26.街道、あるいはまだ続くもの。
翌朝。西門の前には“朱き来訪者”の 5人の姿があった。
そこに美波はいない。彼女は、見送りに来ないことを選択した。教会での仕事が今日から始まっているらしい。ある意味で正し判断なのだろう。昨晩 6人は存分に語りあったし、別れを告げる必要もなかったかもしれない。あるいは、自らの決断が揺るがないように。
彼ら5人は準備が整っていることを軽く確認すると、そのままウルムの街を背にして歩を進める。急いでいるといえば急いでいるのだが、全力で走らなければならないほどでもない。黙々と走り続けるというのもつまらないから、会話ができるくらいのスピードで淡々と距離を稼いでいく。
いま思うと、北側に伸びていく街道を進むのはずいぶんと久しぶりである。この世界でできた最初の後輩たちと、初めて知り合ったその日以来だった。あれからひと月ばかりの日々が過ぎたが、実にかわり映えのしない風景である。
生い茂った雑草に侵食されようとしている街道。数人パーティの冒険者が往来しているのか、数人分の幅だけは、確かに人間の領域であるらしかった。
それにしても。
この世界にきて、ひとつ、気づいたことがある。虫がいないのだ。まあ、正確な生物とか魔物の分類を知っているわけではないから、虫と称されるべき生き物はいるのかもしれないけど。晴人たちの知っている、小さくて、見つけにくくて、ときに顔の前を飛び回ったり、足元に引っ付いたりして来るアレを、まだ見たことがない。
こんな鬱蒼とした田舎道を歩いていれば、蚊の一匹や二匹は腕にとまって血を吸う前に気づけるかの勝負が繰り広げられそうなものだが。
いたらいたで鬱陶しいあの生き物も、いないとなれば寂しいものである。こんなところに異世界を感じることになろうとは。
「ねえ晴人」
そんなことをぼんやりと考えていると、朱音が話しかけてくる。
5人というのはグループで動くには難しい。2と3でうまく分かれれば会話もしやすいが、多くの場合はそうはならない。だいたい2と2と1の3列になってしまうものである。
しばらくは晴人が最後尾で1のポジションを恣にしていたわけだが、前で春歌としゃべっていた朱音が後ろにずれてきたのだ。
「なに?」
「ヒーラー、どうするの?」
「?」
すぐには意味が分からなかったが、一瞬の思考の後に、それがヒーラーをどこかで採用するのかという質問であることに気が付く。
そして、すぐには意味が分からなかったということが、彼の考えを物語っており。
「いやまあ、最終的には朱音に任せるけど。当面はいらないんじゃない?」
「もう少し詳しく聞いても?」
「えーと。いちおう確認だけど、僕たちの直近の目的は、他のパーティを探して合流することって認識でいいよね?」
「そうね。私はそのつもりよ」
「だとしたら、人探しは基本は街というか、人のいるところでするのが効率的だし、たぶん他のパーティも街で生活してるじゃない。ならまあ直近に戦闘が続くってこともないだろうし、じゃあ回復役がいなくても何とかなるかなって」
「なるほど。まあそうよね」
「それよりもこのなかに知らない人が入って連携が取れなくなったりする方がリスクだと思うよ」
優秀なヒーラーであり、5人と十分に意思疎通のできる美波ですら、戦闘においてはその安全に困っていたくらいだ。そのあたりは春歌がうまいこと配慮してくれてたし、美波が賢明な立ち回りをしてくれることを前提として何とかついてきてもらえていた。
道中で出会っただけの人に彼女のような動きを期待するのはムリがある。さりとて、付き合いが浅いというだけの理由で、限界のときにその人を見捨てるわけにもいかないだろうし。
「ある程度戦える人を探すのは?」
「その労力をかければ他のパーティに合流できちゃうよ」
彼らが関わっている人といえば、街にいる戦わない人たちと、かなり優秀な兄妹くらいだから忘れがちなのだが、5人は相当に動ける。まあ、天使から能力をもらっているから他人より優秀なのは当然なのだが、翻っていえば、同じくらい動ける人を探すのはかなり骨である。しかも、回復魔法が使えるとなれば。
「まあそうよね」
しかしながら晴人には不思議であった。優秀なヒーラーと出会う前にほかのパーティーと出会えるであろうということくらい朱音にもわかるはずである。にもかかわらずそのようなことを聞いてくるというのは何かしらの考えがあるのか。
あるいは単に不安だったかもしれないか。美波がウルムに残るといったときに最後まで反対していたのは朱音であった。朱音のことを思って引き留めていたと思っていたが、朱音自身の安心も、そこに含まれていたのだろう
優秀なヒーラー、か。
この先どのような人と出会うのか、楽しみである。
もちろん大切なのはこの5人とウルムに残してきた美波であり、サークルの仲間であり、日本にいる知人友人たちなのだが、いつだって新しい出会いとはわくわくするものである。
ウルムでも多少の出会いがあったが、その他の人たちは総じて没交渉的であった。もちろん、積極的に人間関係を広めない晴人が言えたことではないが。ウルムのような田舎街では、ほとんどが既に見知った顔であって新参者は目立って仕方がないのだろう。彼らの華々しい活動をみれば、なおさら。
それにしても不思議だ、と晴人は思う。
晴人自身は積極的なタイプではないし、かなり受け身である。サークルでも友達をたくさん作ろうなどとは微塵も思わず、その結果が、このパーティ決めのときのあれである。
しかし、新しい人と出会うこと自体は嫌いじゃない。というか、むしろ好きである。探り探りの会話も取り立てて面倒だとは思わないし、その先に垣間見える人間性が面白い。
サークル活動でも、確かに友達が多いわけではない晴人だが、話し相手に困るというわけではない。むしろ、新歓ではそこそこしゃべったほうだろうし、そのおかげで先輩にも後輩にもある程度認知されている。
和眞や春歌からすれば、むしろ貴洋の方が接点の少ない先輩ということになるだろう。
だとすると、別に他人に興味がないわけではないんじゃないか?
いつか銭湯で和眞に言われたことに、今更ながら反論が浮かんでくる。まあ、他人に興味津々などと自称している人も怖いので、あえて口にしたりはしないが。
「晴人さん」
などと考えていると、こんどは春歌が声をかけてきた。
てっきり朱音と話しているものだと思ってぼーっとしていたが、朱音は朱音でなにやら考え事をしていた。何をそんな考えることがあるだろうかと不思議に思いつつ、晴人も晴人で益体もないことを考えていたのだから、人のことをいえまい。
「どした?」
「あー、いえ。静かだったので、何を考えてるのかなと」
「まあ、とくには何にも。この先どんな人がいるのかなあって」
「それは気になりますね。異世界っぽい人とかいるんですかね」
「異世界っぽい人かあ、どうだろ。ファンタジーとしていたら楽しいけど、実際目の前にしたらきょどるかも」
少なくとも、ウルムには馴染のあるような外見の人ばかりだった。と思ったが、そういえば魔族を名乗る人物と出会ったことを思い出す。外見は普通のおじさんみたいな感じだったし、魔族を名乗っていただけで、他の人と具体的にどう違うのかはよくわかっていないが。
魔族がいるならエルフ族やらドワーフ族やらがいたって不思議ではない。当然、いなくたって不思議じゃないんだけど。
「どういうテンションで接すればいいのか知らないと、失礼にもなりそうですよね」
「まあ、確かに。好奇の目で見るのですら、現実だと普通に失礼だもんね。その辺りは早いうちに誰かに聴いとくべきだろうな」
「失礼ってことで思い出したんですけど、そういえば貴族とかは普通にいるんですよね」
「らしいね。ここも辺境伯領っていうくらいだから」
「呼び出されたりするんですかね」
「僕はそうならないことを願うよ」
晴人の言葉は、心底のものだった。
もちろん全員で来いといわれないかぎりは、そんな面倒な役割は朱音と貴洋に押し付けて自分は欠席するつもりでいるが。それならいいかと言われると、なお不安は残る。
エアハルトが美波を好きになったくらいであれば、役人にどうこうする権力がないから問題はないが、どこぞの貴族の息子とかになったら話は別である。
朱音はふつうに見てくれが良いので、ドレスを着てパーティに参加しようものなら貴族の一人や二人に惚れられなんてことになりかねない。まあ、この世界の美意識が元の世界のそれと同じかどうかは知らないけど。
「うちはちょっと憧れますけどね」
「え?」
「いや、貴族のパーティとかって。ドレスで着飾って。なんかおとぎ話みたいじゃないですか」
「ああ、まあそういう人もいるのか」
平民しかいないはずの国で生まれ育った晴人にとって、貴族というのは横柄なイメージというか、どこか批判的なニュアンスを含むような気がしていたが、必ずしもみんながそう思っているのではないらしい。
「現実だとあんまりないもんね。ドレス着るなんて」
大学のサークルだと、追いコンとかクリスマスにドレスやスーツを着てパーティっぽくすることはあるが、言っても大学生に手が出せるような代物である。
あるいは成人式のあとに同窓会を兼ねてパーティをひらく高校もあるようだが、それも同じことである。
ウエディングドレスに憧れをもつ人が一定数いるのは、さもありなん。
「晴人さんはないんですか? かっこいいスーツ着たいとか」
「いやあ、僕はないかなあ。そもそもちゃんとした格好が苦手だし」
「まあ確かにいつもダルっとした服のイメージですけど」
「絶望的に似合わないんだよね」
「そうですかね? 意外と着たらカッコいい気もしますけど」
「っていう期待を打ち破ってきた自負だけがあるよ」
晴人だって自覚していないわけじゃない。
平均に比べれば多少高い身長に、細身の体型。さらっとした黒髪。ちゃんとした服を着れば、ちゃんとした見た目になりそうという直感が働くことくらい。
しかし、それらの身体的条件を覆すほどに、気だるくて陰気な空気をまとっている。それが晴人の自己認識である。
「うちはそれでも、見てみたいですけどね。晴人さんのスーツ姿」
「ま、機会があったらね」
スーツを着ることくらい誰にだってある。それこそ就活を始めればそこここにスーツで現れ始める。
彼は確信していた。春歌の期待もまた、打ち破られることになるのだと。
その直後、考え事から復帰したらしい朱音が春歌としゃべり始め、またしても晴人が一人のポジションに落ち着く。
後衛は後衛で並んで話せばよいようにも思えるが、3人が横並びで会話するのは意外と難しい。できないこともないが、この世界に来てから話す時間はいくらでもあるわけで、会話に混ざれないのが寂しいということもない。
それに、この5人のなかに、1人でいることが極端に苦痛であるという人はいない。むしろ、どうやって1人の時間も確保するかが懸案になるくらいである。
というわけで、晴人は再び、益体のない思索にふける。
ただ似たような光景を黙々と走っている彼にとっては、足から伝わる土の感触だけがリアルである。これが日本であれば、暑かったり寒かったり、乾燥していたりじめじめしていたリ、とにかく気候のことが気になるのだろうが、少なくともこの辺りには目立った季節がないらしく、いつも通りである。
せいぜい、今日は雨が降らなくてよかったなとか、森よりは日差しがあって暑いなとか、その程度を感じるだけで。
翻って、土の感触というのは面白い。土、というには踏み固められているが。
ウルムで活動したいたころの彼は、その多くの時間を長城の上で過ごしていた。帰りにみんなと合流して森のなかを歩いたが、そのときは会話にしていて、足の感覚などどこか遠くである。
そういう意味では先日の遠征は大変だった。大きな石を気にして、木の根を気にして、ぬかるみを気にして。せいぜい管理された自然と触れ合う程度の日常だった大学生には、かなりタフな環境であった。
この街道は、晴人の知っている自然に近い。自然公園の遊歩道であり、川沿いに続く土手であり、観光地のハイキングコースである。あるいは、高校時代のテニスコートすら思い出させる。
いつか誰かが整備したのだろう。それは最初にウルムを築いた人たちかもしれない。その後にやってきた役人たちかもしれない。実際に作業したのは名もない労働者たちなのだろうが、確実に、ここに誰かがいたはずである。
走っているとなんてことない距離だが、それでも1日では領都には着かないらしい。山と森の間を、整備しながら進むとなれば、途方もない距離である。
ふと振り返ると、ウルムの街は既に遠く、前方をみても点になるまで道と森が続くばかりである。
建造物はないし、乗り物もみえない。人の気配だってしない。ただ、そこここの森に潜んでいるであろう魔動物の存在と、木々の呼吸を感じるのみである。
マップに点在する魔王石の位置から察するに、晴人たちの歩いている道はこの世界のごく一部である。何倍、何十倍では足りないくらい広大な世界がそこには広がっている。
地球の、例えばユーラシア大陸を思い出してみれば、その広さにも納得がいく。
もしかすると、彼らに託された使命は、途方もないのかもしれない。
ひとつ目の魔王石を破壊したときに感じた“あっけなさ”は勘違いでしかなくて、本当の戦いはここから始まるのかもしれない。とりあえず他のパーティと合流するという目標は、それ自体、きわめて困難な目標なのかもしれない。
それでも。
晴人たちに許された選択肢は、ひたすらに続く街道を前進すること、ただそれだけである。それ以外の途は、ウルムに置いてきたのだから。
ユーラシア大陸の、例えば、中国からローマに至る道があるように、この道もまた彼らの目的地へと至るはずだ。
彼らは走る。領都へと続く道を。仲間へと続く道を。あるいは、故郷へと続く道を。
ということで第2編です。
短い予定ですが。




