戻らぬ過去に触れて.1
三章開始です!
キャラクター同士の語りが多くなりますが、お付き合い頂けると幸いです。
鳥籠に避難してから、一夜過ぎた。
多くの者にとって長く重々しい夜だったことだろう。私自身、両肩に鉛がいくつもぶら下がっているかのような心持ちで寝台から起き上がった。
朝の陽差しは――ここにはない。魔竜の繭が現れてから、太陽は永遠の沈黙を強いられている。
時間の感覚が狂いそうな窓の外を見つめながら、寝台の隣を無意識に見やる。そうすれば、普段はそこにいるはずのレイブンの姿がないことを理解してしまい、ぎゅっ、とシーツを握りしめた。
隣にあったはずの体温が、今、ここにない。
それは酷く私の胸を揺さぶった。紫の薄明りが照らす石畳の床をぼんやりと見つめる私は、熱に浮かされているかのように見えたかもしれない。
(こんなことをしていても、しょうがないわ)
私は立ち上がり、ネグリジェから普段のドレスに着替えた。そして、一通りの支度を済ませると、部屋から出て城壁へと出た。
アメジストの闇が広がる中、白い影が遠くでうろうろしている。こちらの様子を窺っているのか、はぐれたのかは分からないものの目障りで、兵士たちも不安げに地平線を眺めていた。
中庭のほうには避難してきた民が数多くいる。城の中に部屋を用意できるのは怪我人や病人、年寄りばかりだったから、避難した民のほとんどがここで過ごしていた。
中には、貴族連中もいるようだった。
奴らは特別扱いされることに慣れているから、平民と一緒に、しかも、外で寝泊まりするだなんてありえないと昨夜は声を大きくして騒ぎ立てていた。そんな始末だから、夜も小規模の戦闘が続いたせいで神経を尖らせていたオリエント兵やエルトランド兵双方からきつい叱責を受けたようだった。
それでも静かにならない奴は、私が外に叩き出すと睨みつければ大人しくなった。殺さないでとまで言われたが…そんなに私は恐ろしいのか。
ふと、下に視線をやれば、ルピナスとマルグリットが何やら民の相談を受けているようだった。
ルピナスは親身になって話に共感を示し、マルグリットは自分のやるべきことを語り勇気づけている。
そんな姿を城壁から観察していた私は、つい積まれた石壁の一つに頬杖を突いた状態で体を曲げ、
「懐かしい感じがするわ…」などと憂いを帯びた吐息をこぼした。
ルピナス、マルグリット、サリア、それから私。その四人で魔物退治をした後は、ああして被害に遭った民の声に耳を傾けたものだ。
大きな不幸の前に、私たちの存在などたいした慰めにはならないと知っていたが、そうすることで手のひらから滑り落ちたものを拾い上げようと、私たちは躍起になったものだ。
追憶が、私のセンチメンタルの扉を叩く。
優しく、温かい思い出だ。そして同時に、残酷な記憶でもある。
固く目を閉じ、残像を打ち払う。目蓋の裏に宿る暗闇が、波立つ私の精神を落ち着けようとしたそのとき、下から聞き慣れた声がかかった。
「リリー!」
反射的に目蓋を上げれば、眼下には腰に手を当て、何やら怒ったような顔つきのフウカと、苦笑するサザンカがいた。
「何かしら」
よく気がついたものだと感心しながら、反応する。
「何って、暇してるならこっちを手伝ってよ!」
「…手伝う?」
「そう。手伝う」
「…何を?」
小首を傾げて困惑顔してみせれば、フウカは目くじらを立てた。
「もぅ、信じられない!見て分からないの?」
フウカにしては珍しい態度を辟易としつつも不審に思っていると、代わりに隣に立っていたサザンカが説明してくれた。
「避難してきた人たちの手当てですよ、リリー。あと、話し相手」
「手当てって…私、そういうのは――」
人任せにしてきたから、と言い逃れしようとしたところでフウカが素早く、「だったら、話し相手でもしててよ!」と割り込んだ。
そんなものが一体何の役に立つのかと皮肉の一つでも言いたくなったが、言葉を交わすことで不安や苦しみが軽減されることを知っている私はそうも言えず、結局はフウカが、「文句があるならそっちに行って説明してあげるけど!」とさらにお冠になられたことで、彼女の要求を飲むことを決めるのだった。
中庭に下りれば、思っていた以上に怪我やショックで動けなくなっている人が多いことを嫌でも分からされた。
包帯で身をぐるぐるにされている人、骨折しているらしい人、あるべき部位があるべき場所にない人、話しかけられても微塵も反応しない人。
姿形は様々だったが、どれも背中に不幸が張りついている。
私はとにかく、フウカの指示に従って怪我人の治療を手伝った。話し相手を、とフウカには言われていたが、実際は無理そうだった。
私が、ではない。民のほうが、アカーシャ・オルトリンデの亡霊を恐れていたからだ。
意識が判然としない病人であれば、治療者が誰であろうと関係ない。だから、延々とフウカの手伝いに勤しんだ。
彼女が治癒魔導を施した数が三十を超えたあたりで、私はフウカの顔が青白いこと、額に汗が浮かんで、明らかに無理をしていることに気がついた。
「フウカ」
「なぁに…?」
患者の傷から顔を上げない。たいした集中力だが…。
「魔力を消耗しすぎよ。少し休みなさい」
私から気遣いを受けたことがそんなに驚きだったのか、フウカは目を丸く見開いて私の顔を見つめた。しかし、数秒もした後、再び治療に戻ってしまう。
「ありがとう、リリー。でも、もう少しだけ…」
「フウカ。貴方が倒れたらどうするのかしら」
「分かってるよ。でも、ここが私の無理のしどころなの」
「無理のしどころ…?」
どういう理屈だ、と眉間に皺を寄せれば、フウカは治療を絶えず行いながら私にこう説明した。
「私、戦場じゃいつも守ってもらってばかりだから…。ほら、ウォルカローン砦のときだって、この間のゴルドウィンのときだって、最前線で体を張ってたのはワダツミ様とかリリーだもん。レイブンだって子どもなのに…」
フウカはメディックであって、戦士ではない。誰かの命を脅かすことが仕事なのではなく、救うことが仕事なのだ。
だから、そんなことで悩んだところでナンセンスでしかない――と脳の一部は考えていたのだが、人間臭さを捨てきれない生身の私の部分は、彼女の生真面目さに好感を抱いた。
「…そう、勝手になさい」
私は淡白に言うと立ち上がり、テントの出入り口に立った。
「リリー…」と小さな声でフウカが呟く。私が怒ったと思ったのだろう。
私は誤解を解くために、振り返らずにこう告げた。
「少しでも魔力を補充できる薬か、食べ物を持ってくるわ。無理ばかりする頑固者が、倒れてしまわないようにね」
「リリー…!ありがとう」
「別にお礼なんていらないわ」
私は刺々しい口調のまま外へ出た。すると、気恥ずかしさを誤魔化すために苦い顔をしていた私のそばに音もなくサザンカが寄ってきていて、隣に並んで歩き始める。
「優しいね、リリー」
「黙りなさい。暗殺者」
「あ。もう、誉めたのに何でそんなこと言うかな。馬鹿」
サザンカは明らかに不服そうに唇を尖らせ、そのまま私についてきた。両手を頭の後ろに当てて、ぶつぶつ何か小言を漏らすサザンカの意図が分からず、彼女を横目にしながら医薬品のある倉庫へと向かった。
倉庫には色んな物資がところせましと並べられており、どの箱も蓋が開けられていたが、お目当ての薬品はたいして時間もかからず見つけることができた。
「…私はさ」
箱の中を漁っている私の背中に、サザンカが独り言みたいに言葉を投げる。私はその口調でなんとなく、サザンカなりに聞いてほしいことがあったのではないかと直感する。
「何かしら」と箱から取り出した瓶の中身を照明の光に透かしながら、気にしていないふりをして続きを促す。
「正直、リリーのことが嫌いです」
次回の更新は明日になります。
よろしくお願いします。




