35.都市、あるいは人の行きつくもの。
国境を越えてから3日が経過し、4日目の朝。
その日はとうとう、ブレイデンにたどり着く日だった。
真正同盟領に入ったあたりから緩やかな登りだったのが、徐々に傾斜がきつくなり、最終的には明らかな山道となった。
そのせいで、国境まで驚くほど順調だった一行も、その歩みが鈍り、日数のわりに距離が稼げていないだろう。
この世界には、山を貫くトンネルもなければ、その上を飛び越える手段もない。
それでも、山を越えて行き来するための道があることに、驚かずにはいられない。最先端の重機なく、誰かがその道を整備したのである。
真正同盟というのは、いわば都市国家のようなものなのか、ブレイデン以外に大きな町はないらしい。
もちろんサザブール王国との交流があるから宿場町はあるのだが、王国内に点在していたものよりもずっと小さい。
「街道を馬車で移動できるのは私たちみたいな役人くらいで、移動の多くを占める冒険者は野宿をするでしょうから」
ということであった。冒険者の平均所得なんて知る由もないが、移動のたびに何泊分も払っていてはたまったもんじゃないだろう。こういうところの宿は高いと、相場で決まっているのだ。
そんな、ゆっくりとした旅も、終わりが近づいている。
登り一辺倒だった道にも、昨日のお昼くらいからは降りの道も混じるようになり、夕方には明らかに最高地点を過ぎたらしいことが分かった。
山であれば、登ったぶんだけ降りてこないと元の高さに戻れないような気がするが、
「ブレイデンは、少し標高の高い位置にあるんですよ」
ということらしい。
どの国から行くにしてもおよそ山を越えなければならないらしく、要するにブレイデンは広めの盆地なのである。
京都なんかがそうであるように、夏は暑くて冬は寒いというイメージが強いが、その法則はこの世界でも成り立つのだろうか。
「盆地の真ん中に地下迷宮があるなんてイメージがわかないね」
「いや、俺はそもそも地下迷宮ってのからイメージがわいてねえよ」
今日の荷台組は、貴洋である。
春歌はいつものように索敵をしてくれているので、主に晴人と貴洋がしゃべっている。
「和眞がダンジョンだって喜んでたけど」
「ダンジョンもよくわかんねえんだよな。ゲームとかで聞いたことはあるけど、俺その辺も通ってねえし」
「それでいうと、僕もあんまりなんだよなあ」
ゲームの浸透率が相当に高いであろう晴人たちの世代であるが、それでもあまり触れてこなかった人もいる。あるいは、好みだって千差万別で、ファンタジー系のゲームをしない人でいえば、かなり多いだろう。
「それでいうと、和眞がいてほんとによかったよね」
この世界が日本にありふれているファンタジーと同じ法則で動いているわけではないし、何か攻略法があるわけでもないのだが、自動翻訳でファンタジー的用語が出てきたときに、なんとなく意味が分かるだけでもずいぶんと助かる。
そして、その最たるが“地下迷宮”なわけであるが、和眞の再翻訳を経て出てきたのが“ダンジョン”だった。
「まあ、炭坑跡かなんかに魔物がたくさん出て、それを迷宮と呼んでいるんじゃないかと、僕はそう思ってるけど」
「あらかたそんなもんだろうな。それならそれで、なんでいきなり魔物が出るんだって問題と、そんなんが街中にあって大丈夫なのかって問題はあるけどな」
「冒険者が多いから適度に狩られて出てくるほどの量じゃないか、魔物の生息域に何かのルールがあるか。ほらイデュルムも魔物だらけだったけど、ウルムまでは来なかったじゃない」
「あー、まあ確かにそうか。ま、危険ならとっくに都市を動かしてるから大丈夫なんだろうな」
「と、思うけど。か、危険だけどそれよりメリットのほうが大きいか」
「それもあるな。異世界の油田みたいなもんか」
ちょっとした考察をしてみる二人。前提部分にわからないことが多すぎるので、正解にたどり着けるとは思わないが、退屈しのぎにはなる。
こんな暇そうにしていて春歌に申し訳ないではないが、かといって荷台で沈黙するわけにもいかないから、良いだろう。何より、晴人からすると、久しぶりの荷台である。少しくらいはゆっくりさせてほしい。
「ま、行きゃわかるか」
頭の体操が晴人より少しだけ得意じゃない貴洋が、先に話を終えてしまう。まあ、これ以上は益体もない(もともと益体はないが、よりいっそう、どうしようもない)話にしかならないので良いタイミングだろう。
「にしても、楽しみだね」
「地下迷宮がか? あいや、別のパーティに会えるのがか」
「いや、まあそれもあるけど、ふつうに新しい街って楽しみじゃない?」
そういうと、貴洋は少し意外そうな表情で晴人を見る。突然見つめられた晴人は、少しくすぐったい気持ちになる。
「晴人って、そんなタイプだったか?」
「そんなタイプとは?」
「いや、新しい街が楽しみとかいう」
「もともと新しいもの好きではあるよ。初対面の人と話すのとかも別に好きだし」
「のわりには、はやりに乗るとかはあんまりなくないか?」
「それは、そうだね。まあ、世界にとって新しいかと、僕にとって新しいかは関係ないからね」
何十年も昔に書かれた本が、新しい考えや発見をもたらしてくれることだってままあることだ。あるいは名作映画でも、歴史ある街並みでもいい。
「うーん、まあ確かにずっと同じ趣味みたいなイメージがないから、しっくりくる気もするけど、やっぱり違和感がある気もする」
「ずいぶんと粘るね」
「けっこう意外だったからな。……あれだ、コミュニティは? 晴人って別にコミュニティをころころ変えるほうじゃなくないか?」
「そうだね。貴洋と朱音も1年のころから仲良かったし、まあ後輩たちは成り行きだとして」
「その辺は新しいもの好きにはならんの?」
「そんな友達をころころ変えることあるか? まあ、シンプルにそれ以降に出会った人たちより君らのほうが居心地がいいということに尽きるかな」
「うれしいことを言ってくれるねえ」
「自分でいわせたようなもんだろ。あれだ。新しいものが好きではあるけど、リスクが好きなわけじゃないってことだ」
「なるほど。まあ、それならしっくりくる」
「そうか。納得してもらえたならよかった」
そんな話をしながら、荷台の外をぼうっと見ていると、急に視界が開けた。
どうやら、山林部分を抜けたらしい。
荷台に入ってくる光量がふえ、ともすると日の光がまぶしい。まあ、太陽でないんだけれど。
「おい晴人、すげえぞ」
身を乗り出して前方を除いていた貴洋が、興奮気味にいう。やっぱり貴洋だって楽しみなんじゃん、などと思いつつ、ずいぶん子供っぽく楽し気なその声が珍しかったので、晴人も身を乗り出して前を見る。
眼下には、盆地いっぱいに広がる巨大な都市があった。
距離としてはまだ何キロかあるはずだが、乾いた空気を通して、その様子がぼんやりと映る。
日の光を反射して白く光る外壁と、壁越しに見える煙突や赤茶色の屋根の群れ。同心円状に整理された建物と、きれいに敷かれた道路。あるいは、そこを行きかう人々も見えるような気がしてくる。
いかにも大都市といった様相だが、ただ一点、異様なところがある。
街の中心。
外壁ほどの高さはないものの、白い石造りの壁が街のなかに聳え立ち、中心部を囲むようにぐるりと一周続いている。
そして、その壁の奥に見えるのは。
黒。
だった。
口を開けて、我々を飲み込もうというような、そんな暗闇が、街の中央に広がっていた。
あれがうわさに聞く地下迷宮か、はたまたその入り口に過ぎないのか。
いずれにしても、ただならぬ空気だけは伝わってきた。あそこに行けば、何かがある。晴人はそう確信する。あるいは、貴洋も同じだろう。
「あれで間違いないみたいだな」
貴洋のいう“あれ”が、あれを指示しているのは確かだ。
「そうみたいだね」
圧倒的な違和感であるが、不思議と不安な気持ちはわいてこない。むしろ、高まるのは期待ばかりである。
「お二人とも、楽しそうですね」
「ああ、春歌。うるさかったね、申し訳ない」
「いえ。ずいぶん見通しがいいので、索敵は少し抑えめでいいかなと思いまして」
「そうか。確かに」
ここまで来てしまえば、春歌の使い魔よりも目視のほうが敵を発見しやすいだろう。それに、街に近づくときに使い魔がいると驚かれてしまう。この数週間で学んだことである。
「前方。すごいよ。街の様子が」
勧められるがまま、春歌も身を乗り出し、その光景を目の当たりにする。
「わあ。綺麗! すごいですね」
やはりうれしそうにする春歌。
その様子をみて、なんとなく自分も嬉しくなる。彼女はポジティブな感情の表現がうまいので、それが伝播しやすいのだ。
それが仲の良い後輩であればなおのことである。
それにしても、なだらかな下り坂と、差し込む日の光。標高が高いせいか、季節がそうなのか、ウルムよりもいくぶん涼しい。ずいぶんと気持ちの良いお昼である。
国境を越えてからは山のなかだったが、そもそもその前だって、ウルムを出たあたりからずっと森である。一瞬王都によったが、眺望がいいというような記憶はない。
「あれだな、シュヴァールの長城を歩いたときのことを思い出すな」
そういわれて、確かに懐かしい気持ちになる晴人と春歌。
懐かしいといっても、たった数日前のことなのだが。なんとなく、長い時間がたったような気がする。
「まあ、あのときの景色はほとんど緑色だったけどね」
「そうでしたね。でも、あれはあれで楽しかったですよ。ピクニックみたいで」
いま思えばずいぶんと気楽だったという気もするし、だからこそうまくいったような気もする。
何か大きな事件があったわけでも、具体的な危険が迫っていたわけでもないのに、いまのほうがよっぽど慎重である。
目の前のことだけ考えていればよかったからなんだろうな、とは思う。考えなければならないことが、幾分増えてしまった。まあ、朱音あたりが考えすぎな嫌いもあるが。
「あの穴のなかでレジャーシート広げても、ピクニックにはならないね」
「確かに。地下っていうのはテンション上がんねえな」
「いやいや、地下は地下で楽しいことありますよ、きっと」
「そうか?」
「はい。迷宮っていうくらいですから、謎解きみたいになってるかもしれないですし、涼しくて快適とか」
「あー、確かにありそうなラインだな」
「ほら、楽しみな要素あるじゃないですか」
やはり楽しそうに話す春歌。別にブレイデンの肩を持つ必要なんて何一つないはずで、だからこそ、春歌は純粋に楽しみにしているのだ。
この辺は、晴人と似ているし、晴人と違うところだ。
「ポジティブだな」
「そのほうが楽しいですから」
春歌の屈託のない笑顔は、新しい街にむかう3人をなんとなく明るく楽しい気分にさせる。こういう人がいると、パーティの雰囲気がずいぶんと良くなる。
和眞も、そして残してきた美波も含めて、良い後輩に恵まれたな。そんなふうに思いながら、晴人はそわそわと、貴洋はうずうずとしながら、馬車に揺られるのであった。
城壁のなかは、まさに活気で満ち満ちていた。
晴人たちの鼻孔をくすぐる、土埃と香辛料と、かすかな鉄の匂い。あるいは、道行く人々の汗の臭いと、ほんのわずかな獣臭。
傾きつつある午後の日は、街ゆく人々の長い影を、石畳の道に映している。ダンジョンからの帰りか、疲労感をにじませた冒険者たちが道を行き交う。
ある冒険者は、やや乱暴に建物の扉を押し開けて、仲間と談笑しながらなかに入っていく。そこは酒場なのだろう。またある冒険者は、足を引きずりながら別の扉を力なく開き、奥に声をかけながら進んでいく。きっとあそこは、薬局か病院なのだろう。
大通りを眺めれば、他にも商店が立ち並ぶ。武器屋と、そこに併設された鍛冶屋。オカルトめいたアイテムショップに、書店なんかもある。
なかでも、飲食店は競うように客に話しかけているし、簡易的な出店みたいなところで、軽食を売っているところもある。
その雰囲気に一番近いものを挙げるのであれば、学園祭、になろうか。
どこもかしこも、今日が特別の日であるかのように、盛り上がっている。
それが、ブレイデンであった。
晴人たちは、お互いの顔を見合わせる。
そこにあるすべてが新鮮に映る。そんな彼らは、完全に“お上りさん”であるが、現に地方から来ているのだから仕方がない。あるいはオリヴィアは王都にも何度か行っているはずだが、王都の静寂で落ち着いた雰囲気とも、かなり違う。
が、待ちゆく人からすれば、そんなお上りさんも珍しくはないのだろう。彼らを奇異の目で見る人はいなかった。誰も彼らを、気にも留めていないようであった。
ここでは皆が、浮足立っていた。興奮と、快楽と、狂気と。どこか生き急ぐように。何かを、忘れるように。
「(宿は奥なんだっけ?)」
「(みたいです)」
「宿は奥だってさ」
「なるほど。じゃあ、しばらく乗ったままか」
晴人たちを乗せた馬車は、街をぐ一周する大通りに入った。
街のなかでは索敵よりも情報共有が大事であるから、念話が通じる春歌に前の馬車に乗ってもらった。荷台にいるのは、貴洋と和真である。
「やっぱいいっすね。この雰囲気。異世界って感じで」
「まあ、確かにな。俺もこういう感じは好きだな。祭りみたいだし」
「そうだね。とはいえ、泊まるとこの近くは静かだといいなあ」
晴人たちも、オリヴィアと同じ宿に泊まる。
オリヴィアは、国際会議に招待された身分である。当然、それなりに高級な宿が用意されている。晴人たちも、冒険者業でそれなりに稼いではいるが、別にあえて高級宿を選ぶ必要性がない。そう考えていたのだが、オリヴィアが手配してくれていたのだ。
会議の期間中は護衛のための宿も出してくれるのだとか。
晴人たちとしては、ここまで送り届ければお役目ごめんだと思っていたし、会議に同行するきもさらさらないのだが、オリヴィアいわくそれでもいいらしい。
まあ、名目としては、帰りの護衛までの滞在費、というようなことだろう。
「それにしても、近くで見ると、ちょっと不気味っすね」
和眞が左手に視線をやりながら、そうこぼす。
その視線の先には、白い壁である。
もちろん外壁ではない。街の中心に聳え立っている壁だ。そして彼らは知っている。その先に大きな穴があることを。
「まあ、あんなでっかい穴があるんだ。酔って落ちても困るだろうからこうしてるんだろうな」
うっかり足を滑らしたら、シャレにならない高さである。
「入口がどこかもわからないっすね」
「その辺も、明日ちゃんと調べてみよう」
「ちょっと緊張してきたっす」
ぎこちない笑顔を浮かべながらそんなことをいう和眞。ワクワクしたりビビったりと、感情に忙しい後輩である。
そうこうしているうちに、馬車は右折し、壁は後方へと回ってしまった。
やはり、高級な宿なだけあって、街の中心部というか、繁華街からは少し離れているらしい。まあ、宿の会議室か、その辺の施設を使うのであれば、あえて人の多いところに泊まらなければならない理由もなかろう。
逆にいえば、晴人たちからすると地下迷宮が遠くなってしまうわけだが、他人の金で宿泊しておいて、文句は言うまい。
しばらく馬車に乗り続け、一軒のきれいな建物の前で停まる。現代の大型ホテルほどの大きさはないが、それにしたって荘厳である。
「ここが、今日の宿です」
馬車から降りてきたオリヴィアが、5人に向かって言う。
宿の中からスタッフと思しき人が出てきて、彼らの荷物を運んでいく。晴人たちも、ダミーの荷物を預けて、オリヴィアとともに、宿の中へ進む。
「護衛といえど、みなさんとは別の棟のようです。みなさんはそちらですが、私はこっちですので、ここで」
入口のすぐ横には、奥へと続く廊下あり、オリヴィアはそこを指さす。来賓はさらに奥のスペースに宿泊するらしい。
「みなさんにはずいぶんとお世話になりました」
「こちらこそ、案内してもらって、ありがとう。とても助かったわ」
それは、偽らざる気持である。オリヴィアがいなければ、国境を越えられていたかも怪しい。山の中をさまよっていた可能性すらある。
「会議自体は3日後からですが、挨拶等々あって明日からもう忙しくしていると思いますので。みなさんと一緒に街を散策できないのは残念ですが、仕事ですので」
「いいのよ、私たちもあちこち回らなきゃいけないもの」
「ご友人を探しているんですよね。うまくいくことを祈っています」
「ありがとう。オリヴィアも、会議頑張ってね」
「はい。……もしご友人を見つけて、この街を離れるときは、教えてくださいね。ここのスタッフにおっしゃっていただければ、取り次いでもらえると思いますから。……皆さんとお別れするときは、ちゃんと挨拶をしたいので」
「もちろん。私も同じ気持ちよ。そして、ここにいるみんなもね」
朱音がそう水を向けるので、4人はゆっくりとうなずく。少し反応の遅れた晴人も含めて4人が、同じ気持ちであった。
「オリヴィアも、何か困ったことがあったら、いつでも頼ってね。そのために同じ宿にいると、そう思って」
「それは心強いですね。……では」
そういって、オリヴィアとサミュエルは廊下を歩いていく。
護衛と雇い主という関係とはいえ、ここ数日間一緒にいたわりには、幾分あっさりとした別れである。同じ宿に泊まっているのだから、会おうと思えば会えるのだし、本当の別れはもう少し後に訪れると、そう知っているからだろう。あるいは、街中を進む馬車のなかで、女子3人は十分に別れを惜しんだのかもしれない。
いずれにせよ、堂々たる様で去っていく2人を引き詰める気など、誰にもなかった。
「さて。ついにブレイデンに着いたわけだけど。…………今日は休んで、街に出るのは明日からでいいかしら」
朱音がいつになく疲れた様子でそういう。
馬車に揺られる旅路は、思いのほか疲労感があった。それを癒すに絶好の宿にいる状況で、推察するにすぐそこの部屋にはふかふかなベッドがあるというのに、これから街に繰り出す元気など、彼女にはなかった。
そして、5人の誰にもなかった。
「賛成」




