11.日常、あるいは非日常的で危ういもの。
数日後。
静かな森の中。ウルムの街の南方に広がるイデュルム大森林の昼下がり。差し込み陽ざしに照らされて暖かく、ときおり海側から西方の山々からおりてくる風が、木々を静かに揺らしている。
ハンモックでもつるして小説でも読みたい心地になるような天気だが、そんな自然のきらめきとは裏腹に、そこにいる晴人は緊張感に包まれていた。いや、広大な自然が広がっているからこその緊張感か。
「(私の位置から方位160、距離850にクマ型です。こっちに向かってくる様子はありません)」
「(こぴー)」
念話を使った意思疎通により、晴人は次の獲物を認識する。視認性の悪い森のなかでまだ距離のある獲物を発見できるのは、春歌の使い魔がいるからこそである。
それでも、魔物に囲まれたり突然襲われたりしないのは、魔物の性質によるところが大きいだろう。彼らは“お腹が空いている”か、危機感を抱かせるほどこちらから接近しないかぎり、他者を襲うことはない。頻繁に“お腹がすく”のが問題でもあるが、獲物にありふれているこの森ではそれほど危険を生じない。
晴人は南方に向かって走り始める。経年劣化によりところどころ不安定になっている長城だが、素軽い晴人が駆け抜けるには十分な舗装である。
もちろん、距離だけでいえば現在の位置からでも致命傷を与えることができるが、いかんせん斜線が通らない。葉や枝にあてながらムリやり通すこともできないでもないけど、それをしてクマが暴れだしたら最悪であろう。
「いた」
ほんの数秒走った晴人が、木々の隙間にクマの後ろ脚を見つける。
一撃で仕留めるのが理想だが、暴れることすらできなくなる重傷を負わせることができるのであれば、十分である。彼らには血の匂いに集まってくる習性はない。
「ふぅ……。射」
晴人の手元から放たれた矢は、重力などないかのように真っすぐ飛んでいき、果たしてクマの後ろ脚に深々と刺さった。その体躯から貫通するには至らないだろうが、器用な手足を持たないクマにはもう、どうすることもできないだろう。
ぐったりと横たわり移動する気配がなくなったことを確認して、春歌に連絡する。
「(だん)」
「(了解です。今日はその辺まで行って終わる予定なんで、こっちに合流してもらえますか?)」
「(こぴー)」
自分に課せられたタスクを終えて一息つく間もなく、来た道を引き返す晴人。往路よりも速度は遅いが、それは彼がサボりたいからではなく、不用意に長城への負荷を増やさないようにするためである。
あらためて考えると、こんな深くまで長城を敷いてきた先人には尊敬せずにはいられない。もちろん土魔法か建築術か、そういうスキルを使っていて日本における建築よりは幾分楽なのだろうが、それにしたってずいぶんな労力である。
この壁がどこまで続いているのか、端まで行ったことがないのでわからないけれど、いまのところ途切れる様子はない。もっとも海まで続いているような話しぶりではなかったから、どこかで終わりが来るだろう。
走ってきた分をもどると、こんどは木々に移りわたって春歌たちのもとへと戻る。
「ああ、おかえり。お疲れさん」
森のなか、地面のうえに立って、長城の上にいた晴人なんかよりずっと危険な場所にいるはずの貴洋が、緊張感の欠片もない口調で彼を迎える。
「お疲れ様です」
「うん、お疲れさま。後ろ脚しか見えなかったから確殺は入れられなかったけど、行動不能にはしておいたよ」
「了解です。むしろ魔除けになっていいかもしれませんね」
「そういってもらえると助かる。それで、僕はどのポジションにいればいい?」
「大型の魔物は先ほどのクマ型が最後ですし、中型も朱音さんが対応してくれてますので、戦闘には参加しなくていいですよ。私たちと一緒に後衛をしながらパーティのバランスとか見といてもらえると助かります」
「後衛らしい仕事はできないけどね。けどまあ、お言葉に甘えて休ませてもらおうかな」
一応手には弓を用意しつつも、周囲の気配よりも味方の動きを観察しながら行軍する。
パーティ内での戦闘についての責任者は晴人であったが、実際の指揮命令は春歌に任せてしまっている。そのため、春歌の指示に逆らってまで攻撃をする理由を持ち合わせていない。
うにゃーーーー、ゴキッ。ぶふぁ。
時折、犬猫くらいのサイズの魔物が襲い掛かってきては貴洋の盾に一蹴される。
タンクというと防御に徹して味方の攻撃の時間を稼いだり、体制を整えたりするイメージが強いが、そこは貴洋のスキルと高STR。正面から突っ込んでくるだけの魔物を返討にするくらいは当然にできる。
「にしても何でこいつらって勝ち目もないのに近づいてくるんだろうな」
「逃げて追いつかれるくらいなら一か八か先制攻撃したほうが勝ち目があるってことなんじゃないっすか?」
「追いかけるのダリいから全然逃がしてやるのにな」
魔物は、その魔力量に応じて身体が大きくなり知性も高度なものになる。人間ほどの知性はないにしても、群れで襲ってきたり、隙を突こうとしてきたりする。
もっとも、そういう強力な魔物をこそ、春歌の使い魔が前もって察知して、晴人と朱音が処理してしまうのであるが。
「俺も強え魔物と戦いてえなあ」
「ダメですよ。貴洋さんが負傷したら誰が私たちを守るんですか」
「いやまあ、そうだけどよ。ほら、多少のケガなら美波が治せるんだろ?」
「は、はい。その、致命傷じゃなければ……いちおう……」
「あと、オレも一応前衛なんすけどね」
現状、魔物のほとんどを3年生組が無傷で倒してしまっているから、後輩組はその面での仕事を失っている。
もちろん、春歌は索敵をしつつ指揮していて中心的な役割を担っているし、和眞も和眞で道中の薬草なんかを採取して換金しているから何の役割もないということではない。何であれば彼らの生活の半分は和眞の収入で成り立っている。
「とはいえその辺は考える必要があるよね。心配だからって戦闘を避けてたら経験というか直感が身につかなくて、いざというときかえってピンチになる可能性もあるし」
「その辺はスキルが上がっても身につかないっすからね」
イデュルム大森林という絶好の狩場を結果的に独占している晴人たちはこの数日間で幾らかのスキルポイントを稼いでいた。
マップの位置がパーティで同期されていたように、スキルポイントの獲得も同期しているらしく、全員に同じように加算されていく。役割上戦闘に参加できない美波も成長できているのは、喜ばしい。
もちろんステータスを上昇させるに必要なポイント数が違うが、初期設定と同じ傾向にあったので、晴人たちとしては戦略を組みやすかろう。
が、そうやってポイントを振って伸ばしたスキルであっても使わないかぎり使えない。至極当たり前の話だが、これを実践しようと思うと難しい。彼らはポイントの割り振りを留保したままである。
「どこかのタイミングでフロムベルクのほうに活動場所を移すでしょうから、そのときまでには考えたいですね」
「まあそうだね。ここで安全に稼ぐだけ稼いで武器と防具を高いのにして、そのうえで実践するという手もあるわけだし」
「ま、こんな森の中で考えても仕方ないっすからね。今日は早いとこ死にかけのクマんとこまで行くっすよ」
無駄口を叩いてはいるが、小型の魔物がいればちゃんと対応しているし、索敵の目をかいくぐって襲われないか警戒もしているので歩みは遅い。
800メートル程度の距離を半時間ほどかけて進み、目標となるクマに辿りついた。
改めて近くでみると、その大きさに多少の恐ろしさを抱く。剥製の白熊を見たときでさえ威圧感を感じるのだ。それより大きなクマの、それもまだ生きている姿を目の前にすれば、おののくのが通常の反応というものだろう。
「にしても、あっちの壁からこんな勢いで射るなんて、改めて晴人のスキルは恐ろしいわね」
いつの間にか合流していた朱音が、後ろ脚に刺さった矢を眺めながらそうこぼす。気配遮断のスキルを使っているせいで味方であっても気づかないことがしばしばあり、その方が恐ろしいと思わないでもないが。
「まあ、逆に接近されちゃうと対応できなくなるけどね」
「じゃあ手分けして解体しちゃいましょうか。和眞さん、念のためとどめをお願いします」
「了解」
初めて動物を屠ったときのような後ろめたさはなく、彼らは手際よく解体していく。
大型の魔物を倒すと何が良いかというと、肉だけでなく毛皮が高く売れたりするのだ。それも弓や槍で仕留めれば傷の面積は小さくて済む。
ちなみに彼らは大型の魔物しか素材をはぎ取らないし、角や爪などの部位が高く売れる場合にはそれを率先して回収することにしていた。
命を奪っておきながら放置することに申し訳なさは感じるが、彼らが一日で狩れる量の肉が市場に出回ってしまうと他の冒険者たちは食べていけない。
それは魔物が豊富なイデュルム大森林を独占しているからであり、彼らだけがアイテムボックスの機能を使えるからである。
そして、アイテムボックス内でも鮮度が落ちていく以上、保管しておいて自分らで消費するということも難しい。
そういう意味でいえば、大型魔物を解体しているときの彼らは、命を無駄にしなくてすむだけ、むしろ救われたような気持にすらなるのだった。
「今日はここまでにしようと思いますがどうでしょう」
素材をアイテムボックスに収納すると、春歌が改めて尋ねる。彼らの荷物は増えていないので進むこともできるが、春歌はこう見えて慎重派なのだ。
戦闘中の判断は全て春歌に委ねているが、引き返すか前進するかは戦略的な判断である。こうやって戦略レベルの判断と戦術レベルの判断で二人は役割分担していた。
が、晴人が春歌の提言を却下することはほとんどなく。
「うん、いいと思うよ。前回に比べても随分進めたし」
「これからは行軍速度が問題になりそうね。魔物の強さ的にまだ行けても、暗くなる前に戻りたいものね」
「その辺りも、また相談したいと思います。では、回れ右で」
そういって6人はウルムの街へと北上していく。
往路では単騎別行動していた朱音や晴人も、復路ではみんなと一緒にいる。
先回りしてすべき仕事がないというのが一つと、さすがに日中ずっと一人というのは寂しいというのが一つ。あるいは、貴洋に後輩をまかせっきりでいることへのためらいが一つ。
そして、復路は比較的安全なのだ。魔物は実は、そんなに広範囲を歩き回らないし、そんなにすぐにはリポップしない。
彼らにはお喋りに興じる程度の余裕があった。
とはいえ、毎日同じ面々で話していて、しかもテレビやネットのような娯楽もない。話題は徐々に擦り切れてきて、戦略の話か、ここにいない部員か、あるいはご飯の話をするくらいである。
今日の夕食ダービーに6人全員がベットしたころに彼らはウルムの街へと戻ってきた。
彼らを待っているのは、毎日通っている銭湯と、少しずつ増えてきたこの世界の知り合い。食べなれてきた代わり映えしない夕食と、魔法できれいになったペラペラのお布団。
今日を無事に終えられることにホッとしつつ、翌日の朝もまたこの世界で目覚めるのだろうという静かなる諦めを抱いたまま、それぞれ眠りにつく。
これが彼らの日常。この世界での、生活の1ページ。




