死告鳥のさえずり.8
明日に続きを掲載致します!
太刀を鞘に納め、敵の群れに一歩、また一歩と踏み出す。
「く、黒百合…よせ」
「ワダツミ。貴方は黙って門のそばまで死ぬ気で下がりなさい」
狂気と正気が混ざり合った私の覚悟を前にして、ゴルドウィンの兵隊どもが足を止めた。
人間、理解できないものが一番怖いものだ。
「な、何をしておるんだ!早くそいつを、私を殺そうとした女を殺さんか!褒美ならたくさんやるぞ!」
そしてまた、欲にも弱い。彼らは金品をちらつかされて再び動き出した――が、その数十秒間の空白は、私が深い集中に落ちる暇を与えてしまっていることに彼らは気がつかなかった。
ざっ、ざっ、と黄金の鎧をまとう集団が走り寄って来る。
鎧を着ているから、騒がしい足取りだった。
それなのに、酷く空虚な静寂が私の頭の奥には横たわっている。
やがて、何かこう、目には見えない神経の糸のようなものが体から出ていくような感覚を覚えた。
それは、私の居合の間合いいっぱいに広がると、静かにそのときを待った。
そして、その瞬間が訪れる。
刃先は、歓喜に踊った。
音を置き去りにするかのような一閃が、先頭の兵士の首筋を舐める。
ぐらりと倒れる敵兵。その陰から私は飛び出し、慄く間も与えないうちにその後ろの兵士の喉仏を両手突きで穿つ。
どよめきが広がる。
私が初めて公衆の面前でマルグリットを負かしたときも、こんな波のようなどよめきが広がったのを思い出す。
(褒められるのは、嫌いじゃなかったわ)
さらに続けてもう一人、鎧の隙間から刺突し、深手を負わせる。
(努力が報われる瞬間というのは、いつも誰かの評価が伴ったもの…)
あっという間に三人葬った。でも、敵は絶えず向かって来るから、もう一度、太刀を鞘に納める。
(頑張ったら、報われなくてはならないわ)
そうすれば、居合を恐れた敵兵が足を止めた。
(そうでない世界は、虚しいと思うもの)
遠くのほうからゴルドウィンの悲鳴みたいな叫びがした。それで、また兵隊たちが動き出す。
(――努力というのは、言い換えれば、犠牲になった時間のことよ。だから犠牲も同様に報われないといけないの。意味がないといけないの。そうでないと、そうでないと、虚しすぎるわ。痛みと悲しみだけが残ってしまって…。きっとそれは…死ぬより辛いことよ…)
抜きつけを放ち、血飛沫を浴びる。
袈裟斬り、刺突、両手突き…。
納刀。
抜きつけ、血飛沫。
袈裟、返り血。
刺突、刺突、返り血。
納刀、抜刀、納刀、抜刀…。
(でも…)
ずぶり、と嫌な感触がして、自分の口から血が飛び出る。
視線を落とせば、自分の脇腹から真っ赤な穂先が見えている。だけど、不思議と痛みはなかった。
(…私の、努力は…私が一生懸命頑張ったことは…誰が、誉めてくれるのかしら…)
誇りにしていたお父様、お母様。
大切だった仲間たち――ルピナス、マルグリット、サリア。
照れ臭い愛情を注ぎ合ったジャン。
大好きだった領民たち。
太陽が沈み、月にすら見離された私の現在。
誰が、誉めてくれるのだろう?
もはやオルトリンデ家に不幸をもたらす娘として私を見放した両親。
私との友情を選ばなかった仲間たち。
違う誰かに、その愛情を注いだ婚約者。
石を投げ、私を憎んだ領民たち。
(あぁ…誰が…)
私はいつの間にか膝をつき、ぼうっと地面を見つめていた。
(あれ…私ったら、どうしてこんなことを考えているのかしら…)
脳が深海から浮上してくるみたいにゆっくりと、深い集中から戻ってくる。そうすれば、最初に訪れる者はぞっとするほどの痛みだった。
「あ、ぐ、ぅっ…!」
槍先が脇腹を貫通し、穴を空けている。
歯を食いしばり、痛みをこらえる。
すぐにでも立ち上がらなければと私は思った。そうでないと、続く一撃で本当に何もかも終わる、と。
だが、その瞬間は来なかった。
顔を上げた私が見たのは、蟻の巣が崩れたみたいにして千々に逃げ惑う奴隷たちの姿だった。
彼らは様々な格好をさせられていた。
使用人や貴婦人が着るような服もあれば、村人だとか、騎士だとか、ほとんど全裸みたいな服装のものもいる。どれもゴルドウィンと、それに連なる下劣な人間どもの趣味だろう。
中には、四肢が欠損しているものだとか、大きな傷をつけられている者もいた。そういうデザインなのだと、妙な服装から想像できた自分を忌々しく思った。
そのうち、大事な大事なコレクションたちが逃げ出すのを恐れたゴルドウィンが前に前にと部下たちを押しのけてきて叫ぶ。
「な、な、何をしておる!早く私のコレクションを捕まえろ!逃げ出してしまう――おいっ!丁寧に扱わんかっ、畜生!傷一つつけたら、いいや、一つでも取り逃したら縛り首にするぞ、馬鹿垂れが!」
戦場は瞬く間に混沌としたものに変わった。
奴隷博物館から奴隷と共に出てきたオリエント軍と戦う者、奴隷たちを捕まえようと大慌てする者、増援としてやって来て、何が何だか分からなくなっている者…。
そう、これが狙いだった。
奴隷公爵ゴルドウィンは、コレクションへの執着が並みではない。だからこそ、こんな状況になったら、戦闘よりも大事なコレクションを無事回収することを優先すると私は考え、この作戦を提案したのだ。
後は、この混沌の中、彼を討ち取り、投降を促すのみ。
そのうち、ゴルドウィン自身前線に出てきて、自分のそばをチョロチョロとしていた奴隷の一人を捕まえた。
それを見た瞬間、私の口元に歪な笑顔が浮かんでしまう。
「ふ、ふふ…」
嗤ったことでズキン、と腹が痛んだものの、それでも私は嗤い続けた。
「ふふ、あはは、あはははは!」
壊れた機械みたいにして笑う異様な私を、ゴルドウィンの兵士が青ざめた瞳で見つめる。しかし、私のやったことを思い出したのか、すぐにその息の根を止めようと近寄って来た。だが、その槍先が私に触れることはなかった。
「はあっ!」
私の前に飛び出してきたのは、黒々とした長髪を揺らすスズリだ。
彼はあっという間に太刀で数人打ち倒すと、私の前に陣取った。
「フウカ殿、姫様、そいつをお願いします!」
彼がそう言うや否や、私のそばにフウカ、そしてさっきよりも生気を取り戻した顔のワダツミがやってきて、この身を支えた。
「馬鹿っ!」「馬鹿者!」
重なる叱責の言葉が脳を揺らすが、私はそれを意にも介さず、震える足で立ち上がる。
「あ!た、立たないで、リリー!」
私はそれを無視する。
(まだ、休むには早いわ…。最後の役目が残っているもの)
私は謳うように、あるいは呪うように大きな声を張り上げる。
「ゴルドウィン!聞こえているかしら、ドンリック・ゴルドウィン!」
曇天に響く私の声に、不思議と数多くの人間が争いの手を止め、こちらの様子を窺っていた。
でっぷりとした顔が離れた場所に見える。その脂ぎった顔は焦燥と混乱に満ち満ちており、見ているだけで胸がスカッとするものがある。
でも、まだだ。
お楽しみは、まだこれから。
「ごめんなさいねぇ?貴方が大事にしている宝箱の蓋を勝手に開けてしまって。でもね、だって、思わないじゃない?宝物がひとりでに走り出して、逃げ回っちゃうなんて」
分かりやすい挑発だったが、命の次に大事なものを滅茶苦茶にされて激昂していたゴルドウィンは、容易くその釣り針にかかった。
「こ、こ、この死に損ないの、大罪人が!私のコレクションをぉ…許さん!許さんぞぉ!」
「ははっ!ええそうよ。私は罪人よゴルドウィン。だけれどね、貴方だって同じ穴のムジナでしょうがっ!何がコレクションよ、家の力でぬくぬくと惰眠を貪るだけの豚が、恥を知りなさい!この世にはね――生きていてもしょうがない人間というものがいるわ!それが、貴方よっ!ゴルドウィンッ!」
一刀両断、言葉の刃で斬りつけると、ゴルドウィンは一人の奴隷の腕を片手に握ったまま、さらに顔を真っ赤にして地団太を踏んだ。
「ゆ、ゆ、許さん!もう頭にきた!お前はこの手で辱め、時間をかけてなぶり殺しにしてやるぞアカーシャ!殺してくれと言っても殺さん、生きたまま皮を剝いで、それから――」
安全圏からの下らない脅しが始まると察した瞬間、私はあまりにもそれが滑稽に思えて、気がつけば大声を上げて笑っていた。
「ふふ、あははははっ!」
「な、何がおかしい!」
「あはは、ゴルドウィン。鈍いオツムではまだ分からないのかしら?」
「あ、あ…?」
「そう。分からないのね。だったらハッキリと言ってあげるわ。――もう、終わりなのよ。貴方」
「…ふ、ふん、小娘が何を言う!まだ私の駒たちは…」
バチッ。
ぴたり、とゴルドウィンが汚い唇を動かすのをやめる。
バチッ、バチッ…。
「な、なんだ。この音は…?」
キョロキョロと首を動かし、何かが弾ける音の在処を探すゴルドウィン。全くもって滑稽だった。
「あらら?貴方にもようやく聞こえ始めたようね」
バチッ…バチバチッ!
やがて、ゴルドウィンに腕を掴まれていた奴隷の背中が不自然に盛り上がり始める。
「それはかつて奴隷だった死告鳥の羽ばたきの音――心してお聞きなさい、奴隷公爵ゴルドウィン」
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