17 邪神の祭壇
私は、罪人がされるみたいに両腕を手首のところで縛られている。
それに、エルトから貰った魔法銀の剣が手元からなくなっていた。
衣服は着たまま、着替えさせられた様子はなく、脱がされた様子もない。
そして、私が目を覚ました場所は、石で覆われた何か良くない気配のする空間だった。
「何、あれ……?」
私のそばには『祭壇』としか表現できないものがあった。
猪と鳥が変異したような魔獣の首が、供物として捧げられている。ずいぶんと禍々しいわね。
とても三女神の三柱、どなたかに祈りを捧げるために用意された祭壇には見えない。
御神体があるべき場所には、うねうねと曲がった太い枝を、無数に伸ばした異形の石像がある。
黒く染まっていて……例えるなら『黒い太陽』をイメージした異形、かしら? 不気味だわ。
何故、私がこんな場所で目を覚ましたのか。もっと記憶を遡って思い返す。
私とリンディスは、エルトたちと別れた後も旅を続けていた。
気になっていたのは、冒険者ギルドで見つけた『村娘の捜索依頼』。
依頼を受けたわけではないけれど、アルフィナへ向かう途中に調査を進めることにしたの。
軽く調べただけで分かったのは、どうやら居なくなったのが一人だけではないらしい事。
領主や王宮が動いているかもしれないけど、捨て置けないと思った。
リンディスが、情報収集を得意としているみたいだから、単独で調査に向かって貰い、私たちは別行動を取った。リンディスは姿を隠せるから、私が一緒に行くと情報収集の足手まといになってしまうのよ。
だから、私は村周辺の魔獣討伐に向かうことにしたの。
リンディスが心配したから、村周辺に出てくる魔獣を蹴散らすだけにした。
エルトから貰った『魔法銀の剣』を振るってみたかったのもあるわ。
正直、あの剣は気に入っていた。中々に私好みだったから。ラーライラとは気が合いそうね!
何故かリンディスには『お嬢がプレゼント攻撃に弱かったとは……』なんて言われたけど。
上機嫌になっていた私に、リンディスは失礼な事を言っていたわね。
それで、その後、村周辺を巡回していた私に魔獣たちが襲い掛かって来た。
魔獣たちは問題なく討伐したのよ。特に強くなかったし。
それから……そうだ。魔獣たちを倒した後で、銀髪の少年を見つけたの!
魔獣たちが居た場所の近くで、意識を失って、その少年が倒れていた。
その子は、銀髪で。おそらくリンディスと同じ魔族であろう少年よ。
当然、私は、その子を助けようとした。
その子を、お姫様抱っこで抱きかかえて、そうしたら、その子が気付いて目を開いた。
その目はアメジストのような薄紫色の瞳。リンディスの瞳の色とは違うのねって思った。
だけど、次の瞬間。その瞳が赤く光ったのよ! ……何かしら、あれ? 魔族の魔術?
そして、私は意識を失ってしまった。それで今の状況になったようね。
……それから、意識を失った後で見た『夢』。
あれは、私がマリウス家の人々を皆殺しにする夢だった。現実の光景ではない。未来でもないわよね? だって、夢の中の『私』は、リンディスの姿を初めて見たようだった。
そして最後に見たアマネの姿。無防備で、飾らない服を着ていて。
絵画や文字、音楽を映し出していた、黒い板の前に彼女は居た。
あの黒い板がアマネの世界の『予言書』なのかしら? オトメなんとかって言っていたわね。
あの光景こそが、『予言の聖女』アマネの危惧していた『私』の姿?
……『毒薔薇』の、天与。そんな力を、私は授かっていない。女神からの【天与】で薔薇って。
リュミエール王国において、薔薇で最も有名なのは、三女神の一柱、女神イリス様の──
「目を覚ましたか」
「……!」
不意に声が聞こえた方へ、私は振り向こうとした。
「うっ……?」
だけど、身体が眩暈を起こしたようにフラつき、気持ち悪くなって。
「ふん。暴れない方が身のためだぞ」
薬を盛られている? だから手の拘束だけで放置されていたのね。
私は、気持ち悪さを我慢しながら声の方を睨み付ける。
そこには、神官……もどきの、黒い衣装を着た男が居た。
「……アンタ、誰よ?」
神殿関係者のようにも見えるけど、明らかに何かが異なる。その姿は、酷く冒涜的に見えたわ。
「ふん。気が強いな。流石は……、といったところか。しかし、器が役に立ったよ」
「器……?」
「お前が助けようとした子供は『新たなる神』のためにある器だ」
……何言っているの、こいつ?
「そして、お前は『新たなる神』へ捧げる生贄である。穢れは十分ではないが……まぁ、構わないだろう。駒が手に入ったのだ。すぐにでも動かなければならない。そうした方が喜ばれるだろう」
……穢れ? 私は、夢の中で聞いた謎の声を思い出す。
よく分からないけど、こいつが悪巧みをしているのは間違いなさそう!
今すぐ、ぶん殴ってやりたいけど身体がすぐに動かない。
「ふん……。どれだけ睨んでも、お前の運命は変わらないぞ。穢れた聖女、クリスティナ」
はぁ? 誰が穢れているのよ、誰が! あと聖女って……イメージ悪過ぎ!
「……人違いみたいだけど?」
「はっ。間違っていないさ。名も知っているぞ。クリスティナ・マリウス・リュミエット」
この男は、神官もどきの服を着ているし、異形の石像を祭壇で祭っている。
そこらの破落戸が『ただ、女を誘拐して来た』という様子ではないわね。
あとはまぁ、私も衣服を乱された形跡がない。薬は盛られたみたいだけど。
穢れ、と言っているけど、そういう意味で身体を汚す意図はない様子。
生贄という扱いで、何らかの『思想』に基づいた犯罪行為ね。
「村娘たちを……誘拐したのは、アンタ?」
あの捜索依頼は最近のもので、だんだん数が増えていたみたい。
私のこの状況に生贄という言葉。誘拐された女性たちが、こいつの所に居る気がするわ。
「は……。そうだと言ったらどうする? 今のお前には何も出来ないだろう」
男が勝ち誇ったように告げる。
「さぁ、立つがいい、生贄よ。生贄は、自らの意思で、神の御許へ歩いていくのだ!」
その後で、私は、どこかへ向かって歩かされることになった。
薬のせいでフラフラする状態のまま。でも、時間が稼げていいかもしれないわね。
リンディスは失踪者を探すために動いている。その内に駆けつけてくるはずよ。
誘拐された女性たちの居場所を掴んでいるといいわね。
山道を延々と歩かされる私。男は一人だけではなく、集団だったわ。
彼らの全員が、共通の黒い神官服を着ている。そして黒い槍を持っていた。
『新たなる神』と言っていたし、異教徒……というか、もう邪教徒?
思想の違い程度なら、私だって別の宗派を許容するけれど。
人を生贄に求めるような神は認められないわ。
「…………」
男たちは沈黙しているけれど、ずっと私に黒い槍を向けて、監視している。
逃げられないようにするためね。そこには下衆な視線はなく、殉教者のようだ。
私は、彼らが崇める神に捧げられる生贄。私は、それをまったく認めていないのだけど。
ザァァァアア、という水が大量に流れる音が聞こえてきた。近くに滝があるみたい。
「止まれ」
滝の近くまで来ると、男がそう言って私を立ち止まらせた。
崖の上から身を投げろって事じゃないらしい。私が居るのは滝の下側よ。
「……祭壇?」
滝壺の、水の中に祭壇が作られている。私が目覚めた場所にあった祭壇と同じ物みたい。
「あの場所へ行け」
「……服が濡れちゃうわね」
水の中に入れば、身軽に動けない。
男たちは水の中には入らず、水辺から黒い槍を構えて、私を見ている。
私は、ゆっくりと水の中に入り、祭壇へ向けて進んでいく。
……これ、歩いているから厳かな雰囲気を保てているけど。
ここで私が、バシャバシャと泳ぎ始めたら、雰囲気とか、ぶち壊しよね!
やってみようかしら? 別に彼らに付き合う義理はないのだし。
時間を稼ぐつもりで素直に男の指示に従っていた。
でも、気にはなる。私は、彼らが崇める『神』が何かを知りたいと思ったの。
だから、大人しく水の中を進んでいった。
水底から上がる階段まで作られていて、私はその階段を上がる。
石造りの祭壇の上部は、水面の上に出ていたわ。
そして、私は異形の石像と向き合った。両腕を前にして縛られたまま。
「おお! 我らの新たなる神よ!」
「「神よ!」」
そこまで辿り着くと、男たちが声を上げ、そして何かを唱え始める。
嫌な気配が、ぐんと跳ね上がったわ。
異形の石像は、最初に見た方の祭壇に祭られていたよりも、ずっと大きい石像だった。
「……これが、彼らの神?」
異形、枝を無数に広げた、塊。原初の天使とでも言いたげな、黒い太陽……。
ゴゴゴゴゴ……!
「なに……!?」
祭壇が大きく振動し始めた。そして私は気付く。
注目すべきは、異形の石像や祭壇……ではなかった。
……滝の、裏。横幅の広い滝の、流れる水に大きな影が映り込む。
先程まで、そんなものは存在していなかった。
だけれど、ここに至っては……凄まじいほど強烈な、存在感。
「「おお……!」」
男たちが感嘆の声を上げて、現れた、その存在を迎えた。
……何これ! 私も初めて見るわね!
『────』
黒紫色の身体に、モジャモジャ頭みたいな『肉』の枝を全体に纏っている。
『触手』って言うのかしら、ああいうの。
リュミエール・カタツムリの触覚を、さらに柔らかくして蛇みたいに蠢かしているみたい。
そんな触手が、体表に何本も、うじゃうじゃと生えていて、ゆっくりと動いている。
それに、身体全体が空中に浮いているわ。
その姿は、まさに『黒い太陽』を生物にしてみた、冗談みたいな異形の姿だった。
そして、黒い太陽には『眼』があったの。大きな目玉が一つ、身体の中央に。
よく見れば、眼は一つだけではなく、小さな眼が身体中に無数に付いている。
「気持ち悪いわね……」
ギョロリ、と。大きな目玉が、私に向けられる。
あの触手は『腕』なのかしら。あれで捕まえて、私を食べるの?
食べるとすれば、口はどこ? それとも身体全体で取り込むの?
これを『神』とは認めたくない。でも、そういうものかしら?
人間の尺度で計ってはダメよね、神様なんて。
「我らが神よ! 穢れた聖女を捧げる!」
「「捧げる!」」
男たちが好き勝手なことを言い始める。だから穢れたって何よ!
『────』
ウネウネと触手を蠢かしながら、にじり寄ってくる、それ。
異形の神。ううん。もう、見た目的に『邪神』でいいでしょう。
ここは、邪神の祭壇だった。そして私は、この邪神に捧げられる生贄らしい。
黒い触手が、迫ってくる。数本、蠢いて私を求めるように。だけど。
「私に触れていいと思っているの?」
私は、『怪力』の天与によって、拘束していた縄を引き千切った。
ブチブチと音を立てて、引きちぎられる縄。これぐらいは、お手の物よ!
「なにっ……!」
驚く男たちの声。邪神は……【天与】の光に反応した?
「──フン!」
目の前まで引き付けておいて、ぶん殴る作戦よ!
バチン! と音を立てて、近付いてきた触手を弾いた。……でも。
「何よ、これ!」
触手が柔らかくて、殴った手応えが無い。もっと身体の中心を殴らないとダメみたい。
「はぁあああ!」
私は、一撃で終わらずに、さらに殴り掛かるのだけど。
ぐにゃぐにゃ、ヌルヌルとしていて、致命打を当てられない!
打撃じゃ厳しい。『剣』が無いと、攻撃が通らないタイプね!
「……私と相性が悪いわね!」
ぶん殴れれば勝てると踏んでいたんだけど! どうやら一筋縄ではいかないようね!