決戦前に.3
ストレリチアとのひとときです。
珍しくイチャイチャさせていますので、気になる方はお気をつけて!
決戦前夜は、あっという間に過ぎていった。
ルピナス、マルグリットの二人で少量の酒を飲み交わし、思い出話と未来への便りを胸に留めた私たちは、夜が深まる前に解散した。
私はワダツミらニライカナイが待つ食堂へ、ルピナスはエルトランドの将兵の元へ、マルグリットは…二人分のグラスを手に一人で過ごしたがっているようだった。
ワダツミらは何の遠慮もなく、遅れて晩餐に出席した私をなじった。もちろん、冗談だと分かっているから、私もまた最高の皮肉で切り返し、批判を買う。
誰もが幸せそうに笑っていた。思えば、たいして面白くないことでもあえて笑い転げていたようでもあった。きっと、明日のことを考えるとみんな不安なのだろう。私自身、そうだった。
でも、もしかしたら最後の晩餐になるかもしれない、その美しい時間を…暗いものにはしたくなかったから、私も今だけはと盛大に笑った。
そんな私を見たワダツミが、「お主は笑い方も悪い!それでは悪役丸出しじゃ!」なんてことを言うものだから、私はたっぷりシニカルに微笑んでからドレスの裾を広げて一礼し、「お褒めにあずかり光栄です、第一王女」とふざけてみせる。そうすれば、一同大きな笑い声を上げた。
晩餐も終わりに近づき、酔いも冷めつつあった私は明日に備えて体を休めておこうと、一人食堂から抜け出した。
部屋に至るまでの道のり、あえて人気のない場所を選んで移動する。今は、この心に染み込んだ温みがもたらす余韻に浸っていたかったからだ。
しかし、その静謐に一滴の雫を落とす者が現れる。
私の部屋の前で、両膝を抱いて俯いている女。その姿を見たとき、私は思わず呆れのため息を吐いてしまった。
「はぁ、貴方、そんなところで何をしているのかしら」
そう、寝間着姿のストレリチアだ。
「アカーシャ様…」
顔を上げたストレリチアの表情に、私はぎょっとする。泣き腫らしたふうに目が赤くなっていたのだ。
「ちょっと、どうしたの?ストレリチア」
「あ、いえ…少し考え事をしていたら、思わず…」
「そ、そう…」
こういうとき、どんなふうに声をかければいいのか分からない。だいたい慰め役は、私ではなくルピナスやサリアのお株だった。
「あの…」
「え?な、何かしら」
「約束…覚えていますか?」
「約束?――あぁ、ええ。もちろんよ」
先日、思い出話をしたときに交わした、ワガママを聞くという約束のことだろう。
私が覚えていることを伝えると、ストレリチアは嬉しそうに微笑んだ。その様がまたとても儚くて…きゅっ、と心臓が縮まる。
彼女は、お願いがあるから部屋に入れてくれと頼んできた。断る理由もなかったので中に入れると、案内されるより先にベッドに飛び込んだ。
「ストレリチア、何をしているの。そこは私のベッドよ」
「…分かってます」
枕に顔を埋めるストレリチア。少し恥ずかしい感じがする。
「だったら…」
早くそこをどきなさい、と目くじらを立てようとした矢先、むくり、と顔を上げたストレリチアが私に言った。
「これが私のワガママです、アカーシャ様。最期の夜になるかもしれないから…今晩、一緒に過ごしてもいいですか?」
シーツが擦れる音で、ストレリチアが身じろぎしたのが分かった。私はそれを背中越しに感じながら、ただ、目をつむっている。
ランタンの灯も消し、窓のカーテンもしっかりと閉めた今、暗闇に薄っすらと差し込む廊下の光だけが静かに私たちの輪郭を浮かび上がらせていた。
「アカーシャ様」
ストレリチアの声に、私はぴくりと反応する。彼女の声の響き方から、こちらを向いていることが想像できた。
「起きていますか」
「…何かしら」
背を向けたまま応じれば、ストレリチアは短い沈黙の後、「こちらを向いてもらえますか?」とお願いした。
「どうして」
「お願いします」
押し切られるようにして、私は体の向きを変えた。そうしてから、やっぱり、やめておけばよかったと後悔する。
「…っ」
思わず、呼吸をすることを忘れていた。薄闇に浮かんだストレリチアの顔が、酷く切なげで、それでいて可憐で、魅力的に私の目に映ったからだ。
私の心を締め付ける、得も言われぬ感情。それは私の物なのに、いつも簡単に私の手元から離れていく…。
金の髪がシーツに落ちる様も、弱々しい光を飲み込んで闇の中で輝く青い瞳も、私の神経をますます覚醒させるばかり。
「アカーシャ様…」
私の名前を呼ぶ、甘えたような声。黙って聞いていたら頭がおかしくなりそうだと思って、私は口を開く。
「どうしたの」
「…ようやく、私の旅が終わりそうです」
旅。彼女の旅。時間すらも超越した、未曽有の旅だ。
「ええ、そうね。長いこと、ご苦労だったわね」
「はい」嬉しそうに微笑むストレリチアに、思わず見惚れる。「全部、アカーシャ様のためなんですよぅ。私、頑張りましたよね」
「…これ以上ないくら頑張っているわ。貴方は」
「本当に思ってます?」
「思っているわよ。だから、貴方のお願いを聞いているのでしょう?」
「えへへ…」
はにかむ彼女から目を逸らす。あまりに眩いものほど、ずっとは見ていられないものなのだ。
「アカーシャ様」
「今度は何」
ぶっきらぼうに言うも、ストレリチアは臆することなくお願いを重ねてくる。
「そっちに行っても…いいですか?」
どくん、と鼓動が鳴った。これ以上、詰める距離なんてほとんどないからだ。
「せ、狭いでしょう、このベッドは。もう限界よ」
「限界じゃ、ないですよ?」
甘えた声でそう言ったストレリチアは、こちらの許可を待たずして体を寄せてきた。反対する暇などなく、実に躊躇なく、彼女は私の鼻先に自分の顔を近づけていた。
「す、ストレリチア」
消えるような声。酷く緊張しているのが自分でも分かった。
「ほら、限界じゃなかった」
ふわりと微笑む面持ちは、どうしてだろうか、私よりずっと大人びて見える。
加速する胸の鼓動から逃げるように目を背けるが、ストレリチアはその隙を待っていたかのように空いた私の首元に自らの顔を埋めてくる。
甘い、甘い香り。
何も制御できなくなる。
言葉も、指先も、心臓も、心も。
その証拠に、私の口はパクパクと金魚みたいに開閉するだけだった。
「…アカーシャ様…」
「な、に、よ…」
どうにか絞り出した言葉。それすらも、ストレリチアは塗り潰す。
「抱きしめて下さい…強く」
「ぇ…あ、え、っと…」
「“お願い”です」
そう言われると、不思議と私の果たさなければならない役目のように感じられて、慌てて両腕でストレリチアを抱きしめた。
甘い匂いと柔らかな感触に、本当にどうにかなってしまいそうだ。
私たちは、しばらくそうして黙り込んでいた。正確には、私のほうは混乱して何も言えなくなっていただけだ。だが、ストレリチアはこの時間を噛みしめているようだった。
そのうち、ストレリチアが私の首元で呟きを漏らした。
「…あの夜も、こんなふうにいくつかお願いをしました」
「あ、あの夜…?」
「はい。元の時代で、最後の戦いを控えた夜です」
「そう、なの…」
「一緒に夜を過ごして、抱きしめてもらって…そして、名前を貰いました」
「名前?」
思いもよらない話に私は即座に聞き返す。
「はい。『ストレリチア』という名前は、そのときに与えてもらったんです。これからの未来が、輝かしいものになりますようにって…」
「それは、何というか…」
たしか、ストレリチアの花言葉が“輝かしい未来”であったはず。魔喰らいの指輪をはめられた日にそんな説明を受けたから、なんとなく覚えていた。
「私という人間は、つくづく名前をつけるのが好きみたいね。『リリー・ブラック』に『レイブン』。そのうえ、『ストレリチア』」
「ふふっ、はい、本当に」
嬉しそうな返事が私の鼓膜を揺さぶる。
未来の私が彼女に与えたものは、希望か呪いか。
…そんなことを考えてしまった。
だからだろう。私は直後にストレリチアが取った行動に対応できず、身を硬直させてしまうことになった。
ちゅっ、という軽快なリップ音と共に、ストレリチアが私の首筋に触れるだけのキスを落とす。
一瞬、何が起きているか分からなかった私は微動だにできなかったのだが、再度、鎖骨辺りに同じキスを落とされたことで、我に返った。
「な、な、何をしているのよ、ストレリチア…!」
とはいえ、引き剥がすこともできない。嫌ではなかったが、どうすればいいか分からなかった。
ストレリチアは、私の問いなど無視してこう告げた。
「私があの夜に“お願い”したことがもう一つあって…それをこちらでもお願いしたいんです。アカーシャ様…」
予感がした。これから、どんなお願いをされるのかの。
もぞり、とストレリチアが私の首筋からこちらを見上げてくる。その愛らしい面持ちに宿った確かな欲望が、私の喉を貫いた。
「――今夜だけ、貴方を独占したいです…私にアカーシャ様を抱かせて下さい」
私も馬鹿ではない。ストレリチアが私を見る目に、時々、こうした欲望が顔を覗かせていることぐらい分かっていた。
だが、しかし。
「だ、だ、抱かせて下さい…!?」
あまりに直接的な表現に度肝を抜かれた私は、混乱ここに極まれり、といった状態に陥ってしまっていた。
冷静な思考を失った脳が、勝手にストレリチアに抱かれる自分を想像させる。そのあられもない自分の姿に全身が熱くなった私は、今度こそストレリチアを押しのけようとしながら――酷く、やんわりとだが――機銃のように言葉を放った。
「な、何を言っているのよ?だ、抱かせて下さい?抱くの?貴方が、私を?本気?というか、私が抱く側ではなくて、貴方が抱く側?どうして?へ、変よ、そんなの」
「え…抱いてくれるんですか?」
「抱かないわよ!?」
焦りのせいで距離感も考えずに大声を出してしまう。それを受けたストレリチアが、あろうことか迷惑そうな顔をしてみせたので、私は納得できない想いを強めてさらに続ける。
「いや、いやいや、おかしいでしょう。ど、どうしてそうなるの?それじゃまるで、貴方が私のことを…」
と、そこで私は言葉を止めた。このままその先を言っては、絶対にストレリチアに主導権を持っていかれると直感したからだ。
しかし、時はすでに遅く…。
「――好きですよ。アカーシャ様。というか、そうじゃなかったらこんなところまで会いに来ませんって」
あっけらかんと言い放つ、ストレリチア。
「好きだから、本気になるんです。きっと、なんでもそうですよ。半端な気持ちなら、とっくの昔にどこかで折れています」
こういう素直さを、自分を真っすぐ表す強さを、私は持ち合わせていない。だからこそ、とても眩しくて、目を背けてしまう。
「折れないのは、私のアカーシャ様への気持ちが本気だから」
でも、その輝きは私を逃してはくれない。
「私の想い…ちゃんと、今の貴方にも届いていますか?」
体を起こしたストレリチアが、ゆっくりと私の上に覆いかぶさる。
「と、届いてって…」
下から見上げた青い瞳。青空が投げ込まれた海を彷彿とさせる、綺麗な宝石。それが一条の光を放ちながら、私を見下ろしてくるから…――私は、とうとう自らその海底を覗き込んでしまった。
「アカーシャ様」
たったそれだけのことなのに、ストレリチアは嬉しそうに微笑んだ。
するりとと絡めとられる指先。なんだか、勝手に私が許可したと思い込まれていそうだったが、振りほどくことはできなかった。
とても緩慢な動きで、ストレリチアが顔を寄せてくる。
星が、降って来るみたいだった。
青い、流星。
綺麗だ。
きらきらと眩しくて、そして、儚い。
目蓋が下りるだけで消えてしまう星は、まさにストレリチアそのもの。
私の唇に自らのそれを永劫にも感じられる時間重ねたストレリチアを前にして、私は思った。
簡単にいなくなってしまいそうだと。
だからこそ、こうしてつながりを求めているのではないのかと。
ストレリチアや――レイブンが、誰かに温もりを求めて続けたのは、そうしていなければ、自分が消えると思ったからじゃないのだろうか。
近づいたときと同じように、ゆっくり、ストレリチアが身を離す。
彼女は泣いていた。喜びじゃない。悲壮や寂しさからだとすぐに分かった。
(このまま、消えてしまいそうなほどに、寂しそう…)
孤独は、意志を醸造する。私がそうだったから、きっと多くの人もそうだ。
しかし、その分、孤独は人から大事なものを奪っていく。
私の知らないところで、ストレリチアは孤独の闇を受け入れているのだろう。
私はほとんど無意識的に彼女の首を両手で優しく抱いていた。
「私は慰めなんて上手じゃないわ…それでもいいなら、好きになさい。受け止めてあげるから」
耳元でこぼれる、ストレリチアの嗚咽。
それを塞ぎとめるために私にできることは、そう多くはないと知っていたから、私はそっと彼女に顔を近づけた。
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