巫女の傀儡.1
三章のスタートです!
定期的な更新を続けますので、よろしくお願いします!
私とレイブンが、ワダツミの率いる自警団――『ニライカナイ』の世話になり始めて、すでに一週間が経とうとしていた。
レイブンはしばらくの間、傷の治療のために動くことができずにいたのだが、その間に私は、ワダツミと交渉を進めていた。
『なに?お主、本気か?』
私がワダツミにニライカナイの手伝いをさせてほしいと告げたとき、彼女は面食らった様子でそう尋ねてきた。
ワダツミが私の真意を問うたので、とりあえず、『金がいる』と理由を説明した。何よりも分かりやすい、金銭欲を提示したためか、彼女は妙に勘ぐることなく提案を受け入れた。
そのとき、彼女はちょうど人手が必要だったから、と二つ返事したわけだが、その理由が一週間後の今、ようやく理解できつつあった。
「…賊の討伐、ね」
ワダツミの部屋に呼ばれた私は、彼女が椅子に座るよう促すのを無視して、話を聞いていた。そこで彼女が説明した、今回のニライカナイの仕事の詳細を伺い、呟きを漏らしたのである。
「それって、この間、私が戦った相手のことよね」
「左様」
ずずっ、とお茶をすすりながら、呑気な口調でワダツミが言う。
「奴らは、昔からこの地域に出没していた賊じゃ。大きな人的被害が出ていたわけではないから、儂らも軽く見ておったのじゃが…、人さらいまで始めたとなってはもう、そういうわけにはいかんくなってのぉ」
「お気の毒に。野放しにしていた代償を支払ったところだったのね」
人的被害が出ていないからといって、軽んじているのが悪い…と考え、つい、皮肉がほとばしる。
「お主、それをみなの前で口にするなよ。殺されてもしょうがないぞ」
「あら、ごめんなさい。あまりに悠長な感想だったものだから、つい」
私の言いたいところを察したのだろう、不愉快そうに眉をひそめていたワダツミも、バツが悪い顔になった。そして、窓の外を眺めながら一つため息を吐くと、力なくこう言った。
「儂らも、本当は早う退治しておけばよかったと思うておる。ただな、どこぞの野蛮人が度々領海をうろついておるせいで、気が回らんこともあるのじゃ」
どこぞの野蛮人の一人である私は、たしかに、侵略されている国側は対応に追われる一方か、と多少の哀れみを覚えた。だが、ふと、この国の為政者たちはどうしているのだろうと気になり、それを尋ねた。
「本国のうつけ共には、最前線の壮絶さは小指一つぶんほども想像できておらぬ。このまま領海付近で適当な海戦を続けていれば、いつかはエルトランドが諦めるだろうと…そんな希望的観測を抱いておる」
実に間抜けじゃ、とワダツミは鼻を鳴らして背もたれにずしりと身を預ける。まあ、小柄な彼女がそうしたところで、椅子はほとんど軋みもしないわけだが。
「それで自警団ね…」私は改めて、ちゃんとした哀れみを覚えた。「大変ね、貴方たちも」
「まあのぅ…とはいえ、海戦は本国の軍隊がやってはおるからの、文句は言えん。それに、エルトランド人に比べ、儂らは海の上での戦いに慣れておるから、そう思いたくなるのも分からんでもない」
「そうらしいわね。国では、ずいぶんと貴方たちの文句を聞かされていたわ」
「それは光栄じゃ」とワダツミは笑った。そして、真顔に戻った後、改めて、「だからこそ、こうした細かいことは、国ではのうて、儂らがする必要があるのじゃ」と本題に戻った。
「事情は分かったわ」
私は次に報酬の話をした。現金な奴だと思われるかもしれないと危惧したが、ワダツミは何も言わなかった。
エルトランド王国と東国オリエントの通貨は共通だ。これは、王国がオリエントを植民地にしていた歴史の名残である。
「…分かった、それでいいわ」
相手が提示してきた金額に対し、私は交渉もせず頷く。
命の値段は数日分の生活費、そして、寝床の代金といったところだった。決して高くはないが、まずは信頼を勝ち得るのが最優先だ。
この国で、エルトランド人だからといって私を排斥しない人間に出会えたのは僥倖だ。それに、ワダツミはなかなか話が分かる相手であった。
「話が早いのぅ」と笑うワダツミ。
年齢は自分より少し上に見えるし、下にも見える。オリエント人らしい年齢不詳感を後押しするのはこの年寄り臭い話し方だ。
「出立は明後日じゃ。それまでは、まぁ、タダメシくらいは食わせてやるから、安心せい」
「ありがとう…あの、迷惑ついでに、もう一つお願いしてもいいかしら」
「なんじゃ、意外と遠慮がないのぉ」
苦笑したワダツミが、瞳だけで先を促す。
私は話を始める前に、立てかけてある刀を一瞥した。
「先に確認なのだけれど、レイピアは置いてないのよね」
「れいぴあ?あぁ、細剣か?」
細剣で合っているのかは分からないが、頷いてみせる。そうすれば、彼女はすぐに首を横に振った。
「そんなもの、あるわけがなかろう」
「エルトランド人との戦いで拾ったものでもいいのよ」
「馬鹿たれ。あいつらとの戦いで得たものは、全部、海か炉の中じゃ」
それもそうか、と思いつつ、私を馬鹿と罵るワダツミにイラッとしてしまうが、頼んでいるのは私だとぐっとこらえる。
「…私にとって、あれは明らかに使いづらいわ」
ワダツミの視線が私の視線を追って、刀に行き着く。
「それはまあ、そうじゃろうが…」
そんなことを言われても困る、と顔に書いてある。
分かっている、だから私は、学びたい――適応したいのだ。
「言いたいことは分かるわ。だからね、ワダツミ、あれの扱いについて教えてほしいの」
「なに?」
「人に師事させろとは言わないわ。せめて、そう、指南書でもあればいいわ。用意してくれないかしら」
私の頼みを受けて、ワダツミは妙な顔をした。不機嫌そうな、あるいは、嬉しそうな…こちらの意図を測りかねているのだろうか。
ややあって、彼女は顔を窓のほうへと向けて言った。
「お主らエルトランド人は、儂らオリエント人よりも遥かに呪い(まじない)――そちらでいうところの、魔導の才に優れた人間が多いと聞く。一方、儂らはその才能を顕現できる者のほうが圧倒的少数じゃから、武術を磨く者のほうが多い」
ということは、ワダツミはおそらく、圧倒的少数側の人間なのだろう。紙の蛇(式神というらしいが)は明らかに武術云々ではなく、魔導的な力によった存在だ。
「じゃからのぅ、武芸は、お主らエルトランド人に対し我々が勝っている数少ない点でもあるわけじゃ。それをの、エルトランド人であるお主に教えると思うか?」
エルトランドを捨てて出てきた人間だと説明してもなお、そうくるか。
それだけ民族間の軋轢は酷いのだろう。だが、個人となった今の自分にとっては、邪魔なものでしかない。
「もちろん、それを承知の上で頼んでいるのよ」
「…お主、魔導は使えんのか」
こちらの事情を知らないがゆえの発言に、私はぴくり、と青筋を立てる。
「使えないわ」
「エルトランド人が、一切使えんということはなかろう。そちらを鍛錬したほうが――」
「だから、使えないのよ」
明確な怒りと共に言葉を遮った私を、ワダツミが驚いた顔で見つめる。
「一切か」
「一切よ」
私が苦々しい表情で顔を背け、「深くは聞かないで。お願いだから」と付け足したことで、ワダツミはようやくそれ以上の追及をやめた。
「用意させよう」
ぼそりと告げたワダツミの言葉に小さく礼を告げて、私は自分の部屋へと戻るのだった。
部屋に戻ると、ちょうど、レイブンがベッドから起き上がり、服を着替えようとしているところだった。
私のとは違う、少し濃い肌色にどこか罪悪感を覚えてしまい、声をかけようかかけまいか迷っていると、彼女のほうから声をかけてきた。
「お嬢様、いかがでしたか」
レイブンはこちらの視線をまるで気にすることなく、ぱさり、とシャツを地面に落とした。その無造作ではしたない所作に、私はつい顔を逸らして苦い顔をする。
「レイブン。早く服を着なさい」
「え」
「え、じゃないわよ。貴方、以前から思っていたけれど、少しは恥じらいというものを持ちなさい」
「はぁ」
分かったのか、分かっていないのかが不確かな曖昧な返事だ。こういう返事をするとき、決まって彼女は自分の経験と照らし合わせているらしいことが最近分かった。
「あと、背中を向けて着替えなさい。窓のカーテンも閉める!全く、バックライト夫人はどういう教育を貴方に与えたのかしら…」
一瞬、レイブンの動きが固まった。表情は無感情なままだが、彼女の眼差しには、何か非難するような色があったため、私はすぐに彼女が夫人のことを悪く言われたから不服に思っているのだと気付いた。
しかし、事実は事実。言われてもしょうがないことでしょう、とこちらも強く見返す。そうすると、彼女も諦めたふうに体を反転させて口を開いた。
「失礼しました。お嬢様」
自分の感情を殺すのがとても上手い――と妙に感心させられた、そのときだった。
「レイブン、貴方…」
思わず、私は口を動かしていた。それから、あぁ、これか、と一人得心する。
レイブンの背中に刻まれた、細い、いくつもの線状の傷。
ナイフでつけられた傷だ。おそらく、レイブンが言っていたように、バックライト夫人が彼女に与えた烙印だろう。
私はそれを見て、なんだか、ムカムカする気持ちにさせられた。
奴隷、とは言ってもレイブンは明らかに一般的な奴隷とは逸脱した存在だった。
綺麗に手入れされた黒髪、肌。食べる物に困らなかったのであろう、瑞々しい四肢。豊富な言葉。
てっきり、レイブンは『幸福な奴隷』だったのだと思った。いや、違う。私自身がそう思いたかったのだ。
奴隷制という、私たち上流階級が生み出した歪んだ歴史が目の前の少女の人生を捻じ曲げている…そんな事実を認めたくなかったのだ。
「いかがなさいました、お嬢様」と首だけでレイブンがこちらを振り向く。
誤魔化すのも情けがない、と思い、私は答える。
「…背中の傷、消えないのね」
「傷…あぁ、そうですね」
なんだ、そんなことかとでも言いたげに、彼女は着替えを再開する。
「レイブン」
「はい」レイブンは律儀に手を止める。
こういう教育には抜かりが無かったのだろう。
「夫人のこと、憎くは思わないの?」
「奥様のことを、ですか?」
「ええ」
レイブンは一瞬、思案げに眉をひそめた。何気に珍しい顔だ。やがて、彼女は小首を傾げると、本当に理解できないといった面持ちで尋ねた。
「…なぜ、私が奥様を恨むのでしょう」
「な、なぜって…」今度は私が理解できないという顔をする。「貴方、それ、痛かったでしょうに」
「はぁ」
またこの返事。
自分の不幸だろうに、まるで他人事だ。
「私が奥様を恨むことは、ないかと思われます」
すぽり、とワダツミらがくれた替えのシャツに着替えたレイブンが言う。
「どうして」
「奥様が拾ってくれなければ、私は死んでいるか、死んでいるよりも酷い目に遭ったに違いないからです」
「それは、そうかもしれないけれど…」
納得できない、と言外に伝えると、レイブンはこちらを向き直って姿勢良く佇んだ。
指示を待つ騎士みたいだと、私は思った。
「奥様は、私のエルトランドでの言葉や、所作を教えてくれました。本だって、読んで聞かせてくれたほどです」
「それでも、夫人が貴方にしたことは、一方的で、惨いことだわ」
どうして、私はこんなことにこだわるのだろう。レイブンがどうでもいいと言うなら、それでいいじゃないか。
理由を考えて、私はなんとなくの解答にたどりついた。
きっと、一緒に誰かを恨みたかったのだ。
私がストレリチアを恨んでいるように、レイブンにも、バックライト夫人を恨んでほしかったのだ。
そうすれば、安心すると考えた。
安心?
どうして、安心するのだろう。
人を恨むのが、普通だと思いたいのか。
当然の権利だと、そう…。
同情したのか?いや、違う、自分を慰めるためだ。
(…下らない)
私は、これだけ裏切られてなお、『仲間』が欲しいわけだ。
俯く私に、レイブンが一歩近づく。
何も言わないでほしい、と思って顔を上げずにいたが、彼女にそれは伝わらなかったらしい。
「奥様は、路上で蹲るしかなかった私に、救いの手を伸ばしてくれました」
レイブンの目は、深い、黒色をしていた。
「お嬢様も、同じ状況にあったなら私を助けてくれましたか?」
無感情?
馬鹿な。
この目は、明確な憤りをもって私を責めている。
私はその問いに答えられなかった。
奴隷など、貧困街に溢れかえっている。だから、一人一人助けてなどいられないのである。
「奥様は、どんな理由であれ私を抱き締めてくれました」
悲愴と、怒り。
見捨てられた者が抱く強い感情が、私の瞳を貫いている。
「あの人の体温は、温かかった…」
そのときの彼女の瞳は、まごうことなきカラスの目だった。
「以上です。私が奥様を恨まない理由は」
後書きまで目を通していただいている方々、いつもお世話様です。
拙い作品をご覧になって頂いてありがとうございます。
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いっそうの感謝を申し上げます!
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