黒百合と鴉.4
これにて四章は終了です。
続きは明日、アップロード致しますのでよろしくお願いします!
ニライカナイの拠点に戻った私たちを待っていたのは、青天の霹靂のような知らせだった。
「リリー」
日頃仲良くしてくれているニライカナイのメンバーの一人、フウカが、鳥居をくぐって拠点に戻ったリリーへと声をかけた。
「どうしたの、フウカ。血相を変えて」
この場所で世話になり始めてから、すでに一ヵ月以上が経過していた。
最初の一、二週間は賊の征伐の件や、突如にして現れたエルトランド人への対応で騒然とした日々が続いていたが、その後は平和なものだった。
太陽が昇っているうちは、魔物を倒して日銭を稼ぎ、月が輝く頃には、呪いについてワダツミやリリーから指導を受ける。そして、眠る前にはリリーから色々な話を伺い、見聞を広める。
エルトランドで奴隷として働いていた頃には考えられもしなかった状況だ。
そして、リリー自身は、黙々と独学で刀の扱いを身につけていった。
初めは陰で揶揄する者もいたようだが、今となっては誰もそんなことはしない。彼女の成長ぶりは明らかに異質で、それを支えているものは、間違いなくたゆまぬ努力だと誰もが知っていたからだ。
「大変なの。えっと、その」
「落ち着きなさい。何があったの?」
「えっと、領海で戦闘があったみたいで」
「戦闘?」リリーは顔をしかめて問いかける。「エルトランドね?」
「うん。それで、えっと、とにかく、ワダツミ様のところに行って!」
フウカはそう言うと、拠点の外のメンバーにも伝えなければならないから、と階段を駆け下りていった。
風のように去っていくその背中をつい見送ってしまっていた私が顔を元の方向に戻すと、すでにリリーは足早に拠点の奥へと進み始めていた。
慌ててリリーの背中に追いつく。彼女の後ろ姿からは、形容し難い緊迫感が放たれていて、とてもではないが話しかけられそうにもなかった。
きっと、今のリリーの頭の中では、静かに燃え続けていた復讐の炎が強く揺らめいているに違いない。
やがて、拠点中央部の集会所に至ると、そこにはすでに何十人もの人間が会議を行っているところだった。
「黒百合、レイブン。帰ったか」
その中心に立っていたワダツミが私たちに気づき、声をかける。私は丁寧に頭を下げたが、リリーはまるで聞こえなかったみたいに彼女の前に躍り出た。
「状況は?」
「おぉ、やる気満々じゃのぉ」
「早く答えなさい。エルトランドの軍は、今、どうしているの」
ニライカナイの長たるワダツミに対し、こんなふうに不遜な口調を使うのはリリーだけだった。そのせいで、他のメンバーに毛嫌いされているところもあったが、今みたいにワダツミが視線だけでそうした反感をなだめるので、なんとかリリーも上手くやれている。
「本国の海軍を破り、領海を突っ切っておる。とうとうこの日が来たわけじゃ。海戦が得意だからといって無敵ではないと…ようやくお偉方も理解したことじゃろうて」
「…そう。上陸してくる気なのね」
「うむ。海流の影響もあって順風満帆とはいかんが、明日の夕暮れ時にでも孤月の入江に到達する予測じゃ」
「孤月の入江…どこなの、それは」
「おいおい、お主…」
間髪入れずに尋ねてくるリリーに、ワダツミは呆れたふうに眉を曲げた。
「まさか、一人で行くつもりかぁ?」
「それは…」
珍しく何も考えずに発した言葉だったのだろう、リリーは言葉を詰まらせると、バツが悪そうに視線を床の木目へと放った。
「黒百合、お主がエルトランドの連中と因縁めいたものがあることは承知の上しておる。しかしなぁ、ここはオリエントで、お主はすでにニライカナイに雇われの身じゃ。勝手な行動は慎め。のう?」
「私にとっては、なによりも大事なのよ。どこの誰に雇われているかという事実なんかよりもね」
「黒百合…」
傍若無人とも取れるリリーの態度に、ワダツミも目を細めた。これでは自分が周囲をなだめても意味がないと思ったのだろう。実際、エルトランド人やよそ者が嫌いなメンバーたちは、彼女への嫌悪感を表に出して睨みつけていた。
普段のリリーなら、そうした視線を受けるとさすがに反省した様子を見せるのだが、今回ばかりは違った。
「悪いけれど、これには一切の誇張もないのよ。本当に、私が生きていくうえで命よりも大事なことなの。分かるでしょ、みんなも。私もあの国のやり方を忌々しく思っている一人なのよ、落ち着いてなんかいられないわ」
一息にそう言い切った彼女は、深く吐息を漏らすと、その辺りの空いている椅子に腰を下ろし、「ごめんなさい」と短く謝罪した。
あの、いつも偉そうにしているリリー・ブラックが、エルトランド人のよそ者が自分から謝罪を口にしたとあっては、一同は目を丸くして互いに顔を見合わせるほかなかった。
私は別に今のリリーこそ、本当の彼女なのだと思っている。誠実で嘘がない。自分の生き方に真っ直ぐすぎる人。だから、周囲に傷つけられてしまう人。
ワダツミは安心した様子で、「それぞれ、落ち着いていられない理由はあるわな」と感慨深そうに言うと、メンバー全体を見渡し、深く頷いた。
「お主ら、ここでぴーちく、ぱーちく言いよっても仕方がないじゃろう。明日の夕方なぞあっという間に来る。弧月の入江付近の砦まで、さっさと必要な物資を運べ!近くの村におる仲間にはフウカが伝令に行っておるから、そやつらと連携を図りながら可能な限り準備せい」
鶴の一声みたいに、ワダツミの言葉で一同のざわめきが静まる。代わりに生まれたのは、統一感のある、堂々とした返事だった。
それからは、がやがやと騒がしくなりながらも、経験あるもの、人望あるものが先立って個々の統一を図り、分担して作業を開始していた。
統率された兵隊たちみたいだ、と私は何気なく思う。まあ、本物の兵隊など遠くからしかお目にかかったことはないが。
「ワダツミ、私も…」
周囲が動き出すなか、椅子に座ったまま動けずにいたリリーが慌てて腰を浮かせ、ワダツミに声をかける。
他のメンバーと話をしていたワダツミは、じろり、とリリーを見やると、「私も、なんじゃ」と鋭い目つきで言った。
「私も…連れて行って。お願い。魔導はもう使えないけれど、剣術には多少の自信はあるわ。だから――」
「ど阿呆め」
藪から棒に、ワダツミがリリーを非難する。怒っているのだろうかとリリーと揃って彼女を見やれば、ワダツミはこれまた呆れたふうにため息を吐いて、それから大きな声で私たちに告げた。
「お主らは客人ではないのじゃぞ!初めから頭数に入れておるわ!」
知らせを聞いて一時間後、私とリリーはニライカナイのメンバーらと共に古月の入り江へと向かっていた。
山のように荷物を積まれた馬車は息苦しそうではあったものの、何台かに分けたことでなんとか問題なく動き、真っすぐ目的地へと向かっていた。
初めは、馬車を守るためにその周囲をゆっくり進んでいたが、風を切って進むうちに、他のメンバーから、馬車の警護はもういいから、先に行けと命じられた。
「レイブン」風を切る音に混じってリリーの声が聞こえてくる。「怖くはないわね?」
「はい、お嬢様」
「それならいいわ。しっかり掴まったままでいなさい。落ちたら下手すると怪我をするわよ」
そういうものか、と私はリリーの背中にしがみつく。
弧月の入り江までは、数十キロ以上離れているため、徒歩で向かおうものなら陽が暮れてしまいかねない。そのため、馬を扱える者は馬車を使わず自力で移動することとなっていたが、一同はリリーが馬を扱えると名乗り出たときは驚いていた。
リリーは――アカーシャ・オルトリンデは大貴族の人間だ。令嬢として相応しい家に嫁ぐために知識や所作を磨く者は多いが、馬術や魔導、剣術を磨く者はそういない。もちろん、メンバーたちは良いとこ出のエルトランド人くらいにしか思っていないだろうが、それでも驚かずにはいられないはずだ。
「お嬢様」背中にひっつき、言葉が聞こえるよう告げる。「馬の扱い、とてもお上手でございますね」
「これくらい、当然のことよ」
つっけんどんな物言いではあったが、怒ってのことではない。きっと、本当に『当然』のことだと考えているのだろう。
複数の馬が地を駆けるなか、私たちは黙々と先頭の馬について行っていた。
エルトランドが攻めてくる。
あまり現実味がなかった。だって、あの国はつい一ヵ月ほど前までは私がいる国だったからだ。
おそらくだが、リリーだってそうなのではないだろうか。
ストレリチア自身については恨みに思っていても、他の人は?
我が身を賭してまで想っていた国と戦う…彼女に、本当にその覚悟があったのだろうか。
私は、知りたいと思った。
リリーが本当に、アカーシャ・オルトリンデという名前を、存在を捨て去ってまで復讐を成そうと思えるのかどうかを。
じっと、彼女の背中を見つめる。針金でも通っているみたいに、どこまでも真っ直ぐと伸びた背中だった。
不意に、リリーが口を開いた。
「きっと、あの女は出て来るわ」
それが誰のことなのか、すぐにピンときた。
「ストレリチア様、ですか」
「レイブン」間髪入れずに彼女が私の名前を呼ぶ。「貴方は私の奴隷でしょう。私が憎んでいる相手を、そんな呼び方しては駄目」
普段は全く奴隷扱いしないリリーが珍しくそんなことを言うものだから、よっぽど嫌なんだと私は思い、大人しくそれを受け入れる。
「…あいつは、必ず来る。何があっても、私の前に現れる…」
独り言みたいに呟くリリーの言葉の端々に、怒りとか、憎しみとか、激しく瞬く感情が宿っている。決して大きな声ではないのに、どうしてだろう、風泣きにもかき消されない強さがあった。
「お嬢様の顔を見るため、ですか」
おそるおそる言葉を紡ぐ。会話するのに許可は要らない、とリリーが繰り返し言うものだから、分からないなりに言葉数を増やすようにしていた。
主人が違うと望まれることも変わる、と私は一ヵ月ほど経ってからようやく理解し始めている。
お嬢様は奥様と違って、夜伽を命じるようなことは一切ない。そのせいで、夜、同じベッドに入るよう言われたときの過ごし方がよく分からなかった。話すだけでいい、と言われるが、逆に不安になる。
「いいえ、違うわ。あいつは預言者よ、レイブン。つまり、自分の未来が見えているの」
「未来が、見える…」
「あいつには、今もハッキリ見えているはずよ」
そっと、リリーは左手の薬指にはめられた指輪に触れた。まるで壊れ物を扱うような仕草に、私はギャップを覚えた。
「自分を殺しにくる、私の姿が」
リリーはそう言った。そう言いながら、酷く苦い顔をしているのが、顔を見ずとも私には想像できてしまっていた。
「だから、それを止めに前線へと出て来るはず」
リリーは、いや、アカーシャは、もっと違う理由でストレリチアが行く手を阻むことを確信しているのではないだろうかと、私は感じた。
「…せいぜい、怯えて待つといいわ。ストレリチア…!」
弧月の入り江に到達したときには、すでに日が沈み始めていた。
入り江はその名が冠しているように、大きく湾曲していて、浅瀬が続くような場所だった。
白い砂浜は赤く燃える夕日によって焦がされ、近くの草むらには血のように赤い花がところ狭しと咲いていて、どうしてもおどろおどろしいものに見える。一方で、この世とあの世の狭間にあるようで、うっとりする気持ちにもさせられた。
いつか自分たちが還る場所を、輪廻の環を風景として生まれ変わらせているかのようだった。
「綺麗…」
馬から降りた私は、無意識的にそう呟いていたのだが、鞍から荷物を下ろしながらそれを聞いていたリリーは、信じられないと顔を歪める。
「そうかしら。私にはおぞましいものにしか見えないわ。どれもこれも、血に塗れたように真っ赤じゃない」
「まあ、そうですが…お嬢様は、赤色、嫌いですか?」
「ええ。嫌いよ。だから私、自分の目も嫌いなの」
お嬢様の、目。
真紅だ。
ガーネット、ルビー、レッドムーン…どんな宝石でも比肩できない、赤。
アカーシャ・オルトリンデの瞳。
私は頭のなかで色んなものを想像し、最後に、お嬢様の顔を思い浮かべてから、得心した。
「…あぁ、だから、綺麗と思ったんだ…」
「はぁ?」理解できないものを見るみたいに、リリーが私を見下ろす。「レイブン、貴方、大丈夫なの?」
「何がでしょうか」
「いや、だって…」
すると、リリーが言葉を紡ぎ終わる前に、一緒に来ていたメンバーが声をかけてきた。なんでも、前線基地のほうに人が集まっているとのことで、砂浜を陸地側に進んですぐの棚田を上がっていくそうだ。
リリーはそれを承諾してから、私のほうを心配そうに見やったが、「まあいいわ」と切り替えて、先を行くメンバーの後をついて上がっていった。
私はその背中を見つめながら思った。
どうして、あんなにも美しいものをあの人は嫌いだと言うのだろうか。そして、どうして、あの人が憎むストレリチアという人は、あの美しいものを歪めてみせようというのだろう。
きっと、あの人はあるがままが一番美しいのに。
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