復讐の黒い百合.3
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太陽は、水平線へと近づいていた。
その後ろ姿を追いかけているような薄闇が辺りに広がっていて、もう数時間もすれば光源無しでは周囲の様子も見えなくなることだろう。
エルトランドの船の近くには、わずかばかりの敗残兵が集まっていた。治癒を受けている様子の者もいれば、項垂れて動けないものもいる。とにかく、負け犬臭い臭いが…そう、自分と同じ臭いがしていた。
これだけ士気の低い連中が相手なら、私とレイブンだけでなんとかなったかもしれない。だが、船の中にどれだけ兵士がいるかは分からなかったため、正直、ワダツミがついて来てくれたのはありがたかった。
「突破するか?」
「ええ。ストレリチアはきっと、船の中にいるわ。派手に玄関を叩いてやることにしましょう」
ワダツミの問いに振り返ってそう答えれば、浮かない顔をしたレイブンが視界に入った。
彼女はさっきからこの調子だった。きっと、『あべこべ』だなんだという点を気にしているのだろうが…私からすれば、才能がありそうだとはいえ、鍛え始めて一ヶ月程度の呪い師が『守る』だなどと言うのは戯言にすぎない。
「レイブン、呪いの準備はしておきなさい。危険なときは私かワダツミに声をかけること。いいわね?」
「…はぁ」不服そうな応対にイラッとするが、ワダツミが爛漫な口調で、「おうとも、黒百合の身は守らんが、お主なら守ってやろう」と言うものだから、それ以上、何かを言う気が失せた。
まっすぐに、船を見据える。エルトランドの国旗が揺れ動いている。風が吹いているのだ。
私の中にも、言葉にし難い感情を乗せた風が吹いていた。
ジャン・デューク・エルトランド。
私の婚約者。私が紛いなりにも愛を向けていた人。
親の意向と立場があって婚約を結んだ相手ではある。しかし、それでも、確かに彼の優しい言葉が心の糧になっていたのも事実だ。
そんな相手を、私は殺した。
太ももを斬りつけ、顔に醜い斜め傷を入れ、そして、背を斬り健を斬り、最後に心臓を一突きしてやった。
後悔はない。
神託の巫女・ストレリチアを殺そうというのだ。エルトランド側から様々な妨害が成されることは想像していた。
それが偶然、ジャンだっただけだ。
そもそも、邪魔する者が悪い。
ジャンや他のエルトランド兵は、娘を人質に取られ、戦わざるを得ない状況に陥った賊とは違い、能動的に私を殺そうとしている人間たちだ。
(それが戦争?国と国の衝突、対立?…はっ、知ったことじゃないわ。だったらなおのこと、殺されてもしょうがないじゃない)
自分を正当化していることはよく分かった。それでも、しておいたほうがいいと思った。あのときのような、予期せぬ事態に備えるため。
(殺しに来たものは殺せ…当然の理屈よ)
私は二人に合図を送ると砂浜へと出て、太刀を鞘から抜き放ちながら前進を始めた。
数十メートルといった距離にまで来て、ようやく兵士たちは私の姿に気づいたようだったが、仮面をつけた私を見て、一同、ぎょっとした面持ちを浮かべた。
私の正体を隠す狐の仮面。
悪くはない。
結局、ジャンのように私と密接な関係にありながら、その関係を切り捨てた人間は仮面があろうとなかろうと気づくのだ。
「黒百合」と後ろからワダツミが声をかけてくる。
「なにかしら、もう気づかれているわよ」
「ここは儂に任せて、お主は体力を温存しておけ」
「なんですって?」
「安心せい。儂はまだほとんど戦っておらんからの」
そういう問題ではない、と口にしかけていると、言うが早いか、ワダツミは例の式神を作り出し、少し離れた場所にいる兵士たちに差し向けた。
「なんだ、これは」と驚きに目を見開いている者に白蛇は牙を向き、瞬く間に一帯を血の海へと変えていく。
一人、二人と打倒されていくうちに、敵兵は背を向けて船の中、あるいは中央の衝突地帯へと逃げていく。士気が低いとこうも容易いかと目を細めてそれを眺めていると、ゆらり、とワダツミがゆっくり船のほうへと歩き出した。
「儂は本来、逃げる敵を背中から討つような真似は好きではない」
のんびりとした彼女の口調とは裏腹に、ワダツミの分身は荒れ狂う波のように、逃げる敵を引き裂いていく。
「じゃがまぁ」
真っ白い紙の体が、血で赤く染まる。
「お主らがわざわざ『殺し合い』をしましょうと我が国の玄関を叩いておるのじゃ」
音もなく、白蛇が吠える。
それはきっと、今まで見ていることを余儀なくされたワダツミが抱え込んでいた怒りだ。
「それなら、帰らせるわけにはいくまい」
オリエントの姫君、ワダツミ。
彼女は侵略国からの防衛について海戦頼みになっている自国に疑問を抱くと、独自でニラカナイを創設し、陸戦での抵抗力を高めようと考えたという。
本来、気さくで優しい姫だったそうだが、魔物や賊と戦ったり、辺境は貧困に喘いでいるのを見たりしているうちに、自然な笑顔を見せることが減った…そう、ニライカナイのメンバーが話しているのを聞いたことがある。
今、ワダツミの心にはどのような風が吹いているのだろう。
烈火の如き怒りの熱風か、それとも、兵士が死んでいくことへの嘆きの冷たい風か。
「レイブン」胸が苦しくなった私は思わず、自らの従者を呼んだ。
「はい」
「ワダツミの援護をするわ。前に出るわよ」
「承知しました。私もお供します」
こくり、と頷き、ワダツミのほうへと駆け出した、そのときだった。
刹那、青白い雷光が走った。
雷光は白蛇を薙ぎ払い、あっという間に元の紙の姿へと戻すと、目を見開いていたワダツミ目がけて閃く。
「ワダツミっ!」
ドオン、とすさまじい音と共にワダツミのすぐそばで雷が爆ぜる。
「ぐっ…!」
かろうじて札をまとめた壁で雷を防いだ彼女に駆け寄っていると、次は船首から、誰かが剣を振りかぶりながらワダツミ目がけて降下してくるのが見えた。
呪い師や魔導士は、接近戦を得意としない。詠唱や物体への魔力注入のためのタイムロスがあるからだ。
(間に合え…!)
彼女が用意してくれた鞘から太刀を抜き放ち、加速する。
(こんなとき、魔導が使えれば…――あぁ、もう!)
何の慰めにもならない思考を即座に打ち消し、雷から身を守っているワダツミと、降下してくる人影との間に私は飛び込んだ。
刹那、すさまじい衝撃が私の体を襲った。
重力の翼を得た一振りは、あっという間に私の足を砂の中にねじ込んだが、歯を食いしばってどうにかそれに耐える。
雷のスパークと、刃同士がぶつかり合う火花の光とで目がくらむ中、私は渾身の力を込めて相手の剣を跳ね返した。
「邪魔よっ!」
人影はくるりと空中で身を翻すと、着地した直後に再び今度は私に向かって突進を始める。
両手に痺れが残るなか、防御を行うべく太刀を霞に構える。
間合いは一瞬のうちに縮まった。
振り下ろされる唐竹割りを太刀の腹で防げば、息をつく暇もなく、右薙ぎが迫った。
太刀を、切っ先を地面に向ける形でそれを受ければ、今度は刺突。
目を逸らせば容易に命へと達するだろうそれを、横に回転しながら剣先で弾き、軌道を変える。
(こいつ、強い…!)
間違いなく、名のある剣士だ。一介の兵ではない。そうなってくると、数も限られる。
(――もしも)
体勢を立て直しているうちに、逆袈裟、斬り上げと連撃は続く。
(もしも、こいつが)
一つ後ろに飛び、胸先三寸でかわす。
(私の知っている、誰かだとしたなら…!)
間合いがわずかに開く。
それは剣士にとって、必殺の間合いだった。
(それは、あいつ以外に考えられないっ!)
互いの剣閃が重なった瞬間、私の被っていた仮面が上空へと弾け飛んだ。相手の剣先がかすめたのだ。
繰り返すが、そこは必殺の間合いだった。
それにも関わらず、私と相手は戦う手を止めていた。
やっぱり、という気持ちのあった私と違って、相手のほうは目玉が落ちるのではというほど目を見開き、口をあんぐりと開けている。
強気な目元を隠さないよう、切り揃えられた前髪。
いくらレイピアではないとはいえ、剣術にだって定評のある私と対等に渡り合える相手だ。こんなことだろうと思っていた。
もしかすると、これもストレリチアの思惑なのだろうか…。
「お、お前…!?」
うわごとのように相手が口を開く。私はそれを見て、さっと後退し間合いを開く。滑稽だが、おしゃべりする間合いを作ったのだ。
相手はぷるぷると唇を震わせ、続く言葉を失っていた。こちらから何か言うのは違う気がして私は黙っていたが、不意に、その後方、船の出入り口のほうから、聞き知った声で、私の名前が呼ばれた。
「アカーシャ…?」
目だけを動かして、そちらを見やる。
そこには、翠のドレスを着たルピナス・フォンテーニュと、シスター服のサリアが青い顔をして立っていた。
そして、目の前の彼女が――マルグリットがようやく口を開く。
「どうして、どうしてお前が生きている…、アカーシャっ!?」
他人の空似でしょう、というつまらないジョークが浮かぶが、もうそういうことを言い合える間柄ではないのだと思い出した私は、構えを解いてから三人を順番に見て言った。
「久しぶり、というべきなのかしら…この場合」
太刀の重みがぐっ、と増えたような錯覚の中、私は困惑の表情を消せない三人を真っ向から見返していた。
そうしていると、胸の奥がキリキリと痛んだ。心臓とも違う場所、心、だなんて情けのないことは言いたくはなかった。
マルグリットも、ルピナスも、サリアも…何も変わっていなかった。
そう『変わっていなかった』のだ。
剣をもって前衛を務めるマルグリット、雷撃の魔導で後衛を務めるルピナス、傷ついた者を治癒するサリア。
ただそこから、私がいなくなっただけだ。
一方、私はどうだ。
ふっ、と無意識のうちに嘲笑がこぼれた。
「何も変わりがないようでなによりよ、ルピナス、マルグリット、サリア」
名前を呼ばれた三人はハッとした表情を浮かべたが、やがて、各々は三者三様の感情をまとった。
マルグリットは激情を、サリアは悲しみを、ルピナスは…悔しさ、だろうか。
「どうしてお前が生きている、アカーシャ!どうして生きて、そんなところにいる!」
「…質問ばかりね」
「当たり前だ!お前は――」
「死んだはず?」半笑いで小首を傾げてみせる。「死んだわよ。アカーシャ・オルトリンデは、貴方たちが見殺しにしたんでしょう、ねぇ、そうでしょうよ!」
ふつふつと湧き上がる怒りを、私はそのまま外界に放る。彼女が瞳に宿した怒りなど、私のこの煮えたぎるマグマのような怒りに比べたら、吐き捨てるほどのものだと分からせてやりたかった。
「私は変わったわ。貴方たちが変わらないままでいるうちに、私は変わった!」
左手の指輪を、三人によく見えるように掲げる。博識なルピナスだけは魔喰らいの指輪を見て顔色をさらに青くした。
「見なさい、これを!これは魔喰らいの指輪――はめられた人間の魔力を枯渇させ、二度と使えなくする、マジックアイテム!」
「アカーシャ…それでは、貴方は…」
「ええ、そうよ、ルピナス!」
言葉で斬りつけるみたいに、私は意味もなく太刀を振って続ける。
「私はもう、二度と魔導を使えない体になったわ!血の滲むような努力で得たものを捨て、私が私でなくなりながらも、私は生きながらえたっ!貴方たちが、そうして変わらずにいる間にねっ!」
「なんてこと」と青ざめるルピナスの瞳には、明らかな同情が見て取れた。それがさらに私の怒りの炎を燃えたぎらせる。
「今さら同情しても遅いのよ、ルピナス」
そうだ。それなら、あのときに、ああなる前に同情してほしかった。
ルピナスは翠の瞳を曇らせて俯いた。あの子のことだ、私が何を言いたいのかをしっかり悟ったのだろう。
その横で立ち尽くしていたサリアが、唇を震わせながら声を発する。
「…だ、誰が、アカーシャ様にそのようなものを…」
「サリア、相変わらずこういうことには鈍いわね。――死刑が決まっている相手を内密に流刑に処せる人間なんて、限られてくるでしょうよ」
「…っ」
一同、まさか、という顔を見合わせて凍りついている。きっと彼女らの頭の中には、ジャンや国王、そして、ストレリチアの顔がよぎったことだろう。
私は、ゆっくりと、傷口に塩を塗り込むようにして言葉を紡いだ。彼女らが、少しでも後悔や不安を覚えられるように。
「身分を、魔力を、愛した国で生きる権利を奪われて…それでも、私はこうしてここで生きている」
気づけば、無言のうちにレイブンが近くにやって来ていた。彼女の心底心配そうな顔を見て、私はどこか安心した。
「どうしてだ、アカーシャ、まさか、お前…」
「ええ、そうよ。私が地獄の底から戻ってきたのは、あの子に――ストレリチアに復讐するため。そして、私を裏切り、罵った連中に後悔と屈辱を味合わせてやるためよ」
「そんな…」と口元を覆うサリア。心痛めている姿を眺めていると、とても気分がよかった。
「…ジャン、死んでいたでしょう?」
その問いに、ハッと一同の顔が変わる。
「彼はね、私が殺したのよ。無様なものだったわ、背を向けて逃げるわ、命乞いはするわで…おかげで、胸が軽くなった」
「…狂っている。お前のそれは逆恨みだ」とマルグリットが言った。それを耳にして、私はぐわっ、と体を熱くする。
「何を言っているの、恨みは恨みよ。魔導それ自体に善悪が宿らないようにね」
「ちっ、相変わらず、よく口が回る。そうして、オリエントの野蛮人を従えたのか?」
「そんなわけがないでしょう。私はちゃんと命を賭けて、私が役に立つことを証明した。そして、裏切らないことをこの身で示したのよ」
吐き捨てるように私がそう言っていると、事態を静観していたワダツミが後ろにやって来て、あまり興味がなさそうに欠伸を噛み殺して口を挟んだ。
「感動の再会に水を差すようで悪いがのぅ、とどのつまり――」
ワダツミの切れ長の瞳がいっそう細められる。そこには、悠長な話し方とは似ても似つかない鋭さ、敵愾心があった。
「こやつらは敵か?黒百合」
どうしてかは分からないが、ちくり、と胸が痛んだ。
それでも、私は毅然とした表情のまま断言する。
「敵よ、ワダツミ」
その宣告に、三人の顔が歪む。
ちくり。
まただ。また、針でも飲んだみたいに胸が痛んだ。
決別には痛みもいるだろう、私は気にしないように意識して太刀を正眼に構える。
「ここにおける『敵』という言葉の意味、分かっておるじゃろうな」
「当たり前よ」
これは戦争だ。
相対することは、傷つけ、傷つけられることを意味し、そしてそれは、殺し合うことを意味する。
だからなんだ、と私は瞳に力を入れて目つきを険しくした。
どうせ、こいつらは私を見捨てた薄情者たちだ。
「――…殺したって、構わないわ…っ!」
間を置かずして、二度目の復讐の機会が訪れました。
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