戻らぬ過去に触れて.3
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ふらふらになったフウカへ薬を届けた後、私もサザンカと一緒に彼女のアシスタントに奔走した。
普段は温厚なフウカだが、なかなかどうして、怪我のこととなると気性が荒くなるようだった。まあ、それだけ真剣に自分の仕事に向き合えるのは美徳だと思うのだが…怒鳴られるどころか、お尻まで叩かれたときは言葉を失ったものだ。
一通りの手伝いを終えた頃には、数時間が経っていた。
気を失うようにしてようやく休憩に入ったフウカをニライカナイのメンバーで共有している部屋に送り届けた私は、扉のすぐそばで壁に背をもたれかけたストレリチアを見て仰天した。
「あ、終わりました?」
ストレリチアが、のほほんとした口調でそう尋ねる。
「…待ち伏せなんて悪趣味よ」
「あはは、すみません。入っていくのが見えたもので」
悪びれる様子もなくそう告げた彼女は、「この後、少し時間あります?」と質問した。
おそらく、思い出話とやらをしたいのだろう。私個人としては気が重くなるような感じもしたが、きっとこれくらいの頼みには応えてやる義務があるとも思った。なにせストレリチアは、『私』のために時間まで飛び越えてきたのだから。
もちろん、説明がついていないことも山ほどある。だからこそ思い出話の時間は、全てを明らかにするための絶好のチャンスとも言えた。
でも、私は…。
「暇人に見えるかしら?オリエントの黒い百合と頼られる私が?」
妙な皮肉を反射的に言ってしまう。素直に承諾すればよかったと後悔したのは、ストレリチアが笑いをこらえている様子が確認できたからだ。
「ぷっ…オリエントの黒い百合って…ふふっ」
「な、何かしら。もしかして、馬鹿にしているの、貴方」
「え?いえ、ふふっ、別に…ふっ…いや、すいません。してます。センスが最悪ですね。アカーシャ様」
「ぐっ…」
自分でも下らないことを言った自覚はあったので、羞恥から熱くなる頬を隠すべく、つかつかとストレリチアを置いて歩き出す。そうすれば、彼女も慌てた様子で走り出し、私の後を追う。
「あっ、アカーシャ様!すみませんってば」
隣に並んだ彼女は適当な謝罪を繰り返すと、意地を張って許そうとしない私を見て、あろうことか幸せそうに微笑んだ。
「貴方ね…!中身のない謝罪ほど下らないものはないのよ?」
反省の色が微塵も見えないストレリチアに目くじらを立てるも、彼女は一向に態度を変えずにニヤニヤしている。
「はぁい、すみません」
「ぜんっぜん、申し訳なさが伝わってこないのだけれど!?」
「あはは、おかしいなぁ、私は私なりに…」
ふと、そこでストレリチアが言葉を止めた。何事かと思って彼女の顔から眼差しの先へと視線を移した私は、心臓がぎゅっ、となるような邂逅を果たすこととなった。
「アカーシャ…」
そこに立っていたのは、私の、いや、アカーシャ・オルトリンデの両親だったのである。
「…っ」
両親はストレリチアの姿を見て驚いている様子だったが、それよりも、私と何か言葉を交わそうとしている様子だった。
それにしても…酷い姿だった。
服の裾から覗く四肢は枯れ木のようにやつれている。聞いたところによると、ドイル王は彼らに満足な食事も与えないまま長期間監禁し、暴行も加えていたらしい。
細い手足や瘦せた頬には、いくつも痣や傷痕が残っている。きっと、一生残ってしまうもののほうが数は多いだろう。
(これも――私の罪)
私は歯を食いしばり、胃液が昇ってくるのをどうにか抑える。
両親は間違いなく、私のせいでこんなことになっている。私が国の意向に逆らい、生き延び、そして、ドイル王の息子であるジャンを惨殺したせいで。
もう以前のように、二人が私を裏切ったから悪いのだ、と自分に言い聞かせられなくなっている。それもこれも、マルグリットがぶつけてきた言葉たちのせいだ。
過去に囚われているだの、被害者気取りだの、お前が顔を付け替えるのかだの。
あぁ、もう、耳が痛い。縋りついていたものの正体を眼前に突き付けられれば、苦しいばかりだ。
顔を付け替えない、というのであれば…私はここで、何事も無かったかのように一礼して去るべきなのだろう。だが、そんな器用な真似、私に到底できるわけもない。
沈黙する私を見かねたのか、ストレリチアが恭しくドレスの裾を上げて一礼する。
「こんにちは、オルトリンデ卿。ご機嫌麗しゅう」
「あ、あぁ…ストレリチア。こんにちは。君とアカーシャがそんなふうに一緒にいるとは…」
暗殺まで企んだのに、どういう風の吹き回しだと言いたいのだろう。二人とも私をちらりと一瞥してくる。
「色々ありましたけど、私はアカーシャ様のことを尊敬していますから」
「そうか…君がいいのなら、構わんのかもしれんが…」
何も知らないくせに。勝手に決めないでほしい。
むくむくと、両親に抱いていた怒りが再沸騰してくる。
(オルトリンデの面汚しと罵ったくせに。今さら、何の用なのよ…!)
怒りは、やはり分かりやすい原動力だ。少なくとも、罪悪感から重く伏せていた顔を上げさせ、二人を睨む力を与えてくれるくらいには。
「何の用でしょうか、オルトリンデ卿」
家族に使ったこともない呼称を口にする。そうすれば、父も母も唖然として目を見開き、凍りついていた。ストレリチアも心配そうに私を横目にしていたが、関係ない。これは私の問題だ。
「私たちは今、急いでいます。用事が無いのならばここで失礼します」
私は問答無用で会話を断ち、そのまま二人を押しのけて自分の部屋へ逃げ去ろうとした。
しかし、そこで私の心をさらにかき乱すようなことが起こる。
パシッ、と私の手が何か温かいものに掴まれ、進めなくなったのだ。
心地よく、とても懐かしい温みだった。だからこそ、振り返ってそれが何なのか理解したとき、これまでにないほどの突風が私の心に吹き込んだのだ。
「あ、アカーシャ…!」
いつも、見ているだけだったくせの母の手。
それが、私の手を掴んでいた。
私の、血と罪に染まった左手の革手袋を…!
「触らないでッ!」
気がつけば、怒鳴り声を発している自分がいた。そしてそこから先は、まるで自分の口ではないみたいに、制御を失って言葉が飛び出していった。
「どの面下げて私の名前を呼ぶの!?私の手に触れるの!?ふざけるのもいい加減にして!家族面するには今さら遅いのよ、何もかもッ!ええ、何もかもねッ!」
そうだ、遅い。
犯した罪はもう拭い取れないぐらい濃く私の左手に染みつき、口にした怨嗟は飲み込まれ全身に毒のようにまわっている。
結局、また私は私のコントロールを失ってしまっていた。
だから私はてっきり、その姿を見た両親は深く傷つき、項垂れるか、泣き出すかすると思った。
しかし、違っていた。
「ええ…ごめんなさい、アカーシャ。ごめんなさい、今さら…!」
母は号泣していた。
「お前が怒るのも最もだ。アカーシャ。我々がしてきたことは、親が子にすることではなかった…」
父は明朗に話しつつも、目元に涙をためていた。
それでも、二人は顔を上げて私を真っすぐ見つめていたのだ。
俯かず、まるで罪を背負う覚悟をしたみたいな瞳で。
「だからこそ、謝りたいの、貴方に。赦されなくてもいい」
思わぬことに、私は動転してしまった。
「な、にを…」
「ねぇ、アカーシャ。お母さん、こんなことにならないと分からなかったことがあるの。それはね、生きているうちにしか言えないことがあるってことよ」
つぅ、と何本もの涙の筋が頬に刻まれていく。まるで彗星みたいな軌道を描くそれは、私の心を震わせた。
生きているうちにしか、言えないこと。
そうだ。私がさっき言ったことも…そうだ。
あれは、アカーシャ・オルトリンデの言葉。
あぁ…どうしたことだろう…彼女はまだ“生きて”いるのだ。
「わた、しは…!」
かあっ、と目頭が熱くなる。
こらえきれない涙の濁流がすぐそこまで迫っていると、不意に、頭の奥から声が聞こえた。
『ごめんなさい、お母様、お父様…』
ハッとする。それは間違いなく、“彼女”のものだったからだ。
『私のせいで、ごめんなさい…謝るのは、私のほうなのに…!』
リフレインする謝罪の言葉。幻聴に違いないと誤魔化すことができないくらい、明瞭に響いていた。
「やめ、て…やめてよ…もう、黙って、私の中から出て行って…」
私はいつの間にか頭を抱えてその場にしゃがみ込んで、いやいやと、子どもみたいに泣いて取り乱してしまった。
私のことを気遣ったストレリチアがこの体を支えて、部屋に戻るまで、涙は止まらなかった。
誰の涙なのか…今は、考えたくない。
次回の更新は火曜日となります。よろしくお願いします。




