34.国境、あるいは人工的なもの。
「なあ、朱音。ちょっとアレなこと聞いていいか?」
昼下がり。朝の緊張感とはうってかわって、穏やかな空気の中で、なんとはなしに、貴洋がそう尋ねる。
「アレがどれかにもよるけど、まあいいわ。何?」
「もしブレイデンにいるパーティが司たちだったら、どうするんだ?」
「…………」
少しの沈黙がその場に停滞する。
朱音が司――3年生の白石司と付き合っていたことも、合宿の少し前に別れたことも、サークル部員にとっては周知の事実である。
それは、彼らのパーティにとっても同じことで、晴人が合宿中に貴洋から聞いたのが最後で、他の面々はその前から知っている。噂とは実に回りやすいものだ。
が、それを面と向かって朱音に尋ねた人はいない。少なくとも、晴人はその場面に出くわしていない。
まあ、この世界に来てからでいえば、司と会う機会がないから気にならないというのもあるし、万に一つでも気まずくなったら困るというのもある。
「別に、どうもしないわよ」
少し考えた後で、朱音はそういう。
「というか、私にできることは何もないわ」
それは強がりなどではなく、動かしがたい事実であった。朱音が何かをすることは、事態をややこしくすることはあっても、良いほうに動かすことはない。
「あれ、朱音から振ったんだっけ?」
「ええ、そうよ。晴人でも知ってるのね」
「まあ、一応。そこにいる悪友のおかげで」
そういわれた本人は悪びれるでもなく、頭をかくモーションだけをする。
「なんで振ったの?」
「あら、晴人がそんなことを訊くなんて意外ね。こういう話、興味ないのかと思ってた」
「いやまあ、興味津々ってわけじゃないのは確かだけどね。まあ、話題に上がったから聞いておこうかなと。それに……、いやこれはいいや」
「ちょっと。そこまで言いかけたなら言いなさいよ。答えないわよ」
「……いや、言葉にしづらいんだよ」
そういって、少し考える晴人。
考えごとをする晴人は珍しいようにも感じるが、よくよく思い出せば、晴人はいつだって言葉を選んでいる。みんなで話し合うときに考えを表明するのが遅れがちなのも、半分はそのためだった。
「なんというか、朱音が、司の何か言動とか、態度とか、そういうのに苦手な部分があって、それが理由で別れたんだとしたら、まあ、それを知ってれば、パーティで行動するときに気を付けられるというか、嫌な思いをさせる頻度が少なくて済むかなと」
朱音も貴洋も知っている。晴人がもごついて話すときは、それが本音である、と。
「なるほどね。晴人らしい気もするし、らしくない気もするわ」
「で、朱音。実際、なんで別れたんだ?」
「いや、理由って程の理由はないわよ。司って、見ての通り自信家じゃない。プライドが高いといってもいいかしらね。その辺がちょっと、合わないなって」
「あー、まあ、俺は少しわかる気がする。俺も人のこと言えないけど……、というか完全にあいつは俺と同タイプだしな」
「……そうか? 貴洋と司って、むしろ真逆にいる気がするけど」
「そうね。私も貴洋が司に似てると思ったことはないわね。というか、思ってたら一緒にパーティ組んでないわよ」
晴人は、白石司という人物をほとんど知らない。同期だから、同じ空間にいたことは何度もあるし、話したことも少なくない。
が、通常の雑談でわかることなどたかが知れている。
それこそ、貴洋や朱音のことだって、この世界に来て初めて知ったことばかりなのだ。そして、まだまだ知らないことだらけなのだろう。
こういう仲の深まり方を、他のパーティでもしてたらいいな、晴人は純粋にそう思う。
「じゃあ、再会したときに気まずいのは、やっぱり司のほうかもな」
「どうかしらね。彼もまあいい大人なんだから、その辺は大丈夫なんじゃない?」
「そうあってほしいね」
「いや、俺はそんな期待はしないね。いい大人なら、朱音とも別れてないだろうし」
「ま、その辺は再会してのお楽しみってことで」
そんな話をしていると、晴人たちの乗る馬車が速度を落とす。前方を見やると、オリヴィアたちが乗っている馬車も同様である。
先ほど昼休憩を取って、それほど時間が経っていないので、休憩というわけではなさそうである。
と、言うことは、そろそろ国境が近づいてきたのだろう。
が、前の馬車から人が下りてくる様子もない。着いたのなら知らせに来てくれるはずだが。
「(そろそろ目的地?)」
「(あ、晴人さん。そうですね。いま入管の最後尾についたようです)」
「(なるほどね。ありがとう)」
「(いえいえ。それでは)」
短いやり取りをして、確認をする。こういうとき、念話のスキルは便利だと痛感する。2人以上いないと意味がないので、春歌がいて本当に良かったというところだ。
電話なんかと違って着信通知のようなものがないから、いきなり思考に割って入ることになるのが申し訳ないが、まあ業務のために仕方がないものなので、お互い気にしない取り決めになっている。
まあ、本当に集中したいときなんかは、受け取る側をオフにできるので、そうしてくれるだろう。
「そろそろだってさ。入国審査の列みたいなもんらしい」
「なるほどね。まあ確かに、素通りできるってほうが不自然だしな」
「でもある意味で不思議よね」
「不思議?」
「ええ。だって、この列を離れて歩いていけば、どこからでも入国できそうじゃない。まさか越えられない壁が続いてるなんてことはないでしょ?」
「まあ確かに。けどそれは元の世界もおんなじじゃない? たまたま日本が海に囲まれてたから難しかっただけで。船とか使えばしれっと入ってこれそうだし」
「……それもそうね」
「この世界の順法意識が、元の世界と同レベルだとは思わないけどな」
確かに。元の世界、とくに日本では、法に従っている人が圧倒的に多い。それに違反した人は不利益が生じるようになっていたし、そんなものがなくても、あえて法を犯す人は少なかろう。
だが、それが当然のものだとも思えない。なんらかの要因によって、そういう治安が守られているのであれば、その要因がない世界が、もっとファジーに動いていてもおかしくはない。
「まあ、あれだ。入国手続きは、国に入るための手続きってだけじゃなくて、国に入った後の保障のための手続きなんだよ、たぶん」
「そうだとすると、もともと手続き保障の及ばない犯罪者とか、そういう人ほど簡単に移動できることになるわね」
「そうだね。ま、詳しいことはわかんないや」
それ以上のことは彼らにはわかりようがないから、考えるのをやめる。あるいはスマホの一つでもあれば調べられるのかもしれないし、そういう専門の人に訊けるのかもしれないが、ここは異世界である。
オリヴィアの護衛としてきている以上、手続きをしなければならない、それだけが事実だった。
「なんかあれだな、空港に行きたいな」
「それは旅行がしたいということではなく?」
「いや、旅行っていうなら、今だって近しいことしてるだろ?」
「まあ、2つの意味でね」
「というよりは、やっぱり空港の雰囲気が恋しいんだな」
それは晴人にも少しわかる。
大きい荷物をもって待ち合わせをする人々、手荷物検査の金属探知機に引っかかったり、急いで飲み物を飲み干したり。長い動く歩道、免税ショップ、飛行機がうつる角度で写真を撮ってSNSにあげたり、離陸ギリギリにアナウンスで呼び出されていたり。
飛行機なんて日常的に乗るものでもないが、あるいは日常的に乗るものではないからこそ、案外鮮明に憶えている。確かにあの空気は、独特だ。
「まあ、この世界にはないだろうけどね」
「そうだな。……いや、この世界になさそうだからこそ、恋しいのかもな」
「というと?」
「いや、郷愁って、ここにないものに惹かれるだろ? 外国に行ったときでも、日本と違うなって思うと、日本が恋しくなるわけで。米が食べれる地域で米が食べたくなったりは……あんまりしないんじゃないか?」
「うーん。私はちょっと違う意見ね。自分の拠点と、全部がまるっと違ったら、郷愁はないんじゃないかしら。あれって、少し、懐かしいみたいな気持ちも含むじゃない? だから、似てるけど、どこか違うっていうほうが、くすぐられる気がするわ」
「それでいうと、この世界は日本とはだいぶ違うし、だいぶ同じね」
「そうだな。確かにそれは思ってた。この景色だって、地面をアスファルトにして、馬車を自動車にしたら、日本の田舎そのものだもんな」
彼らだって大学生だ。ドライブなんてよくするし、田舎道だって運転する。駅の近くとか、観光地なんかはもっとにぎわっているけど、その間にある山道は、本当に山と川しかないような場所だってたくさんある。
日本はもう少しじめっとしていた記憶だが、それでも大きな差はない。
「ウルムもそうだったし、王都も、まあ街並みは和というよりは洋だったけど、それでもまあ似てるっちゃ似てたもんな」
「日本にも洋風のエリアはたくさんあるものね。長崎とか、神戸とか」
「確かに。ああ、だから空港なのか」
「ま、私たちはそれだけ機械に慣れているってことね」
「そうだね。スマホがないだけで最初の1週間くらいはものすごい違和感だったもの」
天使たちからもらった不思議アイテムのデバイスはあるが、あれにはネット機能が付いていない。いやまあ、お互いの位置がわかるとか、地図がリアルタイムで更新されるとか、ネットさながら、あるいはそれを超える機能があるわけだが。
現代人はスマホのせいで情報過多な環境にさらされているというが、まさにそれを実感する。
「いいデジタルデトックスね」
「そうだね。とはいえ、便利な機械の使い方を忘れる前には日本に戻りたいね」
「身体的な記憶は、時間がかかるデメリットの最たるかもな。いま前と同じようにテニスできる気はしないし」
「逆に鍛えられて強くなってるかもよ」
「ま、そうだったらラッキーだな」
「(晴人さん、そろそろうちらの番みたいです)」
「(了解、どうすればいい?)」
「(私たちが降りるの同じタイミングで降りてきてもらえればと)」
「(りょーかい)」
列の最後尾についてから30分くらいが経過しただろうか。ようやくといった頃合いに、春歌からの連絡が来る。
「そろそろらしい」
「やっとか」
長らくゆっくりとしか動かなかった馬車の上で、貴洋が一つ、伸びをする。
まあ、普通に進んでいるほうが振動やらなにやらで疲れるのだが、景色が動かないというのもそれはそれで疲れる。
前方を眺めれば、遠くに見えていた門が近くまで来ている。この時代にしては堅牢なのだろう門は、簡易的な砦といわれても、そこまで疑問符はつかない。
最低限の衛兵だろうか、武器を持った人はいるが、国境というにはずいぶんと手薄である。
レオナルドの話では、真正同盟は国ではなく地域なので、厳密には国境ではないし、相当に有効な関係のようなので、もはや不要なのだろう。そう考えると、この門がいつできたのか、気になるところではある。
「あ、オリヴィアたちが降りたわね」
「じゃあ僕たちも行こうか」
そういって3人でぞろぞろと降りていく。
御者の人は入国審査的なものを受けなくていいのかと気になったが。とはいえ、彼らも降りてしまえば、馬(正確には馬のように見える動物)が困ってしまうだろう。
「みなさん。お疲れ様です。ここで少し手続きがあります。とはいえ、皆さんは私の護衛として入国しますので、皆さんにしていただくことは特にありません。5人そろっているかと、それ以外の人間が場所にいないかだけ確認されるので来ていただきましたが、楽にされていてください」
「ありがとうオリヴィア。私たちのことは気にしないで。護衛だもの。当然のことよ」
「ありがとうございます。では、手続きの部屋はこちらですので、お願いします」
そういってオリヴィアを筆頭にぞろぞろと入っていく6人。
入国手続きの部屋ということで、なんとなく狭くて暗いところをイメージしていたが、そんなことはなかった。むしろ、一つの部屋としては広すぎる空間に、衛兵と思しき人間が2人。そしてその奥に役人と思しき人と、その補佐と思しき人が1人ずつ。
先日出くわした盗賊たちから、護衛が少ないというようなことを言われたのを思い出す。この世界でももっと多い護衛を連れて移動することが少なくないのかもしれない。それだけの人数が入れそうではある。
そうなった場合に護衛が2人だけで足りるのかとも思うが、まあ、役所というのはあれこれと不足を抱えているものである。
手続き自体は、すぐに終わった。
オリヴィアが書簡を示し、補佐の人がそれを取りに来て、役人に示す。役人が手元の書類らしきものと照合する。
晴人たちはというと、ただ立っているだけで、人数を指さし数えられただけである。5人なら目視で確認できそうなものだが。
そして、オリヴィアが持ってきた書簡に印を押され、それが戻ってくる。
それだけだった。
「本当は少し、この後のことをお話ししたいのですが、ここで留まっていると後ろの方々に迷惑となってしまいます。また分乗して進むことにします。今日は宿泊する街に少し早めにつくことになっておりますので、そこまで特に問題がなければ休憩なしで行ってしまおうと思います」
「ええ。わかったわ。ま、今日は春歌ちゃんがそっちに乗ってるから、いざというときは念話で対処してもらうわ。大丈夫かしら?」
「はい。うちは大丈夫です」
晴人も静かにうなずいで、了解の意を示す。
「じゃあ、そういうことで」
朱音は晴人と貴洋を連れて、荷台の馬車に乗る。
もはやこの3人でなければならない理由などなかったが、まあいい機会である。仲のよい同期3人で一日を過ごしたところで、誰にも怒られないだろう。
そうして、またゆっくりと馬車は動き始める。
「それにしても、私たち、国境を超えたのね」
「? ああ、そうだな。どうしたんだ急に」
「いえ、あんまり実感がなくて」
「まあ、手続きはだいぶ簡素だったね」
「ええ。それもあるわね。でも、なんというか、この世界って、私たちからすれば異世界で、1つの概念じゃない。そこにいくつもの国があるっていうのが、しっくりこないみたい」
「あー、まあ、言わんとすることはわかる。サザブール王国にはサザブール王国の法律があって、文化があって、政治があって、真正同盟にはまた真正同盟のそれらがある。けど、それがピンとこないというか、そこまで解像度が高くないってことだろ?」
「そうね。多分言語化するとそんな感じね」
「でも、それって元の世界でも同じじゃないの? 地球とか世界って概念が1個あって、みたいな。解像度でいうなら、ヨーロッパの国の区別があいまいな人もいるし、アメリカの州がはっきりと区切られてる人もいる。出身を東北っていう人もいれば、名東区っていう人もいる。それと、ざっくり同じじゃない?」
「…………そういわれればそうな気もするし、それとこれとは違う気もする」
「俺が思ったのは、結局国境ってルールみたいなもんだろ? で、それを俺らがどれだけ受容してるかの差なんじゃねえの?」
「ああ、それはいい表現だね。借りてもいいかい?」
「もちろん」
「朱音」
手を口元にあてて考え事をしているような様子の朱音に、晴人が話しかける。それは、行き場のない思考の海から救い出す一言であった。
「国境を越えた実感がないっていいたね」
「ええ」
「僕はそれでいいと思ってるよ」
「そう? 理由を聞いても?」
「僕らが、もっと大きな境界を越えたからだよ。だから、朱音の違和感は、すごく自然だし、僕も共感するよ」
「……。そう。ありがと。今はそう、納得しとくわ」
彼らを乗せた馬車は、とことこと歩みを進める。もしかしたらその道中、いくつかの地番を超え、行政区域を超えたかもしれない。
だがそれは些細なことだ。
彼らがたどり着きたいのは、日本であり、まずは仲間がいるはずのブレイデンなのだから。




