリに制止されて部屋の隅にある椅子に座らされていた。
上体を折り曲げ、両膝の間から床の絨毯を見つめる。縫い目が目立たない質の良い絨毯は、血のような赤で作られていた。
もうすでに何度も繰り返していた言葉だったためだろう。ルピナスやスズリは私のことを哀れみに満ちた目で見つめていたのだが、マルグリットなんかは違った。
「もともと、正体不明の奴隷だろう。ありえないなどと、なぜ言い切れる?」
私は何も知らないマルグリットの一言に全身の血液が沸騰するような感覚を覚え、ガタッと椅子から立ち上がって彼女を睨みつけた。
「マルグリット…!」
「おい。私は合理的に物を言っているだけだ。感情的になりやすい私に…昔、お前が言ったようにな」
「…っ」
確かにそんなことを言ったかもしれないが、だからなんだ。
「あの子は…!」と私がまたも感情的にレイブンのことを伝えようとしたところで、割って入る影があった。ストレリチアである。
「アカーシャ様、待って下さい」
「何よ、今、私は――」
「私は、あの子がどうしてここに戻らなかったのか…その理由に何となくの検討がついています」
その言葉に誰もが不思議そうにストレリチアを見つめる。
まさか、予言で…と勘違いする人間も何人かいたが、ストレリチアは困ったふうな顔で首を横に振って、「今までもそうなんですが…だいたいの場合、私は予言なんてもので未来を視ていません」と多くのエルトランド人の度肝を抜く言葉を口にした。
「貴方が、未来を視ていない…!?だ、だったら、今までのアレは何だったの?自然災害に危険な魔物の目覚め、オリエントの船が港に迷い込んできたときだって、貴方は見事予知してみせたじゃない」
「あれは起こるべくして起こった歴史の欠片です。つまり、ただの歴史の知識なんですよ」
「知識ですって?」
「はい。ほら、私は十五年後の未来から来ているんですから。どの年のどの月に何が起こるかはだいたい知っていました。特に大きいのは確実に」
なるほど、確かにそれなら理屈が通る。異様なまでに正確だった予知は、そうして作られたものだったというわけだ。
だが…。
「そ、それなら、どうして予言だなんて偽って神輿に担がれるような真似を…」
「どうしてって、やだなぁ、アカーシャ様。未来の貴方が私に教えてくれたことですよ?『人間は超常的なものが繰り返されたときほど思考を放り捨てる』。――おかげでほら、私ったら、一、二年で救世主、神託の巫女です!」
最後は少しふざけたのか、ストレリチアは自分の両手を重ねて頬に当て、かわい子ぶって言ってのける。
だが、彼女が語った真実は予想以上の重さをもって私たち間抜けなエルトランド人の頭にのしかかった。
「でしたら、我々が信じていたものは…」とマルグリットが唇を震わせながら言えば、ストレリチアは一転、シニカルな微笑みでエルトランド陣営を眺めた。
「まぁ、別にいいじゃないですか。『人間、仕組みなんて知らずとも、便利なものは使う』。そうですよね、アカーシャ様」
まだショックを受けていた私は、まともな返答もできずに頷くばかり。代わりに黙っていたサザンカが口を開いた。
「…でもさ、だったらアレは何?死角からの攻撃とか、針先を針先で受け止めるみたいな力は」
「あぁ、アレは確かに視えてます。魔導ですね、私の。自分に降りかかる危険を直感的に、しかも超正確に予知する魔導――『赫目』って呼んでます。アカーシャ様が自分の目にちなんで名付けてくれたんです。ね、アカーシャ様」
屈託ない笑顔を向けられても、私は何も嬉しくなかった。
まだ十七、八くらいの少女に散々翻弄されていたと知らされたうえに、いちいち、話を未来の私にこじつけてくる。
ストレリチアが未来の“アカーシャ様”を慕っていたのは十分に理解している。いや、慕っていたなんて生易しいものではないのだろう。きっと、最愛の人だったに違いない。そういう偏執的な感じがまざまざと伝わってくるからだ。
だが、それは私であって私ではない。
個人を個人たらしめるものが、見た目や細胞ではない限り…ストレリチアが私を通して見ている女は、遺伝子レベルで酷似しただけの、ただの他人だ。
しかしながら…“アカーシャ様”のために時空まで超えてきた彼女にそれを伝えられる無慈悲さを、私は持ち合わせてはいなかった。
だからこそ、無難な指摘で苛立ちを晴らすことになる。
「いい加減、本題へ戻りなさい、ストレリチア」
「あ、すみません。でも、質問してきたのは――」
「いいから、早くなさい。今、すぐに」
一言、一言、首でも締めるようにしてストレリチアに説明すれば、彼女も私の苛立ちを悟ったのだろう。眉を八の字にして謝罪し、元の話題に戻ってくれた。
「さっきも言ったように、私はあの子が、レイブンさんがどうして双子についていったのかを知っています」
続けなさい、と無言のまま彼女を促す。そうすれば、ストレリチアはだらしなかった顔とは打って変わって、凛とした面持ちで語った。
この騒動の黒幕とも言うべき者の存在を。
「双子の、いえ、あの光の柱の向こうにいるのがテレサ・バックライトだからです」
「…テレサ・バックライトですって?少女趣味の女の名前がどうして今出てくるの?」
それはレイブンを私に遣わせた者の名前だった。彼女が“奥様”と呼び慕う、ロリータ趣味の奇人だったはず。
「テレサ・バックライトこそが、代々バックライト家が封印していた魔竜を解き放った張本人。チープな言い回しを恐れずに言えば――黒幕というわけなんですよ」
ストレリチアが語ったテレサ・バックライトは、私の記憶にある、妖艶で、何を考えているか分からない、色狂いの夫人像とは全くそぐわないものであった。
結論から言って、ストレリチアにも彼女がどうして魔竜ハデスの封印を保ち続けることをやめ、混沌と瘴気を無尽蔵に生み出す怪物を世に解き放ったのかは分からないそうだ。
だが、ある程度は予測がつく。
そうストレリチアは言った。
封印を守り続けるために必要なもの。それは、穢れなき少女の生き血だった。
私はそれを聞いて、夫人の趣味であるロリータ性愛は、その隠れ蓑だったのかもしれないと思った。レイブンも、本来ならばその贄になる予定だったのではないかと。偶然にも私の付き人という使命を課されなければ、レイブンもその純で真っ赤な血をあの化け物に捧げたのではないだろうか…。
そういえば、テレサはバックライト家に嫁入りしている。もう随分と前のことらしい。三十路もそこそのテレサが十代の頃というから、二十年近いときが流れている。
彼女がどこまで封印のことを知りながら嫁いだのかは分からないが、万が一、彼女が途端にその役目を背負わされたのであれば…神経という神経が、精神という精神が摩耗されていったのは想像に難くなかった。
「結局、何を想ってのことかは分かりませんが、テレサは魔竜を封じ続けることをやめて、封印とは反対の行為、つまりは処女でもなんでもない人間の命を捧げ続けたんです」
「…それで、あの怪物が目覚めたというの?」
「半分だけ正解です。あれはまだ完全には目覚めていませんし、あの繭を浮上させたのは生贄だけではありません」
「というと?」とルピナスが言葉を挟めば、ストレリチアは真顔で頷いた。
「そもそも魔竜が完全に目覚めるためには、二つの条件が必要でした。一つは、自然には生み出されないほどの亡者の魂。二つめは、生贄の中止。もっというと、真逆の存在を生贄に捧げること」
ストレリチアはあくまで淡々と語っていた。何度も読んだ幻想小説のあらすじをそらんじるように、淡々と。
次に、マルグリットが口を開く。
「そこまでお分かりでしたら…どうして、その、今の時代に来たときに、止めなかったのです。ストレリチア様のお力なら、戦争を起こさせないことも、バックライト夫人を叩き潰すことも造作はなかったでしょう」
すると、ストレリチアは諦めの表情で微笑んで返した。
「それでは問題の先送りに過ぎないからですよ、マルグリット様」
「先送り…ですか?」
「はい。封印はあくまで封印。未来永劫、その効力があるか保証はありませんし、相応の生贄を求め続ける。戦争だって、エルトランドとオリエントはいつ戦争が起きてもおかしくない状況がずっと続いている以上、結局、保証はない。そもそも…こんな話、誰が信じますか?よしんば信じたとして、この国はどうなります?狂った爆弾を抱えたこの国に、どれだけの人間が留まるんですか?」
驟雨の如く言葉を紡ぎ、マルグリットらの反論の余地を一切なくしてしまったストレリチアは、ややあって、自分がヒートアップしかけていることに気づくと、長い息を吐いて息を整えた。
「…――私の目的は、あれがまだ半分しか目覚めていないうちに倒してしまうことです。完全に覚醒した後だって、とある兵器を使って倒すことはできました。でも、満ち満ちた魔竜の体を粉微塵にすると、すさまじい量の瘴気が世界にばらまかれるんです。そうなれば、残された人々は、世界は、ゆっくりと死んでいくだけだった。日も差さない、食べ物も作れない、原因不明の疫病は流行る…地獄ですよ。生き地獄です。せっかく、アカーシャ様が…」
鬱々と視線を伏して語っていたストレリチアが、一瞬だけ口を閉ざした。
そして、覗き見るのは私の顔。その瞳には酷く切ない痛みが、過去の呪われた扉が映し出されており、見ているだけで胸が苦しくなった。
「…みんなが、命を賭けて頑張ったのに。何も救われなかった。嫌だと思いました。もう一度、やり直したいって。だから、私は…魔竜が遺した絶大な魔力を使って、時間を遡ったんです。私の“赫目”なら時間に触れられる可能性があると思ったから…」
悲し気に揺れるストレリチアの青い瞳と横顔を目の前にして、多くの者が黙るほかなかった。
ルピナスやマルグリットは明らかに胸を痛めたふうに哀れみの目を彼女に向けていたし、敵であったスズリでさえ、苦しみに共感して顔を歪めていた。
私はというと…。
「…はぁ…」
あまりのことに盛大なため息を吐き、額に手を当てて床を見つめてしまっていた。
ストレリチアの語った、魔竜ハデスによって穢された未来。
テレサ・バックライトという予期せぬ黒幕。
そして、最も残酷な形で開かれた運命の扉の先に消えた、レイブン。
頭がおかしくなりそうだった。すべて夢でした、と言われたほうがずっと納得できたかもしれない。
しかし、鈍く響き始めた頭痛はやはり現実のものだ。
「…外の様子はどうなの…」
力なく私が尋ねれば、「今は比較的落ち着いているみたいですけど…まぁ、民間人もいるし、早く避難しないといけないかもですね」とサザンカが答えてくれた。
ふぅ、ともう一度ため息を吐き、顔を上げる。
「それなら申し訳ないけれど…避難の準備を終えるまで、少し休ませて頂戴。頭がパンクしそうなの」
次回の更新は土曜日になっております。
よろしくお願いします。




