41 幕間 処刑される悪役令嬢①
気づくと一人、荒野に立っていた。
見渡す限り悲惨な光景。魔獣に荒らされ果てた王国の大地。
空にはいくつもの大地の傷が開き、その世界の中心で『私』は──。
「あはははははは!」
高らかに笑っていた。
『私』の左眼は潰れている。体には茨の蔓が這い回り、血を流している。
だけど死なない。
『私』の体は【天与】によって維持されている。
傷ついても修復する。空腹を感じない。排泄を必要としない。
体内にまで薔薇が侵食し、さしずめ動く植物のよう。
痛みはなくなっていない。痛覚は未だに『私』を苛むのに、この体は動き続ける。
「ああ、レヴァン、ルーナ様。やっと来てくれたのね」
『毒薔薇』の【天与】が開いた大地の傷から無数の魔獣が現れる。
何度でも、何度でも。この『私』が生きている限り、王国は救われない。
多くの人々が協力し合い、あれほどの時間を掛けて解決したはずの魔獣災害は、この『私』たった一人によって何度でも再現される。
その真実に人々は、ようやく気づいたのだ。
「傾国の悪女、クリスティナ・マリウス・リュミエット!」
満身創痍の騎士たちを連れ、レヴァンとルーナ様が『私』の前に立ちはだかる。
「……お前は必ずここで止める!」
レヴァンは悲愴な決意を満たしながら宣言する。
その隣に立つルーナ様は苦しそうに『私』を見据えた。
「クリスティナ様!」
「ルーナ! 危ない!」
レヴァンの制止を振り切り、ルーナ様が『私』の前に出てくる。
息を飲む騎士たち。けれどルーナ様は揺るがない。
「もうやめてください、こんなこと! 貴方は、本当はこんな人じゃないはずです!」
「…………」
ルーナ様はこの期に及んで、なおも『私』を信じていた。
すでに多くの民が『私』の生み出した魔獣によって命を落としている。
リュミエール王国に暮らす人々は誰一人として『私』を許すことはないだろう。
騎士たちが怒りと恐怖、憎悪をもって『私』を取り囲んでいる。
『私』はこの国で最も嫌われ、憎まれているバケモノだ。
それなのにルーナ様はなおも、そんな『私』を信じている。たった一人で。
それは彼女の罪悪感からか。それとも【天与】を授かった使命感からか。
彼女から『私』に感じるのは、たったそれだけの共通点。
「……幼い頃、貴方は私を助けてくれたのです、クリスティナ様」
ルーナ様は私に語りかける。
「十歳の頃、暴力的で、威圧的な男の子たちに私は取り囲まれていました。けれど、そこに集まっていた人たちは男爵家の娘にすぎない私を助けてはくれなかった。ただ、貴方だけが私を助けようとしてくれたんです。その代わりに、貴方は自らの【天与】に傷つけられてしまった。私は……!」
ルーナ様は涙を流しながら訴えかける。
「そんな貴方にお礼すら言えなかった! 私を守ろうとして、傷ついてしまった貴方に! それなのに! 今だって! 私は貴方と手を取り合えるはずだった!」
片方は、王国を巡って民を救い、救国の乙女と呼ばれて、人々から愛されるルーナ様。
片方は、【天与】に溺れ、災厄を振りまき、民を虐殺した傾国の悪女、クリスティナ。
そんな二人なのに。
「お願いします、クリスティナ様! 私の手を取って! 私の【天与】が貴方の傷を癒します! もう苦しまないでください! どうかもう、その痛みを皆に広めないで! 貴方だけが傷つかなくていい! 貴方の苦痛を私が癒し、やわらげる! 貴方は私が救います!」
必死に訴えかける彼女の姿は人々の胸を打つ。
レヴァンも、騎士たちも、ルーナ様の言葉に一縷の希望を抱き始めていた。
救国の乙女の言葉になら、傾国の悪女も耳を貸すのではないか、と。
そんな彼女に『私』は口を開く。
「■■■■■」
「……え?」
『私』はルーナ様にそう告げた。
リンディスがお父様に殺されて。許せなかった。
だから、お父様を殺した。
マリウス家の人々は『私』をどこまでも虐げた。
だから、みんなを殺した。侍女も騎士も、そしてお母様も。
家にはリカルドお兄様も、ミリシャもいなくて、探したけれど、どこにも。
そうして殺した人々の上に咲かせた毒薔薇で屋敷を飾り立てて、お墓を作った。
リンディスのお墓を作って両親を虐殺した時から『私』の世界の半分は見えなくなったまま。
潰れた左眼だけがこの世界の美しいものを見ていた。
でも、そんな左眼だけが潰れてしまったから、『私』には世界の汚い部分しか見えなくなった。
何もかもが色あせてくすんで、汚らしく見えた。
それから『私』は衝動のままに力を振るった。
世界は『私』の力に呼応してひび割れていく。
生まれた魔獣たちは『私』の手足となって人々を虐殺していった。
『楽しいわ! なんて楽しいの!』
ドレスもマナーもなんて意味のない。家族も信頼もなんて価値のない。
魔族というだけで人を差別して挙句に殺してしまうお父様。
娘じゃないからと愛情を注がないくせに、その癖、自分は母親じゃないことは隠していたお母様。
だったらもっと早くに教えてくれればよかった。
ブルームお父様とも、ヒルディナお母様とも、リカルドお兄様とも、ミリシャとも。
本当は家族じゃないんだって知っていたなら。
『私』だって彼らには何も期待しなかったのに。
婚約を結べば自分にだって理想的な家族が持てるかもしれないと。
そう、夢見ていたものは、すべて失った。
どうやら家族を持つ前に『私』は〝愛〟を育むべきだったらしい。
ルーナ様はレヴァンに愛されたけれど『私』は彼に愛されなかった。
初めに花を贈られたことを、もっと喜んでいれば何もかも変わっていたのかしら。
でもね、『私』は、本当は欲しかったの。家族の証が。
宝石がマリウス家の家族の証だった。
けれど『私』だけが贈られたことはなかった。
その理由は『私』が彼らの本当の家族ではなかったからだなんて。
『私』の本当の母親はすでに死んでいるらしい。
『私』の本当の父親はすでに死んでいるらしい。
マリウス家のブルームお父様も、ヒルディナお母様も『私』の両親ではなかった。
だから『私』は家族に愛されない。
すべての努力が無駄だった。すべての願いが無駄だった。
せめて未来で家族になってくれるはずだったレヴァンさえも。
「『私』は愛されていないのに、ルーナ様は愛されているのね」
「……!」
何気なく呟いたその言葉は、ルーナ様の急所だったらしい。
だってそうでしょう? レヴァンと『私』は婚約者だった。
それが今は……彼の隣に立っているのはルーナ様。
「私は、そんなつもりじゃ……! 私とレヴァン様は……!」
苦しそうな表情。ああ、勘違いしている。
『私』がこうなった原因がルーナ様だなんて。
それは違う。『私』がこうなったのは。
「ふざけるな!」
でも、そんな『私』の言い訳をレヴァンが遮る。
「君は! たかが嫉妬で、こんなことをしたと言うのか! どれだけの民が傷ついたと思っている! どれだけの民が命を失ったと思っている⁉」
レヴァンは泣きそうな顔をしていた。
「クリスティナ! 君が僕を憎むのなら! ……僕だけを殺しに来ればよかっただろう! それなのに、こんな……!」
『私』は首をかしげてしまう。まったく的外れだ。
確かに悲しかった。何もしていないはずの『私』をレヴァンは断罪した。
そうして、あの修道院に容赦なく連行した。
『私』の言葉に耳は傾けられなかった。
婚約破棄、断罪、そしてマリルクイーナ修道院への連行。
かつての『私』もまた罪人だった。彼らにとって。
そうなった最たる理由は『私』が【天与】を使えなかったから。
ルーナ様と違い、【天与】を使いこなせなかったから『私』は彼らの邪魔者だった。
だから、がんばったのよ。あの場所で。
地獄のような場所で、地の底のような場所で、『私』は力を手に入れた。
修道院の地下、懲罰室という名の独房としかいえない場所。
鞭打たれ、食事も与えられない、孤独と無音の空間。
冤罪だと訴える相手すらいない。誰の声も聞こえず、『私』の声は誰にも届かない。
光さえ届かない暗闇。震えるような寒さと、息苦しい狭さ。
生き残るために必死で薔薇を咲かせて、激痛に苛まれながら薔薇を食べて飢えを満たして。
治ることのなかった傷、二度と女性として見られなくなるだろう肌。
【天与】でつなぎ合わされただけの醜い体になっていって。
多くのものを失いながらも、それでも生き抜いて。
涙を流しながら、何をどうすればよかったのかもわからないまま。
『毒薔薇』の【天与】を使えるようになった『私』はマリウス家に帰ったの。
その時にはもう『私』は真の罪人だった。着ていた服は返り血に塗れていて。
でも、そうして行き着いた場所には、求めていた幸福はなかった。
リンディスが殺されていて、親だと思っていた二人はそうじゃないのだと告げられた。
『私』など死ねばよかったのだと。
『私』の母親のように、惨めに死んでいればよかったのだと言われた。
初めて見るリンディスの顔は死に顔だった。
苦痛の果てに手に入れた力は、人を傷つけるしかできない呪われたものだった。
「……『私』はもう止まれないわ、レヴァン」
もう遅い。すべてが手遅れだった。
何もかもが要らなくて、価値がなくて、取り返しがつかなくて。
『私』が欲しかったものは何も世界に残っていない。
「クリスティナ!」
レヴァンが剣を抜き、吠えるように怒鳴った。
「……ふふ、そんな顔もするのね、レヴァン」
ああ、もういい。『私』はここでようやく終われる。
それでいいの。もう止まれない『私』は誰かに終わらせてもらうしかない。
どうか『私』を殺してちょうだい?
そうすることでしか『私』は人と関われない。
きっと生まれた時からそうだったの。
『私』が幸せを求めることは間違いだったのだ。
『私』が愛を求めることは、大きな過ちだったのよ。
「女神より賜った【天与】を、人々を傷付けるために振るう悪女、クリスティナ!」
『私』の微笑みは、レヴァンを激昂させたらしい。
「愛に狂ったバケモノめ!」
かつて家族になりたかった人が、最後まで『私』に呼びかけてくれた人が、『私』を殺しにくる。
「あはははは!」
これが最期だと力いっぱいに『毒薔薇』を咲かせた。
薔薇は幾万の槍となり、騎士たちを貫こうとする。
ルーナ様の『聖守護』の結界がなければ、それだけで一瞬で終わってしまっただろう。
体中から血が吹き出す。
口からも血を吐いて、それでも『私』は止まらない。
「バケモノ……!」
騎士の誰かが『私』を見て、そう呟いた。
そうなのだろう、きっと。『私』と彼らは相容れない存在なのだ。
でも、だけど。『私』は、『私』は……!
「ぃぃいいい……ぁあああああああ!」
「ク、クリスティナ様!」
私の手足は薔薇に食い破られ、侵食される。左眼を潰した時のように。
正真正銘のバケモノになったように。だけど。
「痛い、痛い、痛い」
力の制御がまるでできない。
この薔薇を操るための、大切な何かが『私』に足りなくて。
黒くて、臭くて、醜悪な何かを吸って咲く毒の薔薇を制御できなかった。
「ああ、あああああああ……」
痛みと、憎しみと、愉快さで。
悲鳴を上げているのか笑っているのかもわからない声を上げて。
ただ流す血が増えていく。
騎士たちの、そして『私』の血がどんどん流れていく。
「そこまでにしておけ」
黒衣の騎士が『聖守護』の結界から抜け出し、たった一人で咲き乱れる薔薇を掻い潜り、『私』のもとに辿り着いた。
「……!」
金色の髪、翡翠の瞳、切り裂かれて血を流す白い肌。
「終わりだ、クリスティナ」
金の獅子と呼ばれた王国一の騎士、エルトが持つ黒い魔剣が『私』の心臓を刺し貫いた。
「かはっ……!」
剣で刺されて、『私』は血を流して。
哀れむような、それでいて冷たく怒るような瞳を向ける彼。
「……ありがとう」
「────」
エルトに向かって『私』は微笑んだ。
彼は目を見開いて『私』を見つめる。
心臓が止まるのを感じながら、『私』は安らぎさえ覚えていた。
そこで『私』の意識は途切れてしまう。
だけど知っている。
『私』の身体は【天与】によって作り変わっていることを。
心臓を貫かれて死んだはずの『私』は、そのまま死ぬことができなかった。




