祖国転覆のために.2
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「私の部屋ではないのよ。勝手に入りなさい」
そう告げ、抜いていた太刀を鞘に納めた私は、レイブンを部屋に招き入れた。そして、彼女の姿を横目で捉えた後、その変わりように二度見、三度見してしまった。
「貴方、その格好…」
真っ白のワイシャツに黒のベスト。その下は黒のズボンを履いていて、まるでエルトランドの執事のようであった。
元々顔立ちは愛らしく中性的だ。美少年と言われればそんなふうに見えるレイブンがこういう恰好をすれば、似合うに決まっている。
「おかしいでしょうか?」
「いえ、おかしいということはないけれど…」
レイブンは私の歯切れの悪い回答を聞いて勘違いしたらしく、聞いてもいないことを語り始める。
「ワダツミ様と侍女の方は、オリエント人なのだから着物だとか、和装だとか、それっぽい服装をしろと勧めておいででした。ですが、物心ついた頃からエルトランドで暮らしていた私からすると、急にオリエント人なのだからと言われてもピンと来ませんでした。それで、好きに選んでいいと言われた衣装の中から、一番、お嬢様のそばにお仕えするのに違和感のないものを選ばせて頂きました」
珍しく饒舌になっているのは、慣れない服を着て落ち着かないからか、それとも、なんだかんだ言って女の子だから、真新しい服装に昂揚しているのか…。
表情から感情が読み取りづらいレイブンのことなので、はっきりとは分からなかったが、嫌気が差しているわけではないらしい。
それにしても、『お嬢様のそばにお仕えするのに違和感のないもの』か。なるほど、私を基準にして選んだのだとすれば、悪い気はしない。
「良かったじゃない、新しい服を貰えて。似合っているわよ」
気恥ずかしさを表に出さないようそう告げると、レイブンは少し不満そうな顔で私を見た。
「はぁ…ですが、奥様から頂いた服は返してもらわなくてはなりません。大事なものですので」
「また奥様?貴方、本当にバックライト夫人が大好きね」
「はぁ」
私の嫌味に対し、煮え切らない返事。どう返していいか分からないときのお決まりの返事である。
私はそんなレイブンの態度が気に入らなくて、威圧的に目を細め、続ける。
「レイブン。主人が服装を誉めたのよ。付き人として、どう答えるべきなのか心得ていないの?」
「え?――あ」
今思い出した、とでも言わんばかりに呆けた顔。普段は私がそんな扱いせずとも、自分は奴隷だなんだとうるさいくせに…。それくらい私の誉め言葉はどうでもよかったのか。
レイブンは今さらながらに恭しく頭を下げると、「ありがとうございます。お褒めの言葉、光栄です。リリーお嬢様」と答えてみせたのだが、こんなの、『言わされた』だけなのは火を見るより明らかではないか。
「とってつけたような言葉なら、言わないほうがマシな気もするわ」
私は腹の虫が収まらず、小言を漏らす。
「も、申し訳ございません」
「別にいいわよ。気にしていないもの」
「え?」
頭を下げた姿勢から私を上目遣いに見上げるレイブン。その目には、『絶対に気にしてるでしょ』と書いてあったから、なおさら私は苛立ちを募らせてレイブンを見下ろす。
「何かしら」
「いえ、何もございません」
「何もないということはないでしょう。どうぞ、思ったままに言うことを許すわよ。『いや、気にしてるでしょ』とでも思ったのなら、そのまま言えばいいわ」
「…はぁ」
その返事を耳にして、私はさらなる不満を覚える。
それをもっと直接的に伝えてやろうかと腕組みした指に力を入れているところで、部屋の扉が無造作に開けられた。
「おい、お主ら、待たせたのぅ…」
部屋に入ってきたのはワダツミだった。彼女は、私たちの様子に目を止めると、怒りとも、呆れとも似つかない面持ちでため息を吐いた。
「なんじゃ、またお主は小言を吐きよるのか。飽きない奴じゃのぅ」
事の経緯も知らないままに、問答無用で私が悪者だ。気に入らない。
「別に小言なんて言っていないわ」
じろり、と射殺すような視線をワダツミに送れば、彼女は桜色と白、赤の三色でデザインされた着物の裾を翻し、口元を隠しながら上品に――いや、嫌味っぽく笑った。
「ほほほ、怖い、怖い。儂も飼い犬に手を噛まれとうないからのぉ、このくらいにしておくか」
「ちょっと、誰が飼い犬なのかしら。私は貴方の犬になった覚えはないわ」
「はいはい、分かっておる、じゅーぶん、承知じゃとも」
嘘を吐け、と言いたくなるくらいヘラヘラした面持ちで部屋の真ん中を歩いてきたワダツミは、レイブンに対して、「ほれ、頭を上げい」と告げるも、私の命令なしでは行動しない彼女の様子を見て肩を竦め、そのまま開け放たれた窓のほうへと向かった。
「頑固さはそっくりじゃ、お主ら」と嫌味と共にぽんっ、と窓枠に飛び乗る。私と出会って間もない頃も、こうしてニライカナイの拠点で向かい合ったのを思い出す。
ワダツミはそのまま優雅に足を組んだ。着物の隙間から白い足が惜しみなく晒されているが、別に彼女は気にしないらしい。王族としては、あまりにもはしたない行為なのだが。
「赤い瞳の銀狐」
コロコロと鈴を鳴らすようなワダツミの声。少し芝居かかっている様子から、何やら機嫌が良いのは察せられる。
「お主に首輪がつかんことは百も承知じゃがの、今宵くらいは儂の持つ鎖に繋がれておいてくれ」
遠回しな表現だったが、私はすぐにワダツミの言いたいところにピンときた。なぜなら、それはワダツミが部屋に入ってきたときから、私が尋ねようと思っていたことの答えだったからだ。
「…ということは、降りたのね、許可が」
「うむ」
にやり、とワダツミの口の端が上がる。桜色の口紅を塗った唇が三日月を描いていた。
「今宵、お主らを伴って現オリエント国女王に謁見する。まぁ、儂の婆様になるのじゃが…魍魎のような方じゃ、覚悟だけはしておくのじゃぞ」
私たちは月が夜の戸を叩くまで、ワダツミの部屋で過ごしていた。
レイブンとは違い、私はエルトランド人。当然、城の中を自由に歩き回るなどもってのほかだったため、自然とやれることは限られる。
初めはオリエントの文化に関わる話に花を咲かせていた。私も興味はあったが、それ以上に、レイブンが聞きたがったのだ。
愛着はないとはいえ、自分の血のルーツがある土地だ。多少のセンチメンタルもあって聞いているのだろう、と私は予測していたのだが、話を聞いているうちに、それは単なる知的好奇心に過ぎないということが判明した。
レイブンはかつての主人、テレサ・バックライト夫人に文字や本、教養を与えられていただけあって、奴隷だった前身があるとは信じられないくらい言葉を知っていた。だが、それらだけでは満たされないらしく、ワダツミが語るオリエントの文化に興味を示したのだ。
私も一般的な歴史的部分は知っている。それこそ、昔、エルトランドはオリエントを植民地として扱っていた時代があること、一世紀ほど前に独立していることなんかだ。
過去に支配される者、する者に分かれていた国同士が、対等に仲良くしよう…というのは土台無理な話で、エルトランドの理不尽な重圧を受け続けたオリエントが非服従の姿勢を示し、近年、戦争が始まった。
「なるほど…オリエントは島国だから、独自の文化が発展していて貴重な工芸品が多い。でも、それが面白くないエルトランドは安くそれを仕入れようと貿易面で圧力をかけるのか…」
知識を貪るレイブンは、見ていてどこか気持ちよかった。魔導を学ぶときもそうだが、彼女の持つ知識や力への貪欲さは教える者の胸に形容しがたい熱さをもたらすのだ。
やがて、ワダツミがオリエント文化の一つだと言って、なにやらボードゲームを持ち出し、レイブンに手ほどきを始めていたのだが…。
「ほぉ、お主は飲み込みが早いのぅ」
「そうなのでしょうか?自分では分かりませんが…」
「早い、早い」
ワダツミは嬉しそうに手を叩き、レイブンの頭を撫でた。
「『将棋』というのはの、素人は駒の動きを覚えるだけでも難儀するものじゃ。じゃが、お主は一度聞いただけでそれを覚え、すぐに試合まで行えるではないか!たまげたぞ」
それは、『将棋』というオリエントの戦術ボードゲームだった。
「…あ、ありがとうございます」
私は太刀の指南書を読んでいるふりをしながら、珍しく照れ臭そうに俯いてみせたレイブンを横目にしていた。
(私が誉めたところで、『はぁ』としか言わないくせに…面白くないわね…)
将棋については、私も多少の知識はあった。チェスならば腕に自信があるくらい、戦術ゲームは好きだった。
たしかに、プレーヤーの視点で見るとレイブンの飲み込みの早さは舌を巻くものがある。聞いただけの知識を実際のプレイに落とし込むのはなかなか骨が折れるからだ。
初めは私も、「子どもね」なんて口にしながら気にしていないふりをしていた。だが、試合数を重ねるにあたって、ワダツミの無言で考える時間が増えるものだから、チラチラと様子を窺っていた。
「…うむ、これで王手じゃの」
「あ…詰み、ですね」いつもより、ちょっと高めの声をレイブンが出す。「参りました。ワダツミ様には何度やっても勝てません」
「当たり前じゃ!儂は二十年近く将棋をしておるのじゃぞ。一日そこらの相手に負けたら、末代までの恥になるわ!」
唇を尖らせて言うワダツミからは、矜持を守り切った安堵感が滲んでいた。もしかすると、際どい試合だったのかもしれない。
私が、そんなにすごいのか、とレイブンの横顔を見つめていると、やおらにワダツミが口を開いた。
「――じゃが、まぁ、そうじゃのう、儂には勝てんでも黒百合程度なら勝てるかもしれんのぉ」
「なんですって?」
私は、黒百合“程度”という物言いに即座に反応する。
「おぉ、聞いとったか。黒百合、お主、将棋はできるか?」
「できるわよ。チェスほどじゃないけれどね」
「ならば話は早い、ほれ、付き人の相手をしてやれ」
ワダツミは頷くと、私を手招きして呼んだ。どうやら、私ならレイブンの良い練習相手になると本気で思われたらしい。さっきゲームのルールを知ったような人間の相手にだ。
「あのね、私は初心者じゃないのよ?勝負にならないわ」
「いいから、座らんか。それとも、負けるのは怖いか?」
ぐっ、と怒りで腹の奥が熱くなる。安い挑発だと分かっていても、乗らずにはいられなかった。
「いいわ。相手をしてあげる。レイブン」
事態を見守るだけの付き人の名前を圧のある声で呼べば、レイブンはちょっと不安そうに私を見つめて返事をした。
「は、はい」
「いいこと?私は勝負事において絶対に手を抜くことはないわ。それは最も相手を侮辱する行為だと思っているからよ。だから、粉微塵にされても文句を言わないで」
「粉微塵…」
横でワダツミが、「どうやったら将棋で粉微塵になるんじゃ」と呆れた声を出しているが、無視して続ける。
「それでもいいなら、ご主人様が直々に相手をしてあげるわ。いいわね」
別に、レイブンが相手をしてくれと頼んでいるわけじゃないことくらい、分かっていた。だが、苛立っていると、つい尊大な感じになってしまうのが私という人間なのだ。
そして私は、そんな自分の性を数十分後に後悔することとなる…。
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