蒼海を越えて.1
これより三章の始まりです!
多少は物語のテンポを上げたつもりですが…まだまだ牛歩かもしれません。
のんびりとお付き合い頂けると嬉しいです。
次回の更新は金曜日となっています!
一週間後、私たちとニライカナイを乗せた船はショウヨウの港からたくましく帆を広げ、蒼海へと繰り出していた。
ウミネコが鳴き、船の穂先が切り裂く波のそばでは魚が元気よく跳ねまわっている。透けるような水面には空の曇りなき青が反射し、まさに絶好の航海日よりであった。
だが、私の心に晴れやかさなどなかった。一週間経っても、あの王子が見せた余計なビジョンが頭から離れなかったのだ。
悲しみと決意に満ちた顔で、私を切り裂かんとする――ストレリチア。
あれが、私の未来なのか。
どうあっても、私はあの娘に勝てないというのだろうか…。
潮風が頬を撫でる。ニライカナイのメンバーの多くが、久しぶりに過ごす船上の時間を満喫しているようで、いつもは私につきっきりのレイブンも、今はフウカらに連れられて釣りを楽しんでいた。
色々とあったが、ニライカナイのメンバーは気の良い人間ばかりだ。エルトランド人である私を爪弾きにすることもない。さっきだって、きちんと私にも声をかけてくれていた。ただ、私がこの感傷を捨てきれなかったために、甲板の端の日陰で孤独に耽る形となっているのだ。
「…ストレリチア…二度も貴方に殺されてたまるものですか…」
カチャリ、と太刀を手にして私はぼやく。
弧月の入り江でストレリチアと相対したとき、彼女は言った。
――『いつか、アカーシャ様の力が必要になるときが来ます』
あれは、どういう意味だったのだろう?単純に私を惑わすためのたわごとだったのだろうか?だが、そんなことをする必要が彼女にあったとは思えない。
やはり、彼女の目論見は闇の中だ。もちろん、それがどんなものであっても叩き伏せる覚悟はしているつもりだが…。
「…とはいえ、あんなものを見せられてはね…」
腕組みして立った状態でため息を吐く。すると、それを耳聡く聞き取った者がいた。
「あんなものというのは、アラヒコ様が見せたらしいビジョンのことですか?」
気配無く声がしたものだから、慌てて私は顔を上げた。そうすれば、そこにはアマツ女王がこの航海に遣わせた女――サザンカがこちらを見下ろしてきていた。
「っ…びっくりしたわ。急に声をかけないで」
「あ、すみません」
ヘラヘラと笑った彼女は、「隣、いいですか?」と尋ねながら私のそばに腰を下ろした。返事を必要としないならば問いかけるな、と言外に目線だけで伝えれば、サザンカはバツが悪そうに後頭部をさする。
「それで?何か用かしら」
「用、というほどのものでもないんです。ただ、改めて自己紹介をしておきたくて」
「自己紹介?」
「はい。改めまして、私はサザンカと申します。アマツ女王直属のお庭番で、いつもはまぁ…草むしりとか、ゴミ掃除とかしていますね」
「草むしりにゴミ掃除、ね…」
私も馬鹿ではない。彼女の言う草やゴミが言葉の通りではないことぐらい理解している。
そもそも『お庭番』とはオリエント国が正式に使っている『暗殺組織』のようなものだ。王族にとって厄介な者を闇に潜んで討つ、強力かつ危険な連中である。
(まぁ…そんな人間でもストレリチアの暗殺には失敗したのだけれど…)
そう。私は過去、彼ら――正式には元お庭番に暗殺依頼を行ったことがある。ストレリチアの暗殺である。結果は誰もが知る通りではあるが…評判は良く、それなりの金貨は払ったものだ。
「あれ?私、リリー様になんか疑われてますかね?」
「いえ、別に。それより、変に気を遣わず話してほしいわね。私たちは主従ではないでしょう」
「あ、それじゃあ、お言葉に甘えてリリーで!」
それにしても、サザンカは、なかなか目立つ容姿の女であった。
年齢はおそらく二十代半ばか後半。人懐っこい表情のおかげでいくらか若くは見える。身長も女性にしてはだいぶ高い。私でさえ170センチと少しあるから背の高いほうなのに、彼女はもう少し高そうだった。175センチほどはあるだろう。
全身黒の装束に加えて、首元にはマフラーみたいな白い布地を巻いている。
ポニーテールに結んだ薄紫の髪にはところどころ金糸が混じり、目鼻立ちはそこらのオリエント人とは違って、ハッキリと陰影がついている。間違いなく美人顔だろう。とにもかくにも、彼女は――。
「サザンカ。貴方、私と同じエルトランド人ね」
ぴくり、とサザンカの表情が硬直する。能面みたいな笑顔を張り付けたままだから、少し不気味だ。
「さすがに分かるわよ…目鼻立ちが彼らとは違いすぎる。典型的なエルトランド人型よ。髪色は染めているのでしょうけど…どうしてそうまでしてオリエント人に仕えているの?あ、いえ、答えたくないのなら無理にとは言わないわ」
サザンカは寸秒、口を閉ざしていたかと思うと、こてん、と首を倒して首に巻いた布地で口を覆うと、「じゃあ、教えなぁい」と微笑んだ。
それ以上は何も聞くな、と無言の圧を感じる。
私だってたいした付き合いのない人間が抱える業にわざわざ足を踏み入れたくはない。だから、そのまま何も聞いていないフリをして話題を変える。
「ワダツミは?いいの?そばにいなくて」
「あぁー…」
サザンカが苦笑と共に頭をかいた。それに伴って揺れるポニーテールがなんだかあどけない印象を与える。
「私もそう思ったんだけど、お眠りになられるときに『部屋の隅で見張ってます』って伝えたら、『儂は赤子か!いい加減にその過保護をやめんか!』…って、怒られちゃって。あれから、事あるごとに私を遠ざけるの」
なんでなんでしょうね、と不器用に笑うサザンカを見て、私は自然とレイブンのことを思い出す。似ても似つかない二人だが、ワダツミとサザンカの関係は私とレイブンの関係性に近しいからだろう。
「そもそも、あの皮肉屋が人の厚意を素直に受け取るとも思えないけれど…貴方もやりすぎなんじゃない?」
私が呆れてそう告げれば、サザンカは少しムッとした様子で唇を尖らせる。
「それはそうかもしれませんけど、昔はもっと素直で可愛かったんですよ?」
「へぇ。貴方、ワダツミとは長いの?」
「えぇ、まあ。姫様がニライカナイを設立させてからは疎遠になっちゃったけど」
丁寧な言葉とそうではない言葉が入り混じった、不思議な話し方だ。それがどこかアンビバレントな印象を与えるが、サザンカの人好きする面持ちによって霧の奥に押しやられ、いまいち掴めない。
「久しぶりに姫様のお供。楽しいような、心配事が増えるような…微妙な気分ですね」
「たしかに、あんな感じだものね」
私は半笑いのまま、船の縁に腰掛けてレイブンに釣りのなんたるかを説いているワダツミを顎で示した。そうすれば、たちまちサザンカは目を丸くして、「ひゃっ!落ちたらどうするんですか!?」と飛び上がり、お転婆な主の元へと駆け出した。
腰に手を当てて小言をぶつけるサザンカ、ぶつけられて面倒そうにするワダツミ。そして、それを不思議そうな顔で眺めるレイブン。きっと、主従の在り方について一つ情報を更新しているところなのだろう。
「ふっ…騒がしい連中ね。まるでピクニックだわ」
私は呆れてため息を吐き、ぼうっと離れたところでたわむれるレイブンたちを眺めていた。
不意に、陽光と波の音と談笑とが揺らす風景がぼうっと歪んだ。
――…呑気な冗談を口にするルピナスを生真面目に叱るマルグリット、そして、それを慌てた様子で見守るサリア…。
『おい、黙ってないでお前も言って聞かせろ、アカーシャ』
軽鎧を着けたマルグリットが眉をひそめてぼやく。
『まぁ、私をワガママ娘みたいに言って。そんなことないですわよねぇ、アカーシャ?』
翠のドレスを身にまとうルピナスが、茶色の髪を指先でいじりながら私を見やる。
『あ、アカーシャ様ぁ…お二人をお止め下さい…』
私を上目遣いに見上げながら情けない声でそう頼むのは、シスター服に身を包んだサリア。
いつか、どこかであったような会話に眩暈がする。
あの日の優しい思い出は、今や私の心を咎める毒針だ。
(みんな…)
私は無意識のうちに指先を彼女らに伸ばしていた。
だが、それは何に触れるでもなく、ウミネコがひときわ強く鳴いたことで霧散した思い出に引きずられるようにして空を切った。
「…っ」
指の先にいたのは、釣りに興じてはしゃぐ仲間――…。
じわり、と目頭が熱くなる。
(いや、違う、私は何を考えているの。仲間なんて、私はもう持たないと決めたじゃない…!あんな、あんな苦しいだけのもの…)
それらはきっと、四方何もない蒼海が生み出した蜃気楼のようなものだったのだろう。だが、酷いリアリティをもって私の網膜に焼きついてしまった。
頭の奥から、自分と同じ声が響く。
『寂しいわね。でも、もう戻らないわよ』
ぎゅっと目をつむり、指先を胸に埋める。まるで、自らの弱さを隠そうというかのように。
「分かっているわよ…っ!センチメンタルは黙っていなさい…!」」
酷く感傷的で、そして、酷く息苦しい。
(あんなものを見て、あんな話を聞いてしまったせいだわ…)
船の穂先が向いている、私たちが行こうとしている場所のことを思う。
ウォルカローン砦。エルトランド最西端に位置する小規模ながらも難攻不落の砦。
そして…私の幼馴染、ルピナス・フォンテーニュの生家、フォンテーニュ家が守護する砦だ。
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