03 彼女の周りの人々
「お嬢。今日もお疲れ様です」
「……リン。来ていたのね」
マリウス家の屋敷の、自分の部屋で一人で過ごしていた時。
『声』だけが聞こえた。その声の主の姿は見えない。
声の主の名前は、リンディス。私の従者よ。『リン』は私が彼を呼ぶ時の愛称ね。
私を護衛してくれている従者なのだけど。リンディスは、まともに姿を見せた事がないの。
リンディスは、魔術を使える一族、『魔族』なのだと聞いた。
そして彼は、こうして『姿を消す』魔術を使えるのよ。
私の授かった【天与】とリンディスの使う魔術は、別のものらしい。
その違いはよく分からないけれど。
「まったく嫌になるわ。毎日が勉強の日々! ねぇ、こんな事は私に必要なのかしら?」
「まぁ、勉学はどのような将来に進むにせよ、役に立つとは思いますよ、お嬢」
「えー?」
私は、リンディスにだけは、こうして心を開いて話すことが出来た。
姿が見えないからかしら? 顔を見せない彼のことを私は『声だけリンディス』と名付けている。
「勉強などしたくとも、出来ない民も居ますし。お嬢は、まだ恵まれている方かもしれません」
「そうかしら」
「勿論、苦労は人それぞれですから。お嬢はよく頑張っていると思いますよ」
「ん!」
私のことをこうして労い、認めてくれるのは、このマリウス家ではリンディスだけだ。
リンディスは前から。私が物心ついた時から、ずっと、こうして私の世話をしてくれている。
数少ない私の信頼できる相手と言えるわね。
それに私の話し相手になってくれる相手は、とても限られている。
侍女たちだって家庭内で浮いている私の扱いを良くしないから、本当にリンディスぐらいしか話し相手が居ないのよ。
彼が居なかったら、本当につまらないだけの人生だったと思う。
まぁ、私が信頼しているのに、一度も姿を見せてくれないのは不満なんだけど!
声だけは若い男性の声って感じなのよね。でも姿を見てみないと彼の年齢は分からない。
今よりも幼い頃から一緒に居てくれているし……。けっこう年齢は高めだと思うわ!
きっとナイスミドルな中年男性ね!
私は『声だけリンディス』の姿を好き勝手に想像して楽しんだ。
そして。そんな日々を過ごしていた、ある日。
とうとう私は、レヴァン殿下に会う事になったの。
未だ顔を見たこともない、私の婚約者に。私が十二歳になった頃だった。
お父様に連れられ、王宮へと赴き、レヴァン殿下の前に立つ私。
この日を迎えるために叩き込まれてきた礼節や立ち振る舞い。それに勉強、また勉強……。
私は侯爵令嬢として『外に出しても恥ずかしくない』と言われるまでを身に付けてやったの!
リンディスにも、沢山褒められたのよ?
お父様、お母様、リカルドお兄様、そして家庭教師すら私を褒めてくれないから。
ええ、『声だけリンディス』には無理矢理に沢山、褒めさせたの! フフン!
リンディス以外は『出来て当然』だって、一つも褒めてくれないどころか、厳しく責められるんだもの。
本当に嫌になったわ。リンディスが居なかったら、きっと私は暴れていたわね!
「君が【天子】のクリスティナだね」
レヴァン殿下が、私に向かってそう言った。
そういう風に言われると天使様みたいに聞こえて恥ずかしいわね!
「はい。殿下。マリウス侯爵家の長女、クリスティナ・マリウス・リュミエットと申します。こうして殿下のお目にかかれたこと、とても嬉しく思います」
私は、スカートの端を少し摘み、優雅な礼を披露した。
どう? これが私の『外行き』の姿よ。ここまで仕上げるのに苦労したんだから。
……本当の、本当に苦労したんだからね!
「美しい髪の色だね、クリスティナ」
レヴァン殿下は、私に近付くと、さらりと私の髪を梳いた。見る者を虜にする仕草ってヤツね。
残念ながら、私は少女らしい『ときめき』を感じなかったけれど。
「情熱的な君に相応しい髪と瞳の色だと思うよ」
「ありがとうございます、殿下。とても嬉しいですわ」
髪の色を褒められるのは久しぶりね。
なにせ私が陰で言われているのは『赤毛の猿姫』なものだから。
同時にこの赤髪を馬鹿にもされている。
それなのにレヴァン殿下は、私の赤髪を褒めてくれた。
私は、この赤髪が気に入っている。家族にどう見られていようと、よ。
それを褒めてくれると言うのだから……ふぅん。レヴァン殿下って『良い人』なのね!
たった、それだけの言葉で気分を良くした私はニコニコと笑って殿下と視線を合わせる。
そこで私は、ふと気付いた。
「あれ?」
「どうしたんだい、クリスティナ」
目の前に居る少年の姿を私は、どこかで見た事があると思った。
だけど、おかしいわね。レヴァン殿下と私は、今日が初対面のはずなのよ。
教育が厳しくなって二年ほどは、外に出ることさえも稀だった。
出て来ても社交の場なのだけど、そこで殿下を見掛けた事もない。
「ええと。殿下のお顔に、その。見覚えがありまして。ですが初対面のはずなのに、と」
「見覚え?」
いえ、見覚えというもの何か違う気がするわね。
だって、そう。私の記憶にある姿よりも、レヴァン殿下の姿は『幼い』のだ。ん? 幼い?
つまり私は、レヴァン殿下が『成長した姿』を知っているということ?
「あっ!」
そこで私は思い至った。彼を一体どこで見たのか。
「思い出しました。私、以前、貴方を見た記憶があります、殿下」
「そうなの? 僕たちは初対面だよね?」
「はい。その通りです。殿下とこうして会うのは初めてです」
「では、どこで僕を見たんだい?」
「私が貴方を見たのは……【天与】を授かった日でした。あの時、私は殿下の『成長した姿』の光景を視たのです。それは一人の女性の手を取り、微笑む、成長したレヴァン殿下のお姿でした」
「えっ。そうなのかい? まさか、その光景を見る力こそがクリスティナの授かった【天与】? 話に聞いていたのとは随分と違うね……」
私が見たあの光景の事を語ると、周囲の大人たちが、またざわめき始める。
「まさか『怪力』の天与ではなく、『予言』の天与を授かっていたということか?」
予言って。そんなに大した事を話したつもりはないんだけど。
「嘘、というわけじゃなさそうだね?」
「はい。単にその光景が視えただけですから。まぁ、健やかに成長されて良かったと思います。もう少し……6、7年ぐらい殿下が成長された後のお姿でしょうか?」
「いや、まだ健やかには成長していないのだけど。そうか。嘘を吐いている様子ではないね」
「もちろんです、殿下」
嘘を吐く理由なんてないものね!
「素晴らしいよ、クリスティナ。君は本当に【天与】を授かっていたんだね」
え。そこを疑っていたの? まぁ、一度しか使えていなかったから仕方ないわね!
「それにしても『予言』の天与か……」
「うーん。あれが予言と言えるかは分かりませんが」
「他に見えたものは?」
「そうですね。殿下の他にも年齢の近そうな男性が居ました。騎士風の? 姿をした金髪の男性。黒髪の男性。それと……あ」
「なに?」
「リカルドお兄様も一緒に居ました。あれ、お兄様だったのね……。今、気付きました」
「成長したマリウス小侯爵も見たのか。それに金髪の騎士、か。その『金髪の騎士』の彼と僕は仲が良さそうだったかい?」
「え? そうですね。そこまで詳しく見えたわけじゃないですけど。確かに成長した殿下とは一番、距離が近い場所に居ました」
顔は、はっきりしない。というより、あんまり覚えていないわね。
たぶん格好良かったと思うわ! 見えた光景の中では一番、私の好みね! フフン!
私の受け答えを聞いて、レヴァン殿下と周りの大人たちは頷き合っていた。
「成長した僕か。クリスティナ、君は未来の僕のそばに居る?」
「ええと、それは……ちょっと分からないです」
あの光景の中に私の姿はなかった。でも、だからそばに居ないとは限らないのだけど。
でも、大問題はレヴァン殿下の隣に居た女性ではないかしら?
あのピンク髪の女の子が、大人になった殿下のそばに居たのよね。
「きっと成長したクリスティナは、美人に育っているだろうね」
「まぁ、殿下。ありがとうございます」
中々に見る目があるじゃないの、レヴァン殿下。
そうよ。猿姫なんて言われていても私、けっこう綺麗なんだからね! フフン!
美辞麗句を並べられて、私は満更でもない気分だった。
こう、あんまり褒められる機会ってないんだもの。仕方ないわよね!
とにかく私とレヴァン殿下の婚約関係は滞りなく進んだみたい。
屋敷に帰った私は、殿下の印象について『声だけリンディス』に話した。
「リン。婚約っていうのも悪くないかもね! 私、リン以外に褒められたのなんて久しぶりよ! ……初めてかもしれないわ!」
「お嬢。褒められてその気になるとか、単純ですね」
「何よ! いいじゃないの!」
「……優しい人であれば良かったですよ、ええ」
やっぱり、褒められるのって大事なことだと思うわ、うん。
なんだか気持ちが、ほっこりしたもの。うふふ。
「自分は、お嬢が幸せな結婚が出来そうなら、それだけで満足ですよ」
「年寄りくさい事を言うわね、リン!」
「お嬢。口調が素になっていますよ? 普段から令嬢らしい言葉遣いを心掛けてください」
「……ええ。気にしないで、リンディス。とても嬉しい事があっただけなのよ」
「そう、その調子ですよ、お嬢」
「むー」
「ほらまた」
リンディスの前では、素の私で居られるし、ここぐらいは息抜きでいいと思う!
家の中でもリンディスの前以外は息が詰まるの。
他の侍女や家庭教師なんて私に対して、よそよそしいったら、腫れ物を触るようったら。
中には、露骨に嫌っている者までいる始末よ。
たぶん、場合によっては私に殴り殺されるなんて思っているのよね。
そんなこと、いくら私でも滅多にはしないと思うわ!
それから、また月日が過ぎていく。レヴァン殿下とは、きちんと交流を続けているわ。
だけど、いくら勉強しても『怪力』も『予言』も、【天与】が発現する兆候はなかったの。
「こうやって拳を握り締めたら使えるんじゃないかしら?」
「あのですね。いえまぁ、確かに戦闘に使える【天与】な気はしますけどね。うーん。でも『予言』の天与の兆候もあったとか。何か自分たちは、お嬢の【天与】について根本的な勘違いをしているのでは。王妃候補……このままで良いのでしょうか」
良くはないわよ。たぶんね。いくら私でも、それぐらいは分かってきたわ。
あれから成長したし、勉強もしたし。だから分かる。
このまま私の【天与】が使い物にならないのなら……殿下との婚約関係だって見直しになるわ。
「こんな事なら、ミリシャに【天与】が授けられたら良かったのにね!」
「……お嬢。その言葉は他の誰にも聞かれてはいけませんよ」
「分かってるわ!」
私の妹、ミリシャ・マリウス・リュミエット。甘えん坊で両親にはよく可愛がられている。
私に厳しいリカルドお兄様だってミリシャには甘々だ。
そんなミリシャに【天与】が授けられていれば……って言葉を、なぜ聞かれてはいけないのか。
ミリシャが両親に泣きついているのを見た事がある。『どうして私じゃダメなの!?』と。
レヴァン殿下との婚約は、私が【天与】を授かる前から、実は話があったらしい。
マリウス侯爵家を継ぐのはリカルドお兄様だ。
そのため、私とミリシャは政略結婚でどこかに嫁ぐ予定だった。
レヴァン殿下と娘のどちらかの婚約を、という話が王家とマリウス家との間で話されていたのだ。
その時点では、私とミリシャのどちらが殿下の相手でも良かった。
けれど、その選定の矢先に私が【天与】を授かったため、殿下の婚約相手が私に決まったの。
それでも何度も話し合いが行われていたらしいわね。
何故なら両親が愛しているミリシャが、レヴァン殿下に好意を寄せていたから。
そう、ミリシャはレヴァン殿下のことが好きだったのよ。その望みは叶うはずだった。
私が邪魔をしなければね。
つまり本来は、ミリシャがレヴァン殿下の婚約者になる予定だったの。
何せ私は、教育が厳しくなる前から『赤毛の猿姫』呼ばわりされるぐらい、お転婆だったし。
両親の寵愛だって、ミリシャにのみ与えられていた。
そんな状況で、先程のような私の発言を聞いたらミリシャも両親も激怒するでしょうね。
「まぁ、まず私は、自分の【天与】を引き出さないといけないんだけどね!」
「それはそうですね」
でなければ、それこそミリシャは納得なんて出来ないでしょう。
そうなると、あの子ってうるさいのよね。
「でも出来ないのよね!」
両拳を握りしめて、シュッシュッ! と交互に打ってみるけど、全く光らないわ。
あの時の男の子を思い浮かべながら、ぶん殴るつもりでやってもダメ。
「まったく。何が足りないのかしら! 王妃教育の作法で振る舞ってみてもダメなら、やっぱりこうして殴る蹴るを学んだ方が良いんじゃない!?」
「【天与】って、そんなにバイオレンスな授かりモノでしたかね。いや、そういうのもあるとは思うんですけどね」
リンディスが呆れていると分かるように口を挟んだわ。
レヴァンと婚約し、それでも【天与】が使えないまま。
私は成長し、15歳で王立貴族学園に入学して、さらに2年生に上がった頃だった。
ある噂を耳にするようになったの。リンディスが、その噂の詳細を聞いてきたわ。
「聖女?」
「はい。何でも王宮の泉に突如として天から舞い降りたのだとか」
天から? 何それ。凄いわね! 私も見てみたかったわ!
「そして、その方には『予言』の力があるらしいのです」
「そうなの?」
「はい。……お嬢。何があっても自分は、お嬢の味方ですからね」
「うん? 分かってるわよ、リン!」
「ですから、その口調をですね、お嬢……」
それからも何度も『予言の聖女』様の噂を耳にした。
ある領地で起きた嵐の予言を的確に当てた事が大きくて、その影響で、かなりの被害が抑えられたそうよ。
まさに王国の救世主、なのだとか。聖女の名に相応しい功績を上げているみたい。
とても凄いわね! 私の『予言』の【天与】も、それぐらい出来るのかしら? 使えたらね!
予言の聖女様は、黒い髪で黒い瞳をした綺麗な女の人らしい。
年齢は、ちょうど私と同じくらいなんだって。
学園では、まだ会っていないわね。同じ世代なら聖女様も学園に顔を見せたりするのかしら?
私の学園生活は、マリウス家での生活とあまり変わらなかった。
女子は近寄ってくるけど、みんな上辺だけ。私が次期王妃だからって媚びを売ってくる。
成長した私は、それに表向きは付き合うぐらいの教養は身に付けていたけれど。
「ふふ。ごきげんよう」
なんてね。でも猫を被るのは、学園の『木剣を使った授業』で、おしまいだったのよ。
「そ、そこまでです!」
「フン!」
この日のためにじゃないけど、勉強の合間に、お部屋で身体を鍛えてきた甲斐があったわ。
やれ、プロポーションの維持だとか、殿下に見合う美貌についてだとかで、運動の機会だけは、私にもあったのよね!
「ぐっ……、さ、猿姫」
「は?」
「ひっ!」
木剣の授業で生意気だった男子生徒を打ちのめしてやったの。
家によっては自衛のために女だって、護衛術を習うって言うじゃない。
私だって、本当はもっと習いたかったけど、学園でならこうして思う存分に剣を振れるのよね!
私、学園に入れて良かった! そう思ったの。けど、そこで既に後の祭りだった。
「あ」
「あ、あはは。さすがクリスティナ様ですわ。とってもお強いですわね!」
……と、まぁ。こうして。
割と学園生活の最初期頃にやらかした私は、結局、女子グループからも遠ざかる事になったわ。
もっと流麗で綺麗に勝てば良かったんだろうけど、ちょっと力が入り過ぎたみたい。
「……まぁ、家で過ごすよりも学園の方が『自由』よね!」
前向きにそう捉えることにした。フフン。
マリウス家での私の立場はミリシャが大きくなる程に悪くなっていたの。
あれから、特別に何かをしてしまった覚えはないのだけど、今までの積み重ねかしら?
だけど王妃教育で厳しくされてきたから、長いこと大人しくしていたんだけどね。
……両親からは憎まれてすらいるように感じる。
流石に、それは気のせいだと思いたいけれど。だって家族だもの。
そんな家の事情で、学校の事情だったから、レヴァンと話す時は、私なりに彼に心を開いていた。
名前を呼び捨てにするようにもなったのよ。プライベードの時間ではね。
レヴァンと作る予定の『家庭』では、子供が、ちゃんと愛される関係を作っていきたいと思った。
彼との間に『愛』があるかは、まだ分からない。
私は、愛というものも、恋というものも知らなかったから。でも良い関係は築けていたのよ。
今の私が、そうして心を開ける相手は『声だけリンディス』とレヴァン。
そして、学園で出来た唯一の『女友達』だけだった。
「クリスは、あんまり王妃には似合わないと思うなぁ」
「フィオナも、やっぱりそう思う?」
「本当のクリスを知ったらね。ふふ!」
ちなみに『クリス』っていうのは私の事ね。クリスティナだから愛称でクリスよ。
そして、私の友人の名前は、フィオナ・エーヴェル。
青い髪の毛と青い瞳が特徴の、エーヴェル辺境伯家の御令嬢よ。
エーヴェル家が統治している西の国境付近では、南西にある王国との紛争がよく起こるの。
それで娘のフィオナだけは、こうして内地に避難させつつ、学園で勉強させているらしいわ。
でも、そんなフィオナも国境での紛争が落ち着いた事で、しばらくすると領地へ帰る予定。
そうすると学園では、また一人ぼっちになる時間が増える。とても寂しいわ。
『女友達』って、とても貴重だと思う。大切な関係だと思った。
まぁ、フィオナ以外に女友達なんて出来なかったけど。だからこそ余計にね。
「でもクリスなら立派な王妃様にだってなれるとも思う。私、応援しているからね、クリス」
「ありがとう、フィオナ」
また月日が流れ、学園で出来た数少ない友人と別れる。それが、私が大人になるまでの話よ。
そして、17歳になった私は……レヴァンに王宮へ呼び出された。
そこで告げられることが何かなんて知らずに。