女王との謁見.4
これにて二章は終了です!
次回は火曜日に更新致しますので、よろしければお読み頂けると嬉しいです!
エルトランド王国の最西端にある砦――ウォルカローン砦の奪取。
それが、アマツ女王がオリエントの助力を約束するために出した条件であった。
ウォルカローン砦は規模だけ考えればそう大きな砦ではない。数個の小隊が防衛にあたっている海沿いの砦だ。
だが、だからといって砦を奪うのは容易いことではない。なぜならそこには、代々高名な魔導士を輩出している名家が防衛の要になっているからだ。
リリーはそれをあくまで淡々と、冷静に説明した。そして、ニライカナイのメンバーだけではとてもではないが現実的ではないことを静かに訴えた。
しかし、アマツ女王の返答は変わらず、「無理と申すなら、それまでのことじゃ。エルトランドへの侵攻には手を貸せん」…というものであった。
ワダツミは渋い顔をずっと続けている。無理難題が過ぎると思ったのだろう。そして、お庭番であるサザンカらは無表情のまま事態を見守っており、唯一、痩せた男だけがニコニコとしていた。
我が主は、相手の意見が梃子でも変わらないことを悟ると、大きく息を吸い込み、その真紅の瞳を閉じて熟考を始める。
一見しただけでは冷静そうに見えるが、ぎゅっと肘を掴んでいる指に力が入っているのがここからでも分かることから、どうにかこらえている、というのが適切なようだった。
いつか、ワダツミが口にしていたように、リリーは激情型の人間だ。本人は認めないだろうが。
たっぷり二分ほど考えてから、リリーはゆっくりと口を開く。
「…ウォルカローン砦は、エルトランド領の端のほうにあります。そこまでは一日ほどの航路を辿ることになりますが…船は頂けるのですか?」
「もちろんじゃ。まぁ、そうは言っても、今両国を行き来できるのは抜け荷をしておる商船ぐらいじゃ。たいした積載量はないし、兵装もないぞ」
「…どのみち、こんな作戦に参加してくれる人間なんて限られる…」
リリーは独り言のようにそうぼやくと、鋭い目つきでワダツミのほうを見やった。
「ワダツミ。ニライカナイの人間は手伝ってくれると思う?」
「…私の号令があれば、あるいは」
「無理やり付き合わせるのでは意味がないけれど…背に腹は代えられない…――というか、貴方はどうなの?」
「私、ですか?」と聞き慣れない口調のワダツミは目を丸くするも、すぐにシニカルに口元を歪めて続けた。「この戦争に関する私の考えは、元来、リリーと同じです。お付き合いしますよ…海の果てまでも」
正直、これは意外な答えだった。
ワダツミは仮にも第一王女だ。いくら勝手にニライカナイを創設して、為政者としての責務を放棄していたとしても、そうそう簡単に承諾していい内容とは思えなかった。
「…そう」
リリーは無感情に頷くと、次に私を見た。
「レイブン、貴方はどうなの」
「はい?」
あまりに予想外な問いに頓狂な声が出てしまう。
「今度の戦いは、弧月の入り江での戦いなんて目じゃないことが起こりうるわ。次に失うのは、指だけでは足りないかもしれない」
「はぁ」
だから、なんだと言うんだろう?
「折角、こうして故郷に戻っているのよ。ここなら、貴方をきちんと育ててくれる環境も――」
リリーの話の途中で、私は彼女が何を言いたいのかをようやく理解した。そして同時に、リリーがまた約束を反故にしようとしていることに気がつき、少しばかり苛立ちを覚えたため、あのルビーすらも裸足で逃げ出す両目を真っすぐ見返した。
「お嬢様」
言葉を遮られたリリーは呆気に取られているようだったが、そんなことは関係ない。
(だって、それは卑怯だから)
それは“なし”だって、二人で話し合ったはずなのに…今さらそんなことを口にするなんて、許せなかったのだ。
「…約束、覚えておいでですよね」
「…」
リリーは何も答えない。ムッとして、私は語調を強めた。
「――きちんと、与えて下さい」
私の言葉を受けて、リリーは眉間の皺を深くしたのだが、彼女も自分の口にした言葉を振り返ったのか、それとも、私の思いの丈を察したのか、物憂げなため息と共に片手を額へと当てた。
「…レイブンは本当にブレないわね。まあ、それを実直と取るか、愚直と取るかは…これから決まることでしょうけれどね」
リリーという人間は、こういうときに嫌味の一つでも吐かないと落ち着かない人間なのである。私も彼女の発言に満足感を覚えつつ、目礼して主の邪魔をしないように努める。
くるり、と真紅のドレスの裾が翻る。
禍々しい黒と赤が同心円状に軌跡を描く様は、彼女が失った魔法が込められでもしているかのように美しく、そして、おどろおどろしい。
「そのご提案、お受け致しましょう」
「ほぅ、本気か?こちらから言い出しておいてなんじゃが、なかなかに分の悪い話じゃと思うがのぅ」
「無理は承知です。ただ…ここで引き下がるくらいならば、どうせ私の道に先はない。下らない、後悔に満ち満ちたみじめな終わりが待っているだけ。それなら、今は無理を押し通してみせるくらいの気概と豪運が必要なのでしょう」
まるで恒星のようなお方だ、と私は改めて自分の主君を見て考える。
赤黒いドレスの裾を翻し、肩甲骨あたりまで伸びた銀髪と、赤い宝石みたいな瞳を瞬かせる、リリー・ブラック。
あまりに強い輝きを放つ彼女は、それを見つめる者にあらゆる可能性や希望を見せる。だが、それと同時に、己の輝きの強さゆえに我が身を焦がし尽くしてしまいかねないのでは、という不安や危機感も芽生えさせる。
つまり、リリー・ブラックは変革の期待と滅びを同時に思わせる素質があるというわけだ。
その光に魅入られたのだろうか。アマツ女王はリリーの堂々とした態度に満足げな頷きを返してみせるとこう告げた。
「面白い。よい覚悟じゃ、気に入った。儂のほうからも現段階で出来る限りの援助をしようではないか。――サザンカ、お主もこやつらと共に行け」
サザンカはそれを聞くと、ほんの寸秒だけ目を丸くしてみせたのだが、ややあって、リリーと私、それからワダツミのほうへ視線をやってから、「承知致しました」と明るい声で承諾した。
「こやつはお庭番の中でも最高の戦力じゃ。向こうでの戦いでも必ず役に立つじゃろう」
「いいのですか?そんな方を」
「構わん。こやつも阿保ではないからのぅ。自分とワダツミの身が危ういと思えば霧のように逃げ帰ってくるじゃろうて」
リリーは怪訝そうにサザンカを見ていたが、所詮は一人の兵隊程度にしか思わなかったのか、素早く話を変えて、ワダツミと共に女王相手に海を渡る算段をつけた。
「では、七日後には発ちます」
「うむ。必要な物はショウヨウの港に全て用意させる。それまでは今まで通りに過ごすも良し、資材をその目で確認して過ごすも良しじゃろう」
そうして、一つの分水嶺を超えたリリーが、謁見の間から立ち去ろうとした、そのときだった。
「あ、ちょっと待って」
声を発したのは名前も分からない優男だ。とはいえ、なんとなく、私たちはその正体には察しがついていた。
「なんでしょう」
無感情な声音でリリーが応じれば、優男はなぜかウィンクしてから柔らかい声で続けた。
「リリー・ブラックさん。ちょこっとだけ、君のことを占わせてくれないかい?」
男は、自らをワダツミの弟、アラヒコと名乗ると、面倒がるリリーに近づき話を続けた。
「僕は数奇な運命にある人間を見つけると占わずにはいられない性分でね。頼むよ、何かを暗示する結果が出れば、君の役にも立つかもしれないだろう?」
アラヒコは酷く馴れ馴れしい調子でリリーの周りをウロウロしていたのだが、拒絶的な光がその瞳に宿ったのを察すると、姉であるワダツミに助けを求めた。
「なあ、姉さんからも頼むよ」
「えっとぉ…あ、アラヒコ?リリーを困らせてはなりませんよ?」
「ちぇっ。姉さんは婆様の前じゃあ、そうだもんなぁ」
たしかに、ワダツミは女王の前では普段とは様子が違いすぎる。彼女曰く、ニライカナイの件で勝手をしすぎて祖母には頭が上がらないらしい。
リリーは執拗に頼み込んでくるアラヒコを鬱陶しそうに横目で睨んでいたものの、さすがに王族である彼を邪険にはできないと考えたのだろう。ため息と共にそちらへと向き直り、目を細めた。
「――王子。お生憎様ですが、私、占いや予知といった類のものが死ぬほど嫌いなのです。なので、諦めて下さい」
「知っているよ。神託の巫女、ストレリチアだろう?この界隈では有名だ」
ぴくり、とリリーの細い眉が跳ねる。同時に彼女の赤い瞳が形容しがたい感情で染まった。
「国の凶事を尽く予言し、人々を救う神託を受ける少女。うぅん、実に興味深いね」
「…左様ですか」
「そんな人間を目の敵にするリリー・ブラックさんも、そんな人間に呪われた祝福を受けたアカーシャ・オルトリンデさんも、きっと、“特別な運命”にあるのだろうね」
飄々と、リリーのかつての名前を口にしたアラヒコからは胡散臭いオーラが滲み出ている。当然、そんな彼をリリーは不愉快そうに睨みつけていたが、女王が少しだけ付き合ってやってくれ、と提案したことで、嫌気を隠さないままにアラヒコの占い魔導を受けることになった。
「さっさと終わらせて下さい」
「はいはい。ちょっと待ってね」
半笑いのままにアラヒコが取り出したのは、ディープブルーの水晶。なんと古典的なのだろうか。
実のところ私は、少しばかり彼のする占い魔導に興味を持っていたから、リリーの真横につくフリをしてこっそりと水晶を覗き込んだ。
紺碧の波を彷彿とさせる魔力のうねり…これがどんなふうにリリーの未来を示すのだろうか?
「これでよし。さあ、水晶に触れてくれ」
「…はぁ」
イヤイヤながらにリリーが水晶に触れる。そうすれば、たちまち水晶に映り込んでいた色彩が変わっていった。
「僕の呪いは、水晶に映る色合いで触れた相手の運命を視る。んー…君のは、んー…」
アラヒコはぐいっ、と顔を水晶に寄せた。黒々とした髪は両目にかかりそうで、ちょっと陰気な見た目だ。中身は真逆だが。
水晶の色は、千変万化の様相を呈していた。
赤、橙、黒、黒、赤、朱…それが意味するものが分からずにいる私たちに、アラヒコは丁寧に説明する。
「たぎるような怒りに、恨み、後悔…それから、夕暮れ、戦火…なるほど。リリー・ブラックさん。君の運命は激情と終わることのない戦いの中にあるようだね。あとは…」
不意に、訳知り顔で言葉を重ねていたアラヒコの唇の動きが止まった。何かを怪訝に見つめるその眼差しを私とリリーとで追えば、やはり、その先は水晶であった。
今までは、リリーを象徴するような赤系の色が多かった。それなのに、水晶に現れている色はまるで違うものだった。
空を映したようなブルー…そして、美しい金と白。
それを見て、リリーは眉をひそめたが、私やアラヒコには何のことか分からない。
だが、もっと驚くべきことはその直後に起こった。
三色はゆっくり溶け合うと、やがて一人の少女の姿を象った。
「なんだ、これ、こんなこと、今まで…!」
白と青のドレスに身を包んだ可憐な金髪の少女は、身の丈以上の長剣を掲げ、水晶を見つめる私たち――いや、リリーへと切っ先を向ける。
少女は、泣いていた。しとどに降る雨の如く。
やがて、悲壮に染まった瞳で歯を食いしばると、何かを呟き、大きく袈裟斬りを振り下ろし――…。
「あっ」
アラヒコが悲鳴のような声を上げた。リリーが水晶から手を離したことで映っていた全てが消えたのだ。
「お嬢様…」
私はリリーへと声をかけた。明らかに顔色が悪かったからだ。
「…酷い未来…だから、嫌だったのよ…」
顔面蒼白になった彼女は、悔しそうに、不安そうに唇を噛んだ。いつも毅然として振舞うリリーには珍しい、憔悴した様子だった。
それにも関わらず、アラヒコは興奮した口調で続ける。
「すごい、すごいよ!リリーさん。僕の色呪いで、あんなふうに明確な暗示が出るのは初めてだ!きっと、君と今の少女はとてつもなく強い因果でつながって――」
リリーは話の途中で勢いよく背を向けると、そのままの足取りで謁見の間から出て行こうとした。
明確な拒絶の態度。普通ならそれ以上、追いすがることもないだろうシチュエーションで、アラヒコはまだリリーの背中に手を伸ばしていた。
「あ、待ってくれ!続きを…」
だから…。
だから、私はその間に立った。
リリーの、お嬢様の盾となり、剣となるために。
「あ…」
じろり、と敵愾心をもってアラヒコを睨みつける。
「レイブン…」と少し離れた場所でワダツミが私の名前を呼ぶも、私は気にも留めず彼へと告げる。
「もう、そこまでにして下さい」
相手は仮にも王子。不遜な態度と咎められるかもしれなかった。
だが、立場なんて私には関係ない。
生きとし生けるものは誰しも、己の都合で動いている。
彼もまた、彼の都合で動き、私という命の宿った消耗品もまた、主の命令と都合で動く。
「お嬢様のお心を苛むのなら、誰であろうと許しません」
無論、私は弱い。
だから、もしものときは…また、あの分不相応な力を使ってでも、届く高さまで飛ぶ。
幸い、アラヒコも反省していたらしく、頭を下げながらその場は引いてくれた。リリーの背中を見つめる瞳には名残惜しさが宿っていたが、ワダツミや女王に咎められては、肩を落とすしかなかったようである。
それにしても、あの少女は一体何者だったのだろう。
(もしかして、あの人が…)
ストレリチア。
神託の巫女で、そして、アカーシャ・オルトリンデを殺したその人なのだろうか…?
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