折れた翼で鴉は舞う.3
次回の更新はエピローグ的な幕間になっております。
明日の昼頃に更新致しますので、よろしくお願いします!
孤月の入江での戦いは、エルトランドの侵略を許さなかったという意味ではオリエント側の勝利と言えるだろう。しかしながら、双方の人的被害は決して少なくなく、痛みと喪失を伴う結果を、笑顔で喜ぶものは誰もいなかった。
常軌を逸した身体強化の代償として、壮絶な痛みと体力の消耗を余儀なくされたレイブンを連れた私は、ルピナスから追撃を受けることも、ストレリチアに出会うこともなく孤月砦に戻っていた。
すぐにレイブンには治療を受けさせたのだが、彼女を診てくれたもの曰く、『原因が分からなさすぎて、手の施しようがない』とのことだった。
欠損してしまった左手の指も、放出された魔力のせいか出血は止まっており、その他も含めて命に別状はないらしかった。ただし、本人の様子を見るにしばらくは動けないだろうとの見立てである。実際、ベッドに入ったレイブンは眠るように意識を失っていた。
レイブンを預けた私は、ワダツミを探した。
彼女はルピナスの撤退の後、すぐに中央陣地に戻っていたらしく、私を見て、喜んでいるような、不満を感じているような顔を浮かべていた。
「…よく生き残ったのぅ。てっきり殺されてしもうたかと思ったわ」
「そっちこそ。ルピナスの雷で炭になったとばかり思っていたわ」
「ふん。そもそものぅ、あんな化け物がおるのであれば、先に教えておかんか。雑魚と思うとったら、本当に炭にされかけたわ」
「私だって、まさかルピナスたちが戦争に出てくるとは思っていなかったのよ。…きっと、ストレリチアの差し金ね」
「…会えたのか?」
ワダツミの問いに対し、私は静かに首を振る。
「そうじゃったか…運命は、まだ邂逅の扉を開かなんだか」
私はワダツミの言葉に何も答えないまま、話の矛先を変えるようにしてレイブンの一件を説明した。
そのためには、自分自身の意気地のなさというか、決めたことを貫けない弱さも曝け出さなければならなかったが、事実は事実だと受け入れることができた。
「…あやつ…阿呆め、全く」
心底嫌そうな顔をしてみせたワダツミは、ややあって、物悲しそうに眉をひそめると、「どんな命も、『モノ』ではないというのに…」と呟いた。
「小綺麗な言葉ね」
「なに?」じろり、とワダツミが睨んでくる。「ではなにか、お主。『モノ』扱いしていい命がこの世にあると、そう言うつもりか」
「道徳的にはそうではないでしょうね。だけど、それを忘れてしまう、あるいは、蔑ろにする人間がいる…そんな現実はそう簡単には変えられないわ。現に、エルトランドは奴隷制を認めているもの」
そんな国で育ち、多少の疑問を抱きながらも目を逸らして生きてきた私に、綺麗事を口にする権利はないだろう。
「儂は初めて、エルトランド人であるお主を嫌な奴じゃと思うたわ」
唾でも吐き捨てるみたいに言ったワダツミに、私は肩を竦める。それがますます気に入らなかったのか、ワダツミは、「やはり、エルトランドなんぞにこの国を支配されては困るのう。いっそ、エルトランド人は全員死んでくれればいいんじゃが」と眼光鋭くして告げた。
全員死んでくれれば、か。
それは滅びを願う祈りの言葉だ。
自分がルピナスに言った言葉を思い出した私は、ワダツミに背を向けると、おもむろに太刀を鞘ごと手に取り、ゆっくりと抜刀した。
魔力で灯る篝火の光を浴びて、刃紋がゆらゆらと揺れる。戻ってきて、すぐにまた魔導具で修理してもらったから新品同然の状態だが…私には、その刀身に友の血が染み付いている気がしてならなかった。
「…ワダツミ」
「なんじゃ、怒ったのか。謝らんぞ、儂は」
「違うわよ」
私は太刀を鞘に戻すと、ワダツミに背を向けたまま歩き出した。
「ありがとう。貴方たちのおかげで、私も、レイブンも、生き残ることができたわ」
「な、なんじゃ、急に。お主らしくもない」
去り際に、もう一度だけ足を止める。そして、少し考えてから、私は首だけで彼女を振り返った。
「ワダツミ。私はこの戦いで、生きることは、選ぶことだと学んだわ。死んでいたら、学ぶはずのなかったことよ」
…そう、そして選ぶことは、選ばなかったほうを捨てることだ。
私は――選んだのだ。
『一日もすれば、この子も歩き回れるようになるだろう』
レイブンの容態を診てくれていた衛生兵にそう言われた私は、安堵の息を吐くと、しっかり休ませてやってくれとお願いしてから、孤月砦の外へと出た。
春風が呼んだ叢雲が、月をすっぽりと隠してしまっている。私はそれを惜しむように仰ぎながら、浜のほうへと向かう。
いつも、大切なものは見たいと思ったときには隠れてしまっている。今日、気付かされたこともそのうちの一つだっただろう。
ルピナス、マルグリット、そして、サリア…。彼女らと過ごした時間は、確かに私にとって愛おしく、大切なものだった。
どうでもいいと思っていたのは、そう考えてでもいなければ、私自身が耐えられなかったからだろう。
(それでも…もう、戻れない。私は選んだのから)
私は、彼女らの敵になる。
そういうふうに、運命の歯車が噛み合っているとしか思えないのだ。
人々はまだ、砦や塹壕といった防衛拠点の復興作業を行っているようだったが、私はそれらに見向きもせずにひたすら海へと向かい足を進めていた。
彼らのうちの何人かはニライカナイのメンバーだった。だから、私の顔を見て親しげに手を振ってくれたのだが…どうだろう、浮かべた笑顔はぎこちなくはなかっただろうか?
心から笑える状況ではなかった。レイブンが起こした行動のおかげで、どうにか心も体も生き続けられている。
責任だ。レイブンを巻き込んでしまった、責任。
一度は自らの業の深さに逃げ出してしまいそうになったものの、彼女の一貫して変わらないスタンスに奮い立たせられた。
考え事をしているうちに、海に辿り着いた。
寄せては返す波の音、漆黒の水面。雲の切れ間からわずかに差す月光に照らされて光る、水飛沫。
人生とは、泡沫のようなものだ。
先へ進めば、いつ弾けて消えるとも分からないほど脆いものなのに、一箇所に留まることは許されない。
私は砂浜に腰を下ろした。ざらつく砂の粒は、ほんの少し私の体を飲み込む。
静寂に見を横たえたまま、一体、どれだけの時間が過ぎたことだろう。気づけば、叢雲は月を手放し、月光が辺りを明るく照らしていた。
じっと、私は海を眺めていた。そうすることで、頭はクリアーになっていく気がした。
人を誘う潮騒と共にそうしていると、不意に、後ろのほうから誰かが砂浜を歩く音が聞こえてきた。
私は振り返らなかった。それが誰か、なぜか確信めいたものを覚えていたからだ。
足音がすぐそこまで近寄ってくる。
その音は、真後ろでぴたりと止まった。
「私にも、未来が見えるのかしら」
まるで暗闇に語りかけるみたいにして、私は言った。
「来ると思っていたわ。ストレリチア」
一瞬の静寂の後、「ふふっ」と頭上から声が響く。
「不思議なこともあるものですね、アカーシャ様」
顔を上げれば、そこには金の円環を抱く、青い月が瞬いていた。
「隣、座ってもいいですか?」
「嫌と言っても、どうせ貴方は私の言うことなど聞かないくせに」
「まぁ、そうですね」
ストレリチアは悪びれた様子もなく小さく笑うと、本当に私の隣に腰を下ろした。
命を狙っている相手の隣によくもまぁ…と横目でストレリチアを見やれば、彼女も同じように自分のほうを見つめてきていた。
相変わらず、綺麗な顔立ちをしていた。あどけなさも残る感じだが、それがまた『神託の巫女』という大仰な名前には相応しい。
「ちょっと意外です」
「何がかしら」
「てっきり、アカーシャ様は私を見つけたら、即座に襲ってくるかと思っていたんですけれど…?」
膝を立てた状態で座り、顔を前に倒して下から覗き込むように彼女がそう言ってくる。愛らしい仕草だが、これもやはり、偽りのものなのだろう。
「ええ、もちろん。すぐにでもそうしたい気持ちはあるわ」
じろりと、ストレリチアを睨みつけながら私は続ける。
「でも、先に聞いておきたいことがあるのよ。お忙しい身とはご存知ですけれど、お時間いいかしら」
「はい。どんな状況でも、アカーシャ様より優先したいことはありません」
皮肉たっぷりに言ってみせたのに、ストレリチアは童女のように笑ってみせる。
悪魔と天使の二つの顔をその身に宿す女だ。そのせいで、彼女の真意はやはり深い闇の底に隠れてしまっている。海底にまで辿り着いた今の私にも、まるで見えないほどの深さに。
その深淵を映す瞳に飲まれてしまわぬよう、私はストレリチアから目を逸らし、海を見つめる。
「…貴方、どうして私を追い詰めるような真似をするの?」
ずっと思っていた疑問をようやく口にできた私は、少しだけ心が軽くなったような気がしていた。だから、続く言葉がどれほど邪悪であろうと、冷静に受け止められると確信していたのだ。
「私はずっと前から、アカーシャ様が努力し、苦しみながらも強くなるお姿を見てきました」
ずっと前から…とはいっても、私たちが出会ったのは、二年ほど前のことだ。それを思えば大げさな表現の気もした。
「みんなが知っている以上に、私はアカーシャ様のことを知っています。良いところも、悪いところも…」
「さっきから、質問の答えになっていないわ。答える気があるの、ないの、どっちなの」
なんだか物悲しい口調で彼女が言葉を紡ぐものだから、私はあえてそれを機械的な感じで切る。そうでもしないと、私まで感化されてセンチメンタルになってしまいそうだったのだ。
ストレリチアは、「ふふっ」と静かに笑うと立ち上がり、波打ち際に歩いていき、両手を広げて海を仰いだ。
「世の中には、順序というものがありますよ、アカーシャ様」
夜天を滑る、美しい響きだ。
「語るべき言葉、あるいは、語られるべき言葉――それはすべて、相応しいときが来たら自ずとベールを脱ぐもの。もしかすると、人はそれを『運命』と呼ぶのかもしれませんね」
「ストレリチア、貴方、何を言って…?」
「ふふっ」と彼女が反転してこちらを見やった。
青と白のスカートの裾を翻すその姿は、夜の妖精さながらの艶やかさと美しさを誇っている。
私は一瞬、その姿に見惚れてしまっていた。しかしながら、すぐにストレリチアがまともな解答をしていないことに気がつくと、眉間に皺を寄せてこう返す。
「貴方、やっぱり答える気なんてないのでしょう」
「今はまだ、言えないことが多すぎるということです」
ストレリチアはそう言うと、ゆったりとした足取りでこちらに向かってきた。そして、私の正面に立つと、青い瞳を閉じて押し黙った。
「分かっていないわね、ストレリチア」
私は腰を上げると、持ってきていた刀を鞘から抜き出して彼女の無防備な首筋に当てて続ける。
「目的を尋ねたのは、私なりのけじめをつけるためよ。貴方がこうしてのこのこと現れた以上、殺すことに変わりはないわ」
「ふふっ」
首筋に死の香りを漂わせてなお、ストレリチアは笑う。
すると彼女は、ゆっくりと青い瞳を見開きながら、先ほどとは打って変わって挑戦的に私へと告げた。
「私は貴方を殺しました。だから…ご自由に、アカーシャ・オルトリンデ」
「――そう」
瞬間、私は刃を引いた。引く時が一番、死をまとうと学んでいた。
しかしながら、斬られたストレリチアからは出血の欠片もなく、彼女はただ薄ら寒い笑みを浮かべたまま佇むだけだった。
「幻影魔導…」私は無感情にそう呟くと、「まぁ、こんなことだろうとは思っていたわ」と続け、そのまま一閃、ストレリチアの姿をした魔力の塊を横に切り裂いた。
魔力の塊は霧のように粉々に散り、夜の海へと流れていく。
「消えなさい。今度は生身をもって会いに来ることね。ちゃんと殺してあげるから」
『ふふっ』とどこからかストレリチアの忌まわしい笑い声が聞こえた。
『いつか、アカーシャ様の力が必要になるときが来ます』
「なんですって?」
太刀を片手に虚空へと問いを投げる。
「何を藪から棒に、適当なことを…!私の力は、貴方が奪ったんでしょうにっ!」
『信じるかどうかはアカーシャ様次第――ですが、これは予言なんです』
「予言…」
百発百中の預言者、神託の巫女ストレリチアの予言?
思えば、彼女は一度たりとも嘘の予言を吐いたことはない。だったら、これも…?
『私はいつも貴方様を見ています、アカーシャ様』
そう言うと、ストレリチアの気配は跡形もなく消えた。
残ったのは、ただ一輪、咲き始めたばかりの黒百合だけだった。
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