6.銭湯、あるいは生活に欠かせないもの。
晴人と春歌が朱音たちのもとへと戻ると、それからほどなくして貴洋たちも戻ってきた。必要な情報を集めるのにはそれほど苦労しなかったらしい。
まず、お金の価値だが、この世界では流通がそこまで発達していないせいで、物価が街によって大きく違うらしい。ウルムの街で言えば土地が余り周囲に魔物なり動物が多いから肉や野菜といった食材は比較的安く、逆に職人の数が少ないために加工品は高い。もっとも、戦闘に使い武具・防具についてはこの限りではないが。
まあ、物によって日本よりも価値が高かったり低かったりするから一概に比べるのも難しいが、だいたい1サリアで140円くらいらしい。だからまあいちいち円に直すよりはイギリス旅行中のポンドくらいの感覚でいたほうがわかりやすいかもしれない。
教会からもらえた準備金が6000サリア、一人あたり1000サリアである。旅行であれば10日くらいだろうか。節約すればもう少し抑えられるかもしれない。
とはいえ、彼らはそれ以降も生活を続けなければならないのだし、なんなら冒険者として働かなければならない。よく知らない世界で借金などできそうもないことを考えれば、装備やらアイテムやらをそろえるだけでかなり使われてしまうのではないだろうか。
ちなみに宿泊先であるが、ウルムの商店街で店を開いているような人はこの街に住んでいるし、よく来る行商人さえ自分の別邸があるらしく、有益な情報は得られなかったらしい。晴人たちとしても、レベル上げに長い時間がかかりそうなら家を借りるなり買うなりしてもいいかもしれない。
「じゃあ、宿は『月照庵』で決まりね。安全みたいだし。男子3人も、そんな大食漢ってわけじゃないでしょ?」
「貴洋はわりと食べるほうだけど、まあそれは追加で買えばいいんだし、大丈夫でしょ」
「じゃ、さっそく行きましょ」
結局その日は、泊まれる場所を確保し、生活に必要な最低限のものを買うので終わってしまった。食料は『月照庵』で提供されるものでいいとしても、案外ないと困る日用品は多かった。着替えやタオルといった衣類に、石鹸や洗剤といった衛生用品、財布や鞄……。アイテムボックスは普通の人は持っていないらしいから、カモフラージュのための布袋も必要だった。
そして、武器。
防具は実際に街の外に出て魔物狩りに出るときでいいとしても、武器のほうは試験を突破するためにある程度は練習しなければならないから、安いものをとりあえず買う。魔法使いも補助具をもっていないと厳しいというのは嬉しくない誤算で、6人分の武器は、必要とわかっていても十分に痛い出費であった。
その中でも一番は、貴洋の盾。いくら盾術のスキルがあっても肝心の盾が脆いのでは仕方がない。貴洋が崩れてしまえば、あとは時間の問題で、だからこそ貴洋の盾にはお金をかけることにした。
弓は小さくて扱いやすいかわりに威力が弱いものと、飛距離と威力を担保するためサイズが大きいものとがあるらしい。同じ弓遣いでも晴人と朱音は違うタイプなので異なる種類の弓を使うことになるし、したがって矢も二種類必要になる。
財布の半分近くをもっていかれた晴人たちとしては、一刻も早くギルドに行って登録をしてしまいたかったが、訓練してコツをつかんでから試験というにはあまりにも時間がなかった。仕方がなく翌日の早朝からギルドに赴くことにした。
夕刻になり、『月照庵』の食堂に夕食の匂いが漂う。買い物を済ませた晴人たちも食堂に集まり、6人で食事をとることにした。さすがに部屋は男女別だけれど、食事の時間くらいは一緒にいたい。何せ勝手のわからない異世界である、知り合いは一人でも多いほうが心強いのだ。
「食事が質素って言ってたけど、意外とちゃんとしてるのね」
「まあ想像してたよりは、ね」
彼らの異世界生活初の食事はスープであった。スープといっても、ざく切りの肉や野菜が固体のまま入っているもので、和食で言えばけんちん汁、洋食で言えばポトフに近いものなのだろう。
「何のお肉かわからないお肉、ちょっと怖いですね……」
「確かに。けどまあ、お腹空いてるから食べるんだけどね」
「うちらの身体ってこっちの世界用にしてあるんですかね? 水とかでも体質が合わなければお腹壊すじゃないですか」
「さすがに大丈夫なんじゃない? 魔法使える身体にできるくらいだし」
心配し始めるとストレスで体調を崩すなんてことになりそうだから、問題が生じるまで気にしないのが正解でしょ、晴人はそう言って食事を口に入れる。
どちらかといえば洋風な味付けに分類されるんだろうか。少なくとも和風ではない。が、コンソメみたいなはっきりした味わいでもない。塩味が効いていて、いちおう旨味も感じられなくもない、かな。それが偽らざる感想である。食に恵まれた日本からやってきて、感動するほど美味しい食事にありつけるなんてのは、想像の産物でしかなかった。
「ご飯食べ終わったらどうする? それぞれの部屋に解散でいいかしら?」
「とくに話し合うことがないならそれでいいかなと。明日も早そうだし」
「うち、銭湯行きたいです。やっぱりお風呂入らないで寝るのは嫌なんで」
「それは私も行きたいけど……、お金的にはどうなの?」
まだお金の分配をしていない以上、銭湯に行くのにお金を出せるかどうかは財務である貴洋の管轄であった。が、視線で圧をかけてくる女性陣を前に要望を却下できるほど、貴洋のメンタルは強くない。
「まあいいんじゃね? いってみて馬鹿みたいに高ければそんとき考えればいいんだし」
かぽーん
ウルムの銭湯は、まさしく日本の銭湯、それだった。大きな浴槽に、注がれるお湯。並んでいる洗い場。どういうシステムかはよくわからないが、お湯が注がれ続けている。循環になっているのか、かけ流されているのか。いずれにしても衛生的には大丈夫そうだ。
しかしながら少なくとも男性の利用客は少ないらしく、浴室内には晴人たち3人しかいなかった。
「にしても、異世界にこんな日本的な場所があるとはな」
「そうっすね」
「食事も僕らの見慣れてるものに似てたし、文化とかが近い世界に送られたんじゃない? 全然共通点がないところに送って馴染めないまま死なれても困るだろうし」
「あー、それはあるな」
「だとしたらありがたいっすね。オレも風呂好きなんでお湯につかる文化がなかったらきついっすもん」
「僕らからしたら最低限度の生活に含まれるもんね。遠征とかする前に、風呂作れる魔法憶えらんないかなあ」
湯船につかりながらダラダラとしゃべる3人。
この世界に来てから、生きるのに必要なことを決めたり話し合ったりするのがメインであった。そのくらい、緊張感というか、ストレスがかかってきた。
そんな彼らに純然たる雑談をさせてしまうほどのリラックス効果がお風呂にはあった。
「男子だけでしゃべるの初だね」
「部屋わかれたとき3人になったっすけど、一瞬だったっすもんね」
いくら同じサークルだったとはいっても異性がいるのといないのとでは全然違う。そういう意味で言えば、彼らは気が使える人間だったし、彼女らとは気を遣うべき距離感だった。
「そういや、和眞は莉央と同じパーティにならなかったんだな」
「あー、いや。そうっすね。オレ、莉央と別れたんすよ」
少し言いにくそうに和眞が答えると、貴洋がこれに食いつく。
「え!? マジで? いつ?」
「今月の頭っすね。花火大会の帰りに」
「マジか、全然知らなかったわ……」
和眞が気まずそうにしているのは理解できることだが、貴洋がなにも気にせず根掘り葉掘り尋問しているのは、少なくとも晴人にはできない芸当である。
しかも、貴洋のすごいところは、相手に不快な感情を抱かせないところだった。和眞が本当に引きずっているようなら、ここまでざっくばらんには訊いていないだろう。
もちろんその辺りの機微は晴人には難しいもので、だからこそ彼はうわさ話に自分から飛び込んで言ったりしないのだが。和眞と、彼の同期である川出莉央が付き合っていたことさえ、その3か月後に貴洋から聞いて知ったのだから。
「そういや、貴洋さんも晴人さんも、そういう話聞かないっすね」
「俺はサークル外に彼女いるしな」
「貴洋はこう見えて一途だからね。その彼女とも高校から続いてるし」
「そうなんすね」
貴洋が如何に彼女を大切にしているか、それを知っているのはサークルで晴人くらいだろう。彼の一見すれば不愛想ともいえる付き合いの悪さは、だいたいが彼女を心配させないためのそれだった。
だからこそ、晴人としては貴洋を案じずにはいられない。大切な彼女と、地球上のどこよりも離れてしまっていることを。次いつ会えるかわからないことを。そして、あるいは、もう会えないかもしれないことを。
そして当然、貴洋も晴人がそんなことを想っているのがわかるから、彼に微笑みを向けるのだった。すごく寂しく、優しいほほえみを。
「晴人さんもサークル外に彼女いるんすか?」
「ああ、僕は彼女いないよ。サークルでもとくにそういうのなかったし」
「いやあ、晴人に彼女ができないの不思議でしょうがないんだよなあ」
貴洋が、今度は悪い笑みを浮かべている。晴人の恋愛の話になると、決まってこの顔をするのだ。
「別に顔は悪くないし、まあまあ喋れるし、テニスもそこそこできる。頭もいいし、性格も優しい。欠点がないと思うんだけどなあ」
「僕は長所がないっていう致命的な欠点を抱えてるから」
「いやいやそんなことないって。某同期女子と仲良くしすぎてるからみんなが近づけないだけだって」
この手の煽りはいつものことなので、晴人も適当に笑って返す。欠点がないとは思わないし、長所がないというのは本当にそうだと思っている。それは、貴洋も同意してくれるはずだ。
ただ彼は、どうも晴人と朱音をくっつけたがるので、そういう方向に話を持っていくというだけで。それは、お決まりのパターンであり、ある種の内輪ネタだった。
したがって、内輪ネタの通じない人には通じないわけで。
「な、和眞もそう思うだろ?」
「いや、あれじゃないっすか? シンプルに晴人さんが他人に興味ないだけじゃないっすか? 彼女欲しそうにも見えないですし」
「君は……、鋭いね」
自分では、どちらかといえば人のことを想えるし、人とのかかわりが好きな人間だと思ってきた晴人だったが、後輩から突き付けられた「他人に興味ない」という評価を、覆せるだけの材料を持ち合わせていなかった。
「俺そろそろ上がるわ」
「オレも」
2人が浴槽から出ていく。
「僕は、もう少し浸かっていくよ」
少しのぼせて頭が痛くなるまで、晴人は湯につかって、ぐるぐると考えるのだった。自分という人間と他人との距離について。