08 三つの王命
「はぁ……。やっちゃったわ」
私は今、王宮の塔にある貴族を収容するための牢獄、『貴人牢』の中に居る。
もちろんレヴァンを、つまり王子を殴った『不敬罪』による投獄だ。
暴行罪でもある。身分の問題があるから、軽い罰では済まないでしょう。
……あの場で殴るのを我慢して、優雅に立ち回ってこそ『国母』なのよね。
私には、それが出来なかった。
自国内の騒ぎだから、まだマシなのかもしれないけど。
これが他国を交えた外交の場だったら? 私のした事なんてダメダメよね。
「結局、私には向いてなかったのよ。未来の王妃なんて」
貴人牢の中は、一通りの家具が備えられている。
十分に立派な『部屋』と言えるでしょう。ただ部屋の一面にあるのは鉄格子だけれど。
簡素なベッドだってある。私は今、そのベッドの上に横になっている。
「ずっと気付いていたわ」
私は、王妃なんて器じゃないって。
だから、実はレヴァンに婚約破棄を匂わされた時。
『それもいいかな』なんて、思っていたの。いい機会かもしれないって。
私は、この立場から降りたかった。というより、降りるべきだと思っていた。
「はぁ……」
身体から力が抜ける。脱力すると、よりベッドに深く沈みこんでいくみたい。
全然、ふかふかじゃないのだけどね、貴人牢のベッドは。
「これから私、どうなるのかしら?」
とりあえず、婚約破棄は確定だろう。元より怪しかったところで、今回の不敬罪だ。
せっかく発現した【天与】も、今はもうルーナ様という代わりが居る。
その上、『予言の聖女』アマネは、私たちの未来を予言してみせた。
ルーナ様は『救国の乙女』となり、多くの民を救う。
私は『傾国の悪女』となり、国を滅ぼす……らしい。
まるで対極にある、私たちの未来の姿。
私の方は、どうしてそうなるんだか一切、分からない。
そうしてアマネは、私の未来が穏便に済む可能性を一つずつ丁寧に潰した。
側妃になるのは、ダメらしい。ルーナ様や王家が不幸になって滅びるとか。
マリウス家に帰るのも、ダメらしい。私が家族を皆殺しにするのだとか。
修道院へ行くのも、ダメらしい。脱走した上で暴れるのだとか。
ベストな選択は、私を国外追放する事らしいわ。何故そうなるんだか、全く分からないけど。
確かに今、私は王子を殴った犯罪者扱いだ。
こうなる前に比べれば、その未来は現実的になったと言える。
「……国外追放、ね」
それをされて、私は本当に穏便に済ませるのかしら。
そこまでの予言をされた『悪女』なら、よりいっそう国を恨みそうなものだ。
アマネにとっては、それがベストなの?
ということは……私は、国外追放によって命を落とすのかもしれない。
でなければ、他の予言と合わせて考えると辻褄が合わない。
修道院からすら逃げて暴れるんでしょう? だったら国外追放でも一緒じゃないの?
「それにしても身に覚えが無いわね!」
本当になんでそうなるの、未来の私?
私にも、どうやら『予言』の力は、あるらしいのだけど。
残念ながら、そっちの方は、まだ使いこなせていない。
だけど、もう一つの方の【天与】は、もう。
私は、右手を天井に掲げた後、握り締めて拳を作った。
そして意識する。ルーナ様と共鳴して発現した、光の拳を。そうすると。
パァアアっと。私の拳は光に包まれた。
「……うん。もう使えるみたい」
もしかしたら、この牢獄の鉄格子だって粉砕して逃げられるかもしれない。
そうは考えたのだけど。
「……はぁ」
私は、使いこなせるようになった【天与】の光を抑えて、消す。
今は、大人しく牢で過ごすことにするわ。
レヴァンの覚悟と、私の罪。それらを受けた陛下の判断をお聞きしたい。
その上で国外追放と言い渡されるのなら、その時は、その時よ。
私の決断に後悔はしていない。だって、ぶん殴って少しはスッキリしたからね!
そうして、翌日。
「クリスティナ・マリウス・リュミエット侯爵令嬢」
「……はい。国王陛下」
騎士数人に監視されながら、私は謁見の間へ連れて来られた。
そして、国王陛下と対面する。
ディートリヒ・ラム・リュミエット国王陛下。
レヴァンと親子であると、よく分かる容姿をされているわ。
幸い、私は拘束をされておらず、自分の意思で跪くことが許された。
まぁ、武器持ちの騎士たちに背後から監視されているけど。
「このような結末になった事。私は深く悲しんでいる」
「……はい」
悲しいのは私もだけどね!
「王太子レヴァンと、国賓である聖女アマネを殺害しようとした罪。それは酷く重いものだ」
「……殺害、ですか?」
え。まさか、あの後でレヴァンたち、死んじゃった?
「ルーナ・ラトビア男爵令嬢の力は、私も聞いている。彼女の『聖守護』の結界は、第一騎士団長の剣すら弾き、何者にも傷付けられなかったそうだ」
そんな実験していたの? なんで、そんな楽しそうな事に私を呼ばないのよ。
私もその実験、見てみたかったわ!
「クリスティナ。そんな強固な結界を、お前は拳一つで打ち砕いて見せたと聞く」
「……はい。陛下。その通りです」
今はもう、『怪力』の天与を使えるようになった気がするわ。
ルーナ様の【天与】を見せて貰ったからね!
「そのような凄まじい力をお前は、聖女に。そして、王子レヴァンに向けたのだ。それでも、殺害する意図はなかったと言うか?」
「それは……」
つまり、そういうことね。
『大木すら、へし折るパンチ』を人に向けて使ったら死ぬでしょう、と。
うーん。ぐうの音も出ない!
一応、女神様にお祈りはしていたわよ? 思いきり殴るけど殺さないぐらいって!
「なにぶん、昨日まで、まともに『怪力』の天与を使いこなせていなかったもので。レヴァン殿下を殺害する意志こそ、ありませんでしたが……。陛下のご指摘に対し、申し開く言葉もありません」
「そうだな。殴らずに止めておいてくれれば……私にも打てる手があったが」
「陛下」
陛下は、心底悩まし気に、哀れそうに私を見下ろした。
その表情から、お心を慮る。きっと大事にはしたくなかったのよね、陛下は。
だけど私は、よりにもよって『怪力』の天与なんてもので、王族のレヴァンを殴ってしまった。
そして、その事を多くの貴族が目撃していたのよ。
これでは陛下としても処罰を下さざるを得ないでしょう。
他の貴族たちへ向けての体面もある。簡単に許すことは出来ない。
「……申し訳ございません、陛下。私の浅慮でございました」
「そう、だな……」
これは本当に申し訳ないわ! 陛下、お困りの表情!
レヴァンと似ているのよねぇ、こういう表情の陛下。
「クリスティナ。お前のことは……国王として、ではあるが。十分に大事にして来たつもりだ。ようやく【天与】を使いこなせるようになって。それが、このような機会だとは」
「……重ね重ね、申し訳ございません」
王子に対する『殺害未遂』扱い。なら、これで晴れて国家反逆罪かぁ……。
聖女の思惑通り、国外追放になるのかしら。
これから私、どうやって生きていこう。
野山のウサギを狩れば、焼いて食べられるかな?
将来は王妃になるはずが、とんだ落ちぶれっぷりじゃない?
「……だが。私も聖女の予言は聞いている。それを受けて、拗らせた場になってしまったことも」
私が、現実逃避気味にこれからの事を考えていると、陛下が続けられた。
「クリスティナ。お前が『傾国』と呼ばれるほどの悪意を持っているとは、到底、思えないのだ」
それは、もちろん持っていないけど。
「お前自らが昨日、指摘していたそうだな。もしも、お前が傾国を望むのなら。それは、何もしていなかったお前を、こうして追い詰めることこそが原因となるのではないかと」
「……はい。私には、本当に他に思い当たる理由がないのです。陛下」
私の言葉に頷いて見せる陛下。
「だが、クリスティナよ。お前には傾国をするだけの力が宿っているらしい。奇しくも、お前自身がそれを証明して見せた」
そうかしら? 国を傾けるほどの力は示せていないと思うけど。
「誰にも傷付けられぬはずのラトビア嬢の光の結界を、お前は砕いた。クリスティナならば、ラトビア嬢を殺すことも出来てしまうだろう。ラトビア嬢は、これからの王国に必要な者なのだ」
ルーナ様を殺せる存在だから、傾国の悪女?
アマネの予言によれば、彼女は、これから多くの民を救うらしい。
確かに、理屈は分からなくもない。レヴァンだって、この点を気にしていたのかも。
でも、まだ納得できないわね。
「ルーナ様を殺したくなるような恨みも、私は持ち合わせておりません。陛下」
「今は、そうかもしれない。だが、これから先もそうだとは限らない。何故ならば……」
何故ならば?
「お前とレヴァンの婚約は、お前の有責で破棄された。今朝、決まったことだ」
「……そうですか」
やっぱり。そこは覆せないのね。……仕方ないわ。
「お前は、王妃となる未来を奪われた。ラトビア嬢が、その席に代わりに座る事になるだろう。……クリスティナ。それをお前は見ることになる。そうなった時、何かを思わずにいられるか」
ルーナ様がレヴァンと結ばれるかもしれない。
私は、その光景を見て、心を乱さずにいられるかしら。
嫉妬するか、どうか。恨むかどうか、よね。
今は平然としていられても、未来は分からないだろう、と。
だって一度は、その未来を思い描いていたのだから。
「ですが、未来の私の、しかも、その心を疑われても困ります。今の私は、否定の言葉を返すしか、ありません。ですが陛下は、ただ、それを信じられぬとお返しになられるだけ。その問答は不毛かと存じます、陛下」
「……そうだな。お前の言う通りだ。この議論は不毛だろうな」
水掛け論なのよね。答えが出るのは未来になってからだもの。
「だからこそ、クリスティナよ。お前には『証明』して貰いたいのだ」
「証明、ですか?」
「ああ。お前が、傾国になどならぬ事を、私に示して欲しい」
ええ? そんな事を言われてもね。どうすればいいのよ、それは。
「昨日、起きた事の事情は、私も理解している。不敬罪にはなったが、クリスティナが、レヴァンや聖女を殴った理由も理解できる。それにレヴァンも聖女も死んではいない。ラトビア嬢の癒しの力もあって、健康に過ごせている」
「そうなのですね。それは良かったです」
ちょっと、ほっとしたわ。レヴァンは死んでいなかったのね。
昨日のアレで殴り殺していたとしたら、流石に……ねぇ?
「昨日の一件を以てクリスティナを国家反逆罪に問うことなど出来まい。それをすれば、むしろ貴族から反感を買おう」
あら。それは朗報。私は国家反逆罪ではなかった!
「だが、不敬罪は不敬罪だ。クリスティナ。お前には処罰を命じる必要がある」
「……はい。陛下」
うん。まぁ、そこは仕方ないわ。
「そして、お前に対する処罰は、『予言の聖女』アマネ・キミツカの言葉も影響する」
ええ? それは、なんか嫌ね。陛下基準で罰して欲しいわ。
嫌いじゃないのよ? 私、ディートリヒ陛下のこと。
なんというか、マリウス家の家族よりも、よっぽど家族に近しい親近感とか持っているの。
普通の交流を重ねてきたと思うのだけどね。
王妃様には、こんな風に思わない辺り、私は陛下に何を感じているのかしら?
「クリスティナ。お前には、三つの王命を下す。それが処罰だ」
「三つの、王命」
「一つ目は『王都からの追放』。二つ目は『マリウス家、およびマリウス侯爵領への帰還の禁止』」
アマネの予言に沿って言えば、側妃になる事とマリウス家に帰る事がダメってことね。
側妃っていうより、ルーナ様やレヴァンの近くに居る事がダメなのかも。
あとは修道院へ行くことを禁止かしら?
「そして……西の『アルフィナ領への派遣』を命じる」
……ええと。アルフィナ領? 三つ目が、よく分からないのだけど。
「アルフィナ領への派遣ですか?」
「ああ。これは、クリスティナが、騎士にも勝る『怪力』の天与を授かった者であるが故に課す王命である」
陛下は、そう続けられた。
「アルフィナ領に住む者は、今は少ない。嵐の災害を受けて壊滅的な被害を受けていると聞く。その地に住んでいた民は、他領へ避難して戻らないままだ。そのため、今もアルフィナの地は荒れている。近頃は、瘴気が溢れ出し、魔獣も増えているらしい」
「魔獣!」
実は私、魔獣には、まだ縁がなくて、見たことはないの。
でも、森の奥や洞窟、人里離れた場所には現れるらしいわね、魔獣。
通常の動物よりも恐ろしい力を持っている生き物たちの総称よ。
「アルフィナ領はリュミエール王国の西の端。エーヴェル辺境伯領の隣領にあるが……。隣領とは、深い森や山で隔たれており、また海にも面していない内地だ。災害を受けての状況も相まって、陸の孤島と言える場所となる」
それはまた……。随分な土地のようだ。
でも、エーヴェル領の隣かぁ。もしかしてフィオナと会えるかしら?
まぁ、それはそれとして。
「王都から、そのアルフィナ領へ支援のために派遣する一団に同行せよ、という命令ですか」
「……いいや。クリスティナよ。アルフィナへ向かうのは、お前一人だけだ」
「……はい? ですが」
荒れた領地への派遣任務よね? 私一人が行って、どうするのよ?
「これも『予言の聖女』アマネの予言だ。クリスティナ、お前が『怪力』の天与を目覚めさせたならば。アルフィナ領には、恐ろしい数の魔獣の群れが湧く恐れがある、と」
「魔獣の、群れ……」
なら、尚の事、私一人で行ってどうなるの?
「そして、クリスティナをアルフィナへ派遣する際、同行の騎士を付ければ、それらは全て命を落とすのだという予言があった。故に、クリスティナ。アルフィナへ向かうお前には、供は付けられぬ。護衛の騎士も、従者も、お前には付けられない」
いや。あの女、本当、私に何の恨みがあるの? 無茶振りじゃないの!
「……あの、陛下。いくら予言と言っても、その地より魔獣が大量に湧く懸念があるならば、騎士団の派遣をし、民の安全確保に務めるべきではありませんか?」
私への罰と言っても、それはケースバイケースじゃない?
そのやり方で、私が失敗? したら民に被害が出てしまう。
それは看過できないでしょう。問題が私一人で収まらない。
「……ああ。後発で騎士団を編成し、周辺領地への危機の呼び掛けと安全対策は行う」
「それでも、問題の中心には、私が単独で向かえ、と?」
「……問題が起きるのは、アルフィナ領だけではないのだ。これより、リュミエール王国の各地で、『大地の傷』と呼ばれる穢れた異界への穴が開く災害が起きる。それにより魔獣が溢れ出すという」
「まさか。国全体に異変が、災害がまた起きると?」
「そうだ。ラトビア嬢も、レヴァンも、そして『予言の聖女』にも。勿論、騎士たちにも。これからリュミエール王国を救うために動いてもらわねばならん」
リュミエール王国全体に災害が。
もしかして私一人に構っている暇がないのかもしれない。
騎士の手も余っていないのかも。
「クリスティナ。故に、これは『王命』なのだ。処罰としての派遣ではなく、王命としての派遣だ」
監視や護衛の騎士は、私に付けられない。その余裕が無い。
つまり、ある意味で……私を『野放し』にする。
陛下は、私を信じてくれる。その『信頼』に応えて見せろ、と。
私が『傾国の悪女』になどならないと、そう言うのなら。
だからこそ、証明して欲しいのだ、と。そういう思し召し。
「……聖女の今回の予言により、クリスティナには厳しい目も向けられている」
「厳しい目ですか」
「ああ。それは、お前が『怪力』の天与を目覚めさせる事と、アルフィナで起きる魔獣の大量発生が……まるで繋がっているかのような予言であったためだ」
……あの女。
「まさか、私が魔獣の群れを呼び覚ますか、発生させる者、黒幕であるとでも?」
「そうなれば『傾国』の名に相応しいと言えるだろう。その懸念は拭えていない」
拭えていないのね。身に覚えの無さ、ここに極まったわ。
「クリスティナよ。西にあるアルフィナへ向かい、湧き出す魔獣の群を、その【天与】を用いて駆逐せよ。……任せたぞ」
「…………はい、陛下。クリスティナ・マリウス・リュミエット。三つの王命、しかと承りました」
そして私は、監視の騎士に促されて立ち上がった。
「クリスティナ。このような決断を下す、弱い私を許してくれ。私は……本当に、お前を息子の妻になる者、と。……家族のように感じていた」
「……ありがとう存じます、陛下。私も、いつか貴方が義父になると願っておりました」
納得できない思いは、まだある。でも仕方ないわ。
レヴァンとの婚約は、正式に破棄。その決定は覆らない。
「旅立ちに至るまでの準備は、こちらで整える。また、その他の処分もだ」
「……承知致しました」
私は、陛下に背を向けて、謁見の間を立ち去る。だけど。
立ち止まって、改めて陛下に顔を向けた。
その表情には苦悶が見えている。陛下とて、本意の処罰ではないのよ。
「……陛下。最後に」
「ああ、許す。なんだ、クリスティナ」
陛下に最後に言葉を残すことにした。
「一人の人間がもたらす程度の予言を、どうか信じ過ぎないでください。人々が知恵を絞ってこその王国だと私は信じております。たとえ、私が予言の通りの『傾国の悪女』になる運命だとしても」
ええ、本当に。
「その悪女如きに怯える王など、私は見たくありません。予言で分かっているのならば、その悪女。飼い慣らしてこその王だと思います。どうか、すべての決断を、聖女の『予言』に委ねるような王家にならぬよう。私は祈っております」
「……肝に銘じておく、クリスティナ」
そうして、今度こそ私は陛下の前を立ち去った。