46 邪神、再び
「何、あれ?」
「ヨナにも見えるの?」
「うん。空が割れてる……」
そう。空が割れている。
ひび割れていただけのそれが、取り返しのつかないほどに。
「あっ!」
「わっ! ど、どうしたの、お姉ちゃん」
「黒ローブの連中だけいなくなっているわ!」
ぶっ飛ばした男たちをぶつけて、さらに拘束薔薇を巻きつけていたのに!
「カイル! セシリア!」
「……ここに」
「わぁ!」
シュタッ! と呼んだ瞬間に姿を現すセシリア。
どこから出てきたのよ!
「びっくりなのは置いておいて、貴方たちにもアレ、見えている?」
「はい、お嬢様。かなりの緊急事態かと。カイル兄さんは見誤りましたね」
「冷静な分析をありがとう。とりあえず状況は違うけど、セシリアはヨナと一緒にここから離れていてくれる? これ以上のややこしい状況は勘弁よ!」
「……承知しました。行きましょう、ヨナ様」
「え? ……そうだよね、足手まといになるよね」
「今は力不足なだけでございます。お嬢様はそれを責めません」
「そうね! ヨナはがんばったわ! 私たちこそ貴方をむざむざ誘拐させてごめんね!」
「そんなこと! みんなは悪くないよ!」
「ありがとう! じゃあ、セシリアと一緒に逃げてね。馬を守るのも大事な役目だから! セシリア、それでカイルは?」
「お嬢様が心配なさそうなことと、あの空の異常事態を感知して、リンディス様を追いかけました。間に合えば、即座に二人で離脱できるのですが……」
「わかったわ! じゃあ、私があっちに行くから! 任せるわよ!」
「……はい、どうかご武運を、お嬢様」
ヨナのことは予定通りにセシリアに任せる。
カイルは作戦変更をリンディスに伝えに行ったけど間に合うかしら?
「先読みができすぎるってのも考えものね!」
『予言』の情報を頼りに修道院を警戒しすぎた。
私が捕まることを前提にリンディスを潜入させたけど、無事にヨナを救出できちゃった。
そのせいですぐに逃げれば済む話だったのが面倒な事態に。
「……違うわね」
空のアレが、邪神の現れる兆候だとすると、対抗できるのは今、私だけになる。
ルーナ様が都合よく近くにいるならともかく。
ここにいる以上、私がアレの対処をすべきなのよ。
……それに今回は私が近づいたのも原因な気がする。
あの悪夢は間違いなく邪神の影響を受けて視たんだと思うの。
何はともあれ、行くしかないわね!
空を見上げながらマリルクイーナ修道院に向けて走る。
どう見ても危ない事態なんだけど中から逃げてくる様子がないわね!
修道院は執拗なほど高い壁に囲まれていた。
『予言』の夢で視ただけだから証拠にならないんだけど……。
ここは危険な施設だと思うわ!
「……ああ、でも予言を理由にして糾弾するのはよくないわよね」
私自身がアマネの予言によって、こうなったことを思い出す。
しかも今回は〝外部干渉〟を受けて視たとしか思えない予言の内容だった。
となると、間違っているのは予言の方で、この修道院は普通の施設なのかも?
私に予言を信じさせて、あの修道院を疑わせて、事件を起こさせたい、とか。
それを理由にして私が危ないやつって噂を立てられるとか?
……ありそうねぇ。
しかも、ここはジャネット様の家の領地であるリュクセン領よ。
そんな場所で騒ぎを起こしたってだけで何かの材料にされそう。
「よっと!」
森を抜けて、高い壁のこちら側にある広い空間に出る。
空のひび割れは、これまで見たことがないほどの規模になっていて。
「……来るわね!」
修道院に入ったはずのリンディスや、それを追ったカイルと合流する暇もないまま。
空から何かが落ちてくるのを感じる。
『────』
前に戦った邪神は、黒い太陽みたいなやつだった。
大きな一つ目を囲うような丸い体。全体的に黒くて、体表を触手が蠢いていた。
今回、現れる奴も同じ奴なのかしら。そう思っていると。
『ぁあああああああ!』
「きゃっ」
何⁉ 明らかに〝人の声〟だけど、なんか嫌な感じ!
ボトッ!
「わぁ……!」
空から黒い塊が落ちてきた!
前回みたいに空中に浮くタイプじゃないのね!
その異物は、やっぱり黒い体をしている。
たぶん、かなりの大型。でも球体じゃない。
もっと見慣れた生物っぽい雰囲気で、体表も別に触手には覆われていなさそう。
『ぁぁああああああ……』
「うぅわ……!」
ソレが何に似ているかと言われると、きっと人間だった。
だって、ソレには両腕がある。肩らしき場所、胴体らしき場所がある。
ただし、下半身はない。とてつもなく大きな上半身だけの人間。
上半身と地面の境目は、ベチャリと泥が広がっているような感じ。
でも、あの泥はなんだかそれだけで危ない気がする。
何よりも特徴的なのは、きっとその『顔』だろう。
『ぁあああああ!』
──ソレには顔がなかった。
顔のない、上半身だけの、黒い巨人。それが今回現れた邪神の姿よ。
「顔がないのに声は上げるとか……」
形状が人を思わせるだけに、余計に気味が悪いと感じる。
それに、こいつ。
「こいつ、たぶん、まだ完成してない……」
前の邪神とは、かなり違う気がする。これは形が整う前よ。
下半身がないことも、きっとそれが原因。
こんなのに足があって歩き回られたら、リュミエール王国の民が正気じゃいられなくなるわ!
『……悪役令嬢だ』
「は……?」
何? さっきまで意味不明な絶叫をあげていたはずの邪神は、突然に通じそうな言葉を発した。
顔がない、だから目がないのに、明らかに私を見ている。
私を見て、なんだと言った?
『私、私! 私がなるわ!』
『違う、私がなるの! 私のよ、私の体!』
『おいおい、俺だ、俺がなるぜ!』
『……! ……!』
「ひゃっ」
気持ち悪い! 複数人の人間の声が一度に聞こえた!
私は思わず飛びのいて邪神から距離を取る。
いったい何なの? 一人の声じゃなかった。一度に複数の声がした。
でも、その一つ一つは確実に〝人間の声〟だった!
「……異界から落ちてきた、人間の、集合体?」
私の頭に聖女アマネの姿が思い浮かぶ。
『予言』の夢でつながった、向こうの世界で暮らすアマネの姿。
きっと無関係じゃない。今、目の前の邪神とも、『予言』で視ることも。
でも、今はそれどころじゃない! 明らかに目をつけられた!
ヨナの体を奪おうとして、シルバに憑依したあの人魂と同類?
それが一つじゃなく、もっとたくさん集まったもの!
だから人型をしているの? それとも、これは加工前?
『あんたの体をよこしなさいよぉおおお!』
『私の体、私の体、私の体ぁああああ!』
『ぁあああああああああ!』
複数人の絶叫を重ね合わせた叫びをあげる邪神。
……これ、なんだか……。
「うっ……」
……怖い?
今まで魔獣と対峙した時も、盗賊に囲まれた時も、怖いなんて思わなかった。
なのに、こいつだけはなんだか怖い。そう感じている。
体が勝手に震えてきて、うまく動けない。これ、本当にまずいかも。
先制で浄化の薔薇槍を叩き込んでやりたかったのに。
体がうまく動かせなくて、【天与】が思うように操作できない。
やっぱり私の力に干渉しているの?
あいつらの教義的に、三女神にどうにも文句があるみたいだった。
【天与】は三女神からの授かりもので、邪神はそれに干渉できる?
……私が怖いもの知らずでいられるのは【天与】があるから。
それがもし奪われてしまったら、私は?
「はっ……はっ……」
呼吸が荒くなる。走ったあとだからじゃあない。
体が震えて、心が乱れて、そのせいで呼吸も乱れている。
視界が歪んでくる。だめよ、これ……本当に。
『悪役令嬢、悪役令嬢、悪役令嬢!』
『私のよ、私のよ、私のよ!』
『主人公になれる! 主人公になれる!』
不気味な声の重なりで耳がおかしくなりそう。
音も内容もすべてが気持ち悪くて、吐きそうになる。
「あ……」
邪神の体が目の前に迫っているのに、私は動けないまま。
大きな体の、頭部には顔がなく、ただ空洞が広がっている。
だけど、それはただの空洞じゃあない。そこにあるのは闇だった。
その闇が噛みついてくるように近づいて、私を闇に呑み込んでしまう。
地面がそこにあったはずなのに、空に放り出されたかのような浮遊感。
でも気持ちのいいものじゃない。
その空間は気持ち悪い何かが溜まってできた泥の中だった。




