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復讐の黒い百合~流刑となった令嬢は、奴隷と共に国家転覆を企てる~  作者: null
終部 二章 セキレイの呪詛

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セキレイの呪詛.3

 あまりに濃密な時間が凝縮されたこの一年の間、唯一、私を疑わず、恨まず、裏切らず、そばにいてくれていた存在が、今、対岸で私を見つめていた。


 困惑する私とは違って、レイブンの目には何の感情も見られない。だが、なんとなく、それは彼女が意識して抑え込んでいるのではないかと思った。


 出会った頃のレイブンなら、きっと己に与えられた役目をただ受け入れて、自分に降りかかる運命に疑問を持たなかったことだろう。


 だが、今の彼女は違う。


 一人の奴隷ではなく、一人の人間として――本人がどう思っているかは別だが――たくさんの相手と関わりを持って、色んなことを学んでいる。


 例えば、青く澄み渡った空の下を、自分の意志で歩く術を。

 例えば、己の望みを語り、千切れぬ約束を結ぶ術を。

 例えば、摩耗されるだけだった才能を研ぎ上げ、高く飛ぶ翼を得る力を。


 だからこそ、今のレイブンが私と相対することに何の遺恨もないだなんて、ありえないと確信できた。


 深呼吸する。


 レイブン相手にまで裏切られただのとみっともなく騒いでいては、情けなくて“あの子”が泣いてしまう。私の得た強さは、二度も同じセンチメンタルに支配されたりはしない。


「レイブン」


 心を落ち着け、彼女の名前を呼ぶ。少しだけ、レイブンの黒い眼差しが横に逸れる。


 レイブンがセキレイたちと共に行ったことを知らされていて、本当に良かった。それを知らずにいたら、私は今この瞬間、冷静ではいられなかっただろう。確実に怒鳴り声を発して彼女を問い詰めたはずだ。


「こちらに下りてきて頂戴。少し、話をしましょう」


 必要ないとは分かっていながらも、敵意がないことを示すため、刃に付着した血を左手の赤い革手袋で拭ってから納める。


 しかしながら、レイブンは屋根の上から動こうとしない。巣から離れられない雛鳥のように。


「レイブン。どんな事情があるにせよ、説明くらいしても罰は当たらないのではないかしら?」

「…」

「私は…貴方と、それくらいの関係にはあると思っていたのだけれど、思い上がりだったの?」


 少し悲しそうな私の声を聴けば、レイブンは逸らしていた視線を私の元へと戻した。そして私は、その瞳に確かな逡巡があることを確認し、じっと待つことを選んだ。


 辺りはまだ阿鼻叫喚だ。セキレイの片割れが逃亡したおかげで兵隊たちが怪物の処理に注力できているが、民は逃げ惑っているし、ルピナスの雷撃やストレリチアの爆炎の光が視界の端をちらついている。


 だが、私にとってレイブンとの対話は、何物にも優先するべきことであった。


 彼女は、ずっと私に尽くしてくれていた。それが仮にテレサ・バックライト夫人の命令に沿うものだったとしても、関係ない。


 レイブンは確かに、彼女自身の言葉で私を支え、守ってくれたのだから。


 やがて彼女は、水面に顔を出すみたいに静かに口を開いた。


「…お嬢様とは、口を利くなと言われています」

「へぇ」


 一つの錠前が落ちたことを悟り、口元が綻ぶ。


「それは、奥様がそう言ったのね?」

「…」

「貴方はそれでいいの?レイブン」

「…」


 だんまりが続く。


 私は肩を竦めると、呆れたような、感心するような微笑みを浮かべる。


「貴方がそれでいいのなら、別に構わないのよ。誰の命令にどう従うかは、レイブン自身が決めればいいわ。今の貴方であれば、それができるのでしょう?」


 今口にしたのは、自分を鼓舞するための皮肉だ。


「…っ」


 何か言いたげに口を開くレイブンだったが、結局はまた口を閉ざした。だから私は、少しシニカルに笑う。


「でもそれなら、“お嬢様”はダメでしょう。夫人の命令に従って私と敵対することを選んだのであれば、きちんとそれなりの態度をなさい。――私の名前、知っているわよね?」


 顔色を青くするレイブンを見ていると、こんなふうに責めるのは些か可哀そうな気がした。だが、これが私と彼女にとって大きな分水嶺であることを直感していた私にとっては、これくらいの皮肉を口にしなければ、緊張で速くなる鼓動のせいで倒れてしまいそうだった。


「貴方が下りて来ないのであれば、私から行くわよ」


 痺れを切らした私がそう言って、一歩彼女に近づいたとき、バチッという音と共に黒い羽が数枚、こちらの行く手を遮るように目の前の地面に突き刺さった。


 思わず、目を丸くしてそれに視線を落とす。


 今のは、攻撃だ。


 たとえ当てる気がなかったとしても、私を拒んだことに変わりはない。


「レイブン…!」


 ふと、許嫁でもあるジャンに処刑を言い渡されたときのことを思い出す。覚悟をしているつもりでも、心のどこかでは私を選んでくれるのではと甘い考えを抱いていたときのことだ。


 明確な裏切りの兆しに私の心音は昂り、焦燥と不安を隠すための激情が顔を覗かせる。


「今のは冗談では済まさないわよ、レイブン」


 ぴりっ、とした空気にレイブンもわずかだが身構える。戦闘態勢を取ろうというその姿勢が、私の心をさらに強く波打たせる。


「約束はどこに行ったの。貴方は私のそばにいて、私の道を見守り続ける。そうじゃなかったのかしら?」

「…」

「貴方の今の主人は誰?レイブン」


 何も答えないレイブンを、私はまた言葉の鎖で絡めとる。


「カラスという名前は、私と一緒に捨てたでしょう。今の貴方はレイブンで、立つべき場所はここ」


 散々自由だなんだと言ってきた私がこんなことを言うのはずるいと分かっていながら、指で自分のすぐ隣を示す。


「そうでしょう?レイブン。違う…?」

「…っ」


 何度も、何度も。

 繰り返し、彼女の名前を呼んだ。

 私がつけた名前だ。

 私の、美しい鳥だ。


 孤独に打ちひしがれた私を救ってくれた…私の…。



 レイブンを取り返さなければ、と私は強く思った。テレサ・バックライトとかいう、まともに言葉を交わした覚えのない女の手から。


 しかし、それを邪魔する者が現れた。


「カラス…!」


 屋根に登ったレイブンの隣に姿を見せたのは、黒いローブを脱いだ少女、セキレイだ。


 体のあちこちが生傷だらけだが、白セキレイのような重傷は負っていないようだった。様子からして、マルグリットから逃げてきたのだろう。


 セキレイは私の姿に気づくと、忌々しそうに眉をひそめて戦闘の意思を見せたのだが、直後、突風のように巻き起こった熱風に煽られ、物陰にレイブンと共に避難した。


「アカーシャ様」


 鈴が鳴るような声に振り返れば、道中、阻むものをみな灰燼へと還したらしいストレリチアがゆったりとした足運びで近寄ってきていた。


 青に白の装飾が入ったドレスを美しく翻すその姿は、確かに、誰もが崇めた神託の巫女に相応しい。手にした赤黒い長剣も、炎に包まれてなお、彼女のために麗しく、朱色に燃えている。


「そっちは終わったの?」

「ええ。残った民はどうにか安全に避難できそうです」

「…そう、ありがとう」


 これだけの敵を相手にして民が無事に避難できたのは、間違いなく、ストレリチアのおかげだ。


 素直にお礼を言われたのが意外だったのか、ストレリチアは一瞬だけ目を丸くすると、恭しくドレスの裾を広げて一礼し、はにかんだ。


「アカーシャ様のためなら、お安い御用です」


 気障な所作だが、なかなかどうして絵になる。私と違って嫌味がないところもまた魅力的だった。


 そんな彼女に見惚れている自分を打ち消すため、皮肉の一つでも言おうかと思っていたところで、口汚い言葉が空を打った。


「このペテン師ッ!奥様を騙しやがって…!殺してやるからな!」


 黒セキレイの声だ。


「…どういうこと?」と私が振り返ると、ストレリチアは冷たく微笑み、「言葉のままです。魔竜が不完全な状態で復活するよう、情報を伏せて利用していたんです」と答えた。


「私はおかしいと思ってたんだよ!くそっ、何が『一緒に腐った世界を変えましょう』だ。舐めやがって…!今すぐにでもバラバラにしてやる!」


 すさまじい勢いで威嚇するセキレイだったが、ストレリチアはまるで相手にせず、私に対して、「行きましょう」などと言う始末だった。


「いえ、でも…」


 今背中を見せたら、セキレイに襲われるのではないかと不安に思う。それに、物陰から姿を見せないレイブンも気になった。


「いいんですよ。どうせ向こうも退くしかない状況ですし、生憎と私には、自らの頭で考える能のない人形と話す趣味はありません。さっさと鳥籠とやらに向かって、魔竜を滅ぼすための作戦をオリエント陣営と練りましょう」

「…ええ」


 私は返事とは裏腹にその場を動かず、屋根の反対側へ思いを馳せる。


(レイブン…一緒に来てはくれないの…?)


 すると、苦悩する私の手をストレリチアが優しく握った。


「ここに留まるのは危険です、アカーシャ様」


 私を案じる響きに、追い詰められていた弱い心が情けなくもすがる。


「分かっているわ…」


 いつもの私なら振り払う場面だろうが、今は何かに掴まっていたくて…そうしていないと、胸に空いた穴に落ちてしまいそうで…ぎゅっ、とストレリチアの指に自分の指を絡める。


「あの子のこと、心配なのは分かります。でも、それと同じくらい、いや、それ以上に、私はアカーシャ様のことを心配しているんです」

「…ストレリチア」

「今は切り替えて下さい。できますか?」


 覚悟と誰かへの想いとで、こんなにも澄んでいるストレリチアの瞳に見つめられては、首を縦に振るしかない。


 私は後ろ髪引かれる思いでその場を後にした。


 離れ行くかつての故郷には、人気のない建物、灰と死体、そして、セキレイの醜い罵詈雑言と、共に過ごしてきたレイブンへの想いだけが残るのだった。

次回は土曜日に2度更新致します!

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