流刑地にて.2
更新が遅れてしまい、申し訳ありません!
急いで更新しますので、お楽しみ頂けると幸いです。
「なんですって…!?」
提案の内容を聞いて、私は目を丸くした。
処刑が決まった人間を救う。
そんなことができるわけがない、と否定しきれない自分がいた。なぜなら、彼女が預言者、神託の巫女、ストレリチアだったからだ。
今まで、国に降りかかった数々の災難を打ち払い、国家全体から全幅の信頼を得ている女だ。彼女のお願いを断れる者がいるだろうか?
だが…仮にそれが『できるから』といって、諸手を上げて提案に乗るような間抜け真似、絶対にしたくなかった。
「ふざけたことを」
「あれ、できないと思いますか?」
「できるかどうかが問題ではなく、貴方なんかに助けてもらわなければならないというのが、ふざけたことだと言ったのよ」
「それなら、私への復讐を諦めて、ここで死を待ちます?」
舐めた調子だった。私という人間がどういう人間なのか、きちんと把握している。
私は、失敗すると分かっていても、ほこりほどの『もしも』に賭けるような人間だ。真実を知らされ、これだけ煽られた後に大人しく牢屋の隅に縮こまれる人間ではないのだ。
感情の渦が逆巻く。
これは確実に、悪魔の取引だ。
よからぬことが始まる。
「…条件と、貴方がそんなことをする理由を聞かせなさい」
せめて少しでも合理的に判断できるよう、私がそう尋ねれば、ストレリチアは嬉しそうに、「さすがはアカーシャ様。理由は明かせませんが、条件ならお教えします」と顔を緩める。
「ちっ…それでいいわ」
ストレリチアはポケットに手を入れて、何かを探すような動作を始めた。そして、まるでその片手間であるみたいに詳細を語り始める。
「アカーシャ様を、一部の人以外には内緒で流刑に処そうと思っています」
「流刑?」
「そうです。流刑、ご存知ですか?」
「…東国オリエントで行われている刑の一種ね。島流し、とも言われているものでしょう」
「さすがでございます。アカーシャ様」
「御託はいいわ。どこに流すの」
「東国オリエントに」
その名前を聞いて、私は喉が鳴りそうになるのを必死でこらえた。
オリエントは、エルトランドの戦争相手だ。
「それと…」とストレリチアはポケットから指輪を取り出す。
「そのゴミの自慢はもういいわ」
あえて虚勢を張ってみたところ、彼女はおかしそうに笑って、また別の指輪だと説明した。
「この指輪が何かご存知ですか?」
また質問。
なぶるようなやり方に苛立ちつつも、私はじっと指輪を見つめる。
「…さあ、知らないわ。マジックアイテムの類でしょうけれど…」
「アカーシャ様も、名前くらいは聞いたことがあると思います。これはですね――魔喰らいの指輪です」
「マグライの指輪…?」
たしかにどこかで聞いたことがある響きだ。王立図書館か、城の蔵書室か…。
記憶の中を探っていた私は、やがてその言葉を『魔喰らいの指輪』へと変換させた。そして、その瞬間、ぞっとするほどの寒気と戦慄が背筋を撫でた。
「貴方、まさか」
「そうです。もう一つの条件。それはこの、『術者の魔力を恒久的に貪り続け、果てには二度と魔導を使えなくする』指輪をつけてもらうことです」
「そ、そんなもの、冗談じゃないわ!」
私は得も言われぬ感情で叫んだ。
「私がどれだけの想いで魔導の鍛錬をしてきたか、分かって言っているの!?」
そうだ。私のこの四半世紀足らずの多くは、自分を磨くことに費やされてきた。もちろん、魔導の才だけを磨いたわけではないが、中心はやはり魔導だった。
その結果は国民の多くが知るところだし、このまま磨き続ければ、私は王国の歴史始まって以来の魔導師になれると評判はもちきりだった。
それなのに――いや、違う、それだから、か。
この女は、それだから、言っているのだ。
「ええ、もちろん存じ上げています」
悪魔は甘い声で呪言を紡ぎ始める。
「それこそ、ずっと、ずっと前から。貴方様が想像しているよりずっと前から、アカーシャ様が血の滲むような努力をしていたことは存じ上げています」
とても幸せそうだ、と私は悪意の渦の中心でぼんやり思った。
「だからこそ…私からそれを奪おうというのね。自由の対価として」
「自由の対価…まぁ、そういうことにしておきますね」
私は苦悶の声を上げそうになった。しかし、それを精神力だけでぐっとこらえる。そうするだけの気力が残っていることに、私は自分でも驚いた。
苦しみ、嫌がる素振りを見せれば、この悪魔は必ず喜びを示す。私の魂を締め上げているという感覚に愉悦を覚える。
(思い通りになんて、させないわ)
私は気丈な表情を維持すると、目を閉じて、自らの頭の内側に飛び込んだ。
魔喰らいの指輪――太古のマジックアイテムだ。一度はめると、はめた人間の意志でしか外せない。
(つまり、本当に、この努力の末に得た魔力は、すべて消える。こいつは、それだけのことをする。脅しじゃない。自分の命を狙ってきた相手を再び野に返そうという異常者なのだから)
一つ、天秤を思い浮かべる。
片方の皿には、『アカーシャ・オルトリンデという存在』。
そして、もう片方の皿には、『ストレリチアという悪魔』。
(復讐を成すためには、私は私を殺して生きなければならない。当然よ、流刑にするとしても、国王は、『私を処刑したこと』にするはず。そうでなければ、法の在り方が瓦解するもの。一方で、私を私のまま死なせてあげるには、ストレリチアへの報復は諦める必要がある…)
私は長い間、沈黙の海を漂った。
その間も、悪魔は辛抱強く待っていた。
得られた全てを投げ出し、生きていく?
馬鹿な。
それらを得るために、どれだけの努力を積み上げた?
やはり、このまま死んだほうが、潔いかもしれない。
…本当にそうか?
こいつに借りの一つも返さず、輪廻の円環に帰るのか?
ぎりっ、と歯ぎしりした拍子に目を開ける。すると、悪魔と目が合った。
ふふっ。
悪魔は幸せそうに笑った。
ぷちっ、と頭の中でまた何かが弾けた。
「はめなさい」
怒りから、反射的に右手を鉄格子の向こうに出す。
「いいんですか?そんなにあっさりと…」
「いいから、はめなさい」悪魔の声を遮り、私は言う。「どんな苦渋を舐めさせられても構わない、ここから出て、貴方を叩き潰せるのであれば、それでいいわ」
「ふふっ」
悪魔は笑うと、ゆっくりと、ねっとりと言葉を編んだ。
「では、逆の手でお願いします。決まった指でないといけないんです」
「ああそう」
言うことに従い反対の手を出せば、ストレリチアは、「目を閉じてください」と言った。
「なぜ」
「術式です」
「ああそう!」
目を閉じれば、そっと、冷たく柔らかい指先が私の左手を握った。
久しぶりに触れる人肌。たまらなく懐かしい気持ちにさせられるのが、嫌だった。
「『輝かしい未来』」
ぼそり、と彼女が呟く。詠唱かと思い、聞き流そうとする。
「ストレリチアの、花言葉です」
優しい響きだった。私のことを苦しめる人間の声とは思えないくらい。
「目を開けて、アカーシャ様」
誰の声だ、と目を開ける。
ぐっ、と私の左手が鉄格子の外に引かれる。
「貴方が悶え苦しみながらも美しく生きる姿を、遠くからずっと見ています。――必ず、私の前に現れて。死なないで下さいね。アカーシャ様」
そっと、悪魔が指輪に口づけを落とす。
ストレリチアの花が刻印されている魔喰らいの指輪は、私の左手の薬指にはめられていた。
回想に耽っているうちに、私はそっと指輪に触れていた。
ストレリチアが私に課した、呪い。その効果のてきめんさは、さっき十分に感じさせられた。オールの魔導石に触れたときより、ずっと。
(忌々しい)
本当に、私の魔力は喰らいつくされつつある。いや、もう喰らい尽くされた後なのかもしれない。
それでも。それでもいいと、私はこんな場所までやって来た。
目線だけを動かして辺りの様子を窺えば、王国では見たこともない樹木に囲まれていた。
東国オリエント…王国が戦闘をしている中小国家だ。王国に比べれば小さい島国だが、独特の文化が醸造されているせいでなかなか手ごわい存在だ。
そんな場所で、明らかな異邦人である私は、とてもではないが身の安全が保証されているとは言えない。
(早々に、この地での基盤を固めなければならないわ…。自分の暮らしも覚束ないのに、城で支配者の如く構えているストレリチアは討てるわけがない)
まずは、どこか町や村に入らなければならない。エルトランド人である自分が暮らしていける場所を探すのだ。
決意を固めて松の森を抜ければ、眼前に広大な草原が現れた。
青々とした平野では魔物らしき生き物や普通の動物がいたるところに確認できたが、幸い、彼らは襲ってくる様子はなかった。おそらくは温厚な種族なのだろう。
飲水だけは探す必要もないくらい見つかったが、食べ物はその限りではない。もしかすると、いよいよ野鳥や獣を取って食わねばならない段階まできているかもしれない。
そんなことを考えながら歩いていると、丘の向こうに煙が見えた。
「見なさい。いくつか煙が昇っているわ。町――いえ、村があるようね」
「はい」
「ようやく食べ物にありつけそう。お金は…」
奴隷であるカラス――改め、レイブンがお金を持ち合わせているわけがない。もちろん、罪人として追放された私もまともにお金を持たされていない。
私は、ゆっくりと自分の着ている衣装へと視線を落とした。
ストレリチアに渡された衣装だが…必要以上に高級な代物だ。なるほど、あの悪魔は『着ている服を売らせよう』と考えているわけだ。
「どうにかなるでしょう。飢え死にするよりマシね」
「はぁ」
私は曖昧な返事をするレイブンを見た。奴隷らしくもない、艷やかな黒髪と肌。黒い瞳もくりくりとしていて、邪気がなく、美しい。
(よほどバックライト夫人に気に入られていたのね。お手入れの行き届いたお人形だわ)
そんなお人形を手放して、私に付き添わせるのだから、夫人の飽き性には恐ろしいものを感じる。結局、彼女らは『消耗品』でしかないわけだ。
私は肩を竦め、レイブンを見つめる。黒い瞳は、無遠慮に、恐れを知らずに私を見つめ返してきた。
「『はぁ』とか『はい』とか言ってばかりね、貴方。さっきみたいに言葉を交わしても構わないのよ」
「言葉を交わす…」
感情があるのか、ないのか、よく分からない声音だ。
「どなたとでしょうか?」
「はぁ?」つい、意味が分からなくて大きめの声が出る。「貴方の目の前にいるのは、私だけでしょう。他に誰がいるのかしら」
レイブンは頷くことも首を横に振ることもしない。
私はため息をこぼす。
「はぁ。変わった子ね。奴隷というのは、みんなこうなのかしら…」
私は「まあいいわ」と続けると、ゆっくりと煙の上がっている方角へ再び歩き出した。
なだらかな丘陵が続く。時折、草を食む魔物や動物たちが顔を上げてこちらの様子を窺ったが、敵意がないことを悟ると、また黙食に励んだ。
穏やかな風が頬を撫でる。さて、どんなふうな言い訳をすればオリエント人の懐に入れるだろうか。
それをぼんやりと考えているうちに、気がつけば一番勾配がきつい丘を越えていた。
そして、その直後、私たちは揃って絶句した。
たしかに、そこには村があった。煙だって昇っている。
焦げ臭かった。
村は、紅蓮の炎に包まれて燃えていた。