01 赤毛の猿姫
「貴方たち、いい加減にしなさいよ」
十歳のクリスティナは、庭の端で行われていた、ある光景を見かねて声を掛ける。
彼女の視線の先に居たのは、同じ年頃の少年少女たちだ。
クリスティナは、とりわけ、その中の少年たちに対して声を掛けていた。
「げっ、赤毛の猿姫!」
クリスティナにそう言い返したのは意地悪くニヤニヤとした笑みを浮かべていた少年。
彼には二人の仲間が居て、背は高めだが細めの少年と、少し太った少年が後ろに控えていた。
そんな三人組の少年たちに絡まれていたのが……ピンクブロンドの髪とピンク色の瞳をした可愛らしい少女だった。
先程からクリスティナは見ていたのだ。
この可愛らしいピンク髪の少女が、3人組に絡まれて嫌な思いをしているところを。
いつまでも彼女に絡むことをやめず、どころか横暴な言い分を口にしているのを見かねて、クリスティナは彼らに声を掛けた。
「……!」
ピンクブロンドの少女は助けが来た事を少しだけ喜ぶも、その相手が自身と同じ年頃の少女だと気付いて困惑した。
だって自分が嫌な思いをしていたのだ。
だから少女は、自身と同じようなことにクリスティナを巻き込むのではないかと心配になり、申し訳なく思う。
「はぁ? なんですって?」
「な、なんだよ!」
だが、クリスティナは三人組の少年たちを相手に一歩も引かず、また怯えた様子は見せなかった。
気の強いことを窺わせる吊り上がった目。
幼いながらも、将来は美しく育つだろうことを誰もが予想できる整った顔立ち。
深紅の赤い髪をなびかせ、燃えるような赤い色の瞳をした少女、クリスティナ。
「弱い者いじめなんてしてるんじゃないわ!」
そして彼女は、堂々とした態度で三人組の少年を相手に、そう告げた。
見知らぬピンク髪の女の子を庇い、助けるために。
その日は、貴族の子供たちとその親が参加するパーティーが開催されていた。
場所は、ある侯爵家の所有する広い庭。
晴れた天気は絶好のパーティー日和であり、心地良い風が参加者たちの頬を撫でている。
パーティーの目的は、リュミエール王国第一王子のレヴァンと歳の近い子供たちを集めて、彼らの素養を見るためだ。
それは、いくつかの侯爵家が共同で開いたパーティーだった。
参加していない有力家門はいくつかあるものの、複数の侯爵家が連携して開いたパーティーには、高位貴族と下位貴族を問わず、多くの貴族が参加している。
クリスティナは、その主催者側に属する家の令嬢だった。
マリウス侯爵家の長女、クリスティナ・マリウス・リュミエット。赤い髪をした侯爵令嬢だ。
「だいたい、その赤毛の猿姫って何よ! 赤毛なんて今、ここに私しか居ないじゃない。私に向かって言っているの!」
「そうだよ!」
クリスティナは心外だった。赤毛の部分はいいが、猿姫呼ばわりされる筋合いがないと思ったのだ。
「なによそれ!」
「ハッ! お前、女の癖に剣術を習い始めてるんだって? 皆が言ってたぜ!」
「はぁ? それが何よ」
確かにクリスティナは最近になって剣術を習い始めた。
前々から興味があったのだが、令嬢である故か、マリウス侯爵から鍛錬の許可が降りなかったのだ。
散々に駄々をこねた後、どういう理由か。
本当に最近になって、ようやく剣術の鍛錬が認められたところだ。
そんな事が既に他貴族家にまで噂として流れているらしい。
しかし、剣術を習い始めたから、それですぐに『猿姫』扱いとは業腹だった。
なにせ剣術の鍛錬と言ってもクリスティナは、まだ素振り程度しかしていないのだから。
「お前は女なんだからさ。どうせ成長しても弱っちいくせに剣なんて習ってバカじゃねーの!」
「はぁ?」
少年は、相手が侯爵令嬢であるにも拘わらず、ただ女子が相手だからと見下していた。
そういった根性であるからこそ、ピンク髪の少女に絡んでいたのだろう。
クリスティナも互いの身分を気にしていれば……相手が、たかだか子爵令息だと、相応に対応したのかもしれない。
だが、事情があり、クリスティナは己の身分を持ち出して、あえて語ることはしなかった。
「何だよ。やるかぁ? へへへ!」
ニヤニヤと意地悪く笑い、クリスティナを馬鹿にする三人の少年たち。
そして、まだ逃げずに近くでオロオロとしているピンク髪の女の子。
「ほらほら!」
挑発するように少年は、クリスティナに乱暴に触れようとした。
だが、彼女は堂々とまっすぐに立ち、腕を組んで少年を睨み付ける。
「な、なんだよ! ビビれよな! 生意気だぞ、お前っ!」
「まったく意味が分からないわね。ビビれよ、って知らないわよ。私にビビって欲しいなら貴方が努力すべきでしょ!」
「な! 生意気!」
横暴な少年は、クリスティナの頭をボコっと叩いた。グーで。
「へへっ! 泣けよ!」
頭を叩いて調子に乗る少年。だが。
「先に叩いたのはアンタよね。目撃者は沢山いるわ。私、知ってるわよ?」
「は? な、何を」
「殴っていいのは殴られる覚悟があるヤツだけなんだって。だって習ったもの。よく意味は分からないけど、つまり」
ニッとクリスティナは笑って見せた。ニコヤカに。或いは邪悪に。
「殴られたら殴り返してOKって意味だわ!」
「なっ、待っ……」
「──フン!」
ボコン! と。
「ぐべぁ!?」
クリスティナの右拳がまっすぐ少年の頬に向かい、殴りつける。
「クリーンヒット! というヤツね! 殴った手が痛いから、これが痛み分けというものなのね! 凄い、私ったら新しい事を学んだわ!」
「そ、それは意味が違うのでは……?」
クリスティナの言葉に思わずピンク髪の少女は、言葉を挟む。
だが、クリスティナは何も気にしなかった。
「い、痛ぇ! なにすんだ、この猿姫!」
「先に殴ったのは貴方じゃないの。それに猿姫ってまだ言うの?」
「うっ……!」
クリスティナは少し考える。
『黙るまで殴ってもいいんだっけ』『とりあえず先に殴ったのは相手で、彼はまだ戦意を失っていない』
『ならば、もう一発ぐらいOKでは?』と。
「くっ……! くそ! お前のせいだぞ、ルーナ!」
「ひゃっ!」
だが、クリスティナが相手では分が悪いと判断したのか。
意地の悪い少年は、あろう事かピンク髪の少女のせいにして責め始める。
それどころか腹いせのように、その拳を無防備な少女に向けて……。
「やめなさい! 懲りないわね! もう一発よ!」
「ひぃっ!?」
クリスティナは、ピンク髪の少女を守ろうとして二人の間に駆け寄る。
その時だった。
「えっ?」
クリスティナの身体が光り、輝き始めた。
光だけではない。クリスティナは不思議なくらいに力が溢れてくる感覚を覚える。
身体全体が、運動能力が、急激に強化されたような感覚。
急激に変化した身体能力の影響で、クリスティナの拳は狙いが逸れてしまった。
「きゃっ、何、これ」
速すぎるほどの足の速さにバランスを崩すクリスティナ。
そして少年を全力で殴って、彼の横暴を止めようとしていたタイミング。
クリスティナの拳は、彼の顔ではなく、その横にあった太めの『木』に当たってしまった。
──ドゴォッ!
「えっ」
そして彼女の光る拳は……凄まじい衝撃音と共に、殴りつけた木の幹を粉砕する。
バキバキ、メリメリ……と、音を立てて、そのまま倒れていく大木。
殴ったクリスティナ本人も、周囲の人々も、唖然とその光景を見守る事しか出来なかった。
やがて、ドォオオオンッ! という大きな音を立てて、大木は完全に倒れてしまう。
「ええと」
クリスティナは『幸い、誰にも怪我はなかったから良かったわね』などと場違いな事を考えた。
「ひっ……! ひぇええええ!?」
「うわぁあああ!」
「ま、ママぁあ! こ、殺されるぅ!」
そんな光景を見て、恐ろしくなった少年たちは一目散に逃げていく。
ピンク髪の少女は、ヘナヘナとその場に座り込んでしまった。
「ええと。うん。……フン!」
よく事態を呑み込めないまま、とりあえず少年たちを追い払ったという『戦果』を重視し、クリスティナは腕を組んで胸を張り、その場で堂々と勝ち誇って見せた。
「どんなものよ! 私もビックリしたけどね!」
ビックリ、とか。偶然で済むはずがない現象が起きていた。
当然、その事態を見ていた周囲の大人たちが、ざわざわと騒ぎ始める。
「な、何だい、今のは?」
「小さな女の子が……この大木をへし折った?」
「さっきの光は、まさか……【天与】の、光では」
この国を見守る三女神によって与えられる、授けられると言われている『異能』の力、【天与】。
クリスティナが、その力に目覚めたことを人々は目撃した。
そして、それは同時に、クリスティナのこれからの運命を決定付けるものだ。
何故ならば天与を授かった貴族令嬢が現れたなら、その者は王家と縁付く資格を持つことになる。
クリスティナは侯爵令嬢であり、そして第一王子レヴァンとは年齢も近い。
だからこそ彼女の将来は、この時に決まってしまった。
「フフン! やってあげたわ!」
……当の本人は、その運命を理解していなかったが。
「貴方、怪我はない?」
座り込んでしまったままのピンク髪の少女ルーナにクリスティナは手を差し伸べる。
「あ、ありがとう、ございます?」
「どういたしまして。……あれ?」
クリスティナは、少女の手を取った瞬間。ある、おかしな光景を見た。
それは、目の前のピンク髪の少女ルーナが、今よりも成長した後の姿で。
より可愛らしい女性になった彼女が、キラキラした男性たちに言い寄られている姿。
しかし、それは先程の少年たちのように意地悪な顔をしていない。
大きくなったピンクブロンドの髪の女性と、美形な男性たちが笑い合う、幸せそうな光景。
(何、これ……? 私、何を見ているの?)
それは多くの人々に祝福される姿。だが、その光景の中にクリスティナ本人の姿は見えない。
ただ、手の届かないような遠くから、その幸せな光景を見ている。
或いは、その光景の中のクリスティナは、その視点がある場所に居て。
幸せの輪の中にはクリスティナの居る場所がないかのような……映像。
「……あ、消えた。今の、何? 貴方にも見えた?」
「えっと? 何のこと、ですか?」
「見えなかったのね。変なの」
クリスティナは、不思議な事ばかりが起こって……理解を放り投げた。
「て、【天与】だ。間違いない! 今すぐ王家にお知らせしなければ!」
周囲の大人たちが騒ぎ始めるが……。
クリスティナ本人は『困ったものね』と他人事のように肩を竦めるのだった。
読んでいただき、ありがとうございます!
自分の、過去作のリメイク作品です。
リメイクの方針は『元の作品を、短くまとめて、設定を整理して、読み返し易くする』です。
元の話が80万文字ぐらいあるのですが……。
出来れば、それを半分ぐらいの長さにまとめたいな、と。
こちらについては、改めて活動報告にも意図を書き残しておきたいと思います。
お陰様で別作品で書籍化があったりと、以前よりは自分の編集力(?)が上がっているのでは、と。
この作品には想い入れがあって、どうにかリメイクしたいなと思っておりました。
書籍でいったら3~4巻ぐらいに内容をまとめられればいいな、と考えています。