07 乙女ゲームの世界(アマネ視点)
クリスティナ・マリウス・リュミエットは、苛烈な女性だ。
恐ろしさすら感じる、血のように赤い深紅の髪と瞳を携えた絶世の美女。
美女度だけで言えば、おそらく『私が知る、この世界』では一番の美人。ルーナを差し置いてだ。
まぁ、モブ令嬢からして軒並み美形揃いにしか、私には見えないのだけど。
「はぁ……。まだ痛い気がする」
私は、王宮でクリスティナにお腹を殴られて失神した。
その後、部屋に運ばれて治療を受けている。
治療の後でルーナがやって来て、彼女の『聖守護』の天与、癒しの力で治して貰った。
だけど、なんとなく、まだ癒されていない気がするわ。
ルーナの力が、クリスティナには効かないのかもしれないと思ってゾッとする。
「あれが『悪役令嬢』クリスティナ」
そう、悪役令嬢。この世界は……乙女ゲームの世界だった。
私は現代の日本人。君柄アマネだ。この異世界に転移してきた。
ある日、家を出たら光に包まれて……気付けば、こっちの世界に居た。
今でも思い出す。私、空の真ん中に浮いていたの。
不幸中の幸いか、真下は湖で何とか助かったけど。
それから私を助けてくれたのがレヴァンだった事も大きい。
レヴァン・ラム・リュミエット。それも『ゲーム本編』の時間軸の『彼』だった。
その容姿と名前から、すぐに、この場所が日本で遊んでいたゲームの世界だって気付いたの。
乙女ゲーム『光の国の恋物語』。
日本語でそう書かれた上で、読み方は『リュミエール・ラブストーリー』と読む。
略して『リュミ恋』だ。私は、そのゲームのヘビープレイヤーだった。
「アマネ様。今、よろしいですか?」
物思いに耽っていると、部屋の扉がノックされ、ルーナの声が聞こえた。
「ルーナ? どうぞ、入って入って!」
「はい。失礼します」
入室を快く受け入れると、入って来たのは、ピンクブロンドの髪をした可愛らしい女の子。
レヴァンと同じでゲームから、そのまま出てきたような。
ううん。ゲームよりも、もっと可愛らしい少女だった。
普通にアイドルを名乗っても通用するぐらい。
『悪役令嬢』クリスティナもゲームより、ずっと美人だった。
二人も、そしてレヴァンも、実写の破壊力があるわ。
それに目立つカラフルな髪の色が自然に馴染んでいる。瞳の色だって自然で似合っていた。
それから変に外国人な顔立ちをしていない。どう言えばいいのかな。
『物凄く可愛いタイプの日本人』の顔立ちや体型をしていて、髪の色と瞳がカラフル。
そんな感じ? 日本人でも居るよね、そういうレベルが違い過ぎる人たち。
私が日本人だから、そう感じるのかな? 日本発売のゲームだもんね。
「アマネ様?」
「あ、ううん。大丈夫。ほら、ルーナ。座って」
「はい。ありがとうございます」
私に用意されている王宮の部屋。あんまり広いと落ち着かないんだけど。
そこは好意に甘えて、お世話になっている。
私は今、ベッドの端に腰掛けていたんだけど。ルーナにも隣に座るように促がした。
「お身体、大丈夫ですか? まだ『癒しの力』を使うのには慣れていなくて」
「あー、うん。平気、かな? まだ痛い気がするけど」
「え。大丈夫ですか?」
「大丈夫! ありがとう、ルーナ! ルーナのお陰で平気だから!」
「そうですか。それは良かった」
心配そうな困り顔で優しく微笑むルーナ。
ルーナは、いい子だ。たぶんゲームのままの優しい性格をしている。
私は、改めて彼女の姿を見た。……うん。
やっぱり、見れば見るほど『ヒロイン』のルーナだよね。
ルーナ・ラトビア・リュミエット男爵令嬢。リュミ恋の『ヒロイン』、つまり女主人公だ。
よくある庶子設定ではなく、正真正銘のラトビア男爵令嬢。
『リュミエット』の名を冠する貴族は、リュミエール王国建国以来からある貴族になっている。
だから、ラトビア男爵も身分は低いが、由緒正しい貴族の家柄よ。
リュミエール王国では【天与】を得ると、それだけで王族の結婚相手に名乗り出られる。
そのため、男爵令嬢であるルーナでもレヴァン王子の結婚相手になれるの。
リュミ恋は、俗に言う『紙芝居』タイプのゲームだ。
綺麗な一枚絵のイラスト『スチル』と、それからキャラクターたちの『立ち絵』。
加えて、メッセージウィンドウに表示されるテキストでシナリオを読む。
選択肢を選んでルートを進み、数人のヒーローたちの誰かの攻略を目指すゲーム。
マルチエンドとなっており、『A』から『Z』のアルファベットを振られたエンディングがある。
つまり、エンディングが26個あるゲームなの。
……と、言ってもヒーロー役、『攻略対象』がそんなに居るワケじゃないわ。
そう。リュミ恋には、バッドエンドが存在する。ノーマルエンドも。
それらを含めたエンディングの総数が26個ある、ということね。
そのバッドエンドの大半に関わってくるのが『悪役令嬢』クリスティナなの。
もちろん、それだけじゃあないんだけど。
問題は、そんなバッドエンドが無数に転がっているゲーム世界に私が来てしまったことだろう。
気を抜けば、不幸な目に遭ってしまうし。
場合によっては、ルーナを始めとしたキャラクターたちが死んでしまう。
様々な問題・事件が発生する世界なのよ。
それは自然災害であったり、魔獣の発生や襲撃であったり。
或いは、他国との戦争であったり、国民の誰かが起こす事件であったりと様々で。
リュミ恋は、学園恋愛をやっているだけの平和なシナリオではない。
また、攻略対象は『メインヒーロー』と『サブヒーロー』が存在する。
レヴァン・ラム・リュミエット王子は、もちろんメインヒーローの一人。
彼と、他の3人が、ルーナと共にゲームのパッケージやオープニングに並ぶ。
『騎士』のエルト・ベルグシュタット伯爵令息。レヴァンの親友だ。
『王家の影』の家門出身であるカイル・バートン。実は、彼は……という裏設定持ち。
そして『悪役令嬢の兄』、リカルド・マリウス・リュミエット侯爵令息。
他にもマルチエンドを埋めるためか、平民の恋愛対象だって居たりする。
それは、スチルとかの無いグッドエンド、ノーマルエンドよ。
私の推しは……まぁ、今はいいわね。
主人公であるルーナは、物語冒頭で『聖守護』の天与を授かる。
王家は【天与】持ちを重用する意向なので、その時点で彼女は王宮に招かれることになるの。
序盤の大筋の内容としては、ルーナがその【天与】によって活躍するのがメインだ。
リュミエール王国では、災害から発生する『大地の傷』と呼ばれる……異界の穴? がある。
その『大地の傷』から魔獣が溢れ出てきて、王国を襲う大災害が各地で発生してしまうの。
ルーナは、レヴァン王子や『騎士』エルトらと共に、そんな災害に見舞われるリュミエール王国を旅することになる。
『聖守護』の天与には『浄化』の力があり、それは『大地の傷』を癒す事が出来るのよ。
つまり、各地に生じる大災害は、ルーナが居なければ完全な解決はできないということ。
王国内を巡り、大地を浄化し、旅を続けたルーナは、やがて人々から『救国の乙女』と称されるようになる。
その旅の間にも様々な事件が起きたり、出会いがあったりするわ。
学園恋愛をやっているだけのシナリオではないけれど、選択肢によっては、もちろん学園ルートも存在する。
当然、そこにも『悪役令嬢』クリスティナが居るわね。
……と、まぁ。それがゲームの基本設定。
私は、そんなリュミ恋の世界に来てしまった。それも転生ではなく、転移で。
現れた場所は王宮の泉。
しかも光り輝きながら光臨してしまったせいで、私は『聖女』扱いされている。
『予言の聖女』なんて呼ばれるようになってしまったのには理由がある。
私が、今言った乙女ゲーム『リュミ恋』の設定をレヴァンに伝えたからだ。
それは、物語の途中もそうだけれど、物語が始まる前の話も、そう。
設定上、ゲーム本編では『大地の傷』が発生する。
つまり、その前にリュミエール王国には、多くの『災害』が発生しているの。
私が、こちらの世界に転移してきた時。まだゲームが始まる前の時間だった。
……災害が起きると分かっていて、黙っている事は出来ない。
だから私は、私の知識を余すところなく放出した。
その時点で回避できるだろう災害から、人々を避難させるようにレヴァンに願ったのだ。
自然災害自体は、知識があっても止められない。
でも、そこに嵐が起きると分かっていれば避難は出来るでしょう?
それに人々を避難させても、その後のゲーム展開に支障が出るワケじゃない。
だって『大地の傷』は発生してしまうから。
そうして、私は多くの災害を予言して見せた『予言の聖女』になってしまった。
まぁ、お陰様で、こうして王宮で衣食住を整えて貰っている。
ギブアンドテイクが成立して不幸中の幸いだった、と言ってもいいと思う。
「アマネ様が、ご無事で良かったです」
「ありがとう、ルーナ。優しいのね」
「アマネ様には御恩がありますから」
御恩、かぁ。それはアレよね。ゲームスタート直前のシナリオに介入した事だろう。
ルーナは男爵令嬢で、身分的には低い貴族だ。
そのため、ルーナは、その可憐な容姿も相まって、隣領の子爵家の息子、ベレザック・ディグルに望まぬ婚姻を迫られていた。
残念ながら、そいつはメインどころか『サブヒーロー』ですらない。
むしろ、悪役側のキャラクター。
ただの嫌な奴であり、現実のルーナも、そいつとの結婚なんて望んでいなかった。
でも階級の低い男爵家では、その婚姻を断るに断れなかった。
あわや政略結婚を押し切られそうになるルーナ。
「あのまま、ディグル令息と婚約が進んでいたら、と思うとゾッとするんです」
「あはは……。まぁ笑えないかもだけど」
ルーナに結婚を迫っていたベレザックは、幼い頃から彼女に執着していた。
まぁ、お察しの通り、後々のバッドエンドや事件要員のキャラクターになっている。
そして傲慢な性格で有名な男で、そんな男と婚約してしまえば不幸一直線だ。
本来、その一件を未然に防いでくれるのはレヴァンの役目だった。
それはルーナが『聖守護』の天与を目覚めさせた事を唯一、彼が知るエピソードがあって。
私が介入したのは、そこだ。
レヴァンには、どうしてもルーナの事を話さざるを得なかった。主人公だし。
そのため、レヴァンとルーナのファーストコンタクトの前、それも【天与】を目覚めさせる前に、レヴァンはルーナの事を知る事になった。
そして王宮からの調査が入り、ディグル家との強引な縁談から、ルーナは先に守られる事になる。
救助されてから、王宮で『聖守護』の天与の発現と、その行使を見守られて……。
今は、ルーナも私と同じく王宮で保護されている状態だった。
ルーナの言う御恩というのは、その一連の流れのことだろう。
レヴァンへの恋愛イベントのはずが、私への感謝に置き換わったという感じ?
まぁ、恋愛進行は、これから本格的になるから、誤差の範囲だと思うけど。
「気にしなくていいのよ、ルーナ。貴方は、自由に恋愛すればいいんだからね!」
「恋愛、ですか?」
首を傾げるルーナ。くぅ、可愛い。流石、ヒロイン。
私は、ルーナが望む相手と結ばれればいいと思っている。
だから、特にレヴァンと絶対にくっ付いて欲しい、とは思っていないわ。
……ただ、まぁ欲を言えば、という話はあるんだけど。今はどうしようもないもの。
「アマネ様」
「なぁに、ルーナ」
「……本当に。クリスティナ様は、アマネ様が、おっしゃるような方なのでしょうか」
「え?」
ルーナは、何とも言えない表情を浮かべて、私を見つめて来た。
「クリスティナ様は今、貴人牢に囚われているそうです」
「……牢」
あの後。私は気を失っていたけど。
クリスティナは、レヴァンを、王子を殴った罪によって捕まったらしい。
「ですが、あのような事がなければ、クリスティナ様も、ああはしなかったはずです」
「ルーナ」
やっぱり、この子は優しい、いい子だな、と思った。
「本当に、あの方は……『傾国の悪女』というものに、なるのですか?」
「それは」
クリスティナは、悪役令嬢だ。
多くのバッドエンドをもたらす、災害に等しい女。
「アマネ様?」
「今は、まだ目覚めてないだけなのよ。クリスティナは。それにクリスティナの【天与】は『怪力』なんかじゃないの。本当は」
「え? ですが、あの方が目覚められた【天与】は」
「それが、まずおかしいの。だって」
クリスティナが持つ【天与】は、もっと恐ろしいものだ。
その名は──『毒薔薇』。
……『毒薔薇』の天与。
それが、悪役令嬢クリスティナが発現するはずの【天与】だった。
穢れた毒を持つ、強靭な薔薇を咲かせる、破格の異能。
槍のように固く尖らせ、伸ばす事も出来る。それを無尽蔵に咲かせる事も。
触手のように相手を絡め取り、拘束する事だって出来る。そのまま締め潰す事も。
相手が魔獣だろうと、人間だろうと、たった一人で皆殺しにする事が出来る。
何よりも恐ろしいのは、その『穢れ』の力。
ルーナと対を成す、その力は……『大地の傷』を故意に発生させる事が出来る。
自然災害によって生じるはずの『大地の傷』を、クリスティナは意図的に生み出す事が出来るの。
そして当然、そこから魔獣が湧き始める。
クリスティナ、たった一人が『災害』なのだ。
彼女が居るだけで……リュミエール王国をこれから襲う『魔獣災害』が何度でも発生する。
だから私は、最善のルートをレヴァンに教えた。最も王国が平和に済むはずのルートを。
だけど、あの時のクリスティナは。
「……『オマケモード』の、クリスティナ」
「アマネ様?」
それはクリア後の追加要素。オマケモード。
ゲームをクリアした後で追加される、本編とは異なる世界の物語。
ううん。物語ですらない。そこには、まともなシナリオすらないの。
そのオマケモードの名前は『クリスティナ』。
……悪役令嬢を使って暴れ回るだけの……『無双ゲーム』だった。
レベル制のアクションゲーム。クリスティナを使って、ひたすら敵を倒し続けるゲーム性よ。
何度でも繰り返す事が出来て、レベルアップした状態でニューゲームを始める事も出来た。
言ってしまえば『魔王を使って無双して、主人公たちを倒して回る』ゲームだった。
本編冒頭、レヴァンとの婚約破棄を受けるクリスティナのシーンからスタート。
でも、そこからオマケモードでは、分岐が始まる。
クリスティナは、本編で受ける処分とは違い、『アルフィナ領』という僻地へ飛ばされる事になる。
その道中では、チュートリアル的に魔獣や、大木の障害物が発生する。
そして、アルフィナ領に辿り着いたクリスティナに待つのは……魔獣の群れだった。
アルフィナ領では、本編でルーナが訪れる土地以上に『大地の傷』が酷く開いていて、魔獣の大群が、継続的に現れるの。
プレイヤーは、そんな魔獣の大群を、悪役令嬢クリスティナを使って無双して倒していく。
無双でもあり、タワーディフェンス型のゲームでもあるわね。
ボスキャラクターとして、恐竜やドラゴン、そして各ヒーローたちも出現するわ。
もちろん、本編のヒロインであるルーナも『エネミー』となって出現する。
私が何故、現実で見た、あのクリスティナを『そう』だと思ったか?
それは、私のプレイスタイルのせいだ。
私は当然、このオマケモード『クリスティナ』も、やり込んでいる。
そして、クリスティナの『攻撃力』パラメータを『最高値』まで引き上げていた。
そうすると、どうなるか?
……ルーナの『聖守護』の結界すらも、パンチで破壊できるようになるのだ。
だから、アレは。現実に居る、クリスティナ・マリウス・リュミエットは。
私がプレイしていた……強くてニューゲームの。
レベル・攻撃力が、カンスト状態になった、最強の悪役令嬢だ。