18.遠征、あるいはホームを離れるもの。
早朝。太陽が完全にその顔を見せるよりもはやく、“赤き来訪者”たちの姿は門の前にあった。両手で数えられないくらいには見慣れたその光景だが、その面持ちはいつもと少し違う。
「じゃあ、行こうかしら」
門が開かれるのと同時に、彼らは街の外へと足を踏み出す。壁に沿って反時計回りに走っていく彼らを、門番は訝しげに見送った。
「長城に着くまで3時間くらいかしら」
「そうだね。大きいから近く見えるけど、実際はそこそこ遠いからね。途中で休憩を入れることを考えたらそのくらいかな」
ウルムの街の東方にそびえるシュヴァールの長城は、そのさらに東域に広がるフロムベルクの森から魔物が侵入してこないように築かれたものだ。したがって、これを越える魔物がいた場合に双眼鏡のようなものを使って目視できる最も遠い位置に存在する。
途中に他の建物が存在しない以上、わりと遠くまで見えるわけで。
「皇居から横浜くらいか?」
「どうだろ。僕たちの足もおそらく早くなってるから単純な比較は難しそうだけど」
正直なことをいえば、距離や重さの感覚はほとんどバグっているといっていい。3時間という所要時間も、普段の晴人の移動速度と6人での移動速度を比較して概算しているだけで、緻密に計算したわけではないし、その必要もない。
その点でいえば、天使にもらったタブレットの表示のおかげで時間だけは正確に計算できるのがありがたい。
「そういえば、この辺まで森林が広がってないのは不思議よね。誰かが手入れしてるのかしら」
「確かに。木々が生えなさそうな気候とか土壌ならわかるけど、北も南も東も森だしな」
「農地にしたかったけど誰も使ってないみたいな話じゃなかったっけ?」
「まあ危ないし使いたくはないっすよね」
主に3年生の3人と和眞がおしゃべりに興じている。
ただ黙々と走っていてもつまらないというのもあるが、それ以上にペースを落とす目的が大きい。うっかりスピードを上げてしまうと春歌と美波がついてこられなくなる。
晴人は改めてステータスを確認する。彼のAGIの値は美波のそれの2倍以上あるが、速度がそのまま2倍ということではないらしい。それに、しばらく走って疲れてきているが各ステータスの数値は減っていない。それぞれ能力の上限をざっくり示してるといったところだろうか。
そうだとすると、作戦の計画を立てるのにはある程度使えるが、実際の戦闘ではあまり役に立たない指標なのだろう。AGI1000でも、足を怪我してしまえば、それ以上は走れなくなる。現に戦闘してきたひと月の、そして今後積み重ねていくであろう実践こそが、武器になってくれるはずだ。
「やっぱ長城のむこうは魔物も強えんかな」
わくわくした表情を浮かべる貴洋。普段から強敵と戦えないのを残念そうにしていた彼だ、今回の遠征に期待しているのだろう。
「どうだろ。あれができる前は地続きだったんだし、そう変わらない気もするけど」
「できれば弱くあってほしいわね。意気込んですぐ苦戦は、萎えるもの」
「そうっすか? なんかあっけないほうが萎えるっすよ」
「意外よね。二人が好戦的なの。日本にいたときからそんな感じだったっけ?」
「やっぱ漫画とかアニメみたいな世界観はテンション上がるっすよ。しかも強くなれてるわけですから、冒険したいっす」
思い返してみれば最初に薬草を採りに行く提案をしたのも和眞で、“こういう”展開のアニメが好きらしい。思考がひねくれてないから、ぽいっちゃぽいし、ぽくないっちゃぽくない。
まあ彼らくらいの年代なら、20年前後の人生のどこかで触れる機会はあるだろうから、他の5人にも全くわからないでもないが、それだけの熱量はない。
「貴洋は? 君そんなアニメとか観るイメージないけど」
「どうだろ。なんかスポーツみたいじゃん。戦略戦術考えたり、トレーニングしたり。せっかく強くなったんなら実感できる相手と戦ってみたいじゃん」
「あー。たしかにテニスだと好戦的だものね」
「楽しんでるだけだけどな」
各々モチベーションがあるのは結構である。油断したり蛮勇に駆られたりしては危ないが、二人にはその心配はない。十分にわきまえているほうだし、朱音と晴人というストッパーがいる。
そういう意味では、戦いに前向きになれないほうが、今は大変かもしれない。そう思ったのか、朱音は後ろをちらりと振り返った。
「ま、さっさと帰りたいから、ガツガツ倒したいってのもあるかもしれないけどな」
日本に帰りたい、その願望はきっと共有されているはず。
その後もだらだらと走って、長城の昇降口にたどり着いた。都度3回の休憩をはさんで3時間半が経過したころ合いである。
「意外と疲れたな」
「そうね。まあ、最近はゆっくり進むのが多かったからってのもあるかもしれないわね」
「いったんここでお昼にしようか」
走っててつらくないようにと今朝は固形物を取らなかった彼ら。そろそろ空腹の限界が来ていた。アイテムボックスに入れておいたシートを広げ、その上に昼食と飲み物を並べていく。
並べていく、といっても、この世界の昼食は採らないか、ずいぶん質素であるらしく、彼らの昼食も豪華なものとは言えないが。それでも、シートに並んだ6人分の容器は、どこか見覚えのある光景である。
「ピクニックみたいですね」
「確かに。イデュルムだとこんなひらけたスペースなかったからね」
「俺はどっちかっていうと運動会を思い出したな。このちょっと疲れた感じとか」
「うちは花火大会ですね。ついこの前っていうのもあると思いますけど」
「あれから2か月っていうと、やっぱ早いわね」
若干一名が苦そうな表情を浮かべているが、みな同じ郷愁を抱いている。
そんなノスタルジックは、葉にくるまれた魔物の肉という、なんとも異世界じみた昼食に、すぐに打ち破られてしまうのだが。
一瞬の苦そうな表情を捕まえた女子たち、主に朱音だが、に根掘り葉掘り訊かれているうちに、彼らの大休止は過ぎていった。
「さて、と。ここから南下する方法なんだけど。ねえ晴人、この上ってちゃんと通れるの?」
「どうだろ。正直6人みんなでとなると、途中で危なくなるかも。少なくとも建築云々を言ってる余裕はないね」
「まあそうよね」
「素直に考えれば、長城が耐えられるうちは上で行って、限界のところでフロムベルクの森に入って、そこから一直線に向かう、っていうのが早そうですよね」
「そうなるね」
「森の中なら否応なく歩くことになるわけで、耐久のぎりぎりまで安全に行くために走らなかったとしてもトータルではそっちのほうがいい気がします」
「と、いうことなんだけど、異論ある人いる?」
首を横に振る4人。いちおう確認したという程度で、ほとんど決まっていた結論である。さすがに直線距離のほうが短いなどという人はいなかった。
「じゃ、出発」
彼らは一列になって階段を上っていく。横移動に対して縦移動って負担多すぎない? そう思うほどしんどく感じる階段を何とか昇り終えると、そこにはあまりにも異世界然とした景色が広がっていた。
「こうやって観ると、やっぱり異世界よね」
「ですね」
三方向に広がるだだっぴろい森林と、これを切り裂く少し古びた長城。西側にじゃ遥かな山々がそびえたち、その手前に外壁に囲まれた円形の小さな街。外国のどこか田舎に行けば見られるのかもしれないが、彼女たちにとって見慣れないものであるのは確かだった。
今はちょうど夏だという。あるいは、セミの鳴き声ひとつでも聞こえれば、そこに日本を感じられたかもしれないが。
「行こうか」
彼らは隊列を変えて走り始める。勝手知ったる晴人が先頭となり、美波、和眞、貴洋、春歌、朱音と続く。足元に気をつけながらの進行で置き去りにする心配はないが、崩落しそうになったときに、反応できるようにしたい。
単独行動しているか、最後尾をついていくだけの晴人にとっては、後ろについてくる人がいるというのは奇妙な感覚を憶える。それは貴洋も同じで、ふわふわとした足取りであった。きっと、高さのせいではないだろう。
「そういえば、岩原さんはポイント、やっぱり聖魔法に振ったの?」
こんどは狭い長城の上。広がって走るわけにもいかず、自然と二人ずつで話しながら走ることになる。全速力できないぶん手持無沙汰だし、魔物がいる高さでないから、神経をとがらせる必要もない。
結果として晴人の話し相手は美波となったわけだが、気の利いた話題は出てこないわけで。こういうときにちょっと真面目な話をするのが悪いとこだよなあと、晴人は自省する。
「そうですね。聖魔法はレベルが上がるほど回復効率が高くなるみたいです。たくさんの傷病を治すのもそうですし、深刻なものにも効果が出てくるみたいで」
「なるほどね。まあ回復速度も速いに越したことはないし、部位の欠損まで直せればかなり安心だもんね」
「このパーティだと怪我する人は出なさそうですけど」
「どうだろ。僕と朱音は移動速度重視で紙装甲だし、貴洋と和眞は敵との距離が近くなるからね。今までの運が良すぎただけな気もするし、安全方針の賜物な気もする」
「いつもの内田さんの距離だと、私の回復も間に合わないですけどね」
「あー、確かに。いやまあ頭ではわかってたつもりなんだけどね。もっと慎重に行動すべきだったかも」
「すいません」
「? いやまあこの場合謝るべきは僕なんだけどね」
日本にいたときはどうやって一女と話してただろうかと、思案してみる晴人。よくよく思い出して、一女とうまく話せてなどいなかったという結論に至る。
サークルの先輩と後輩なので、事務連絡というか、サークル関連の話はするが、それ以上に仲良いということはない。そもそも趣味が薄いというか、他人と共通しない彼である。
いや、うちも一女なんですけどね、そんな声が聞こえてきそうな気もするが。
「すごい今更なんですけど、晴人さんはなんで弓を選んだんですか?」
「へ?」
「最初のスキル選びのときです。少し言いかたが良くないですけど、男の人は前衛職が多いイメージですし、同じ後衛なら魔法なのかなと思ってたので。この前も、魔法はコストが低いみたいなことおっしゃってましたよね」
「あー、まあ確かに。前衛じゃない理由は単純で、貴洋が前衛をしそうだからバランスを取ろうかなと。魔法じゃない理由は、なんでだろ」
「私はてっきり、朱音さんが魔法を採ると考えていたのかな、なんて思っていました」
「どうだろ。まあ朱音ともパーティ組むかなあとは思ってたから。けど魔法のコストが低そうな印象もあんまりないから、違う気もする」
「不思議ですね」
「そう?」
「はい」
傍からみれば不思議、なのかもしれない。とくに恋愛云々の多いコミュニティにいて、朱音が名実ともにその中心にいることを考えれば。
おとなしそうに見えるけど、そういう話題は好きなんだな、と晴人もまた不思議に感じる。つい先ほども和眞の話を聴いて楽しそうにしていたし。まあ、大学生ってそんなものか。
「どのくらいかかるんですかね」
「どうだろ。休憩挟みつつあと2時間くらいしたら建築に取りかかりたい時間かなあ」
「あ、いえ。今日の話ではなくて。もとの世界に戻るまで、どのくらいなんろうって」
「そっちの話ね」
「紛らわしくてすいません」
「いやいや。うーん。他のパーティも僕らと同じくらい順調なら、あとひと月で魔王石壊して、魔王と戦う準備して。みんな揃ってれば案外楽に勝てる気もするから、あと半年もあればふつうに帰れるんじゃない?」
「半年……ですか」
「長いようで短いし、短いようで長いよね」
「どっちですかそれ」
「まあ、長いか。半年留年って言われたら普通に嫌だし」
「逆にピンときませんね」
「そのうちわかるよ」
そのうちが来てほしくないような、来てほしいような。複雑な思いで苦笑いを浮かべる。
「私は私たちのパーティがすごく順調に感じるんですけど、他のパーティもこんな感じだと思いますか?」
「どうだろ。正直、どんな感じでパーティ分けがされたかほとんど知らないんだよね。1年生とかは適正みたいなのもわかんないし。岩原さん的にはどうなの? 同期。うまくやってそう?」
「どう……なんですかね。女子は問題ないと思います。春歌ちゃん含めてみんな少なくとも私よりはしっかりしてるので。男子は……私もわかんないです」
「まあそうだよなあ。人数多い分、そこまで接点ない人も普通にいるもんなあ」
「そうですね」
「朱音なら何となくわかるんじゃない?」
そんな会話をしていたのが後続にも伝わったらしく、いつしかみんなでその話をし始める。どのパーティが魔王石を早く壊せるか、あるいは長く時間がかかるか。各々が勝手な予想を披露するなか、4年生のパーティが最後であるというのは、なぜか3年生の共通見解である。
微妙に信頼されていない最上級生に思いを馳せつつ、そして36人の無事を願いつつ、彼らは開けた視界を進むのだった。




