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復讐の黒い百合~流刑となった令嬢は、奴隷と共に国家転覆を企てる~  作者: null
四章 黒百合と鴉

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黒百合と鴉.1

四章のスタートです。のんびりとお付き合い頂けると幸いです!


次回の更新は木曜日になります!

 水だ。


 服の隙間や口や耳、鼻から入ってくる、おぞましい液体。


 上下左右がよく分からなくなっている。

 水が頭の中に入ってきていて、痛い。

 なにが起きているのだろう。


 私は必死に思い出す。


 そうだ、私は賊の征伐についてきていて…奥の屋敷で、賊の頭領に出会って、それから…そう、それから、何かが近づいてきたんだ。それで、床が割れて、水の中に…!


 そうだ、水だ。


 呼吸が上手くできない。飲み込まれそうだ。どうしたらいいだろう、私は、これからどうしたら。


 バックライト夫人の顔が脳裏に浮かぶ。金の髪を持つ美しい人だ。瞳の色は…そう、アメジスト。どうして今まで思い出せなかったんだろう。


 私はぐるぐると水の中でかき混ぜられながら、続けて夫人の体温を、声を思い出そうとした。しかし、うねる水のせいでそれが上手くできなかった。


 夫人のことを考えていると、不意に違う女性のことが頭に浮かんできた。


 アカーシャ・オルトリンデ――リリーお嬢様のことだ。


 あの人は、たしか賊の頭と鉄格子の中に閉じ込められていたはずだ。もしも、その身に危険が及んだらと思うと、恐ろしくてしょうがなくなった。夫人の命令が守れなくなってしまうからだ。


(上に、行かないと)


 上下左右も分からない中でも、私は上を目指そうと思った。良い奴隷であるためには、必要なことだった。


 しかし、そんな私の神経に突き刺さるぴりつきが、少し離れた場所から迫ってきていた。


 何かが来ている。いや、分かる。魔物だ。

 こちらに狙いを定め、水中を稲妻のように泳いで私に近づいてきているのだ。


 それ自体に、恐怖心は抱かなかった。ただ、どうすればいいのかが分からず、困惑していた。


 浮上できないうちに、距離が加速度的に縮まっていく。


 20m、15m、10m…。


 濁った水の中では視力は用をなさなかったが、魔力を感じる力だけはやけに研ぎ澄まされているようだった。


 魔物の気配が残り5mほどになり、押し流そうという水の力も強まったところで、突如、何かが私の体を横からさらった。


 魔物かと思ったが、違う。どうにか目を見開いて確認したところ、それは真っ白な魚のようだった。


 次の瞬間には、私は何かに掴まれたまま水面から飛び上がり、ドスン、と橋の上へと落下した。


「きゃっ!」


 衝撃と痛みに悲鳴が漏れ出るも、再び水の中に潜っていった白い魚の姿を私の目はきちんと追っていた。


 あれは、式神だ。


「レイブン!」


 ワダツミの声だ。


 振り返れば、血相を変えた彼女が駆け寄ってきていた。私と同じでずぶ濡れだったが、幸い、どこにも怪我はなさそうである。


「ふむ、五体満足。どこもかじられてはおらんようじゃの」


 ワダツミが飄々と言ってのけるが、その顔には安堵や怒り、悲しみといった折々の感情がごちゃまぜになって乗っかっていた。


「ワダツミ様。ありがとうございます」


 むくり、と起き上がる。節々が痛むも、動きに問題はない。


「構わん。レイブン、お主はさっさと避難せい」


 私はワダツミの言葉を無視してすぐにお嬢様の行方を探した。だが、どの建物も半壊してしまっているし、水の中を引っ張り回されたせいで自分が村のどの辺りにいるかも分からなくなっていた。


 こうなれば手当たり次第に、と足を動かそうとしたところで、大きく水面が波立つ音が聞こえた。


 また、来る。


 湿地の湖を、ディープブルーの影が疾駆し、迫る。

 肌の表面が、脳髄の端々が、臓腑の隙間が、ピリピリした。


「ちっ、おい、レイブン!水から離れて陸地に上がっておれ!生きておるものはそうさせた!」


 ワダツミが怒鳴る。迫力はあったが、夫人が怒ったときほどではない。


「…それじゃあ、お嬢様のところに行けない」

「な、なんじゃと?」

「私は、行かないといけない」


 言うが早いか、私は駆け出した。


 ワダツミが後ろで何か叫んでいる。だが、それは私を止める理由にはならなかった。なぜなら、ワダツミは私の主人ではないし、お嬢様もそんなふうに私に命じていないからだ。


 左手を見れば、飛沫と共に魔物が水面から顔を覗かせていた。顔はワニそっくりだ。


 魔物が一度深く潜った。こちらを目がけて飛び出してくるつもりだと直感した私は、それでも遮二無二なって走り、一番近くの建物に飛び込もうとした。しかし、魔物は私などよりもずっと速く、跳躍する。


 それは魚のようだった。だが、手足は六本ほどあったし、大きな顎も持っている。上下に不規則に並んだ牙は巨大で、それで口が閉じられるのだろうかと思いたくなるほど大小様々だった。


 真っ赤な口が私に迫る。倒れ込んで避けようとしたところ、例の白い魚が、ワダツミの式神が魔物の側面に体当たりをしかけたことでその必要がなくなった。


 共に水の中に沈んだ二つの影を一瞥してから、私は建物に飛び込む。中には誰もいなかった。お嬢様がいるはずの建物ではない。


 急いで外に出ると、私の目の前に白魚が降ってきた。大きな音と共に床板に叩きつけられた式神は、ひとしきりのたうち回ったかと思うと、ぐったりと倒れ、元の紙に戻ってしまった。


 私を守ってくれた、白い魚。それを葬った魔物が橋を破壊しながら私のいる場所まで飛び上がってきた。


「…っ」


 しまった。これでは袋小路だ。他の建物に向かうには、魔物の下をくぐるか、登っていくかしなくてはならない。


 ぎょろり、と一対の瞳が私を捉える。ぬらりと光る青色の鱗はとても頑丈そうに見えた。


「この馬鹿者!さっさと逃げんか!」


 魔物を挟んだ反対側――壊された橋の先でワダツミが叫ぶ。


 逃げるといっても、逃げられる場所などない。

 水のなかに飛び込む…のは絶対に嫌だ。


 魔物が一つ、大きな咆哮を発する。ビリビリと空気が震えるぐらいの音量に、私は思わず耳を塞いだ。


「この阿呆!」


 ワダツミが片手をこちらへと伸ばす。すると、どこにいたのか、蛇型の式神が上のほうから魔物へと踊りかかった。


 白蛇は明らかにワニの魔物より小さかったが、その長い体を活かして相手の胴体に巻き付くと、ここまで音が聞こえるほどに締め上げ始める。


「これで潰れてくれれば、楽なんじゃがな…!」


 相手を握り潰そうとするみたいに、ワダツミが拳を握る。きっと、彼女はああやって式神に細かい指示を出しているのだろう。


 しかし、そうそう簡単にワニは潰れてくれない。それどころか、むしろ締め上げている白蛇のほうが消耗しているように見えた。


「ちっ…やはり、む、り、か…!」


 次の瞬間、バチン、と白蛇が弾け、白魚と同じように紙に戻ってしまった。ワダツミの苦い顔から察するに、ワニの魔物との力比べに負けてしまったのだろう。


「なにをしておる、レイブンっ!水に飛び込め!」


 水に?

 いや、それは無理だ。お嬢様のところへ行けない。

 だったら、何ができるだろう。どうすればいいだろう。


 命令ありきで生きてきた私に、自分で考えるということは至難の業だ。

 こういうとき、どうしても過去の命令に準じて動こうとしてしまう。そのほうが楽だったからだ。


 バックライト夫人は、私にお嬢様を守れと命令したが、それはどうすれば守れるだろう?


 一刻も早く、お嬢様のところに行く必要はあるだろうが…この魔物がいる以上、それは無理だ。仮に水に飛び込んでも、追いつかれて餌食にされる。


 お嬢様を『守る』という命令を果たすために、今、一番邪魔なもの。


 じろり、と私は魔物を睨みつける。


 とてもではないが、殴りかかって倒せそうな相手には見えなかった。


 だったら、どうすればいい?

 私にはお嬢様のような剣術も、ワダツミのような魔力もない。


「どうなっておる、あやつ、立ったまま気絶でもしておるのか、くそ!」


 白い紙が宙に放り出される。それは再び白蛇の形を象ると、私と向き合っていた魔物に絡みついた。


「ぐっ…!」


 同じことの繰り返しだ。蛇ではワニは絞め殺せず、この攻撃は失敗に終わる。


 少しでも力の均衡を蛇側に傾けさせればいいが…。


 ふと、私の視線は足元に散らばった白い紙片へと向かった。


 白魚だった紙の欠片。まだワダツミの魔力が残っているのか、カサカサとわずかに動いている。


 ――魔力を放つものとは考えず、『物体に吹き込む』ものと捉える…。


 目を閉じ、体の内側を流れる魔力の囁きに耳を貸す。


 昨日、ワダツミに理屈を聞いたことで、なんとなく、魔力というものの形に指がかかっていた。


 目蓋の裏に宿る、この黒い川みたいなもの…多分、これが魔力だ。

 川を流れる水は、普通の水みたいに恐ろしくはなかった。もっと、暖かくて、そして、冷たい。


 心の手のひらで、これをすくう。

 さらさらとこぼれる。


 これじゃ、駄目だ。


 上手く形がイメージできない。注ぎ込むために明確な形が必要だ。


 私は目を閉じたままで、木の床に散らばった紙片に触れた。そして、その中でも分かりやすい、完全な長方形を維持したままの一枚を握り込んだ。


 幅が5センチ強、縦が20センチ弱…。


 この型に、手のひらにすくった水を注ぎ込む。


 ゆっくり、ゆっくり…そうでもしないと、今にも溢れ出てしまいそうだった。


 すぅ、と空気を吸うと同時に、私は目を開く。


 紙は、パチパチと音を立てる黒い光をまとっていた。


 これでいいのか分からないし、これからどうすればいいのかも分からない。


 ワダツミがやっているあれを試みようかと思った。しかし、どんなふうにイメージしてみても、紙は真っすぐ伸びたままで何も起きない。


 やがて、白蛇が少しずつ膨れ上がり始めた。


 また爆ぜてしまう前に、何かしなければ。


 私は、締め上げられ、拘束されている魔物へと紙を飛ばした。


 飛ばす直前、何かをイメージしないといけない気がした。そうではないと、ひらひらと紙が落ちるだけの予感がしていた。


 真っ直ぐ、魔物へと届けるために…そのためには、翼が必要だ。


 翼、鳥。鳥…カラス。

 カラスだ。

 黒い光にぴったりの、私にとって大事な名前。

 今のレイブンを象徴する、私の分身。


 紙は、あっという間に小さな鳥の姿へと――カラスへと変わった。


 魔力をまとうカラスは、締め上げられている魔物の顔面に突き刺さると、一つ、ぷしっ、と傷をつけた。


(駄目だ。これじゃ、足りない)


 そうして私は繰り返し紙を握り込み、次から次へと、カラスを羽ばたかせた。


 ぴし、ぴし、と魔物の顔にいくつもの傷ができる。痛いのか、苦しいのか、そのうち魔物は悲鳴にも似たうめき声を発するようになった。


「これは…!?レイブン、お主…」ワダツミは驚愕の声を上げながらも、きりっ、と眼尻を吊り上げ、「じゃが、今なら…っ!」と拳を握った。


 ミシミシ、と白蛇が魔物を締め上げる力が強まる。その拍子に、魔物の顔についた傷から血が飛び散った。


 生臭く、生暖かい血が私の顔にかかる。それに何の感慨も沸かなかった。ただ、これが命の臭いと温度だと理解しただけだ。


 ダメ押しのつもりで、私はカラスを飛ばし続けた。


 そして数秒後、ボキッ、という鈍い音と共に魔物の首が妙な方向にねじ曲がった。


(死んだ)


 無味無臭の感想が心のうちに漏れる。


 鉄格子の中にいたらしいこいつも、思えば奴隷のようなものか。


 私にとっては、オリエント人よりもよっぽど同胞という言葉が相応しい気がしていた。そしてだからこそ、こうして死んでしまうことが普通だとも思った。


「レイブン…お主、一体、何を…」


 橋の向こうでワダツミが何か言っていたが、私はそれを無視して魔物の死骸を踏み越え、お嬢様がいるだろう建物へと向かった。




 半壊した建物に足を踏み入れれば、私の視界に鉄格子が飛び込んできた。


 ここだ、とようやく正解の建物にたどり着いた安心感を胸にリリーの姿を探せば、部屋の隅っこのほうに蹲る彼女の姿が確認できた。


「お嬢様…」


 ほっと安堵したのも束の間。リリーは血に濡れたままで小刻みに震えていた。


「お嬢様!」


 私は慌てて鉄格子に駆け寄った。


 賊の頭らしき男は血溜まりの中に倒れていたから、リリーが戦いに勝利したのは火を見るより明らかだ。だが、もしかすると大きな怪我をしたのかもしれない。それならすぐにでも治療しなければ。


「…レイブン?」


 リリーは顔も上げずに私の新たな名前を呼んだが、声に力がない。やはり怪我をしているのだ。


「はい、私です。お嬢様、ご無事ですか」

「…ええ」


 またも空返事。いよいよ心配になってきた私は、どうやって鉄格子を開けようかと考え、賊の頭が窓枠辺りの石に触れていたことを思い出した。


 窓際に近づけば、すぐに石は見つかった。おそらく、魔導石だろう。


「待っていて下さい。外に回って格子を下げます」


 反応のないリリーを置いて外に出る。窓枠の辺りに床はないから、手前の柵を台にして飛んで、どうにかそこまで到達した。


 魔導石に触れれば、格子は下がった。ついでに窓枠を越えて中に入って、リリーのそばに駆け寄った。


「お嬢様、お怪我は…?」


 彼女は頭を両膝の間に埋めたままで首を左右に振った。


「で、ですが…お嬢様…」


 無理やり顔を上げさせるわけにもいかないが、どう見ても平気な様子ではない。どうしたらいいものだろうか。


 私がそうして困惑していることが伝わったのか、そのうち、ゆっくりとリリーは顔を上げた。


 酷く憔悴しきった面持ちだった。


 美しい銀髪は赤黒い血でくすみ、ルビーのような瞳にはこの部屋に漂う陰湿な空気が忍び込み、濁った光を放っている。泣いていたのだろう、頬には涙の筋が残っている。


 当然、こういうときになんと言えばいいのか想像もできない私は、間抜けにも悄然とリリーを見下ろすしかなかった。


「…貴方、その血…」


 はっ、として頬を拭う。


「あ、いえ、私の血じゃありません。魔物の血です」

「…そう」


 どうでもよさそうに項垂れるリリー。


 ようやく顔を上げてもらったのに、これじゃ、奴隷失格だ。


「お嬢様」

「なに」

「…私に、できることはありますか」


 一瞬の沈黙。出過ぎた真似をしたかと不安に思ったところ、そのうちリリーは、「ないわ」とだけ答えた。


 奴隷である私にできることなど、ない。

 本当にそうなのだろう。きっと。

 命令がないと、私にできることなどないのだ。


 私は後にやって来たワダツミに声をかけられるまで、蹲るリリーの隣にただ佇んでいるだけだった。

みなさん、お疲れさまです。


みなさんのちょっとした楽しみになれればと、執筆しておりますが、


一ミリくらいはそうなれているでしょうか?


何はともあれ、ご覧になって頂きありがとうございました!

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