13 騎士エルト・ベルグシュタット
「レヴァン。マリウス侯爵令嬢との婚約が、破談になったと聞いたが、本当か?」
「……不躾な質問だね、エルト」
王太子レヴァンは、己の親友と呼べる男の、再会してすぐの問いに、困った表情を浮かべる。
目の前に立つ男の名は、エルト・ベルグシュタット。
武家の名門、ベルグシュタット伯爵家の長男。
リュミエール王国・第三騎士団『ベルグリッター』を率いる家門の男だ。
金色の髪は無造作に整えられ、並ぶ王子より野生的な印象を与える。
翡翠色の瞳は、美しいとしか言い表せない。レヴァンに負けず劣らずの顔立ちをした美丈夫だ。
かつてはレヴァンと同じ学舎に通い、親交を深め、共に卒業した。
エルトは、王国一の実力ある騎士と名高く、『金の獅子』の二つ名で呼ばれている。
国王にさえ、その二つ名を認められるほど。
既に魔獣の討伐経験もあり、その名を民にまで知られている。
今回の遠征では、ベルグシュタット伯爵の名代として第三騎士団を率いる事になった。
王太子レヴァン、そして『予言の聖女』アマネ。
さらに、新たな【天与】の発現者、ルーナ・ラトビア・リュミエット。
護衛する彼らと共にリュミエール王国の各地を訪れ、多くの魔獣と戦うことになる。
「……聞いている通りだと思うよ」
「俺は、お前の口から聞きたいのだ、レヴァンよ」
王太子と伯爵令息。身分の差はある。だが、二人の間には、そんな差など感じられなかった。
また、ベルグシュタット伯爵家は、以前より陞爵を王家から打診されている。
ただ先代、および今代の伯爵の意向で、その話は保留とされ、今に至っていた。
事情を知る貴族ならば、ベルグシュタットをただの伯爵とは侮らない。
侯爵家相当の家門であると身を引き締めるだろう。
次代を担うだろうエルトは、王太子レヴァンとは親友の仲だ。
また、彼にはレヴァンの妹、王女レミーナとの縁談も上がっている。
それは、正式な決定ではないが、ベルグシュタットが彼の代に継がれた時には、おそらく侯爵家となっているだろう。そんな風に貴族たちの間では噂されていた。
当のベルグシュタット家は、それらの噂話に沈黙を貫いていたが。
「……はぁ。敵わないな、君には。そうだよ。クリスティナとは婚約破棄した」
「そうか。彼女の有責で、という話だったが」
「それも本当だ。僕は殴られたからね。一応、不敬罪が適応された。これでも王太子だから」
「……ふ。それも真実だったか」
「今、笑ったよね、エルト!?」
「いやな。王太子と婚約破棄するのに『殴って不敬罪』は愉快だろう。下手な権謀術数、悪辣な企みよりも、よほど清々しい」
「それは……はぁ」
レヴァンは、確かに、この話をエルトは好みそうだと思い、溜息を吐いた。
「しかし、何故だ? お前はマリウス侯爵令嬢を気に入っていたと思うが」
「……予言、だよ」
「予言?」
レヴァンは一連の流れを改めてエルトに伝える。
クリスティナに対して下された予言の内容も、すべて。
「傾国の悪女、か。お前は、その予言を信じるのか、レヴァン?」
「……僕は。アマネの予言を、無視することは……出来ない」
「……そうか」
苦しそうな表情を浮かべる親友の姿に、それ以上、エルトは何も言わなかった。
「彼女は王命を受け、王都を発ったと聞いた」
「……ああ。アルフィナ領へ向かったんだ、クリスティナは。そこで、大規模な魔獣災害が発生するかもしれないって」
「それも聖女の予言か?」
「ああ」
「そうか。彼女は、どこの騎士団に同行したのだ? 俺には報せが来ていないのだが」
「……それは」
リュミエール王国には、三つの大規模な騎士団がある。
第一騎士団は、王宮及び王都周辺を防衛する役目を担う。
そして、第二騎士団と第三騎士団は、王都から離れた場所へ遠征する役目だ。
そういった役割のため、今回の『魔獣災害』に対する各地への遠征は、第三騎士団が担当することになった。
「クリスティナは、一人でアルフィナへ向かった」
「……何故、そんな事になった。それも予言なのか」
「そうだ。同行する者が居れば、その者には死が訪れるからと。だから従者も護衛も付いていない。それに彼女は『怪力』の天与を使えるようになったんだ。その力は、ルーナの結界すら破るほどだ。それほどの力なら魔獣を倒すことも出来るだろう」
「……それは、貴族令嬢を、たった一人で、死地に送り込む理由になるのか?」
「……陛下の決断だよ。それに、もしかしたらアルフィナの災害は杞憂に終わるかもしれないんだ。アルフィナの災害については、アマネにも確信がないらしいから」
「レヴァン」
「……分かっているよ。そういう問題じゃないだろうって」
「そうか。分かっているならば、もういい。では、しばらく俺は離れる」
「え? ま、待ってくれ、エルト! どこへ行く? これから遠征計画を話し合うんだぞ!」
「予言の聖女が、遠征の進路も何もかも決めるのだろう? 話し合いの余地があるのか?」
「そ、それは……」
たしかに、これから行う遠征は、聖女の予言に基づいて行われる。
そのため、話し合う事と言えば、それに合わせた細かい調整だけだった。
「副官を残して行く。細かい詰めは彼としてくれ。出発までには俺も戻る」
「待ってくれ。どこへ行くつもりなんだ? エルトは今回、騎士団を率いる隊長なんだぞ」
レヴァンに改めて向き直るエルト。その表情は真剣なものだった。
「レヴァン。お前の元婚約者は、戦う力を手に入れた。そうだな?」
「あ、ああ」
「そして彼女もまた、アルフィナで多くの魔獣と戦うらしいな」
「……そう聞いている」
レヴァンの答えにエルトは頷いた。
「お前の心がどうかとは、もう問わん。陛下のご決断でもあるのなら、尚更だ」
「エルト」
「だが、予言の聖女がそうまで言う、彼女の実力は知らねばならん」
「え? 彼女って、クリスティナのこと?」
レヴァンは首を傾げる。
「ああ。国を滅ぼすほどの力を授かったのだろう? そうであると同時に、国を襲う災厄を退けよ、とも託された力だ。その力の程も、その力を振るう者の人柄も、見極めねばならない。生憎と俺は、お前の元婚約者に会った事がないからな」
「……エルトがクリスティナに会った事がないのは、僕の妹に近寄らないように、君が僕から距離を置いていたからだろう。僕は、君に何度かクリスティナを紹介しようとしたんだぞ」
「それは仕方ない」
「何が仕方ないんだよ……」
「お前の誘いに乗っていたら、どうせすぐ王女が現れていただろう」
「それはそうかもだけど。レミーナのこと、そんなにダメかい?」
王女レミーナは、騎士エルトに何度かアプローチをしていた。
レヴァンも妹の恋心は知っている。ただ、親友に無理強いする気はなかった。
国王や王妃もだ。ベルグシュタット伯爵家に婚姻を強いるような真似はする気がない。
「俺と王女では合わない。その確信がある。だから身を引いている。これも王家への忠誠だ」
「屁理屈だよ、それは……」
「問いたかったのは、その話か? レヴァン」
「い、いや! そうじゃなくて! 何だって? クリスティナの見極め?」
「ああ。必要だろう。でなければ遠征の間、気が気でない。何より」
「何より?」
「お前も知っておきたいのではないか、レヴァン。彼女が、死地でも通用するか否か」
「……それは」
「王命だ。覆らない。だからこそ、それを成し遂げられる女なのか。これから先、生き延びられるか。そして今、無事なのかだ。もちろん、傾国と言われるほどの女であれば、その力を先に知っておく事も必要だ。もしもの時は……俺が討つ」
「エルト……」
エルトは、レヴァンの苦悩がどこにあるかを知っていて、この提案をした。
そのことが伝わって来て、レヴァンも親友の気遣いに苦笑した。
「……うん。そうだね。クリスティナのことが気になっている。だから頼むよ、エルト。彼女の様子を確かめて来てくれ。……僕には、そんな事を言う資格も、もう無いけれど。遠征についての話し合いは、僕が進めておく。流石に出発はまだだろうけど、もし間に合わなくても追い付けるように伝言を残しておくよ」
「引き受けた。……ああ、そうだ。レヴァン」
「なんだい? エルト」
「出発の前に、予言の聖女に会わせてくれ。言っておきたい事がある」
「……ええ?」
レヴァンは、エルトの言葉に穏やかに済まない予感がした。
だが、それでも彼を聖女アマネの下へと連れて行く。
言い出したら、そうは曲げないのが自分の親友だ。
曲がった事を嫌う男。だからこそ信用できる、友だった。
「──予言の聖女、アマネ・キミツカ」
「えっ。あ、エルト……?」
金髪の騎士に会った聖女アマネは、彼の名を呼んだ。その言葉に眉根を寄せる。
「俺の事を知っているようだが、俺は貴方に初めて会う。故に名乗らせて貰おう。ベルグシュタット伯爵の子。騎士、エルト・ベルグシュタットだ。遠征では、第三騎士団をまとめる事になる」
「あ、はい……。聞いているわ。えっと、あの。この子が……」
聖女のそばには、ピンクブロンドの髪の少女が居た。
レヴァンから聞いていた新たな【天与】の発現者だろう。
「ラトビア嬢。貴方への挨拶は後日、改めて正式に行いたい。それでも良いだろうか」
「えっ。あ、は、はい! 私は構いません、ベルグシュタット卿」
エルトは無言で頷き、すぐに聖女へと向き直った。
「え、それだけ? ルーナとの出会いが、そんな雑な消化……」
「聖女よ」
アマネが何かを言い掛けるが、エルトは、その言葉を遮る。
「【天与】に等しい力を持っているようだな。……だが、レヴァンの婚約者を奪った、その予言。そこに他意などないと誓えるか?」
「他意って」
「未来を知る者には、相応の苦労もあるだろう。だが、貴方の言葉で多くの者が動いている。王太子の婚約者が代わるなどという事は、その中でも大それた事だ。故に聞かせて欲しい。その予言には、偽りなどなかったか」
眼光鋭く向けられた騎士の視線。そこには、戦いを知らない聖女すらも圧する気迫があった。
特定の人物に対して、いつも、ふざけた物言いとも取れる言動をする聖女アマネ。
だが、この時ばかりは彼の真剣さを汲み取り、答える。
「他意なんて、ありません。私は、私の知っている事をレヴァンに伝えただけです。誓って、それはリュミエール王国や、そこに住む人々。それから友達の、ルーナのためのものです」
「……そうか。そうであれば良い。だが、その言葉。偽りであったなら承知しないぞ」
「い、偽りなんて。あの、怒っているの? エルト」
「気安く俺の名を呼ばないでいただこう。俺は、そこまで貴方と親しくする気はない」
「えっ、あ、そうですよね。ルーナ……」
「どうして、そこで私に話を振るのですか、アマネ様」
「いや、だって、ヒロインは……」
聖女は、ルーナとエルトの顔を交互に見るが、彼女が言いたい事は誰にも伝わらなかった。
ただ、聖女と新たな『天子』は仲がいいのだな、と思うだけだ。
そして、その場に、また新たな人物が現れる。
「エルト兄様! ここを離れると聞いたのですが、本当ですか!」
「ライリー」
それはエルトの妹。ラーライラ・ベルグシュタット伯爵令嬢だった。
エルトと同じ色の、金色の長い髪。そして翡翠色の瞳。腰に剣を帯びた、女騎士。
それでいて女性らしさも損なわれておらず、特注のスカートを履いた姿だ。
「あ、『姫騎士』ライリー」
「……はい?」
ラーライラは、可憐さと凛々しさを備えており、『姫騎士』と呼ばれていた。
その二つ名を聖女が知っているのは驚きだが、問題はそこではない。
「何故、貴方に『ライリー』などと馴れ馴れしく呼ばれなくてはいけないのかしら?」
「あっ、え。でも、だって」
「答えなくていいわ。今後、呼ばないようにしなさい。そう呼んでいいのは、私が認めた人だけよ。それで、貴方たちは噂のお二人ね? そちらはラトビア男爵令嬢?」
「は、はい! 噂かは存じ上げませんが、私がラトビア家の娘です。ルーナと申します、ベルグシュタット伯爵令嬢。よろしくお願い致します」
「ふぅん……」
値踏みするようにジロジロとルーナを見るラーライラ。
聖女には意識を向けなかったが、彼女に対しては何かを警戒する態度を示す。
「ライリー。俺はもう行くが。お前は、ここに残るか?」
「あ、エルト兄様! もちろん、私もご一緒します!」
「そうか。なら一緒に来い。馬を使う」
「はい! エルト兄様!」
すぐにルーナのことすらも意識から外し、ラーライラは目を輝かせてエルトに従う。
その様子は、彼らと親しいレヴァンにとって見慣れたものだった。
ある意味で、予言の聖女にとってもだ。
「ラーライラ。相変わらず、エルトが大好きだね……」
「レヴァン殿下。お久しぶりでございます。では、後ほど」
「ああ。君も一緒に遠征へ来るんだろう?」
「はい。そのつもりです、殿下」
「そうか。では、またね」
突風のような勢いで去っていく伯爵家の兄妹。
ラーライラの雑な態度を、レヴァンが怒ることはなかった。
彼らの関係では、それはいつものことだったからだ。
ベルグシュタット家の兄妹は、そのまま王都を発ち、宣言通りにクリスティナを追いかける。
レヴァンは、親友の報告を待つことにした。
「うわぁ。やっぱりブラコンなんだ、ライリー……」
聖女のその呟きは、隣に居たルーナにだけ聞こえたのだった。