幕間 雛鳥の独白
二章が終わりましたので、一度幕間を挟ませて頂きます。
次回の更新は明日、夕方頃に行いますので、引き続きよろしくお願いします!
ワダツミが去った後、部屋には嫌な沈黙だけが残っていた。
お嬢様――リリーは、深く暗い淵を覗き込んでいるかのように酷く憔悴した表情を浮かべていたし、私自身、深くはないが傷を負ってしまい、口を開くのが億劫になっていた。
どれくらいの間、意識を失っていたのだろうか。ワダツミが開け放っていった窓の向こうは、透き通るような夜闇が広がっていた。
本当は、奴隷である自分が主人を差し置いてベッドを占領しているなど、あってはならないことなのだが、いかんせん、体が重い。起き上がって移動するにはエネルギーが必要だった。
そのうち、深くため息を吐いたリリーと目が合った。彼女は私のことを今思い出したと言わんばかり体の向きを変えると、何かを言いかけるように口を開いたが、また閉じて、しばらくの間、布団の皺を見つめていた。
私はその姿を注意深く見守っていた。バックライト夫人であれば、こんなことはない。
言いたいことは口に出す。それがバックライト侯爵夫人だったし、強者の振る舞いだとも思っていた。
「どうして、私を庇ったのかしら」
ようやく口を開いたかと思ったら、リリーが言うことは至極当たり前のことだった。
「私は、奴隷ですから」
気怠さをこらえてそう返すと、リリーはしかめ面をした。
「貴方を奴隷として雇うとは、一言も言ってないわ」
これには私も困惑した。だったら、なんのために私をここまで連れて来たのだろう。
「…ですが、奥様が私に課した、最後のお仕事ですので…」
「そんなの、私は了承していないわよ」
「はぁ…そうはおっしゃられても、命令は命令です」
「レイブン、貴方、私本人が是としていない命令を、守らなければならないと言うの?」
そう問われた私は、改めて優先順位はどちらだろう、と考えた。
昨日の主人、バックライト侯爵夫人の命令と。
今日の主人、リリー・ブラックの命令。
しばし考えてから、私は目をつむる。
バックライト夫人の瞳の色を思い出そうとする…あぁ、何色だっただろうか。とにかく、酷く美しかったことだけは覚えている。
「はい。奥様の最後の命令なのです。あの方がそうしろとおっしゃるのであれば、私はそうするべきなのです」
「あぁそう!」
赤い瞳が怒りを内包して美しく渦を巻く。
宝石みたいだ、と私は上の空で考える。
「――まあ、いいわ。付き人として私に従うよう命令された。そして、それを守らなければならない。そこまではよしとしましょう。けれど、奴隷だから、付き人だからといって私を庇う理由にはならないでしょう」
「いいえ、お嬢様。私は奥様に『あの子を守ってあげてね』と命じられました。この場合、命を守ることは不可欠です」
「ぐっ…」
空気でも喉に詰まらせたみたいな声と共に、リリーがこちらを睨む。怒らせたのかもしれないが、言葉を交わせと命じたのはこの人である。
しかし…、リリーが何か困っていることは明らかだ。彼女を主人と仰ぐ以上、困らせるのはあまりよくない。
「…お嬢様は、お嫌ですか?私に庇われるのは」
「嫌よ」即答だった。「そもそも、『庇う』ことと『守る』ことは似ているようでまるで違うということが分かっていて?」
「…二つの違い、ですか」
「そうよ」
私は頭をきちんと回転させた。夫人からもこういう問いかけはよくされたものだ。
しかし…。
「申し訳ございません。分かりません」
私は正直に答えた。夫人は正直な解答を好んでいた。
「そうよね。分かっているのなら、あんな真似はしないわ」
勢いを取り戻したリリーは、指を真っすぐ立てて私に見せた。
「庇うことは、弱くてもできるわ。でも、『守る』ことは自分が強くなくてはできないの」
「強くないと、できない…」その言葉は、不思議と私の胸にすとんと落ちた。「なるほど…」
「いいこと?私はね、自分よりも弱い人間の命を盾にして生き残っても、何も嬉しくないの。お分かり?」
私は素直に頷いた。だからこそだろうか、リリーは気勢を削がれた様子で頬をかいた。
しばらく、また沈黙の帳が下りた。
外で、虫が鳴いている。
悲壮感に彩られた声は、何を訴え、何を求めるのだろう。
私がじっと窓の外を見つめていると、不意に、リリーが声を発した。
「貴方は…これからどうしたいの、レイブン」
私はその問いを受けて、酷く困惑した。
どうしたいのか。
それこそ、どうしてそんなことを尋ねるのだろう。
「私といると、これから色んな事に巻き込まれるわ。だから、貴方がこの故郷で好きにしたいというのなら止めはしない。まあ、夫人の命令に殉じたいと言うのなら、それも止めはしないけれど…」
あぁ、なんだか頭も重くなってきた…。
傷口も熱を帯びてズキズキと疼いている気がする。そのせいで、私は些か冷静さを失いつつあった。
「答えは決まっています」
私は、奴隷だ。
消耗品に過ぎない。
この未来を歩んでいなくとも、どのみちバックライト夫人に、少女じゃなくなったからと捨てられるしかなかった。
摩耗される人生、命、時間、個人。
私は、『自由』という青空に放り出されても羽ばたけない、飛び方も忘れた愚かな鳥だ。
そんな私にできること、それは夫人が残してくれた命令を全うすることしかない。
つまり、アカーシャ・オルトリンデを守ることだ。
そして、守るためには、強くなければならない。
「私は、リリーお嬢様にお仕えします」
目蓋が、少しずつ下がってくる。眠気か、単に意識が遠のいているのかは分からない…。
「レイブン…」
起こしていた上体が、ずるずると布団に引き込まれる。
そうしながら、私は呟く。
「そして、私は…」
私は。
「強く、なりたい…」
与えられた役目を果たせない奴隷は、もはや奴隷ではない。
消耗されることもなくなった、ただのゴミだ。
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