鳥籠にて.2
「どうして、あんなふうに挑発されるのですか?」
私は自室で太刀の手入れを始めて間もないリリーにそう尋ねた。
切れ味を落とさないためのマジックアイテムを丁寧に刃へと塗っていたリリーは、ちらりとこちらを一瞥したかと思うと、何も聞こえていなかったみたいに太刀へと視線を戻した。
「どうしてだと思うのかしら」
質問返しに私は一瞬だけ口をつぐむも、これも一つ、自分の意見を上手に口にできない私に対する彼女なりの教育だと察し、口を開く。
「自分を救わないため、ですか?」
「はっ」
嘲るように声を発したリリーは、そのまま自嘲気味な微笑みを浮かべ、手入れを終えたらしい太刀の切っ先を窓から差し込む夕焼けに当ててみせた。
「レイブン、貴方はつくづく優秀ね。よく人を見ている。私が鞘の奥に閉じ込めてしまっておきたい感情にさえ敏感に気付き、ご丁寧に私の前に取り出して見せるもの」
“自分自身を救わない”。
それは、私がリリーに突き付け、そしてまた、リリー自身が私に望んだことでもあった。
どうやら、私が考えていたとおりだったようだ。だが、正解を示したとて、リリーがご機嫌になるわけではなく、むしろ反対に辛そうにするだけだ。
「この問答は終わりよ。貴方はあまりに無防備に他人の心を示しすぎるもの」
私はリリーの言い分がやはり理解できなかったが、彼女が終わりと言えば終わりなのだと当然に受け入れ、「承知しました」と返事をする。
リリーはカチン、と太刀を鞘に納めると、部屋の隅にある机に向かって座り、エルトランドの地図と睨み合いを始める。
何やら真剣な様子だ。私はすぐに話題を改める。
「お嬢様、何をなされているのですか?」
「…ゴルドウィンのやつを前線に引きずり出して、八つ裂きにする方法を考えているのよ」
物騒な言葉だが、嫌味っぽさはない。たぶん、彼女は本気でゴルドウィンをそうするべきだと感じているのだろう。
「人種問わず、あちこちに奴隷を飼っている相手だと聞きました。なんでも、同じエルトランド人ですら奴隷にしているとか」
「ええ、そうよ。『奴隷公爵ゴルドウィン』。それが、貴族の中でも異端視されるあの男につけられた呼び名よ」
「…危険な人なのですか」
「危険?」鼻を鳴らしながらリリーがこちらを振り返る。「奴隷を使って狩りの真似事をしたり、リアルチェスの駒にしたりする人間のことを危険という言葉で言い表しきれるなら、そうなのでしょうよ」
狩りの真似事、リアルチェス…。
なるほど、モラルとは無縁な人種らしい。
「どのような奴隷に対しても、そんなふうなのですか?」
「え?あぁ…一部の奴隷はコレクションにしているらしいから、その人たちは別でしょうね。それが幸せかどうかは別として」
「なるほど…筋金入りですね」
「ええ、本当…はぁ、もはや人間ですらないわね。人面獣心、常軌を逸した畜生よ」
「人間じゃ、ない…」
家畜同然の、人間に似た生き物。
(私そっくりだ。なのに、公爵…)
リリーは私が何を考えているのかも想像しないまま、再び机に向かって頬杖をついた。
「…いつか、殺してやろうと思っていたわ…。清廉潔白なストレリチアに与した人間ではなかったけれど…あのクズが裏で処刑寸前の私を『飼おう』と画策していたことは知っているのよ」
ふつふつとした怒りがリリーの背中から滲み出る。これ以上、彼女が深い思考に移るのを邪魔すれば、その怒りの火の粉はこちらに飛んできそうだった。
私はしょうがなく口を閉ざすと部屋の隅へと移動し、石畳に腰を落ち着ける。それから、無言のままに神経を己の内側、つまり、魔力へと傾けた。
目を閉じる必要もないままに、自らの魔力を心の手のひらにすくい取る。
以前に比べ、とても上手になったものだ。反復練習と密度が濃く、負荷の高い実戦経験が私を爆発的に成長させているのは疑いようもない。
イメージの中ですすった黒い魔力の水は、すぐに私の体に変化を及ぼし始める。
まず、重力の影響があまり感じられなくなる。座った状態でも天井に飛び上がれそうだったし、リリーが漏らす呼吸音すらすぐそばで感じ取れるようになった。
そのうち、欠損した私の左手の指の辺りから、魔力で出来た鉤爪が生成される。バチバチと弾ける黒い雷のような力は、私の意思次第で多少の伸縮が可能だった。
(ひとすくいだと、これくらい…もうひとすくいすれば、翼ができるけど…その辺のラインから反動がくるようになる)
剣や盾の役割を果たしてくれる、優秀な私の翼。実を言うと、かなり気に入っている。だって、レイブンの名に相応しい力だと思うから。
ストレリチアの灼熱の熱波にすら耐えてみせた私の翼。あれは今後、リリーを守るために絶対に役に立つ。
(どうにか、維持できる時間を増やせないかな…)
物は試しだ、ともう一度魔力を体に流し込む。ひとすくいだと反動が出るから、その半分、いや、三分の一…。
バチバチッ。
体の後ろ、背中側に不思議な感覚が宿る。翼が生えたのだろうが、確認するといつもの半分ほどのサイズだった。
まだ、自分の体は自分のものだ。奇妙な感じ、離人感、とでも言うのだろうか?とにかく、あれはない。私は私を手放せてはいないようだ。
気づいたら、リリーが机から離れ、私のそばに座っていた。集中しすぎていて、こんなことにも気がつかなかったらしい。
「何をしているの、レイブン」
リリーが修行を認めてくれているのは、ひとすくい分まで、つまりは鉤爪までだ。それ以上は体に負担がかかることを知っているから許してくれない。
「す、すみません、お嬢様。もう少し翼の継続時間を増やしたくて、その…」
慌てて理由を口にするも、リリーは特段怒っている様子はない。どこか真剣な顔で私と翼を見つめ、その後、時計を一瞥した。
「いつもより翼のサイズが小さいわね。原因は何?」
「えっと…体に流し込む魔力量をいつもの三分の一ぐらいに調整しました」
「流し込む魔力量を…」
リリーは顎に手を当て、興味深そうに私を見つめた。そのうち、得心したふうに頷くと、「続けなさい、レイブン」と修行の許可をくれた。
「え?いいのですか?」
「目的は現状維持よ。それ以上は強化しないこと。危険だと判断したら、鞘で殴ってでも止めるわ」
「お、お願いします」
リリーの言いつけに従い、私はそのままの状態で翼を維持し続ける。
五分が経過した頃には少し疲労らしきものを覚えたが、意識もハッキリしているし、余力も感じられた。十分が経つとちょっとぼうっとしてきて、十五分も過ぎた頃には動いてもいないのに息が上がり始めた。
「そこまでよ」
掛け時計と私を交互に見ていたリリーが凛とした声で命じる。一拍遅れての反応にはなったものの、私はきちんと命令に応じて翼の解除を試みた。
魔力の結晶たる両翼は、その原動力の供給を止めてから数分後にパラパラと羽が散るみたいにして消えた。合計時間にして、およそ二十数分であった。
「はぁ…はぁ…」
息切れした私の呼吸が整うのを待ってから、リリーが口を開く。
「魔導のコントロールや維持力の向上に適した訓練方法は、今のように最低限の力で展開を続けるやり方が一般的だわ」
疲労感からあいづちを発せず、頷くだけに留まる私に飲み物を用意しながら、リリーは続ける。
「時間をかけて徐々に負荷を大きくしていくことも大事よ。展開可能時間を記録し、それが伸び始めたら途中で負荷を強める。それを繰り返すことで、貴方の肉体も魔力の高負荷に長く耐えられるようになるし、より精緻な魔力コントロールも身に着けられるでしょう」
「…わ、かりました」
「よろしい。ゴルドウィンとの戦いがいつになるかは分からないけれど、そう遠くはないはずよ。それまでに、しっかりとその力を磨いておきなさい。――貴方の力を、存在を、最大限に発揮する良い作戦を思いついたわ」
私はにやりと不敵に笑うリリーをまじまじと見つめると、深く頭を下げてその命令、もとい助言を受け入れるのだった。
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