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掌編小説集『掌心』  作者: 泡月響怜


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脱走喜劇・序

 新しきは怖い、故きは好ましい。

しかし変化は嫌いではない。

私は適応の天才。あらゆる事柄に適応してきた。

そして今がある。


 適応するごとに情熱が消えていく。

苦心せず適応の糸口が掴み取れてしまう。

退屈なのだ。すぐに飽きてしまう。全て半端に辞めてしまう。

多くの恨みを買った。多くの妬みを受けた。それらを悉く摘んできた。

いつしか私の手には虚無が握られている。

ここに怠惰極まれり。もはや何も動こうと思わぬ。動けるとも思わぬ。物事をするには必ず勝者と敗者が生まれるが道理。区別つけなければ報われないからだ。今までの行為に理由を探す、それが人間。紡いできた競争の歴史。

私はもう醜い姿を見たくない。水鏡に映る群衆の悍ましさ。

私の無実の肉体に群がり打ち寄せる怨嗟の波が心底私を貶めるのだ。


 私は脱走する。

 私は決して競争が嫌になったのではない。甚だしい敗者小人の門違いの悪口が疎ましいからである。

相手するのは無辜なる民、対等の大人に限る。私が教え、諭し、導く。私と有意義な議論を交わす。なんとも素晴らしいことじゃないか。


これは脱走ではない。撤退でもない。これはまさしく進展である。新天地は尋常ならざるものの座す神仙理想郷。私はそこで蝶と舞い、桃を食み、神仏仙人に新なる気づきを授け彼らの正面に座して営むのだ。ゆくゆくは私が傲岸不遜の化身として彼らの類に属することも夢ではない。

これは栄転である。


 私は用心の深い人間だ。据え膳であろうと毒味は欠かさない。足元を蔑ろにして路傍の石に躓くようなことなどありはしない。どれだけ優れた人物であっても画竜点睛を欠くような者は傑物にはなれない。基礎を疎かにしないことが城造りの基本である。


 いざ行かん。脱走喜劇の作者はこの私である。

破・急があると思うな。

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