復讐の終わり.6
降伏した国王派エルトランド陣営の後処理はワダツミらに任せ、私は最低限の人員を伴ってすぐさま反対側の戦線――マルグリットやルピナス、それからストレリチアが魔物と戦っている方角へと向かった。
鳥籠の中を駆け抜ける。中には負傷兵がたくさんいたが、見知った顔は少ない。
石畳を踵で打ち鳴らし、中庭を、通路を抜け、反対側の閉ざされた門、その上の城壁に駆け上がり、何の躊躇もなく飛び降りる。
体が重力に引かれて落ちる最中、あちこちで魔物と戦う人間の姿が見えた。
特に目立つのは、やはりストレリチアのものらしき真っ赤な炎だ。
最前線、敵陣深く切り込み、一切合切燃やし尽くしている様子は、まさに災害。彼女にその意思さえあれば、一国を焼くことも容易いのではないだろうか。
しかし、私が一番探しているのはそれではない。
爆ぜる、青い稲妻。これも違う。
複数の敵に囲まれてもなお、攻め手を緩めず骸を積み上げる剣閃。これも違う。
天高くから、すとんと戦火の中に着地する。足の痺れは軽い。魔力が織り込んであるこのドレスがなければ骨折ものである。
顔を上げれば、すぐに白い怪物が私に牙を剥いてきた。
「邪魔なのよ!」
鞘から太刀を滑らせ、まとめて二体の腹を切り裂く。
臓腑をまき散らす仲間に気を取られることもなく、一体、また一体と間合いを詰めてくる。だが、回避という選択肢も持たず、勢いだけで突っ込んでくる相手など、私の相手になるはずもない。
目的を邪魔されている、という憤りを晴らすべく太刀を袈裟、逆袈裟と振り回し、次から次へと骸を生み出す。
太刀を振るい続けた結果、私の周りに群がる魔物はとうとういなくなった。こうして見れば、どちらが魔物か分からない。
ふと、天から降る紫の光が遮られた。
遮ったのは、黒い影。
翼を広げた、大きな、大きな、黒い影。
幻覚じゃない。確かににその鳥は、私の数メートル先に降り立っている。
黒々とした瞳が、私を真っすぐ捉える。こちらの胸の底を覗くような眼差しに反射的に怯みそうになったが、私は気を奮い立たせ、こちらも覗き込むように見つめ返す。
互いに、しばらくの間、無言で過ごした。
誰も、私たちの邪魔をしようとしなかったことが救いだった。
「…貴方も、選んだのかしら」
ドイルを打ち倒しながら、赦すことを、赦されるために生きていくことを選んだからだろうか。私は無意識のうちに、そんなことを彼女に尋ねていた。
彼女は、鳥がするように小首を傾げると、しばし、熟考するように沈黙を保ってから口を開いた。
「何を、ですか」
もう話してもいいの、という皮肉が浮かんだが、すぐに取り消す。大事な話だ。
「こうして向き合うことをよ」
「…」
「何も答えないのは、話したくないの?それとも、言葉が出ないの?」
「…後者です。お嬢様」
「そう…」
前者ではなくてよかった、と思うと同時に、今このときになってまで、レイブンに言うべき言葉を自分自身も持っていないことに気づき、苦々しく思った。
だが、いつまでも黙ったままでいるわけにはいかない。いつタイムリミットが来るとも分からないのだから。
だから、私は――…。
「レイブン」
すっ、と太刀を下ろす。
「お嬢様…」
戦う意志がないことを示せば、少しだけレイブンも安堵したように私の名前を呼んだ。でも、これだけでは何も解決しないことも知っていたから、とにかく言葉を重ねることを選ぶ。
「私も、言葉が見つからないのよ、レイブン。心がね、さまよっているの。この先、どう生きていくかは見定めたつもりでも、貴方に言うべき言葉だけは、まだ、迷っているわ」
「迷って、いる…」
「ええ、そうよ」
「…私も、です。お嬢様」
苦い顔で俯くレイブンを見て、私はふっと口元を綻ばせる。
「ふっ、そんなの、貴方の顔を見ればすぐに分かるわ」
レイブンがこんなにも迷う様を、今まで一度でも見たことがあるだろうか?名前の件や夫人と戦うかもしれないことを伝えたときは動転していたが、冷静になってもなお、考えに悩む姿はとても珍しかった。
だからこそ、嬉しくもある。それだけ私との関係を重く見ている証だから。
「ねぇ、レイブン。また、聞いてくれる?ずっと昔に、私が復讐を始めた理由を聞いてもらったみたいに」
「…はい。もちろんです。こんな私で構わないなら」
「馬鹿ね。貴方がいいのよ、レイブン」
会話するには少し遠い距離だが、互いに歩み寄ろうとはしない。まるで一本の川が二人の間に流れているみたいだった。
それから私は、レイブンがいない間に起こったことを語った。
ストレリチアと決闘したこと。彼女が未来から来た人間で、魔竜を討ち滅ぼそうとしていること。そして、そんな彼女を私も信じると決めたこと。
ワダツミのお節介のおかげで、ルピナスやマルグリットらと、もう一度、話し合おうと決めたこと。
最後に、ついさっき、ドイル王を打ち破ったこと。その過程で、ジャンを、ドイル王を赦すと決めたこと。私もまた、彼らを始めとする私が裏切ってしまった人に赦されるために生きていこうと決めたこと。
レイブンは、ずっと静かに聞いていた。
穏やかな眠りに入るための夢物語、その狭間でまどろむみたいに。
私が全てを語り終えたことを悟ると、真っすぐにレイブンは私の目を見つめた。
その眼差しのきらめきは、さながら、夜の星のように美しく、私の呼吸を止める。
「色んなことがあったのですね、お嬢様」
「…ええ」
「そんな大変な時にお側にいられず、申し訳ありませんでした」
「ふふ、本当よ」
私が悪戯っぽく笑えば、レイブンもそっと口元を綻ばせる。出会った当初には見られなかった柔らかい表情だ。
「お嬢様は変わられました。敵を定め、そこに向かって命を摩耗するみたいに走り続けていたお嬢様から、他人や物事の本質を探し、過去の自分を見つめ、これからの自分がどうあるべきかを悩むお嬢様に」
「レイブン…」
レイブンがそんなふうに私を捉えていたとは思いもよらず、目を丸くする。
台詞をそらんじるみたいに私の変化を語るレイブンの顔には、依然として暖かな微笑みが宿っていたのだが、そのうち表情を一転させ、暗い顔で俯き、独り言みたいにぼやいた。
「…お嬢様は変わられた。それなのに、私は変わらない…。自分ではない誰かに、自分のことを委ねてばかりだ…!」
葛藤を表に出すレイブン。私は、今、この言葉を受け止めなければ、彼女と共にいたいと願うことすらおこがましいのだと思い、ゆっくりと唇を動かす。
「それは、貴方にとって嫌なことなの?」
「…たぶん」
「なら、委ねるのをやめてはどうかしら?」
「でも、自分では決められない!そんなふうに、私は今まで生きてきてないから…!分からなくなる、そもそも、できる気がしないし…!」
今まで、レイブンが自分で何かを決めたことがないわけではない。ただ、根本には誰かの命令がずっと残っていたことも事実だ。私の命を救うときも、私を甘やかさないときも、すべて、私かバックライト夫人の命令がある。
やがて、レイブンはその場に蹲ってしまった。
「翼があっても…飛ぶことができない…もう、誰かに、決めてほしい…貴方のところに行くべきなのか、奥様のところに留まるべきなのか…っ!」
すすり泣く声も聞こえる中、そんなことをレイブンが口にした。
私はすぐに、自らの内奥にあるジレンマをさらけ出し苦悶するレイブンに手を差し伸べたくなる。
私のところに決まっているでしょう、と。
テレサ・バックライトは、貴方を利用しているだけだ、と。
頭を撫でながら、優しくそう諭してあげたい。その欲求に突き動かされ、一歩、彼女のほうへと足を踏み出した刹那、何かが視界の隅を横切った。
それは、カラスだった。
これも幻覚ではない。本物の、カラス。
黒い瞳が、じろり、と私を睨みながら滑空する。それはやがて黒い軌跡を残して彼方へと消えたのだが、私はそれに何か警告じみたものを感じて踏み止まった。
…私は、また繰り返そうとしていた。
「…勝手に与えて、勝手に救った気になるな」
ぼそり、と言葉をこぼせば、レイブンもゆっくりと顔を上げた。
「貴方の言葉よ、レイブン。『奪われて、与えられて、奪われて、与えられての繰り返し…。どうしようもない、その円環に救いなんて見出せない』とも貴方は言った」
黒曜の瞳が、私を遠くから貫く。得も言われぬ感情が瞬いているのを私も見つめながら、胸を張る。
「私は、貴方の言う通りだと思ったわ。私のエゴイズムを突きつけられて、反省した。だからこそ、勝手に貴方を救った気にならないと、与えたりしないと決めたし、貴方にも、私が信念から逸れて楽をしようとしたときは、赦すなと命令した。だから、私も貴方が求めたように命令を出し、貴方も私との約束を守り、私を導いてくれた」
レイブンの眼差しが、声が、今までどれだけ私の背中を押してくれただろう?彼女がいなかったら、私は間違いなくここにはいない。死んでいるか、“死んだように生きている”かのどちらかだ。
今度は、私が背中を押す番だ。
今度は、私が彼女を赦さない番だ。
与えるのではない。救うのでもない。
十分に育った雛鳥が、天を駆ける、その第一歩を…!
「貴方とそうして生きてきた私だからこそ…レイブン、今、言うわ」
レイブンが私を見上げる。恐れているのか、待ち焦がれているのかも分からない眼差しに不安を抱くが、この不安を蹴飛ばして微笑み伝えることこそが、今の私の役目なのだ。
「――自分で決めなさい、レイブン。巣から飛び出さなければ、羽ばたけるかどうかも分からないのだから」
明日、続きを更新致します!




