12.非日常、あるいは日常的でありふれたもの。
さらに数日後。朝食の席を囲んでいると、朱音が切り出した。
「今日は休みにしない?」
リーダーという立場もあって6人のなかでも勤勉だった朱音の発言に、少し意外性を感じる。何か用事があるということなら、端的に用事があると言いそうだし。
あるいは、休日という概念を忘れていた自分たちにハッとしたのかもしれないが。
「まあ、生活費も十分稼げてるし貯金もできてきてるからいいんじゃねえ?」
「私も休めるならとくに反対はしないですけど、どうしてこのタイミングなんですか?」
「とくにこのタイミングに意味があるわけじゃないけど……。連日狩りをしてたら注意力とかが下がるかもしれないし、何より一人の時間が取れないままってなかなかのストレスじゃない? それに今日気が付いたってだけよ」
「僕も賛成かな。週末みたいな感じで定期的に休みがある方が生活しやすいだろうからね」
「そうっすね。異世界に来て仕事ばっかりってのもつまんないっすから」
「わ、私もいいと思います」
突然降ってわいた休日に戸惑うことはあっても、反対する人などいるはずもなかった。
実際、晴人と朱音は狩りをする時間の多くを一人で過ごしているからそうでもないが、他の4人には一人になれる時間はほとんどない。
ストレスが顕在化する前に対応できるところこそ、朱音がリーダーたるゆえんである。
「じゃあ、決まりね。夕食の時間に戻ってくるまで何をしててもいいし、何もしなくてもいいってことで」
「あ、ひとつだけ。ないとは思うけど、イデュルム大森林とフロムベルクの森には立ち入らないこと。何かあっても助けられないからね」
晴人が貴洋と和眞の方に目を向けながら釘をさす。その2人が休日を返上してまで仕事をしに行くとは思っていなかったが、昨日の会話を思い出せばあり得ないともいえない。
「さすがに行かないっすよ。たまには魔物と会わない日が欲しいっすから」
「俺はそんな熱心な人間だと思われてたのか、意外だな。まあ、行かねえから心配いらねえよ。……それと、俺からも提案なんだが、日中はマップを見ないって約束にしねえか? まあ、遠出する人がいれば使わざるをえないかもしれないが、休日のプライバシーは極力あったほうがいいだろ」
貴洋のその配慮が、後輩たちに向けられたものなのか、受付嬢とデートするかもしれない友人に向けられたものなのかはわからなかったが、これを却下する理由をもっている人間はそこにはいなかった。
「そうね。まあ、人の位置は見ないように気を付けましょ」
ウルムの街に来てからもう一か月近くが経過している。街中の主要な施設の位置は把握しているし、困ったら通行人に尋ねられるくらいには、街に馴染んでいる。街中にいる限りでは、マップを使う必要もないだろう。
「うちはみんなが休みをどう過ごすのか気になります。何かイベントがあった人は夕食のときにでも教えてください」
何もないこの街でできることといえば限られているのだろうが、友人の休日には確かに興味がわく。あるいは、尽きかけてきた話題を何とか増やそうとしているのかもしれない。
6人は一日をどう過ごすのかを考えていたのか、いつもより少しだけ口数が少ない朝食を終え、めいめいの休日に繰り出していった。
「とはいえ、とくにやりたいこともないんだよなあ」
人間、いきなり自由を与えられても存外戸惑うものである。
ついひと月ほど前までは大学3年生で、ゼミやらバイトやらはあったものの、ほぼ毎日が休みのようなものであった晴人だが、それでも一日の使い方が思い出せない。
ここが東京であれば、最新の映画を観に行ってもいいし、ちょっと遠出して美味しい海鮮を食べに行ってもいい。アウトレットやテーマパークに1人で行くかはちょっと疑問だが、誘うべき友人ならいくらか思い浮かぶ。
そう考えてみると、休日のほとんどを友人と過ごしていたなと思う。裏返せば、生活のほとんどのシーンを一人で過ごしていたということでもあるが。
世の中には二種類の人間がいる、などと考察を始める。
片方は、他者と過ごした時間や経験を一人での生活に還元する人間。「私の生活は、私の生活」と思うなら、こうであろう。
他方は、一人で過ごした時間や経験を他者との生活で共有する人間。「私の生活は、私たちの生活」と思うなら、こうであろう。
「僕は間違いなく前者のタイプだな」
しかしながら、今日という一日は一人で過ごすことが推奨されてる。貴洋にせよ朱音にせよ誘えば来る気がするが、それでは休日の意味は半分失われるに等しい。あるいは不穏な歪みを余計に作り出してしまうかもしれない。
「まあ、一人でいるなら図書館だな」
以前ミシェルさんと散歩したときに図書館があることを確認していた。どうもこの世界の文字も不自由なく読み書きできるようなので、情報収集に最適だと考えていたのだ。
図書館といっても古本屋くらいの広さの部屋に本棚が並んでいて、座って読むためのベンチがいくらか設置されているだけのものだが。しかもタダで読むというわけにはいかず貸出料がかかる。
この国の、この街の税制がどうなっているのかはわからないが、貴重な書籍を無料で貸し出せるほどの予算があるとは思えないから、まあ妥当であろう。
晴人は部屋に入ると、物語が陳列されている棚から数時間で読めそうな薄い一冊を取り出す。本を読もうという人は少ないのか、思ったよりきれいな状態で保管されている。
「これを借りたいんですが」
「……それ、子供向けだけどいいの?」
奥に座って本を読んでいた若い司書に尋ねると、彼女は訝しそうに対応する。
冒険者っぽい恰好をした成人男性が児童書を借りようとしていたら違和感を覚えるだろう。子供がいる年齢でもあるまいし。
「ああ、これは児童書だったのか……。まあ、大丈夫です。短めの物語なら何でもよかったんで」
「そう。まあ、いいならいいけど。保証金20ダリアね」
「はい。……そこのベンチで読んでてもいいですか?」
「はあ、どうぞ。あ、飲食は厳禁ね」
卓上に置かれたコインをしまうと、司書は晴人への興味を失ったように、読みかけていた本に視線を落とした。
店員と思うとずいぶん愛想のない接客であるが、司書と思うと“それらしい”態度である。あるいは店員への要求が過大なだけかもしれないが。
晴人の借りた本は、小さな子供が引っ越しをする物語であった。中央都市に住んでいた子供が親の仕事の都合で田舎に行き、自然と触れ合ったり、ちょっとやんちゃな地元の子供と仲良くなったりする物語。描かれている田舎は安全に管理されたような自然と、活気ある生活に満ち満ちている。それは、子供からはそう見えるのか、ウルム以外の田舎はそうなのか、はたまた都会の人間の描いた“理想的な田舎”に過ぎないのか。
いずれにしても晴人には意外だった。児童書といえば華々しい冒険譚なのだろうと勝手に思い込んでいただけに、ある種地味で、盛り上がりに欠ける小説に子供たちは食いつくのだろうか。
子供が読みたい物語と親が子供に読ませたい物語は往々にして違うよな、などと思いながら借りた本を返しに向かう。
平易な文章で書かれていたから苦労なく読むことができたが、それでも1時間は経っていた。にもかかわらず、司書の女性は、晴人が本を借りたときと全く同じ姿勢で手元の本を読み続けていた。
「これ、お返しします」
「……ああ。もう読み終わったの?」
「まあ児童書で読みやすかったですから」
「そう。面白かった?」
「まあ、僕には興味深かったですが、これの保管状態がいい理由はわかりました」
「都会で流行ってるからって仕入れたんだけどね」
晴人は率直な意見を伝える。実際、ウルムの街以外を知らない晴人にとっては引っ越す前の都会の描写も、そこで育った子供の描写も新鮮に映る。そして、描かれる田舎も彼の想像力を刺激するには十分で、総合すれば面白い本ということになるだろう。が、現に田舎に住む人々が求めるものかと訊ねられれば、首を振る向きは横にならざるを得ない。
そういった返答が来ることにうすうす気づいていたのか、司書さんも苦笑いしながら返答し、机の下から取り出したコインを机上に置く。
「これ、15ダリア。保証金から貸出金を差し引いた分を返すね」
「ありがとうございます」
「…………まだ何か?」
「いや、さっきから熱心に何を読んでるのかなと思いまして……」
一日では到底読み切れないだろう分厚い本を視界に留めながら、純粋な好奇心を伝える。この一時間で何ページがめくられたのだろうか。どのくらい読み進められたのかもわからないその本を、しかし司書さんは熱心に読み続けている。
何がそこまで彼女を熱中させるのか。
「これは『カスティールの日記』だよ」
そういうと、彼女は横に置いてあった栞を開いていたページに挟んで、本の表紙を見せてくれる。
真っ白なデザインの装丁に、ただ一行『カスティールの日記』とだけ記されていた。装飾品としても使えそうな絢爛な装丁の本が多いのと、ずいぶん対照的である。注視してみると、タイトルのほかには、出版社名も編者名も書かれていない。
「カスティールの日記……? そのカスティールさんというのは有名な人なんですか?」
「お兄さん、カスティール知らないの? 世界で唯一の医者だよ? もう死んでるけど」
「唯一の医者?」
「うん。ほら、ボクたちって聖魔法でケガも病気も治せるでしょ? それを、魔法を使わないで治せないか研究してたのがA.T.カスティール。結局聖魔法のほうが便利だから研究は続かなかったけど」
「あー、まあそうなるか」
治療に関する技術はまさに命に直結する技術だし、戦いが恒常化しているこの世界であればなおのこと求められるものである。
であるならば、原理を解明して、治療法を考案して、手術の技能を教えて、器具を用意して、などというまどろっこしい医療よりも、直接的に解決できる魔法が優先されるのも自然な流れであろう。
あるいは、聖魔法を使える人々がその役割を独占したかったのかもしれないが。
いずれにしてもカスティール氏は、研究する気が起きないほど便利な魔法がある世の中の数少ない研究者らしい。科学の国から来ている晴人としては一度話してみたかった気もするが、すでに他界されているとのことで、残念極まりない。
「にしても、研究者なのに文才もすごいんですね。面白い日記を書けるなんて」
「いや、この日記はつまらないよ」
「……え? でも、すごく真剣に読んでましたよね?」
「真剣にというか、苦労してたんだよ。面白くないし、やけに難しい言葉ばかり使うし。しかも一つひとつの話が長い」
「なのに読むんですか?」
「高名な研究者の日記だからね。もしかしたら大発見のヒントがあるかもしれない。ボクにも真似できる何かがあるかもしれない。まあ要するに、勉強のためってこと」
「なるほど。確かに、勉強のための本は往々にしてつまらなくて難しいですからね」
「あれ、お兄さんも何か勉強してるの」
「まあ、いろいろと。かれこれ15年近くは勉強してますかね」
「そんなに! じゃあ、ボクの先輩だ。……でもそんな勉強してる人がカスティールを知らないなんてことある?」
ここで晴人は、自分が異世界から来たことを打ち明けるかどうか迷ったが、結局、伝えないことにした。異世界人の概念を知ってる人なら、とうに気づけるだけの会話はしているはず。そうであれば、目の前の彼女にはその概念がないのだろう。
それが、いずれ知ることになるものかもしれないとしても。あるいは、一生無縁に生きていくのかもしれないとしても。どちらにしても、自分の口からそれを伝えてしまうのは、何というかズルい気がしたのだ。
子供が一生懸命探しているパズルの答えを、それを買い与えた親が教えてしまうような。生徒の提出した夏休みの宿題に、大学の論文を突き付けてしまうような。
あるいは、晴人たちの故郷にあった科学技術の知識だってそうだ。
この世界にまだない物は、この世界の人間の手で発見してほしい。異分子ぶった異世界人の、どうしようもないエゴなのだとしても、晴人は自分の口からそれを伝えることはできなかった。
「ま、僕の研究は弓の研究なんですけどね」
「なんだ。それって冒険者の訓練ってことじゃん」
晴人の咄嗟のごまかしに違和感を覚えることなく笑ってくれる若い司書さん。その笑顔に多少の罪悪感を抱きつつ、晴人は図書館を後にすることにした。
「お兄さん、また来てよ。この街、本を読む人が本当に少ないんだ」
「そうなんですね。僕らはしばらくウルムにいますから、ときどき来ますよ」
外はまさに昼下がり。いつもより強く感じる太陽の陽ざしを受けて、もう少し室内にいれば良かったなどと思いつつ、大通りの方へと歩いていく。静かで平穏な空間に、後ろ髪ひかれるような思いで振り返ってみれば、彼女はすでに手元の本へと視線を落としていた。
その美しい姿勢が、なぜか妙に焼き付いていた。
8月は毎日投稿を試みます
ぜひブックマーク等もお願いします




