決戦前に.2
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とくとくとく…と音を立て、グラスに真っ赤な飲み物が注がれる。エルトランドの銘酒、ブラッディリリーだ。
カーテンを閉め切り、ランプの点灯も最低限だったから、部屋は暗かった。仄かに揺らめく暖色の光だけが、丸テーブルの上に並べられた四つのグラスを照らしている。
「じゃあ、乾杯ですわ」
ルピナスの掛け声で、私たち三人は各々グラスをぶつけあった。
カラン、という爽快な響きは、机上に置いてあるグラスの元で三度鳴ってから、静かに消える。
「はぁ…ブラッディリリー、いつ飲んでも美味しいですわね」
ルビーを液体にしたようなお酒を喉に流し込み、耽溺した声音でルピナスが言うから、マルグリットは片眉を下げて、「明日もあるんだ。飲みすぎるなよ」と生真面目に忠告する。
「ふふ、死因が二日酔いだなんて、笑えないものね」
「まぁ!そんなになるまで飲みませんわ。私もそこまで能天気ではありませんのよ?」
「だといいわね」
「もう!」
皮肉交じりの冗談を飛ばし、カラカラと笑い合う。マルグリットは依然として真面目腐っているが、それがまた私たちらしい。
私たちはしばらく、昔話に花を咲かせた。
四人で魔物退治に勤しんだ日々。
城やそれぞれの家で平和に過ごした日々。
そうして語り合っていると、四人なら、何でもない旅路でさえ特別な想い出になってこの胸の奥でいつまでも息づいていることに気づいた。
それは、とても暖かなことだったけれど…同時に、とても残酷なことでもあった。
ルピナスが過去の笑い話を持ち出し、私がそれを皮肉る。時折、マルグリットが正論だとか、真面目腐った横やりを入れて、笑い合う。いつも、その中で響いていた奥ゆかしい笑い声は聞こえない。
どれだけの時間が過ぎただろうか。夜が更けたことも分からない今、三人が過ごす酷く懐かしい時間は一瞬の輝きのように短く感じられていた。
そのうち、そっと静謐が広がった。まるで語るべきことを語るために用意されたような時間に、私はこっそり深呼吸してから本題を切り出す。
「…ルピナス、マルグリット」
途端に深刻な声音になったからだろう。彼女らも佇まいを正して、私の話を聴く態勢を整える。
「――色々と、迷惑をかけたわ。ごめんなさい」
椅子に座ったまま、深々と頭を下げる。こんなに真剣に謝ったことは、おそらく、生まれて初めてだ。
「アカーシャ…」
二人もとても驚いた様子だったが、すぐに私にならうように頭を下げ、各々謝罪を口にした。
「私のほうこそ、貴方の心を離してしまって、ごめんなさい。アカーシャ。立場や大勢の言葉に飲まれて、何も言えなくなった私を、赦してほしいですわ」
「私もだ、アカーシャ。どれだけこの心が正しいと信じていても、お前の苦悩を無視し、耳を傾けずに突き放していい理由にはならなかったと、今は反省している。すまなかった、赦してほしい、アカーシャ」
ルピナスもマルグリットも、すらすらと謝罪の言葉を並べる。きっと、ずっと前から考えていたのだろう。
「ルピナス、マルグリット…」
欲しかった言葉が、こんなにもあっさりと手に入った。だからといって、満足感はなく、どうしてこんな簡単なことを私たちは選べなかったのだろうと苦しく思うばかり。選べていたら、どれだけ待っても空にならないグラスが食卓に並ぶことはなかったはずだ…。
しかし、それでも、前を向かなければならない。
「赦すわ、二人とも。だから、貴方たちも、私を赦して頂戴」
「もちろんですわ」とルピナスが、「ああ」とマルグリットが、それぞれ答える。
顔を上げた私たちは、一向に減らないグラスに向かって揃って頭を下げると、傷つきながらも前を向く意志と共に互いに口元を緩めた。
「ありがとう…あのね、もう一つ、お願いがあるの」
「ええ、ええ。なんでも言って、アカーシャ」
赦し合ったことで明るくなったルピナスの笑顔を、これから自分の言葉が曇らせることは分かっていたから、少し、苦しかった。
でも、大事なことだった。
私が選んだ道を、きちんと、貫いていくためにも。
「アカーシャ・オルトリンデは、もういないものだと思ってほしいわ」
決意を胸に告げた言葉を聞いて、二人は大きく目を見開いた。とりわけルピナスは動揺して、すぐにその理由を尋ねてきた。
「な、なぜ、なぜなの、アカーシャ?」
「私なりのケジメよ。色んなものを巻き込んで、取り返しのつかない傷跡を残してきた私だから…たとえ、貴方たちと仲直りしたとしても、その罪の重さを忘れないよう、リリー・ブラックでいたいのよ」
アカーシャ・オルトリンデであることをやめて、リリー・ブラックとして今後も生きていく。
それが、私が考えに考え抜いた結果出した答えだった。
そうすることで、“アカーシャ”であった私を消したいわけでも、築き上げてきた絆と決別したいわけでもない。
私が彼女らに説明したように、自分が選んできた道の責任を、この胸に刻んで生きていくためである。
“リリー・ブラック”を、復讐のために咲く花の名前ではなく、私という人間を背負い込むための十字架にしたかった。
正しいとか、間違っているとかじゃない。
私がそうしたかった。
「わ、私は…アカーシャのことを忘れるなんてできませんわ…!」
「あら、馬鹿ね、ルピナス」
すぐに泣きだしたルピナスの涙をそっと拭う。
「私のことを忘れる必要なんてないわ。私はね、過去と決別するために名前を変えたいのではないの。これから自分が歩いて行く道を、この手で選んだ、その証を刻んでいたいのよ」
「…あ、アカーシャ…」
「ダメよ、ルピナス」
彼女は私の大事な幼馴染。
それなのに、傷つけてばかりだ、私は。
「リリー、と呼んで。私が選んだ私の道を祝福してくれるのならば」
こんなことを言われて、ルピナスが断れるはずもないと分かっていた。ずるいかもしれないが、これもまた私だ。
「うぅ…えぐっ…」
何度か名前を呼ぼうとはしてくれているようだったが、流れる涙がそうはさせない。代わりに、マルグリットが穏やかに口を開く。
「いいだろう。それがお前の選択ならばな…リリー」
「…ありがとう、マルグリット」
そのうち、冷静さを取り戻したルピナスが、寂しそうに何度も私の名前を呼ぶ。それからぽつり、とマルグリットがこんなことを言った。
「互いの意思を尊重し合う…こんなにも簡単なことを、私たちはなぜ、できずにいたんだろうな」
私と同じことを考えていたマルグリットが、グラスの液体を揺らしながらぼやくから、私も同じようにしてみせながら、私なりの答えを口にした。
「暗闇の中にいたのよ。お互いに。そうして、盲目になっていた。目を閉じれば見える、目蓋の裏側の闇に自分の感情だけを投影して、何も見えなくなっていた…」
「…それでは、大事なものの輪郭も覚束ないのにな…」
グラスを傾け、マルグリットが顔をしかめる。己の不甲斐なさを呪う姿に胸が苦しくなっていると、彼女はこんなことを口にした。
「実はな、まだ、サリアの墓を建てられていないんだ」
「え?」
意外な言葉に私は面食らった。
「こんな時代ですもの…亡くなった者たちを正しく悼む時間もなくて…いえ、言いわけですわね。ただ、サリアがいなくなってしまったことを、私たち二人では受け止めきれなかったというべきですわ」
涙と嘆息混じりにルピナスがそう言ったから、私は自然と、マルグリットの胸元にかけてある十字架を凝視してしまう。
その視線に気がついた彼女は、強く十字架を握りしめ、「情けないことだな、本当に…」と漏らした。
本来であれば、三人で背負うべきだった十字架だ。それを二人だけに背負わせたのは、私の選択の結果であり、今からでも受け止めるべきことだった。
私はしばし口をつぐみ、何を言うべきか、いや、何から始めるべきかを模索した。そして、ひとしきり自分なりに考えたところで、そっと息をするように言う。
「この戦いが終わったら、建ててあげましょう」
きちんと葬ってあげることも、命を奪った私の役目だ。たとえそれが、生きている者の自己満足であったとしても。
「あの子が望んだように、もう争い合うことのなくなった私たち、三人の手で」
私の提案に、二人は静かに同意した。
手放したことで学んだこともある。しかし、手放さなかったならば、失うことのなかったものもある。
「勝てるだろうか」と珍しくマルグリットが弱気な姿を見せるから、ルピナスが微笑んで、「なんとかなりますわ」と口にした。
久しぶりに耳にする幼馴染の口癖に、私も揃って口角を吊り上げる。
「建てる墓の数は一つでいいわ」
次回の更新は火曜日です!
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