雷撃の砦.4
これにて四章終了です。
二部は五章までとなっておりますので、引き続きお読み頂ける方がいらっしゃると幸いです!
『居合』――鞘に納めた太刀を抜き払い、電撃的に斬りつけるオリエントの剣術。
ショウヨウの蔵書室でこれにまつわる指南書を読んだとき、私はなんてリスクの高い戦術だろうかと呆れかえった。
自分の身を守る道具を押入れの奥に押し込むような真似、気が違っているとしか思えない…と。
だが、指南書を読めば読むほど、それが研ぎ澄まされた無駄のないものだと悟る。
まず一つ。元来、太刀とは鞘に納められている状態で携行するものであるから、不意を打たれるような場面でも、これを習熟していれば、後の先が取れる。
二つ。太刀が鞘に隠れたうえに、それ自体もはっきりと見えない体の陰に入るから、こちらの斬撃の射程と太刀筋が読みづらく、奇襲性が高い。それゆえ、物理的な速さ以上に相手が感じ取る感覚的な速さがすさまじい。
しかしながら、私が惚れ込んだ居合の魅力は、護身術的側面の便利さや、揺らめく陽炎のような不可視の剣筋でもない。
居合にはこの抜刀、つまりは抜きつけの次に、苛烈な一撃が用意されている。
――二の太刀。
振り上げる形になるので、そこから渾身の袈裟斬りをつなぐ。あるいは…。
「ルピナス」
「ぐっ、う」
私は、痛みに苦悶の声を上げながら後退する大事な幼馴染の影を追った。
『大事な幼馴染』。
そう、嘘じゃない。その言葉に偽りはない。
だけど、今はもう、『彼女』のセンチメンタルなんかよりも優先しなければならないことができてしまった。
アカーシャ・オルトリンデは、ついさっき、本当の意味で死んだ。
上段に振り払った太刀の柄を両手で握り込み、狙いをルピナスの心臓へとつける。
これが私の二の太刀。全力の両手渾身突き。
『斬』と『穿』。
居合は、オリエントとエルトランドで私が培った力を、遺憾なく発揮できる剣術だ。
「これで、お別れよ」
太刀の切っ先がルピナスの中心部に触れる。
いくつもの思い出たちが慟哭と共に砕け散る、その瞬間だった。
刹那、私の眼前からルピナスの姿が消えた。
初め私は、かわされた、と考えた。しかし、そうではないことにすぐ気づく。
かわしたのは――いや、移動したのは私だったからだ。
ひゅん、と風切り音が鳴ると共に放った私の一撃。それは誰もいない中庭の隅を穿つだけに終わった。
「なっ…」
明らかに、先ほどまで自分がいた場所に立っていない。
自分の身に何が起きたのか理解できずにいると、不意に、背後から声が聞こえた。
「ふふっ」
鈴が鳴るような声に、一拍遅れて全身が粟立つ。
「血のように赤く、夜闇のように黒い、お美しいドレス…やっぱり、貴方は赤と黒がよくお似合いになられます」
それは福音のようでもあり、悪魔の調べのようでもあった。
おそるおそる、後ろを振り返る。
そこには、青と白の軽鎧に身を包み、儚げに微笑むストレリチアの姿があった。
「ね?アカーシャ様」
いつの間にか、中庭は静寂に包まれていた。
飛び交っていた怒号は消え、魔導の破裂音も、鉄同士がぶつかり合う響きも聞こえない。
唖然とする私と、苦悶に顔を歪めながら困惑を隠せないルピナス、そして、思惑が花のような微笑みの向こうに隠されてしまっているストレリチア。この三人を見つめる、傷だらけのニライカナイのメンバー。
それが、今の図式だった。
状況だけ見れば、宿敵を追い詰めたようにも思われる。
だが、もろ手を挙げて喜べない空気感がそこには十分満ち溢れていた。
「ストレリチア様、どうして…」
息を荒げたルピナスが問うと、ストレリチアは顔の向きをぴくりとも変えず言った。
「大事な仲間の危機が視えたので、飛んで来ただけですよ」
言葉は優しいものだが、それを口にする雰囲気とは比例していない。むしろ、無関心な響きすらそこにはあった。
「お、お気遣いはありがたいですが、彼女は私が――」
「駄目です」
聞いたこともない拒絶的な響きだったのだろう。ルピナスは驚きと不信感で眉をひそめていた。
「ルピナス様は、『向こう』で傷の手当てをどうぞ」
そう言うと同時に、ルピナスの体が青白い光に包まれる。
「え――」
困惑した彼女の顔が見えていたのも束の間、すぐにルピナスは痕跡一つ残らずにどこかへと消えてしまった。
まるで手品か何かとしか思えない現象を前にして、人々がざわつく。私も当然呆気に取られて目を丸くする。
「な、何が…!?」
「『空間転移魔導』ですよ。アカーシャ様」
――空間転移。物体、あるいは人を離れた場所へと動かす魔導の一種だ。
それだけ聞くとすさまじい魔導に聞こえるが、実態はそうではない。箱一つ隣町に運ぶのにすら、数人がかりで行わなければならないし、人を一人どこかに送ろうと思えば、それこそ熟練の魔導士が百人がかりで行わなければならないのだ。
実用性に乏しい、いわば眉唾ものの魔導。それが空間転移魔導だ。
(それを…今、事も無げに一人でやってのけたというの…!?)
私が驚いていると、パチン、と音を立てて何かが弾けた。どうやら、ストレリチアが首に着けているネックレスの珠が弾けたようだった。
「これには、私の魔力が保存されているんです。空間転移はさすがに消耗が激しいので、こういう道具に頼って使っています」
「…さすがの貴方でも、そういうことになるのね」
「はい。でも、私は一人でそれができるお方を知っていますよ」
ふざけた冗談に顔をしかめる。そんな人間、実在するはずがないからだ。
「ストレリチア」私は深呼吸をしてから、彼女の名前を呼ぶ。「今日は幻影魔導ではないのね」
「はい。アカーシャ様。お望みであれば抱きしめて差し上げましょうか?」
「あら、それは私のほうからしてあげるわよ」
きらり、と光る銀月をストレリチアに向ける。
「死の抱擁というやり方で…!」
ここが決着の場所となるとは思いもしなかったが、別に場所なんてどこでも構わなかった。ただ、終わらせることができるなら、それで。
私の殺気を受けても、ストレリチアは嗤うのみ。それで私が青筋立てていると、いつの間にか隣にレイブンが寄ってきていた。
「お嬢様…」
珍しく不安げだ。危険です、とでも言いたいのだろうか。
「問題ないわ、レイブン。ここには私や貴方だけじゃなく、ニライカナイの人間もたくさんいる。いくらストレリチアがとんでもない魔力を持っていようと、この人数を相手にすることなんてできない。――将棋で言うところの詰み、チェスならチェックメイトよ」
そう。どう考えてもストレリチアに逆転はない状況。あるとすれば、再び空間転移魔導を使って遠くへ逃げおおせること。
私たちの敗北はない。
ない、はずなのに…。
(何なのかしら…このざらつきは…言いようもない不安感は…)
ピンチのはずなのに、ストレリチアは微笑みを絶やさない。まるで、私たちのほうが追い詰められたネズミみたいに緊張してしまっていた。
「…こやつがストレリチアか」と私の少し後ろからワダツミが尋ねてくる。
「ええ、そう。そうよ」
「ふん…確かに、少女のようにあどけない顔をしておるくせに、底が知れん。まるで婆様を見ておるようじゃ」
「構うものですか。中身は結局、私たちと同じ人間よ」
「うむ」と遅れて答えたワダツミが、白蛇を生み出す。サザンカもすぐそばで身構えていた。
多勢に無勢。それでも、ストレリチアは涼しい顔で言った。
「アカーシャ様。私を叩き潰すために生まれ変わったアカーシャ様。あれからいかがです?何を知り、何を手にして、何を失いましたか?」
「…黙りなさい、外道。その女はもう死んだのよ」
久しぶりに煽られて、体が熱くなっていく。
「何を手にして、何を失ったか、ですって?見て分からないの?」
こいつはこうして、私から冷静さを奪う。ダメだと分かっているのに、ストレリチアが壊れ物を扱うような声で、瞳で、毒を吐くことが私にはどうも苦痛でしかたなかった。
「私は魔力を失い、そして、それを補って余りあるほどの力を手にした。ただそれだけのことよ、ストレリチア。貴方や貴方を妄信する愚鈍な連中のおかげでね」
「ふふっ。それだけ、ですか?」
ストレリチアが眩しそうに目をつむって笑う。
「それだけよ。でも、それで十分なのよ、貴方如き…!」
「あはは、そうは見えませんけど…アカーシャ様がお変わりになられたことはよく分かります」
どこか幸福感すら感じられる嘲笑が私の逆鱗に触れて怒鳴り声を上げそうになっていたところ、それよりも早く、ストレリチアがゆっくりと目を開いた。
「手にした力が、その苦悶の変化に見合ったものか…」
そこには、いつもの達観した様子も、嘲りもなかった。
目には気迫がこもり、決然としている。先刻のルピナスから感じた覚悟にも似た何かがあった。
「…失礼ながら試させて頂きます」
ストレリチアが、左手を虚空に掲げた。その次の瞬間、青白い光が瞬き、空間が蜃気楼のように歪んで見えた。
そうして、ねじれた歪みから姿を現したものは、彼女の身の丈ほどはある真っ赤な刀身を持つ長剣だった。
黒い柄には百合の花が象られた装飾があしらわれ、刀身は熱を帯びたみたいに明滅している。
異様な剣だった。
思わず息を飲むようなプレッシャーが放たれたその剣は、『武器』という枠組みを超えてこの世界を見つめているかのようで、見ていると…とにかく、心が揺さぶられた。
「お、嬢様」
震えているのはレイブンの声。こんなふうに緊張や恐怖を表に出す彼女は珍しかった。
「あの剣、異常です。おかしいですよ」
「そんなもの、見れば分かるわ…!」
「違うんです。お嬢様。あの剣、あれ自体から、あの方の持つ魔力とは別の魔力が生み出されています。――あぁ、生きて、いるんです。剣が」
「生きているですって?そんな馬鹿な…」
ふふっ。
レイブンの言葉を受けてか、満足そうにストレリチアが笑う。
「貴方はたしか、テレサ様のところの子飼いでしたね。ただの奴隷だったとは思えないくらいの勘の良さ。誉めておきましょう、きっと師が良いのでしょうけど」
テレサ、というのはレイブンのかつての主人の名前だ。懐かしい名前はレイブンに郷愁よりも痛みをもたらしたようで、彼女は暗い瞳で夜を見つめる。
「アカーシャ様が教えているんでしょう?――少し、妬けますね。私にもまた、色々と教えてほしいものです」
「ふっ、死に方なら教えてあげるわよ?」
「ふふっ。できたら、それ以外でお願いします」
「…貴方は私の教えなど必要としなかったでしょうに」
私の前に姿を現してから、まるでこの世のすべてを知っているかのような態度と瞳を続けていたストレリチア。彼女が教えを乞うなど、嫌味としか思えず私は睨みつけた。
「…そんなこと、ありませんよ」
突然、ストレリチアが剣を払った。
それはただ、剣の上に積もった埃を払うかのような動作だったのだが、それが行われた瞬間、異常なまでの剣圧と熱気が私たちの頬を切る。
「っ…!?」
さながら、神話に存在する竜の息吹の如き威力だ。あの剣自体、かなり高度なマジックアイテムなのだろう。
ストレリチアのその一動作だけで、ニライカナイのメンバーの多くが尻込みする。その中でもまともに戦う姿勢を見せたのは、私とレイブン、ワダツミ、それからサザンカだけだった。
「いいですよ、四人がかりで来てください。私は加減しますが、みなさんはもちろん、死ぬ気で、全力でどうぞ。――もしも、もしも、手を抜いた私相手に死ぬようなことがあれば…そこまでの話…きっと、そのほうがいい。そのほうが幸せです。…さぁ、始めましょう。願わくば、どうか、死なないで下さい」
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