雷撃の砦.2
アカーシャの選択、そしてリリーの選択、今後とも見守って頂けると幸いです!
次回の更新は木曜日になっています。
騒音に気づいた兵士たちが宿舎や離れた持ち場から駆けつけてくるのに、たいした時間は残されていない。
すでにニライカナイのメンバーも砦に侵入し始めたはずだ。彼らが抑えてくれる部分もあるだろうが…それでも、五分以内に決着をつけなければならない。
このシチュエーションで全滅の次に恐れるべきことは、エレクを討てずに撤退すること、そして、アカーシャ・オルトリンデを旗印としたオリエント陣営侵攻の生き証人を残してしまうことだ。
目撃者は、覆滅する。そのための電撃戦である。
「黒百合、サザンカ!儂が援護する!間髪入れずに攻めるのじゃ!」
ワダツミの号令と同時に、再び生み出された白蛇がエレクに襲い掛かる。
彼は満身創痍の状態にも関わらず、無駄のないステップで一歩白蛇から距離を離すと、爆ぜる雷光をもってそれを打ち払う。
「たしかに、あの女以上じゃ…!」
冗談みたいなスパークが舞う最中、サザンカと同時に間合いを詰める。
袈裟斬り、逆袈裟と私が繰り返せば、サザンカがエレクの側頭部を狙って回し蹴りを放つ。
エレクはそれらを魔力の盾と雷撃の衝撃波だけで器用に防いだ。私は、その華麗さ、熟達した魔力の扱い方に度肝を抜かれ、歯を食いしばっていたのだが、サザンカは違った。
彼女はどこまでも氷のような無表情で連撃を放つのだ。
着地して小太刀を右、左と薙ぐ。かと思えば、流麗な足さばきで胴蹴り、二―キックと続ける。
「こいつらは、なんと…!?」
そう、すさまじいのは私の味方も同じなのだ。ワダツミだって、たいした魔力量で白蛇を生み続けている。
私だけだ。
私だけが、足りない。
魔力は枯れて、レイピアを持てばいいものを、プライドを捨てきれずにいるから、武芸も未熟。
(私は誰よりも、この戦いに命を賭さなければならないのでしょうに!)
やがて、焦燥が私を突き動かし、不用意に間合いを詰めすぎてしまう。
「リリー!」
刹那、頭上で稲妻が閃く。
身も凍るほどのリスクに心臓がぎゅっと縮む。
でも、後退の二文字は振り払い加速する。
仮に雷撃を受けても即死はしない。しばらく動けなくなるか、大怪我を負うかもしれないが、“それだけだ”。
ハイリスク・ハイリターン――ストレリチアが好み、私が唾棄してきたもの。
(かつての自分を、踏み、越える…!)
古い私の生き方すら、今は邪魔なものだった。
銀の髪先を稲妻がかすめ、焦がす。
(でも…かわしきった!)
間合いを詰める勢いが彼の想像を上回った。
渾身の袈裟斬り――すんでで身を引きかわされたが、そこは私の間合い。
霞に構え直し、余白を作る。
目の高さで剣を寝かせた構えで行う、両手水平突き。
私にできる、最大火力の刺突技。
「――邪魔、よ…!」
突き出した剣先が、エレクのもう片方の肺を鋭く貫く。
「ごふっ」
舞い散る血反吐は、赤い花びらのよう。
それでもエレクは動きを止めず、この距離のまま私に向かって片手で雷撃を放とうとする。
「エ、エレクッ!しつこいのよっ!貴方はぁ!」
勢いよく剣を引き抜けば、彼の体から力が抜けた。
「あ、カーシャ…君、は…」
「うる、さいっ!」
その隙に、エレクの背中からサザンカが小太刀を突き立て、私もまた必要以上の力をもって落雷の如き唐竹一閃、その体を縦に引き裂く。
致命傷だ。
噴水のように血を噴き上げる彼の体から数歩、後ずさりしていると、サザンカが小太刀を引き抜いた拍子にエレクは膝から地面へと崩れ落ちた。
「…はぁ、はぁ…」
やった。
作戦は完璧に成功だった。
ワダツミの計画を、サザンカの暗殺者としての技術と、私の気迫と狂気が為した。
喜ぶべきタイミング。ハイタッチでもしてやればいい状況だ。少なくとも――ルピナスたちと魔物を討ったときはそうしていた。
なのに。
私の心と体に走る鳥肌、戦慄、悪寒、吐き気、恐怖、そして、後悔は…一体、何なのだろう…!
指先が、震える。
『やってしまったわね』
うるさい。
『その手をご覧なさい…哀れなことに、血で染まり、震えているわ』
「…うるさい…」
誰にも聞こえない、私自身の叫び。
「バッチリだったね、リリー」
すると、幻聴かと疑いたくなるような明るい声が心の底で震えている『彼女』の分身の名前を呼ぶ。
「初めて連携を取ったとは思えなかったですよ。えへへ、いぇい!」
打って変わって、弾けそうな笑顔でサザンカが私に手を掲げてみせる。
ハイタッチ?
そう、ハイタッチだ。
『喜びなさい』
喜ぶんだ。
(私は、リリー・ブラック…復讐を唄う黒い百合…)
乾いた唇が何かを言葉らしきものを発しようとした刹那、私の正面と後方で同時に人の気配が近づいてきた。
後方からは宿舎から来たのだろう兵士の波。主が討たれたことに唖然とし、今にも激昂して襲い掛かってきそうな彼らにすぐにワダツミが反応し、続いてサザンカが突貫する。
正面には、どうして二人とも来なかったのか。
簡単だ、私一人で十分だからだ。
「あ、あ…貴方…!」
もはや物言わぬ骸と化したエレクの身に縋りついたのは、奥の部屋に隠れていたらしいフォンテーニュ夫人だった。
「いやっ、貴方、貴方ぁっ!」
割れんばかりの悲鳴。この世の一切合切を嘆く響きに思わず、耳を塞ぐ。
(や、やめて…もう)
太刀から垂れていた、どろりとしたエレクの血液。夫人を悲壮の海に突き落とした、罪禍の証。それが腕のところまで垂れてきて、思わず目を見開く。
『貴方が殺ったのよ。貴方の友人の父を、貴方が』
(ち、違う。いや、違わない…)
『でも、きっとしょうがなかったのよね。だって、貴方は選んだんだもの』
(あぁ、だめ、冷静に、冷静になるのよ、幻聴に耳を貸してはならないわ…冷静に、冷静に…冷静に…っ!)
心の中で何度も唱える。
そうすることで、狂気に飲まれかけていた心をどうにか取り戻しかけていたそのとき、こちらを見上げた夫人と目が合ってしまった。
「…アカーシャ・オルトリンデ…」
死んだはずの人間が死神となって戻ってきて、最愛の夫を手にかけたことに気づいた夫人は、瞬く間に憎悪をその顔に宿す。
「この悪魔っ!化け物!ストレリチア様を狙うだけじゃなく、私の夫まで…!恩知らずの恥知らず!」
悪魔、化け物。
「呪ってやる!」
恩知らず、恥知らず…。
「末代まで呪ってやるからぁ!」
絶えず紡がれる呪詛の言葉に動悸がする。上手く呼吸ができない。
そのとき、あんなに優しかったルピナスのお母様の見たことのない表情に愕然として立ち竦む私に、ワダツミが怒号を飛ばしてきた。
「何をしておる、黒百合っ!さっさと手伝わんか!」
「…あ」
すでに中庭は戦闘が始まっていた。いくら二人が強かろうと、数が多すぎる。加勢が必要であることは火を見るより明らかだ。
視線を前に戻せば、依然として私に恨み言をぶつける夫人の姿があった。
加勢に戻るためには、この目撃者を始末する必要があった。
「私は…」
自分でも気づかないぼやきと共に、ゆっくりと太刀を振りかぶる。
やらねばならない。
決めていたこと、選んだこと。
「もう、黙って…」
戦えもしない人間を斬りつける覚悟など持たぬまま、とにかく早く終わらせたい一心で夫人に向かって刃を振り下ろした。
「きゃぁ!」
そのせいだろう…刃は半端な形で彼女を襲い、致命傷に至らない、ただ痛みだけを与えた一太刀になってしまっていた。
「あ…うぅ、痛い…うう…!」
『あぁ、それは惨いわ…』
痛めつけるようなことになって、私はパニックになりかける。
せめて、ちゃんと楽に葬ってあげなければならない。
だって、すでに夫人は被害者なのだから。
私の業と、ストレリチアの闇に覆われた思惑の犠牲者。
(だから、ちゃんと――)
一太刀できちんと斬れるよう、革手袋で刃についた脂と血を急いで取り払う。
『殺してあげなくちゃ…?』
じゅく、と染み入る血の感触も頭に入らないままに、私は頭上に高々と刃先を掲げ、そして、あらん限りの力を込めて夫人の首目掛けて振り下ろす。
「っ…!」
一閃は、先ほどに比べ嫌味なほどに上手に肉と骨の間に分け入り、両断した。
ごろんと転がる失われた命を見て、息を飲む。無理やり流し込んだ唾がごくりと音を立てて喉が痛くなった。
『…神様は残酷ね。こんなことばかり…それとも、貴方の業が深すぎるのかしら』
直後の私は、本当にそうだ、と普段は祈りも、信じもしない神を呪ったのだが、本当の地獄はここからだということを理解していなかった。
地獄の使者は、さっきと同じようにして現世の扉を叩いた。
「――…アカーシャ…」
聞き慣れた、聞きたくなかった声。
どうか勘違いであって、と願いながらゆっくりと振り返れば、無常な現実だけがそこにあった。
青ざめた顔で私を見つめていたのは、翠のドレスを身にまとう女…ルピナス・フォンテーニュであった。
残酷なくらい、彼女と横たわる骸は似ていた。
情けないくらいに狼狽している私と違って、ルピナスは落ち着いていた。自身の両親の亡骸を前にして、確かに血の気を失うほどのショックを受けているようだったが、それでも、私を見つめる瞳はどんな闇の中でも己を失わない強さで輝いていた。
「…る、ぴなす」
唇を震わせて、私は彼女を見つめる。そして、今、自分が心のどこかでルピナスに赦しを求めていることを悟り、うめき声をあげそうになった。
口にしかけていたのは、違う、という誇りも救いもない、詮無い言葉。
違わない。ルピナスの両親を手にかけたのは私だし、選んだのも私だ。
「なんて顔をしているの、アカーシャ…」
哀れみに満ちた声にハッとして彼女の茶色い瞳を覗き込めば、そこには紛れもない善性が、友を案じる心優しき幼馴染の顔があった。
――私はそれで、気が狂いそうになった。
「今さら…私を哀れむの…?ルピナス」
震える声でそう告げる。
私はワダツミが、ニライカナイの一部のメンバーが中庭で戦っていることなど気にならなくなっていた。
「どうして…どうして、あのとき…一度でもその眼差しで私を見つめてくれなかったの…?」
私を断罪するに至るまでの過程で、どれだけでも私を慰める隙間はあった。
だけど、彼女はそれを選ばなかった。
「私が苦しいとき、誰か一人でも隣で慰めてくれていたら…同じ地獄にいてくれたなら、私は…」
「アカーシャ…」
切なそうなルピナスの声を聞きながら、私はゆっくりと目を閉じ、目蓋の裏に宿る暗闇を見つめる。
そこに映るのは、孤独な少女。
誰に庇われることなく、手を引かれることもなく、独り暗い深淵に放り込まれた少女だ。
『かわいそうね、アカーシャ・オルトリンデ』
哀れで、愚鈍で、背負えもしないものを背負おうとした、身の丈もわきまえない少女。
(いらない)
『なにが?』
(いらないわ、もう“弱さ”は、いらない)
『本当に?』
(いらない)
『二度と戻らないわよ?』
(いらない)
『いいのね。アカーシャ・オルトリンデ』
(構わない。いらない)
少女の残像の横に、ふらり、と赤黒いドレスを着て、抜き身の刀を持った銀髪の女が立つ。
『“私”が殺してしまうわよ?アカーシャ』
女が嗤う。
やがて、少女は顔を上げた。
涙の枯れた瞳で女を見上げた少女の口が、芋虫みたいにもぞもぞと動く。
(殺して)
女は、心の中でぶすりと少女を串刺しにする。
『そう。いらないのね、もう』
彼女は、『アカーシャ・オルトリンデ』は弱さの象徴だ。
(ふふ…私に…任せなさい。アカーシャ)
誰からも必要とされなかった、悲しくみじめな女。
この瞬間こそ、『アカーシャ・オルトリンデ』が本当に死んだ瞬間だった。
殺したのは、誰でもない。この私、リリー・ブラックの手だった。
「ルピナス・フォンテーニュ」
「…なんでしょう」
「ありがとう、と言っておくわ」
皮肉な笑みを浮かべれば、そんな顔をするな、とルピナスの瞳が言ってきたが、もはや今の私には関係のないことだった。
驚くことに私を苛んだ狂気は、むしろ私を純な存在へと昇華させていた。
狂気と復讐を養分にして咲く、黒百合に相応しい存在へと。
「貴方のおかげで、私は強くなれそうよ、ルピナス…ふふっ」
後書きまで目を通していただいている方々、いつもお世話様です。
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