05 予言の聖女と傾国の悪女
「私が? 何ですか? 傾国、の?」
「『傾国の悪女』だ」
「……傾国って意味は、分かっていておっしゃっています? 殿下」
「それは分かっている!」
いえ、そんな心苦しい表情で訴えられても困るわよ。
レヴァンは優しい人だと思う。でも少し、そうね。優柔不断、かもしれないわ。
押し切られてしまいそうな人。だから気の強い人か、しっかりした人がそばに居る必要がある。
私が、その適任だとは言い切れないけどね。
ただ、今だってレヴァンは、私を悪女だと心から断言したいわけではないみたい。
それに婚約破棄だって『かもしれない』であって、言い切られてはいない。
まだ取り返しがつく範囲ではあると言える。
ただ、私がその傾国の何やらだと予言されたと、集まった貴族たちには知られてしまった。
それに【天与】を使いこなせるというルーナ様の存在。
私が、この状況を覆すにはどうしたらいいかしら……。
「アマネの予言によれば、クリスティナ。君は王国を脅かす『傾国の悪女』になるのだそうだ」
「王国を脅かす悪女、ね」
聖女の予言。彼女は、いくつもの災害を予言してみせたと聞く。
そのお陰で多くの民が救われた。……彼女の予言には、それだけの価値があるのよ。
予言の聖女アマネ・キミツカがこれまで挙げた功績が、その言葉を無視できなくしていた。
……だけど。
そんな事を言われたって私、何もしていないわよ?
たとえ『未来の私』がそういう人間になるのだとしても。今の私は、何の罪も犯していない。
「聖女アマネの予言は、もはや疑いようのない程なんだ、クリスティナ」
「……そのようですが。ですが、それとこれとは」
別の話じゃない?
「アマネの世界には、こちらの世界の未来を示す予言書、『オトメゲム』なる書物があるらしい。彼女は、その予言書の知識を基に、この国に起きる災害を予言し、多くの民を救っている。アマネは、既に『救国』を成し遂げていると言ってもいい。残念ながら、その予言書は持参していないようだが。彼女は、予言書に記された知識を記憶し、僕らに示してくれている」
予言書の知識。つまり、聖女が予言の力を持っているわけではないのね?
私の『予言』の天与とは、どうも勝手が違うみたい。
「あ、あのぅ、レヴァン。予言書とは言いましたけど、オトメゲムじゃなくて『乙女ゲーム』で……その。そこを真面目にピックアップされると、私としては恥ずかしいと言うか」
聖女アマネが口を挟む。恥じらっている様子だけど。私は、その態度にイラっとした。
アンタの恥ずかしさとか、どうでもいいのよ。
私は今、悪女呼ばわりされて、婚約破棄されそうになっているんだけど?
あと、レヴァンって呼び捨てにした?
私でさえプライベートと公の場では呼び方を分けているのに。
いいわ、もう。私も取り繕っている場合じゃないもの。
「未来は無数に分岐するものらしい。だが大筋の流れ、運命は変えられないものだそうだ」
「レヴァン。聖女の予言が確たるものだというのは私も聞いているわ。でも、それとこれとは別」
キッパリと言っておかなければいけない。
「私は今、何もしていない。たとえ、未来の私がどうなろうと。貴方は『未来の罪』で私との婚約を破棄すると?」
「それは……」
「未来は、未来よ。たとえ聖女の予言だろうと。変えられない運命と言ったけど。私の、その運命とやらも変えられないと?」
私は、レヴァンに向かって問い掛ける。でも、それに答えたのは聖女だった。
「ええと。共通ルートは変えられなくて! この世界の中心はルーナなんだけど。私の予言はルーナ頼りなところもあって」
「意味の分からない事を言って、私と殿下の話に口を挟まないでくださる? 聖女様」
「ひっ」
私は、怒りを堪えつつ、にこやかに笑って聖女に釘を刺した。
聖女は国賓扱いかもしれないけれど、今、第一王子とその婚約者として話しているのよね!
「クリスティナ。僕は立場上、アマネの予言を無視する事は出来ない。……出来ないんだ」
「レヴァン……」
そうね。そうでしょう。なにせ相手は、災害の予言をいくつも当ててきた聖女だ。
ならば、民を思えば……彼女がもたらす予言を無視できるはずがない。
レヴァンは王子だ。王族としての責務がある。だから。
「……だけど。これは、あまりにも納得が出来ないわ」
いっそ、ルーナ様のことを愛してしまったと言われた方がマシだった。
それならば私は大人しく身を引けたかもしれない。
将来の、彼との『家庭』を思い描きこそすれ、私が彼を愛しているとは……言い切れなかったから。
結婚するならば好きな相手としたい。そう、レヴァンに言われていたなら私も納得していた。
だけど、見も知らぬ聖女に予言されたから、私たちの関係がすべて終わりだなんて。
そんなの納得は出来ない。出来るはずがないわ。
「レヴァン。貴方は一体どうしたいの? 私にどうして欲しいの。私との関係を……どうするの?」
せめて、貴方の意思で、というのなら。私は受け入れられるわ。きっと。
「……出来れば。根回しもまだだが、ルーナを正妃に、クリスティナを側妃に、という声もあった。アマネの予言を聞いた時、僕もそう考えていたんだ」
「側妃……」
側妃とは、言ってしまえば国王の二番目の妻だ。
正妃ほどではないが、その立場や権利は、しっかりと約束されている。
普通ならば、正妃に子供が出来ないならば、と。側妃を選ぶことになるだろう。
ただ、私たちの場合、そもそも【天与】があってこその婚約関係だった。
ルーナ様が選ばれるとしても、それが理由となる。
この場合、妃のどちらかが『家の後ろ盾』をもって王に嫁ぎ、もう片方が【天与】を持つから、という理由が相応しい。……だから、どちらかと言えば侯爵令嬢の私が正妃になり、ルーナ様が側妃になるのが妥当と言える。それすらも難しい立場に私は今、立っているということね。
ただ、少なくとも側妃になる事を受け入れれば、私がこれまで努力してきた事は役に立つわ。
それにまだ家での立場も……そちらは怪しいかしら?
とにかく、側妃に据える、というのはレヴァンなりの精一杯の気遣いではあるのでしょう。
第一王子から婚約破棄されて、ただ捨てられた女になるよりはマシとも言える。
でも、側妃かぁ……。
一人の女としてはモヤモヤした気持ちになる処遇よ。
だって、私は『妃』になりたいというよりは、きちんとした家族を作りたい、という方が強かったから。だから、その提案だけでも、ショックはかなり大きかった。……だっていうのに。
だから、その提案だけでも、ショックはかなり大きかった。……だっていうのに。
「それはダメ! それやるとバッドエンドに直結するから! この国、滅びるわ!」
「はぁ?」
聖女は、私が側妃に落される事すらも頭ごなしに否定してきたの。
思わず私も素の言葉遣いが漏れてしまった。
……私、彼女に目の敵にされるような事してないと思うんだけど? まだ。
「そう、なんだ。クリスティナ。君を側妃として迎えると、ルーナは不幸になり、そして王家は傾き、廃れる……らしい」
「……それも聖女の予言?」
「あ、ああ」
いやいや。何、それ? 流石に私でもそんな事しないわよ?
私は苛立ちを通り越して、むしろ冷静になってきた。
「レヴァン殿下」
「う、うん」
「私、それらの話にまったく身に覚えがありません。傾国など企ててすらいませんし、思い浮かべた事すらもありません。正妃ではなく側妃になるとさえ、今この時まで思っていませんでした」
「それは……そうだろうね。僕だって、クリスティナが、そんな風になるとは……」
ちょっと、こら。冷や汗をかきながら目を逸らさないでくれる?
私の目を見て話しなさいよね、レヴァン!
「つまり、今回の婚約破棄の提案は、特に『今の私』に非があるのではない。ただ、将来的に『傾国の悪女』になるからだと。そういうことでよろしいですか」
「……そうなる」
「一方的に婚約破棄され、側妃になる事さえ、お断りと。今の私は何もしていないのに?」
「そう、だ」
どんどん私の感情は冷え込み始める。レヴァンを見る目も、どんどん冷たくなっていくわ。
「では私はこのまま大人しくマリウス家に帰ればいいですか。殿下に婚約破棄されて来ました。側妃にすらなれません、と。マリウス侯爵にお伝えすればいいかしら? それが殿下の意向であると」
気が重いわねぇ。お父様が私を許すわけがないもの。
家での立場が今より、もっと悪くなる。いっそ夜逃げでもしようかしら?
行く当てもないけどね。頼れる相手も……フィオナを頼ればいいかな。
流石の私も、目の前が真っ暗になってきた。
血の気も引いてきたと思う。眩暈すら覚えているわ。
「……あ。それは、その」
「……まだ何か? 聖女アマネ様」
そろそろ彼女に『聖女』なんて付けなくてもいい、って思い始めたわ。
「クリスティナ。どうやら君を、ここからマリウス家に帰すわけにはいかない、らしいんだ」
「はい? 何故ですか?」
流石に意味が分からない。
「今、この瞬間を迎えてから。君を家に帰すと……君が、マリウス侯爵家の人々を『根絶やし』にしてしまう、らしい」
「はぁああ!?」
「!?」
私は『外行き』の仮面を投げ捨てて大きな声を上げた。
「根絶やしとは何ですか? たしかに私は家では良くない扱いをされていますけど。それでも根絶やし、なんて。つまり、皆殺しにしてしまう、と? そこまで家族に憎悪は抱えていません」
「……そうだと、僕も思う」
ピキッと。レヴァンの肯定の言葉に怒りを覚えた。
「非のない私との婚約を破談とし、側妃にもせず、さらに家にまで帰るなと? では何ですか。私はドレスを着たまま、修道院の門を今から叩きに行けばよろしくて? それで万事解決かしら? それで満足ですか?」
貴族令嬢が、それも王子の婚約者だった女が、修道院行きなんて相当よ。
ええ、本当に相当のことなの。でもね。それも、だった。
「修道院へ行くのも、ダメ、なんだ……」
「……はい?」
私はもう目が点になった。なんですって?
「クリスティナは修道院には馴染めない。脱走して、凶行に走る、らしい」
ちょっと。いい加減にしてくれない? 流石に言い掛りにも程がある!
「殿下。それらもすべて、予言の聖女アマネ様の『予言』ですか?」
「……そうだ」
そこで私は、レヴァンから聖女アマネへと目線を移した。
「ひっ」
「あ、アマネ様っ。私を盾にしないでください……!」
私が苛立ちを堪えた視線を向けただけで、ルーナ様の後ろに隠れる『予言の聖女』アマネ。
何なの? 喧嘩を売ってきてるの、貴方じゃない。ふざけてるの?
「では、彼女の予言を信じるレヴァン殿下は、私を一体どうなさるおつもりですか? どうやら私は家に帰ることも、修道院へ向かう事すらも許されないそうですが」
一体どうしたらいいのよ、それは。
「……最もリュミエール王国が平和に、問題が片付く『未来』がある」
「それは?」
言い淀むレヴァン。今更、何なのよ。
「それは、クリスティナ。君を、国外へと追放する事、なんだ」
「────」
……は。いやいや。ちょっと。真面目に息が乱れてきたわよ。
あまりの言葉に気を失ってしまいそうだけど、何とか踏み止まる。
「国外、追放? 侯爵令嬢の私が? 殿下。それは国家反逆罪と認められて、ようやく下されるほどの罰ではありませんか。……それは、つまり『流刑』という事なのですよ? その意味を、本当にご理解されていますか?」
それも『今の私』が犯した罪によって裁かれるわけじゃない。
予言された『未来』のせいで、下される処分。そもそも私には罰される筋合いがないのに。
「殿下は正気なのですか? たしかに『予言の聖女』アマネ様は、数々の予言を的中させてきたと聞きます。ですが、これは」
私は、まっすぐに背筋を伸ばしてレヴァンの目を見据えた。
「今の私に非があると仰せで、その証拠があるのならば納得もしましょう。ですが、如何に『予言の聖女』とはいえ、たった一人の、どこの誰とも知れぬ女の言葉で。一人の罪なき貴族令嬢から、そこまで全ての権利を奪い、どころか流刑に処すると。本気で、そうおっしゃるつもりですか」
それはない。それはないわよ、レヴァン。
ていうか、そんな事を認めたら、私だけの不幸に収まらないでしょう。
「では、殿下は、聖女が予言しさえすれば、虐殺する暴君となる事すらも厭わないのですか? あの子も追放、あちらの子は処刑。あちらは奴隷にでも落としてしまえ、と。それらはすべて『だって、それが予言だから』を理由にして。それならば、どんな事をしても許されるとでも?」
レヴァンは、そこまで馬鹿じゃない。と、思いたいわ。
「いや。……予言は、クリスティナの事だけ、なんだ」
「はい?」
「確かに、これは横暴だ。踏み止まらねばならない暴走だと思う。乱心を疑われても仕方ないほど」
分かっているじゃないの。
「だが。災害を予言し、民を救ってみせ、また、未来の人々を救うだろうルーナを見出した。そんな予言の聖女、アマネが僕らに一体、何を求めたと思う?」
「知りません」
彼女個人の事情も、気持ちも。私が知るわけがない。
「平穏と、安寧だ」
私は眉間に皺を寄せてレヴァンの言葉に耳を傾けた。
「聖女アマネは欲深い人ではない。これだけの功績に対して爵位も、領地も、財産すら望まなかった。彼女は、ただ、この国が平和である事を望んだ。そして、ルーナの周りの人々が不幸にならず、幸福で過ごせる事。それだけが彼女の望みだと言ったのだ」
……聖女様は、随分とルーナ様にご執心なのね。
「他の者に対しては断じて、酷い仕打ちを望んではいない。だが」
「……だが?」
「クリスティナだけは、救えないのだと。どう足掻いても国を滅ぼし、ルーナを不幸に陥れ、国を傾ける運命にあるのだと。強く進言してきたのだ。それは確定的な未来なのだと」
「なんで、そこまで……」
一体、私個人に何の恨みがあるのよ、聖女は?
レヴァンもレヴァンで苦しそうな表情で言葉を紡いでいる。
彼だって私への処遇が本意ではないのだと窺えた。それは、せめての救いではあるけれど。
「……ですが、この仕打ちは理不尽です、レヴァン殿下。……レヴァン」
「その通りだ、クリスティナ」
そこで。レヴァンは覚悟を決めた表情で私を見据えた。
今ここで、私を『断罪』する事を覚悟したかのように。
……レヴァン。昨日までは、貴方を未来の夫になるのだと思っていたのよ。
そんな貴方が、私を。
「今まで培ってきた私との関係や、私個人よりも。予言の聖女アマネを信じると仰せですか」
「……すまない、クリスティナ」
彼は謝った。謝ったのだ。私に向かって。すまない、と。既に心は決めたのだと。
……私は、『予言の聖女』アマネ・キミツカを強く睨み付けたわ。