復讐の終わり.1
四章となっております。
折り返しに入っておりますので、今後もお付き合い頂けると幸いです。
「見張り、交代するわ」
光の柱がある方向とは逆の地平線が一望できる城壁の上で、私は見張りのオリエント、エルトランド兵に声をかけた。
そうすれば、彼らは私の姿にぎょっとした様子を見せたが、こちらが何も言わぬままに腕を組み、仁王立ちしたことで一礼して砦の中へと去っていった。
「ふぅ…」
肩にかかった銀糸をはらい、真紅のドレスの裾を風になびかせる。
時間の感覚が麻痺する景色の中、私は確かに優しく孤独な夜風に吹かれていた。
死を待つだけだった、あの牢獄に吹き込んでいた風。私はそれを今、自由の身で浴びて、大地と空の境界を一点に見つめる。
ここに来たのには、いくつか理由があった。
一つは、夜の風を浴びたかったから。
二つめ。こちらのほうが大事だろうか。
きらり、と地平線が輝く。ゆらゆらと揺れるのは…魔導灯の光だった。
「…来たわね…」
続々と地平の彼方から現れるのは、豪奢な旗を掲げた一団。旗に刻まれた大鷲のエンブレムは、正統なる王家の証を示すものである。
「そう…そうなの、ドイル・デューク・エルトランド…貴方は私と違って“そちら”のほうが大事なのね」
私がドイル王にぶつけた言葉。命か誇り、どちらかを選べというもの。彼は前者よりも後者を選ぶということなのだろう。どう転んだって、あの数の兵士ではなし崩し的に連合軍となった私たちには到底適わない。
一つの未来では、自分の義父となるはずだった男の決断を目にした私は、意識して口角を吊り上げ、嘲笑をこぼす。
「…はっ、まあいいわ。生き方を選ぶ自由があるのだから、死に方を選ぶのもまた自由よね、ドイル王」
偵察に出ていたオリエント兵が報告してくれたとおり、ドイル王が自らの私兵や親衛隊を率いて王城とは違う方向からやってきていた。
彼らだって、あの魔竜のことや魔物たちのことは知っているだろうに…それでも、この戦いを優先しているのだ。
(上等だわ)
ぎゅっ、と拳を握り、瞳に力を込める。
睨み据えるは、ドイル王とその配下共。
もはや、これから変わっていくエルトランドには無用の長物。
そうして一人気炎を上げていると、不意に、後ろから見知った声がかけられた。
「本当に来られたのですね…」
首だけで振り返れば、そこには悲壮な面持ちをしたルピナスとマルグリットがいた。
「民が一生懸命避難しているというのに…本気でまだ、人間同士で戦争を続けるおつもりなのか」
「それほどまでに息子の仇である私が憎いのよ」
鼻を鳴らしながら、再び正面を見据える。そうすれば、彼女らが背中にいることを感じられて自然と背筋が伸びる。
「ストレリチア様が予測したとおり、魔物とあの娘たちもこちらに向かってきている。我々を挟撃する算段のようだな」
「…そのようね」
あの娘“たち”という言葉に、きっとレイブンもそこにいるのだろうことを直感する。
結局、レイブンにかけるべき言葉は見つかっていない。ワダツミと交わした言葉から天啓を得ようにも、そう都合よくはいかなかった。
今度、あの子に会ったとき…私は、なんと声をかければ後悔せずに済むのだろうか…。
私が目の前の敵のことも忘れ、そんなことを考えていると、いつの間にか隣に立っていたルピナスがそっと私の二の腕に触れた。
「アカーシャ、本当に貴方たちだけでドイル王と戦うのですか?」
久しぶりに近くで見る、くりくりとした愛らしい瞳が不安に揺れている。それが私の心に絡みつく前に、そっと視線を切った。
「ええ、私はどちらでもよいのだけれど、ワダツミが――いえ、オリエントの人々がそれを望むのよ。受け入れてあげるほかないでしょう」
「今や戦力差は歴然としていますが…王の親衛隊たちはあんな魔物たちよりも手強いですわ。やはり、平等に戦力を分散したほうが――」
「くどいわよ、ルピナス」
私は冷たく幼馴染を一蹴する。
「元はと言えば、彼らの戦争よ。決着のつけ方ぐらい、彼らに決めさせてあげるべきだわ」
「それは…」
言い淀むルピナスの背中にマルグリットが、「こればかりはアカーシャに同意だ。戦士には、ただ戦う以上の意味が宿る戦いもあるのだ」と告げたことで、彼女ももう食い下がることをやめたようだった。
ゆっくりと離れていく、ルピナスのたおやかな白い指。それを横目で追っているうちに、今度は食堂でワダツミに言われたことを思い出す。
あんなもの、本当に余計なおせっかい。老婆心だ。
そう簡単に戻れるのであれば、私たちはこんなにも苦しんでいない。あんな無責任な言葉は、当事者ではないから言えるだけなのだ。
だというのに…やはり、私の心は揺れている。
「心配してくれるの」
気づけば、そんなことを口にしていた。
視界の外でルピナスがはっ、と息を吸ったのが分かった。
「あ、当たり前ですわ、アカーシャ…!」
再び戻ってくる指先から、彼女の優しい心を混沌とした渦の中に放り込んでいる私が感じてはならない慈しみを感じてしまった。
「アカーシャ、私は、貴方を手放してしまってはいけなかったのですわ。この魂よりも大事にしていたはずの貴方の心を手放した私は、もう、呼吸もできなくて、苦しくて…だから、また、あの頃のように戻りたいのです!一度は手放してしまったものを、もう一度…!」
私は、次第に力が込められていくルピナスの指に自分の左手を重ねた。
「軽蔑されてもいいですから…もう一度…」
血と罪で染まり続けた革手袋は、重々しくルピナスの手を覆った。
戻れるのだろうか?
鍛錬を共にし、下らない会話に花を咲かせ、共に旅をして、共に戦った、あの頃のように?
戻れるのだったら…私だって、戻りたい。
でも、何もかも変わってしまったというのに、そんなことが赦されるはずがないじゃないか。
もしも、私を赦せる人間がいるのだとしたら…それは、土の下だ。
「マルグリット」
ぼそり、ともう一人の仲間の名を呼ぶ。
「何だ」
相変らずの愛想の無さ。でも、これがとても彼女らしい。
私は、深く酸素を吸い込んで、息を止めながら言葉を紡いだ。
「――サリアは、赦してくれるかしら…」
この赤黒い手袋が最も色濃く吸い込んだ罪。それは、あんなにも善性に満ちた人間をこの手で葬ったことだろう。
三人の脳裏に、あのおどおどした、でも、優しく勇気に満ちた笑顔が蘇る。
「その問いの答えを、私も探している」
マルグリットが私と背中合わせに立つのが気配で分かった。
「だが…思い出の中のサリアは、ずっと私に微笑むだけだ。何も答えてはくれない」
それから私たちはしばらくそうして佇んでいたのだが、いつまで経っても降りてこない私たちを案じた兵士に呼ばれ、それぞれの戦場に赴いた。
この一戦が終わった後、もう一度、三人で話し合うことを約束して。
次回の更新は火曜日です!




